69、黒き闇を裂く
ソレンディルの詠唱が終わると同時に、白銀の魔法陣が空間に広がった。
光が奔り、ガルム、アシュリー、ソフィア、ナイト、マルセルの姿が瞬時に包まれる。
目も眩む閃光の後、彼らは雪原の戦場から――ドラウセンの市街地の中央広場へと転移した。
しかし、安堵する暇はなかった。
遠くから、重低音のような地響きが響き渡る。
見上げれば、城壁の外周は黒々とした波――無数のオークの軍勢に包囲されていた。
「……こんな、馬鹿な。」
アシュリーが息を呑む。
その数は先程の倍――いや、倍以上。
地平線の向こうまで黒い影がうごめき、空をも覆う勢いで迫ってくる。
「まるで、闇そのものが増殖しているみたいだな。」
ガルムが唸る。その眼には恐れよりも、燃えるような戦意が宿っていた。
マルセルは一歩前へ出る。幻術を解いた姿は、黒衣が風に翻り、冷たい雪が舞い散る中、彼は静かに詠唱を始めた。地面が揺れ、低くうねるような声が広場全体を包み込む。
「――来たれ、魂の契約に縛られし者ども。
この手に眠る冥界の鍵を以て、再び歩む許しを与えん――
《ネクロ・マーチ》!」
瞬間、ドラウセンの城外に黒き炎柱がいくつも立ち上がった。
土を割って、鎧を纏った骸骨兵が次々に姿を現す。
千を超えるアンデッド軍団が槍を掲げ、一糸乱れぬ動きで整列する。
その先頭に立つマルセルが、黒き旗を掲げた。
冥府の紋章が翻り、闇の波動が戦場を満たす。
「これで、ようやく対等というところだな。」
マルセルの唇が静かに笑む。
だが、その瞳の奥には――僅かに焦燥が滲んでいた。
上空では、ソレンディルが魔力を練り上げていた。
彼女の周囲に赤熱する魔法陣が幾重にも重なり、空気が爆ぜる。
「《メガ・エクスプロージョン》――!」
轟音が空を裂き、炎の奔流が大地を貫く。
紅蓮の爆炎が雪原を焼き尽くし、数百体のオークを一瞬で灰に変えた。
その光景は、まるで天の審判のようだった。
「ソレンディル、派手すぎだろ!」
ガルムが笑いながら叫び、バスターソードを構えて南門へと走る。
後を追うアシュリーとソフィア、そしてナイト。
城門が開かれると同時に、ガルムが雄叫びを上げた。
「行くぞォォォ――ッ!」
彼の剣が炎に包まれた。
バスターソードに埋め込まれた魔石が赤々と光を放ち、炎の奔流が刀身を包み込む。
ガルムが振り下ろすたび、炎が獣のように唸りを上げ、オークを焼き裂いていく。
炎に照らされるその姿は、まさに戦場の鬼神。
一方アシュリーは、冷気を纏う。
彼の剣が淡い青に輝き、振るうたびに氷の軌跡が空を裂く。
刃がオークの胸を貫いた瞬間、血液が凍りつき、敵は声も上げられず崩れ落ちた。
「これで……ひとつ借りは返した!」
その瞳には、戦士の誇りと冷たい決意が宿っていた。
ソフィアは、素手で戦場を駆け抜ける。
蹴りが唸り、手刀が閃き、次々に敵を倒していく。
モンクとして鍛え上げられた身体が、まるで流れる水のようにしなやかに動く。
その背後ではナイトがデコイとして動き、彼女を狙う敵を弾き飛ばしていく。
互いの信頼が、戦場の中で一つの調和を生み出していた。
西門では、マルセルが無表情のまま歩いていた。
その歩みに合わせて、闇の瘴気が地を這う。
「――《デス・ブレス》」
吐息のように紡がれた魔法が、オークの群れを薙ぎ払う。
彼が通った跡には、生きたものが一体も残らない。
そして倒れたオーク・ジェネラルの亡骸に手をかざすと、
そこから新たなアンデッドが立ち上がった。
漆黒の鎧を纏い、紅い瞳を宿した特性の戦士――元オーク・ジェネラル。
かつての力を歪め、今は冥府の僕として暴れ狂う。
その腕が振るわれるたび、仲間だったオークたちが次々と蹴散らされていった。
アンデッド軍の槍隊は整然と動き、長槍が一斉に突き出される。
城壁へ迫るオークたちを、次々と串刺しにしていく。
剣士たちは棍棒の一撃を紙一重で躱し、最小の動きで反撃。
アシュリーがそれを真似ようとして、豪腕の一撃を受けて吹き飛ばされた。
「――ぐっ!」
だが立ち上がり、苦笑を浮かべる。
「……真似するもんじゃないな。」
上空からはソレンディルの爆裂魔法が再び降り注ぎ、地上では炎と氷の魔法部隊が連携して戦線を押し返していく。
激戦の最中、ガルムたちは一時的に城壁内に退避し、息を整えた。
ソレンディルはそれを確認すると、杖の魔石――ヴェリタス・ストーンに魔力を集中させる。
夜空を裂くように、連続して極大の爆裂魔法を放つ。
空が赤く染まり、雪が蒸発し、オークの群れは瞬く間に壊滅した。
――その頃。
エルドリンは、索敵の末に鉱山へ辿り着いていた。
古びた坑道の奥から、陰鬱な気配が流れ出している。
暗視の魔法で内部を照らすと、そこには拷問具と檻が並び、
数十人のダークエルフの女性が囚われていた。
彼女たちは言葉も出せず、怯えた目でこちらを見上げる。
「もう大丈夫です。あなたたちは、自由だ。」
エルドリンは静かに微笑み、転移の詠唱を唱えた。
一瞬の光の後、彼と彼女らは鉱山の外に現れた。
その後、彼は土魔法で坑道を完全に埋め、二度と闇が蘇らぬよう封印した。
彼は救出したダークエルフたちにテントを立て、薬湯で身体を癒し、
食事を与え、治癒魔法で傷を癒やした。
彼女らが眠りにつくと、エルドリンは隠蔽と結界の魔法を重ね、
「ここは安全だ」と呟いて、再びドラウセンへと転移した。
――その頃には、戦場は終息に向かっていた。
オークの軍勢はすでに半数以下、アンデッド軍が残敵を掃討していた。
エルドリンが到着すると、マルセルとソレンディルが待っていた。
「行くぞ。あのドラゴンの元へ。」
三人は空へ舞い上がり、北方の山脈へと向かった。
氷嵐が吹き荒ぶ頂に、巨躯のアンデッド・ドラゴンがいた。
鱗は氷のように透き通り、瞳は死の青光を放つ。
マルセルは静かに呟いた。
「……アイス・ドラゴンか。これは厄介だ。」
彼の指示でソレンディルが火炎魔法を放ち、
エルドリンは《レクイエム》を奏でる。
しかしドラゴンは氷の息吹で応戦し、彼らを包み込んだ。
それでも三人は怯まず、火と祈りの連撃を浴びせる。
ついにドラゴンが咆哮を上げ、氷の翼を砕かれて崩れ落ちた。
マルセルは掌を翳し、漂う瘴気を吸収する。
ドラゴンの胸を切り開くと、中からリンゴほどの巨大な魔石が現れた。
「これが……核か。」
炎で遺骸を焼き尽くすと、彼の表情が曇る。
「――闇の主が、動き出したのかもしれぬ。」
エルドリンが頷く。
「一度、ドラウセンへ戻ろう。次の嵐が来る前に。」
街へ戻ると、すでに戦いは終わっていた。
勝利の鐘が鳴り響き、雪が静かに降り積もる中、ソフィアが駆け寄り、エルドリンに抱きついた。
「よかった……生きて、帰ってきてくれて……!」
彼女の頬を涙が伝い、エルドリンは静かにその背を抱きしめ返した。
領主、鉱山卿オズリック・ハンマーハンドが彼らを迎え、報告を受けた。
闇の主が大陸全体を脅かす可能性――その重大さに、誰も言葉を失った。
「闇はまだ、序章に過ぎぬ。」
マルセルが呟く。
「オークの軍勢は斥候に過ぎぬ。三千規模でこの調子なら、本隊はその十倍は下るまい。」
エルドリンは重々しく頷いた。
「すぐに連絡を取るべきだ。エンペリア帝国、アルカディア王国、エルメリオン王国――
三国が手を結ばねば、この闇に飲まれる。」
数日後、各国へ伝令が走った。
エンペリア帝国では、皇帝自らが書簡を受け取り、クラン「ファイヤクラフティ」のヴァレンが書状を読みながら、不敵に笑った。
「……また厄介な時代が来たもんだな。」
アルカディア王国では、公爵エドガー・ファルコンハートが国王を交え、緊急会議を開く。
エルメリオン王国では、蒼翼騎士団長イリスが呼び出され、
報告を聞いて深い溜息を漏らした。
「……大陸は、今まさに夜に沈もうとしているのね。」
その頃、北方の山脈の果て――
黒き王城の尖塔に、ひとつの影が立っていた。
闇に包まれた王座で、静かに微笑む声が響く。
「ようやく、幕が上がるか……人の世よ。」
その名を、誰もまだ知らぬ。
――北方の闇の主、ネクロドミヌス。




