68、戦いの終わり
雪の降り止まぬ戦場に、ようやく静寂が訪れた。
焦げた鉄と血の匂いが入り混じる空気の中、白い雪片が静かに降り積もり、折れた槍や砕けた兜の上を覆っていく。
凍てついた風が吹くたびに、戦場の残響――剣の打ち合う音や獣の咆哮が、幻のように耳に残った。
「……終わったのね。」
ソフィアは血に濡れた手を見つめ、小さく呟いた。
彼女の周囲には倒れた冒険者たちが幾人も横たわっている。
息のある者も、もう動かぬ者も。
彼女はすぐに膝をつき、掌を重ねた。
淡い光が指の隙間から溢れ、白銀の花弁のように舞う。
「――サンクチュアリ・ヒール。」
聖なる魔法が展開し、光が波紋のように地を這っていった。
呻いていた戦士の息が落ち着き、焦げた皮膚がゆっくりと再生していく。
「……助かった……ありがとう、ソフィア様……」
若い冒険者が涙を浮かべ、彼女に頭を垂れた。
ソフィアは微笑んで、その額にそっと手を当てる。
「礼はいらないわ。まだ立てるなら仲間のもとへ。――私たちは、生き残れたのだから。」
その姿を、少し離れた場所からガルムとアシュリーが見つめていた。
オーガのガルムは、巨体に返り血を浴びながらも誇らしげに笑みを浮かべる。
「アシュリー、お前の剣、悪くなかった。もう立派に一人前だ。」
「ありがとうございます。毎日ガルムさんに鍛えてもらったおかげです。
それにしても、あのオーク・ジェネラルを両断するなんて……やっぱりさすがです。」
二人は拳を軽くぶつけ合い、戦友としての絆を確かめ合った。
その傍らでは、ナイトが静かに立っていた。
白雪を背にしたその姿は、美しい毛並みと気高い瞳を備え、まさに百獣の王の風格を漂わせていた。
ソフィアがふらりと歩み寄り、ナイトのたてがみを優しく撫でる。
彼女はその背に顔を埋め、震える声で言った。
「よく頑張りましたね……。いつも無理ばかりさせて、ごめんね。――一緒に帰ろうね。」
ナイトは低く喉を鳴らし、尻尾を振って彼女を受け止めた。
その優しい仕草に、ソフィアの瞳から安堵の涙が一筋、こぼれ落ちた。
一方その頃、エルドリンは索敵を行っていた。
周囲十キロの範囲に敵影はない。
しかし――あれほどのオークの集団が、どこから湧いたのか。
その不自然さが、彼の胸に重く引っかかっていた。
「エルドリン、どうした?」
ソレンディルが声をかける。
だが、彼にはエルドリンが警戒を解かない理由がまだ分からなかった。
その少し離れた丘の上――
マルセル・デルースが静かに佇んでいた。
彼の背後には、整然と並ぶアンデッドの軍列。
骸骨の戦士たちは無言で槍を突き立て、まるで眠るように微動だにしない。
霊魂の残滓が淡く揺らめき、青白い光となって雪明かりに溶けていく。
「……味方なら頼もしいが、敵に回したくはないものだな。」
ガルムが呟くと、アシュリーも小さく頷いた。
「死してなお戦い続ける……それが、彼らの望んだ行く末なんでしょうか。」
そのとき、マルセルが右手を軽く掲げた。
幻惑の霧が彼の全身を包み、漆黒のローブ姿が、次第に人間の青年の姿へと変わっていく。
その眼差しは冷たくも、どこか哀しみを帯びていた。
「エルドリン、ソレンディル――こちらへ来てくれ。」
静かな声に呼ばれ、二人は彼のもとへ歩み寄る。
戦場の喧噪が消えたあと、三人の間にだけ、風の音と雪のざわめきが流れた。
「マルセル、何か掴んだのか?」
ソレンディルが問いかける。
マルセルは頷き、遠く北の空を見やった。
その瞳に映るのは、薄い雲の切れ間から覗く――黒く染まった山脈の影。
「アンデッド・ドラゴンとオークの進軍……あまりにも出来すぎているとは思わないか?」
彼の声が低く響いた。
「まるで誰かが、仕組んだかのようだ。
そして――私は見た。北方の果て、山脈のさらにその奥。
闇の霧に覆われた“黒き王城”の幻影を。」
エルドリンの瞳が鋭く細まる。
「……さすがですね。私は戦場に気を取られていました。
確かに、アンデッドとオークが同時に襲来したのは偶然としては出来すぎています。
もしかすると、ドラウセンを空にさせるための陽動かもしれません。」
マルセルは静かに頷く。
「私にも確証はない。だが、そう考えれば辻褄は合う。――この後はどう動くつもりだ?」
「冒険者たちは一度ドラウセンへ戻すべきでしょう。
連戦では精神も保たない。
ソレンディル、マルセル、ガルム、アシュリー、ソフィア、ナイト――君たちは転移魔法で市街地に戻ってくれ。
私は残党と、オークの発生源を探る。時間が経てば敵は散る。今すぐに動かねばならない。」
マルセルは口の端を上げた。
「おぬしも、なかなかに成長したな。……よかろう、今はそれを優先としよう。
ソレンディル、転移魔法の準備を。」
「了解。――おーい、ガルム、アシュリー、ソフィア! ドラウセンへ戻るよ!」
ソレンディルは手を振りながら駆け出した。
「それでは。」
エルドリンは短く告げ、風の精霊の加護を受けて空へと駆け上がった。
雪を裂き、彼の背が空の彼方へと小さくなっていく。
マルセルはその姿を見上げ、薄く笑った。
「……はなたれ小僧が、いつの間にか一人前の“戦士”になったか。」
そう呟く声は、風にかき消されるように、白銀の静寂へと溶けていった。




