60、退却
夕刻の戦いを終えた一行は、一度山岳から退去し、開けた谷間で野営の準備を始めた。
焚き火がいくつも灯され、負傷者の呻き声と治療の詠唱がそこかしこから聞こえる。
血の匂いと焦げた羽根の臭気が漂い、戦いの余韻がまだ空気に残っていた。
司令部の天幕には各部隊から隊長格が集まり、報告と作戦の協議が始まっていた。
バルグは血に塗れた鎧を脱ぎ捨て、部下に命じて被害状況をまとめさせる。
報告は重苦しいものだった。
「……戦死者十余名、重傷者は三十。盾列は半数が破壊されました」
沈痛な空気が陣を包む。
バルグは顔をしかめ、大斧を地面に突き立てた。
「やはり、ただの魔獣じゃねぇ。奴らは群れをなして狩る……今のは斥候に過ぎんだろう」
ソレンディルも頷いた。
「翼の巡回の仕方、鳴き声の調和……連携が取れていた。群れを束ねる主が別にいるはずだ」
兵たちは黙り込み、誰もが次の戦いの苛烈さを想像していた。
その沈黙を破ったのは、焚き火の明かりに浮かぶエルドリンだった。
「……申し訳ないが、グリフォンに対して有効打を与えられたのは、私とイリス、アシュリー、バルグ、ヴァレン、ソレンディルくらいだろう」
イリスとアシュリーは驚きの視線を向ける。
エルドリンは続けた。
「アシュリーの剛剣が相手を押し返し、イリス団長の正確無比な突きが隙を突く。
そしてソレンディルが傷口を貫く。この連携があってこそ通じた。
今のままでは被害が広がるだけです。前衛の消耗は激しい……今日と同じ戦術は続けられません」
兵士や冒険者たちはざわめき、バルグは黙って腕を組む。
その横でヴァレンがじっとエルドリンを見据えていた。
(……想定以上だ。あの若さで戦場を俯瞰できるとは。
俺の見立てより遥かに上――この戦役を変える核になるやもしれん)
ヴァレンは心中で評価を上方修正し、改めてエルドリンに興味を抱いた。
「して、どうするよ」
ガルムが口を開く。
「夜の内に巣と生体数を確認すべきだ。遊撃隊が囮になり、各個討伐が望ましい」
「なかなか痛い所を突くな。小僧」
「バルグ、いいじゃないか。その夜間偵察は誰が行うんだ?」
ヴァレンが低い声で促すと、視線は自然とエルドリンへ集まった。
「……問題は巣の位置だ」
バルグが唸る。
「日中に正面から探すのは愚か。空を飛べる奴らの縄張りに丸腰で踏み込むようなもんだ」
「ならば夜だ」
ヴァレンの声は冷徹だった。
「奴らの夜目に対抗できる者、そして飛翔魔法を使える者でなければ話にならん」
「私が行きます」
エルドリンは静かに名乗り出た。
「《フライ》は使える。索敵魔法も心得がある。何より、巣を突き止めるのが最も早い」
ソレンディルが肩をすくめ、片眉を上げる。
「……結局そうなるか。まあいい、私も条件に合う。エルドリン、付き合おう」
「二人で足りるのか?」
バルグが問うと、凛とした声がそれを遮った。
「私も行きます」
イリスだった。
「私は《飛翔術》を修めています。ハイエルフの夜目も役に立つでしょう」
バルグが言いかけたところで、ヴァレンが手を上げて制した。
「よかろう。エルドリン、ソレンディル、イリス――三名で偵察隊を組め。
隠蔽と索敵の魔法を駆使し、巣の位置を突き止めろ。
無理はするな。最優先は生還だ」
こうして夜間偵察が決定した。
その後、治療を終えたソレンディルのもとへイリスが杯を手に訪れた。
焚き火に照らされた瞳には、戦いの熱がまだ宿っている。
「ソレンディル。エルドリンはいつもああなのか?」
「……ああ。事実から戦術を組み立て、危険な索敵にも率先して行く」
「自ら危地に飛び込み、誰よりも先に刃を振るった。
あれはただの若き冒険者ではない。
人を奮わせる“何か”を持っている……私でさえ息を呑んだ」
イリスの声は淡々としていたが、その奥に熱があった。
ソレンディルは杯を傾けながら思う。
(……イリスがこれほど人を語るのは珍しい。彼女はエルドリンを尊敬し始めている)
一方、焚き火の向こうでエルドリンもまた呟いた。
「……イリス団長の槍は見事だった。グリフォンを正確に貫いていた。
さすが王国騎士団長。彼女はこの戦いに不可欠だ」
「圧巻でした。ヴァレンさんの剣も、あの硬い表皮を切り裂いていましたし……
自分はまだまだです」
アシュリーが隣で応じる。
深夜。野営地は寝息と警戒の足音が交差する静けさに包まれていた。
月明かりの下、エルドリンはひとり立ち上がり、ソレンディルとイリスが合流する。
「それでは行きます」
「了解」
三人は短く頷き、視線を交わした。
その刹那、戦友としての信頼と、互いを試すような緊張感が宿る。
――かくして、夜を翔ける精鋭捜索隊が決まった。
月は雲に隠れ、山岳地帯は深い闇に沈んでいた。
野営地の火が遠ざかると、夜風が冷たく頬を打つ。
「――《サイレント・ヴェール》」
ソレンディルの低い詠唱とともに、三人の身体が薄い靄に包まれる。
魔力の膜が音と気配を吸い込み、夜闇と同化していった。
三人は飛翔魔法を展開する。
魔法陣も詠唱もなく、エルドリンの足元から青白い光が走った。
その姿にイリスは一瞬目を奪われる――やはり彼の魔法は常識を超えていた。
空を翔ける。
冷たい風が身体を裂き、遠くの森は黒い海のように広がっていた。
三人は声を潜め、目配せだけで意思を通わせる。
やがてソレンディルが尾根沿いの白い痕跡を指し示した。
巨大な鉤爪で削られた跡。その先には岩壁に穿たれた大穴が口を開けている。
巣――イリスは緊張で喉を鳴らす。
耳を澄ますと、獣の呼吸のような唸りが穴の奥から響いていた。
その時、バサァッ――!
空気を裂く羽音が響く。三人の頭上を影がかすめた。
月光に照らされた一瞬、黄金の眼がこちらを射抜く。
――グリフォン。斥候か、それとも見張りか。
イリスが反射的に剣を抜こうとした瞬間、
エルドリンの手が彼女の手首を押さえた。
ソレンディルがすぐに隠蔽を強化し、三人は岩陰に身を潜める。
巨大な翼が夜を切り裂き、影は尾根の向こうへと消えていった。
静寂が戻るまで、永遠にも似た数十秒。
やがてエルドリンが低く告げる。
「……間違いない。巣だ。生体数は十二、巣が六つ。確認できた。戻ろう」
イリスは心臓が早鐘を打つのを感じながら深く息を吐いた。
彼の冷静な判断と、すべてを見通すような瞳に――不覚にも安堵を覚える。
ソレンディルが小さく笑った。
「さすがだな、エルドリン。私一人なら、魔法を撃ち込んでいたかもしれん」
三人の影は夜の闇に溶け、静かに野営地への帰路についた。
――翌朝、彼らの報告が軍全体の作戦を左右することになる。
朝陽が谷間に差し込み、野営地のテントや焚き火を淡く照らす。
昨夜の戦闘での緊張がまだ残り、兵士たちは沈黙の中で朝食をとる。
負傷者は応急処置を終え、動ける者は再び武具を整えている。
司令部の天幕には、バルグ、ヴァレン、前衛隊長、遊撃隊長、後方支援隊の隊長たちが集まった。
中央には昨夜の偵察隊、エルドリン、ソレンディル、イリスも並ぶ。
バルグが口火を切る。
「昨夜の報告は確認した。巣の位置と生体数、十二頭に巣六つ――群れ全体と遭遇する可能性がある」
ヴァレンが地図に指を置きながら続ける。
「尾根沿いに巣が点在している。日中に突入するのは自殺行為だ。夜目と飛翔ができる者だけで偵察し、
攻撃ルートを確認したのは正解だ」
エルドリンが静かに口を開く。
「巣は尾根の高所に点在しており、直接突入すると前衛が大量に消耗します。
遊撃隊による分散攻撃、後方からの魔法支援で間接的に削る戦術が望ましいと考えます」
イリスも地図を覗き込み、意見を述べる。
「巣の位置と周囲の地形を利用し、狭い尾根や谷間でグリフォンの機動力を制限できます。
遊撃隊は高所からの奇襲、私は槍と長弓で正確に狙いをつけます」
ソレンディルは冷静に指摘する。
「前衛が盾列で正面を押さえ、魔導支援隊は遠距離魔法で抑える。
巣への突入は段階的に行い、群れの主を最初に討つ。
それ以外の個体は遊撃隊と魔法で分断するのが理想だ」
ヴァレンはエルドリンの方に視線を向け、微かに微笑む。
「……なるほど。昨夜の行動も含め、君の見立ては正確だ。
私の予想より上だな、エルドリン」
エルドリンは少し頷き、声を低くする。
「ありがとうございます。しかし、まだ戦術は練り上げる余地があります。
前衛の消耗、兵士の負傷率、魔法支援の効率を考慮し、複数案を準備すべきです」
バルグが腕を組み、眉を寄せる。
「よし、ではこうしよう。
前衛は『赤鉄の壁』を中心に盾列で防衛。
遊撃隊はエルドリン、イリス、アシュリーを指揮官として各個に分散攻撃。
魔導支援隊は遠距離魔法で随時補助。
斥候や偵察は夜間と昼間に分け、巣の確認と敵動向を逐次報告せよ」
ヴァレンが追加する。
「グリフォンの主はおそらく最大の個体だ。奴を最初に制圧できれば、群れは混乱する。
しかし、無理な突入は避けること。戦力を温存し、致命傷は遊撃隊と魔法に任せる」
エルドリンは地図を手に取り、提案する。
「私は夜間偵察で確認した巣と尾根の高低差を活かし、二手に分けて包囲できます。
前衛と遊撃隊の連携が取れれば、被害を最小限に抑えつつ、主の個体を狙えます」
イリスが小さく頷く。
「前衛が盾列で注意を引きつけている間、遊撃隊で尾根から狙う。
私たちは隙を突く、連携とタイミングが命です」
バルグが渋い顔で天幕を見回す。
「……よし。全体戦術はこれで決定。
遊撃隊は各自の役割を再確認せよ。連携、視界、火力、魔法支援――
今回の戦いで生き残るかどうかは、すべてそこにかかっている」
ヴァレンが重々しく付け加える。
「無理をしてはいけない。致命的な損耗は避けろ。
だが、攻撃の順序と連携を間違えれば、全滅もあり得る」
会議が終わり、各部隊長は自分の隊員に伝達するため天幕を出る。
残されたエルドリン、イリス、ソレンディルの三人は、目配せを交わした。
エルドリンは低く呟く。
「……さあ、準備は整った。次は、巣を狙い、主を討つ段階だ」
イリスは短く頷き、拳を握りしめる。
「任せて。私たちなら、あの群れも攻略できる」
ソレンディルは微笑みを浮かべ、軽く肩を叩いた。
「……ああ、全力で行こう。次の戦いは、本番だ」
谷間に朝陽が差し込み、影が長く伸びる中、戦場の空気は一段と引き締まった。
――今日の作戦会議で決まった戦術が、グリフォンとの最終決戦を左右することになる。
谷間に朝の光が差し込み、前衛の《赤鉄の壁》の盾列が整列する。
バルグが腕を組み、険しい表情で全体を見渡す。
「よし、全員配置につけ。今日は群れの主を叩く、全力で行くぞ!」
ガルムは隣の兵士と肩を並べ、巨大な盾を高く掲げた。
「俺が前衛の壁を守る。奴らの突進は俺が止める!」
その声に応え、前衛隊士たちは一斉に盾を構え、地面に踏ん張る。
後方では、魔導支援隊《蒼炎の環》が杖を掲げ、火炎と氷の魔法を展開する。
ヴァレンは指示を出し、《焔牙の衆》と遊撃隊を巧みに誘導する。
「遊撃隊、尾根から敵を翻弄せよ! 魔導支援隊、タイミングを合わせろ!」
空を裂く咆哮とともに、グリフォン群が現れる。
尾根を越え、六つの巣から十二頭のグリフォンが猛スピードで襲いかかる。
「弓兵、構え! 前衛、盾を固めろ!」
バルグの怒号とともに、矢が空を裂き、盾列が鋼の壁となる。
ガルムは前列の中央に立ち、盾を大きく構える。
一頭の巨体が雷鳴のような突進をかけ、盾列に激突。
金属が軋み、兵士たちの足元の土が抉られる。だが、ガルムは踏みとどまり、仲間を押し潰されないよう支えた。
その隙に、エルドリン、アシュリー、イリス、ソレンディルが連携する。
エルドリンが前に飛び出し、剣に雷撃を纏わせてグリフォンの翼を狙う。
「アシュリー、右を!」
「了解!」
アシュリーは、残像を残して巨爪をかわしつつ、鋭い剛剣で側面を切り裂く、グリフォンは
血飛沫を上げる。
イリスは尾根の高所から槍を構え、正確な突きで翼の隙間を貫く。グリフォンの動きを抑える。
「ソレンディル、左!」
ソレンディルは冷静に氷槍を放ち、アシュリーが裂いた傷口を貫いた。
氷の矢が致命傷となり、グリフォンの動きが一瞬止まる。
上空では、バルグとヴァレンが統率する《焔牙の衆》と《蒼炎の環》が連携して戦う。
焔牙の衆が尾根からの斬撃でグリフォンを翻弄し、蒼炎の環が雷と氷の魔法で群れの巨体を
牽制。
ヴァレンが指示を出し、攻撃のタイミングと位置を同期させることで、群れの動きを効果的に
制限する。
「魔導支援隊、次の群れは左に引き込め!」
バルグの声に合わせ、前衛と遊撃隊の動きが完全にリンクする。
ガルムは盾を押し出し、突進する個体を受け止めつつ、仲間に安全な時間を作る。
エルドリンは飛び跳ねるように前後左右を移動し、アシュリーとイリス、ソレンディルの
攻撃が連鎖する形で敵を分断。
その間にも、ヴァレンが戦場全体を俯瞰し、戦術の微調整を行う。
「そこだ! 焔牙、環の支援を待て!」
魔法の柱と斬撃が同時にグリフォンを襲い、群れは混乱を始める。
ソレンディルが最後の一撃を放つ。
氷槍は完璧な角度でグリフォンの側腹を貫き、主個体の動きを止めた。
血と氷の飛沫が空中で散り、戦場の緊張が一瞬、凍りつく。
「よし、群れの主を押さえた!」
バルグが咆哮し、前衛を前進させつつ、遊撃隊と魔導支援隊も次の攻撃に移行する。
戦闘は熾烈を極めながらも、前衛、遊撃隊、魔導支援隊の連携で群れを一体ずつ制圧していく。
エルドリンの冷静な指示、アシュリーとイリスの正確無比な攻撃、ソレンディルの致命の氷槍。
そしてバルグとヴァレンが全体の指揮を取り、《焔牙の衆》と《蒼炎の環》で戦場を支配する。
その瞬間、谷間には火花、氷、雷光、金属音、そして獣の咆哮が入り混じる。
戦士と魔獣の総力戦は、完全なる連携によって戦況を制しつつあった。
熾烈な戦いは一刻を超えて続いた。
谷間に鳴り響く咆哮も、やがて断末魔へと変わり、最後の一頭が翼を焼かれて地に叩きつけられた。
「……終わったか」
バルグが血に濡れた戦斧を振り払い、周囲を見渡す。
地面には倒れ伏す兵士たちの影がいくつもあった。
《赤鉄の壁》の盾列は健在だが、重傷者が多く、立てぬ者もいる。
弓兵隊も矢を使い果たし、肩を焼かれた者が呻いていた。
「負傷者を後列に運べ! 魔導師は治癒に回れ!」
ヴァレンが冷静に指揮を取り、残存兵力の整理を始める。
ガルムは血塗れの盾を地に突き立て、息を荒げながらも胸を張った。
「……壁は破らせなかった。俺たちの盾は生きてるぞ!」
兵たちはその言葉に、弱々しくも拳を掲げ、連帯を誇示する。
夜営地に戻り、焚き火を囲んで被害の確認が行われた。
戦死者こそいなかったものの、重傷者は二十を超え、今後の戦力低下は避けられない。
「……やはり連携の遅れが目立ったな」
バルグが苦い顔で言った。
「盾列の持久は見事だったが、魔導支援との合図が遅れれば被害が広がる。遊撃との連携もまだ粗い」
ヴァレンも頷き、冷徹に続けた。
「それに、敵を倒したと見て間違いない。巣の雛を一層する。」
場に重い空気が落ちる。
その時、イリスが熱を帯びた声で口を開いた。
「巣の退治行きましょう。エルドリン様、アシュリー、ソレンディル、ガルム準備は良い?」
「ヴァレン殿、バルグ殿、撤退をして下さい。ここから先は我々が請負ます。」
エルドリンが力強く答える。
その戦略に、バルグの険しい表情が少し緩む。
ヴァレンも腕を組み、じっとエルドリンを見据えた。
「……君に対する認識を改めなくてはなるまいな。お前は私が想像していた以上だ。
無傷であそこまで立ち回ったこと自体が証明だ」
焚き火の炎が小さく揺れる頃、エルドリンが立ち上がった。
「……小隊で動くなら目立ちません。行かせて下さい。」
周囲がざわめく。
ヴァレンは沈黙の後、低く告げた。
「無茶だ。だが……最も理に適った策でもある」
バルグも渋い顔で腕を組み、最終的に頷いた。
「分かった。夜明けと共に出発だ。――必ず戻ってこい」
炎の明かりに照らされたエルドリン一行の顔に、決意の影が浮かんでいた。
こうして、グリフォンの巣を叩く作戦が決定したのだった――。




