58、新たなるレイド
商都ラーデンの領主館――
蝋燭の炎が静かに揺れる広間で、領主コンラッドは机に向かい、額に汗を浮かべていた。震える指先で筆を走らせる。羊皮紙には、冒険者アングレイク・ハートの勇敢な働き、西方エテルナ・グレイシャー(永劫氷河山脈)にて神々の残滓――フロスト・ジャイアントやネフィリム――と遭遇した事実が記されていた。さらに、彼らが古代語〈ハイエイシェント〉を操り、人と交わることのない存在であること。唯一エルドリンだけがその言葉を理解し、交渉に成功したこと。そして、「聖域を侵さぬ限り人を害さぬ」という約束を取り付けたこと……。
「……こんな報告、果たして帝が信じてくださるのか……」
心臓が早鐘を打つ。だが筆を止めることはできない。報告を終えた瞬間、彼は大きく息を吐き、震える手で羊皮紙を封じた。
皇帝ネフィロス・エンペリアの玉座間
報告を受け取った皇帝は玉座の間で深く眉を寄せ、目を見開いた。
「……神々の残滓……そしてエルドリン……ただの人間ではないのか?」
その声には驚愕と、わずかな恐怖が混ざっていた。すぐに三人の皇太子――アルディン、イヴォーリー、マーシャル――を呼び寄せる。
「よいか、アングレイク・ハートに手を出してはならぬ。繰り返す、決してだ。彼らは神々と接触したのだ……軽んじれば、この帝国そのものを危うくする。」
皇帝の声は震えていた。若き皇太子たちも事の重大さを悟り、互いに顔を見合わせる。
クラン《ファイヤクラフティ》本部――《火竜の陣》
会議室の卓上には辺境の地図が広げられ、山岳地帯の赤い印に「グリフォン群生」と記されている。
「……群れをなしたグリフォン、だと?」
重装部隊《赤鉄の壁》の副将が険しい顔で声を上げる。
「ただでさえ一対で戦うにも困難な魔獣が、群れを作るなど……。翼で舞い、鉤爪で甲冑を裂く。騎士団でさえ歯が立たぬ相手だ。」
沈黙が広がる。誰もが脳裏に、空を覆う影と血塗られた大地の光景を思い描いた。
そこへクランマスター・ヴァレンが口を開く。低く響く声は、会議室の空気をさらに張り詰めさせた。
「辺境伯クラウストからの要請は、我らにとって試練であると同時に好機だ。……“アンブレイカー”、エルドリンがそこに現れる。」
その名が告げられると、重鎮たちの表情が一斉に揺れた。
「……やはり彼が……」
「神の残滓と会話するという男……」
ヴァレンは地図の上に指を滑らせ、フォルンハイムの名を軽く叩く。
「恐怖は理解する。だが、エルドリンの存在は国内の噂と畏怖を集めつつある。我らがその場で彼と肩を並べることこそ、クラン《ファイヤクラフティ》の威を大陸に轟かせる第一歩となる。」
「しかし、万が一、我らの部隊が壊滅すれば……」
魔導支援隊《蒼炎の環》の代表が声を震わせる。
ヴァレンは冷たい笑みを浮かべた。
「だからこそ、経験豊かなバルグを大将に据える。恐怖に飲まれるためではない。恐怖を利用し、己の力を示すために集ったのだ。」
ヴァレンの胸にはただひとつ、強烈な欲求があった。
「エルドリン……その力、その存在、我が目で見極めねばならん。」
フォルンハイム到着――
冷えた風が山岳地帯から吹き下ろし、岩肌の間を縫う街フォルンハイムの石壁が姿を現す。
街門は厳重な警戒が敷かれ、鎧をまとった騎士団が出入りを見張る。冒険者風の者たちが集められ、次々に名簿へ記録されていた。
「ここが……国境の街、フォルンハイムか」
ソレンディルは冷気を含んだ風に銀髪をなびかせながら呟く。街の背後には切り立つ山脈、その上空をかすめる影が今迫る危機を暗示していた。
「グリフォン……しかも群れか」
エルドリンは眉をひそめる。目撃情報によれば、通常はつがいで縄張りを持つグリフォンが数頭以上で群生しているという。騎士団と冒険者の連合軍でも、通常の武器では通用しない相手だ。
霧氷楼と冒険者ギルド
宿はフォルンハイムの街外れに立つ石造り。氷の結晶が窓辺にきらめき、暖炉の炎が木の梁を柔らかく照らす。雪が屋根に薄く積もり、凍てつく風が窓を叩く中、宿内には暖かい食事と談笑の声が響く。
エルドリンは冒険者ギルドに足を運ぶ。重厚な石造りの建物、古代風の彫刻が屋根に施され、門前には装備を整えた冒険者たちが行き交う。中に入ると荘厳なホール。木製の柱と梁、掲示板に貼られた依頼や注意書きが冒険者の熱気を伝える。
「総員が揃うのは三日後、訓練に二日、六日目に出発予定です」
受付嬢の声は落ち着いていたが、準備期間の短さに焦りが感じられた。
再会と居酒屋の夜――
ホールで声を掛けられる。銀に近い淡い金髪、蒼碧の瞳、白銀の軽鎧に青いマントを纏うハイエルフの女性――イリス・フェルディナントだ。
「イリス?」
ソレンディルは驚きの声を漏らす。二人は互いに微笑み、旧友との再会を喜んだ。
夜、二人は街灯に照らされた石畳を抜け、小さな居酒屋に腰を下ろす。薪ストーブの暖かさ、煮込み料理の香りに包まれ、窓の外の冷たい風とは対照的な安心感が漂う。
「久しぶりね、ソレンディル。王立魔法学校以来かしら?」
「ええ、魔法の授業以来ね。剣術を極めるあなたと魔法で張り合った日々が懐かしいわ。」
二人の友情は笑みを交わすたびに再確認される。だが、話題はやがてエルドリンへ――神々の残滓と意思疎通が可能だったことを語るソレンディルに、イリスの瞳は僅かに揺れ、警戒と畏怖が混じる。
「……人間が? 神々の残滓と? もし敵対していたら、騎士団でも歯が立たない」
「でも彼は同胞として認められたの。無闇に害をなすことはないわ」
居酒屋の暖かさの中で、二人は友情と信頼を再確認しつつも、未知なる存在への警戒を胸に刻むのだった。
フォルンハイムでの合同レイド準備――
霧氷楼の暖炉の炎が揺れる中、エルドリン一行は荷物をほどき、休息を取った。外の雪風が石造りの宿の窓を叩きつけるたび、木の床を通じて冷気が足元を刺す。だが宿内は温かく、薪の香ばしい匂いと談笑の声が旅の疲れを少しずつ癒してくれた。
「総員が揃うのは三日後か……」
ガルムが窓の外を見やりながら呟く。山の稜線にかすむ灰色の雲は、遠くで待ち構える危険を暗示していた。
「二日間の訓練を経て六日目に出発……準備は十分にしておかないと」
アシュリーが剣を磨きながら言う。その指先には、彼が成長しつつある確かな自信が現れていた。
訓練初日――戦術と連携
三日後、合同レイドに参加する冒険者と騎士団が霧氷楼の広場に集まった。辺境伯ヘルマン・クラウストの騎士団、冒険者ギルドの精鋭たち、そして《ファイヤクラフティ》の派遣部隊が、氷の結晶に光る朝日に照らされて整列する。
「皆、ここからは総力戦だ。互いの力量を見極め、連携を磨くこと」
ヘルマン辺境伯の低く響く声が、凍てついた空気をさらに引き締める。
初日の訓練は、隊列の統制と戦術的な移動、魔法支援の連携確認に費やされた。
ガルムは重装歩兵として盾を前に出し、攻撃隊の動きをサポート。アシュリーは新たに覚えた縮地で動き、残像を見せての斬撃訓練を受ける。
「いいぞ、アシュリー! 背後からの攻撃も見切れるようになったな」
エルドリンが低く声をかけると、アシュリーの顔に少し誇らしげな笑みが浮かぶ。
しかし、すぐに戦況を想定した緊張が戻る。霧氷楼の広場に吹き付ける風が、戦いの冷たさを一層際立たせる。
訓練二日目――魔法と戦技の応用
二日目は主に個々の戦技や魔法の応用訓練に充てられた。エルドリンはアシュリーに近接戦闘の距離感と無詠唱魔法の使用方法を指導する。ガルムとの槍の打ち合いで中に入り、敵の動きを読む技術を磨く。
ソレンディルは魔法の援護範囲と精度を確認し、イリスは剣術を極めた動きを仲間に示す。
二人は時折、互いの技を見て軽く笑みを交わす――友情と信頼の証だが、戦いの緊張は決して消えない。
夜になると、訓練場は焚火で温められ、疲れ切った身体を癒す。暖炉の炎が反射する雪明かりの中、エルドリンはスクロールを広げ、マルセル・デルースからの助言を思い返す。
「神々の残滓は力の源であるだけでなく、古代の扉……大地の真実へ通じるのだ」
その言葉の重みを、静かに心の奥で噛み締める。仲間たちが疲れた身体を休める間も、彼の瞳は遠くの未来を見据えていた。
二日間の訓練を終えた後、《ファイヤクラフティ》のバルグは厳しい目を宿したまま一行を見渡した。
「戦術、連携、まだまだ甘い。各隊の動きが噛み合っていない。これでは実戦で混乱するぞ」
低く響く声に、訓練場の空気が一瞬ピリリと張り詰めた。
バルグは迅速に再編成の指示を出す。まず前衛は重装歩兵隊《赤鉄の壁》と辺境伯騎士団を主体とし、遊撃隊は突撃戦士隊《焔牙の衆》と冒険者たちを配置。エルドリンとアシュリー、そしてイリヤも遊撃隊に組み込まれ、機動力と戦術的な突破力を発揮する役割を担う。
魔法使いはその能力に応じて班を編成。後方からの支援役と前衛支援の両方に分かれ、魔導支援隊《蒼炎の環》と冒険者の魔法使いを混ぜ、火力の強弱に応じた最適配置が決定された。さらに、弓矢使いは前衛の二列目に位置し、敵の進軍に合わせて連続攻撃を加える。
「全体の動きを確認し、互いの位置を意識しろ。連携を欠けば、せっかくの力も無駄になる」
バルグは司令塔として全体を俯瞰し、動きのズレや死角を逐一修正した。
この指示に従い、エルドリンたちは再び訓練を開始。二日間の追加訓練により、各班の連携が徐々に磨かれ、前衛・遊撃・後方支援・魔法班の役割が明確に機能し始める。訓練の終盤には、弓矢の連携も確認され、空からの攻撃と地上部隊の動きが見事に重なる場面も現れた。
バルグは腕を組みながら、冷たい目で訓練場を見渡す。
「よし……これで総力戦に耐えられる。だが油断はするな」
エルドリンと仲間たちは、短期間での大幅な連携改善に手応えを感じつつも、戦いへの緊張感を胸に刻むのだった。




