55、神の残滓
エテルナ・グレイシャーは上り勾配は険しくないが万年雪に閉ざされいた。
強烈な風で低体温症を発症しやすく、雪うさぎや狐といった寒い地域に適応した動物しか住めない環境だ。
そのため針葉樹が多く、氷に覆われた岩肌が人間を寄せ付けない。
彼等は身体強化魔法と魔法装備により行動を可能とした。
又、危険な箇所はフライで乗り越えた。
そして谷間に降り立ち進んで行った。
雪は絶え間なく降り続き、視界は白の帳に覆われていた。
エルドリンたちは吐く息さえ凍りつくような冷気の中、切り立つ崖と氷壁に囲まれた細道を進んでいた。
足を踏みしめるたび、雪の上で重苦しい音が響く。
やがて、吹き荒ぶ吹雪がふと途絶えた。
目の前に開けたのは、巨大な氷の殿堂――自然の力だけでは到底成し得ぬ、荘厳な光景であった。透き通る青白い氷壁は、まるで聖堂の柱のように並び、天を突くほど高い天蓋を形成している。
その中心に、彼はいた。
氷壁のごとき巨体、肌は雪を染めた石のように白く、髭は凍てつく霜で煌めいている。
フロスト・ジャイアント、その眼光は冬の星のごとく蒼く、しかし深い叡智の光を湛えていた。
巨人は唸るような声で古代語を口にした。
「……feyra uth El’dryn……」
意味は「汝の内に残るものを感じる」、と。
エルドリンは胸奥で脈打つ不思議な鼓動を覚えた。
彼にはハイエイシェントが理解出来た。
――エーテリウムの残滓。
ヨトゥングリムはその存在を一目で見抜いたのだ。
巨人は言葉を続けた。
「我は長、ヨトゥングリム。人の子よ……汝はただの侵入者ではない。
古きものに連なる輝きを宿している。ゆえに、我は汝の話を聞こう。」
エルドリンは深く一礼し、仲間と共にこの地を訪れた目的を告げた。
大陸中央の遺跡の街を目指す旅の途上であり、ただ真実を求めて進んでいることをハイエイシェントで伝えた。
ヨトゥングリムは静かに頷き、エテルナ・グレイシャーの伝承を語り始めた。
「この山脈は神の息吹により創られし聖域……人の争いと欺瞞に染まる者が踏み入ることは許されぬ。
ゆえに、山に足を踏み入れた冒険者どもは氷の牢獄に閉ざした。
彼らが戻らぬのは、我らの意思ゆえよ。」
アシュリーが息を呑み、ソレンディルが険しい表情を浮かべる。
エルドリンが聞き返す。
「……彼らを解放するつもりは?」
ヨトゥングリムの蒼い瞳が鋭く光り、やがて柔らかに沈んだ。
「汝らならば……可能かもしれぬ。彼らを返す代わりに、我らの問題を解いてほしい。」
エルドリンが一歩踏み出す。
「問題とは何ですか?」
巨人の声は山全体に響き渡るようであった。
「闇より現れし者ども……古き氷を蝕む黒き影が我らを脅かしている。
エテルナ・グレイシャーに連なるヨトゥングレイヴ(巨人の墓標山脈)にある氷の湖に居着いて我らの仲間を魅了して我らに仇をなしておる。
その存在を討ち払いしならば、氷の牢獄に捕らわれし人の子らを解き放とう。」
巨人の言葉は冷たくも揺るぎない。
その瞬間、エルドリンたちは悟った。
――試されているのだと。
ハイエイシェントは失われた古代語と呼ばれ寿命の長いハイエルフでさえ継承されていない。その為、ソレンディルでさえ彼等が何について話ているか分からない。
「このフロスト・ジャイアントの爺さんはなんて言ってるんだ?」
「フロスト・ジャイアントの問題を解決したら、捕虜としている冒険者を返すと言っています。」
ガルムの問にエルドリンが答える。
仲間たちは視線を交わし、それぞれに頷いた。
そしてエルドリンが答えた。
「我ら《アンブレイク・ハート》が、その試練を引き受けよう。」
ヨトゥングリムは深く瞑目し、氷雪のごとき唇にわずかな笑みを浮かべた。
「よかろう。ならば我が聖域の証人となれ、人の子よ。」
こうして、彼らの次なる使命は定められた。
聖域を蝕む「黒き影」との対決――それこそが、氷の巨人との約定であった。
ヨトゥングリムから教えられたヨトゥングレイヴ(巨人の墓標山脈)にある氷の湖の場所を聞き出し、彼等はさらに深い山奥に入って行く。
氷原の風は音を失い、ただ冷気だけが刃のように肌を切り裂く。
「エルドリン、休憩しないとアシュリーが死んでしまうわ。」
ソレンディルの提案でエルドリンが結界魔法を張った。
結界魔法は冷たい風も冷気をシャットダウンしてくれる。
3メートル四方の結界の中で椅子とテーブルをマジックボックスから出して温かいスープと飲み物を出した。マジックボックスは時間経過を止められるので大変便利な魔法だ。
温かいスープを飲んだアシュリーの顔が赤くなったので一同は安心した。
「生き返るな。」
ガルムがしみじみと正直な気持ちを吐露した。
「そうですね~」
アシュリーも同意する。
ソレンディルはが険しい表情を浮かべエルドリンに詰め寄った。
「ハイエイシェントを喋れるなんて知らなかった。何処でそれを?
それになんて話していたか納得するように説明してくれる?」
そこでエルドリンは、ハイエイシェントについては習った事がなく、何故返答が出来たか自分でも分からないと答えた。
彼はフロスト・ジャイアントの長ヨトゥングリム、彼は一目でエルドリンの中にあるエーテリウムの残滓に気付いた。
同じ神代より連なる者の魂に連なる者として歓迎してくれた事。
これから臨む人質を掛けた試練について詳細を語った。
ソレンディルの表情は和らいだが、古代の叡智フロスト・ジャイアントでさえ手を焼いている相手に会いに行くなんてと考えると嫌になった。
「アシュリーはフロスト・ジャイアント相手に良く気絶しませんでしたね。
しかし、次の相手は多分神の残滓だと思います。アシュリーは連れて行けません。」
「な!……」
エルドリンの言葉にソレンディルが絶句する。
「ソレンディル索敵をしてみて下さい。ガルムはもう気付いているはずでしょう。」
「まぁな。さっきのフロスト・ジャイアントの気配が神の残滓なら、この先の気配も同じだと俺の直感がアラームが鳴りっぱなしだ。」
ソレンディルはこちらが索敵をすれば相手を刺激するだけだと思い。首を振った。
「あなたがそう言うならそうなんでしょう。それでも行くの?」
「ヨトゥングリムは私をエーテリウムの残滓だと言いました。
今度の相手が神の残滓であれば、私がエーテリウムの残滓だと
気付くと思います。ここから先は私1人で行きます。
みんなは麓のグルジア村に転移魔法で戻って下さい。
ソレンディルの言う通り、神の残滓は短い命の者に価値を見出してはいません。
敵ではありませんが、共存する味方にはなりえません。」
先のフロスト・ジャイアントの事を思い出すとガルムとソレンディルは同意するしか無かった。
共通の言葉を交わせない相手に敬意を払えるか。確かにそう突きつけられると難しい問題だ。
神の残滓と戦うなんて言うのは無謀だ。そう結論づけるとエルドリンの言うことは正しい。
「死ぬなよ。」
「帰って来るのよ。」
ガルムとソレンディルはエルドリンを抱きしめて言った。
「今生の別れじゃありませんから。」
エルドリンは微笑んでみる。
アシュリーはその様子を見て涙を流していた。
エルドリンはアシュリーの頭にポンと手を置き「無事に帰還するから待っていなさい。」と声をかけて振り向き山を登って行った。
ヨトゥングレイヴ(巨人の墓標山脈)は墓標というだけあって、岩石がゴロゴロしている坂があったり、吹きざらしの稜線を超えたり、凍った岩場もあり大変な道のりであったが、エルドリンは半日かけて
日暮れにはキャンプ地となる開けた場所にたどり着いた。
結界魔法で結界を設けて、テントを張って眠った。
翌朝
明るくなってからエルドリンは朝食を取り、テントを畳んだ。
氷の湖まであと少し、風は冷気を伴い、地吹雪となり雪が舞っていた。
ヨトゥングレイヴの深奥、氷の湖は星明りを閉じ込めた鏡のように静かで、
周囲の氷壁は夜の蒼を映し、荘厳な神殿を思わせていた。
湖面に漂う異質な「威圧感」――それにエルドリンは思わず立ち止まった。
――その異質な力は、肉体を砕かんとする力ではなく、魂そのものを試すような問いかけであった。
湖の中心に、彼は立っていた。
漆黒の鎧に身を包み、両手に大剣を握るその姿は、まさしく破滅の権化。
しかしその瞳は黄金に輝き、夜空の星を宿すかのように冷ややかで、同時に燃えるような力を秘めていた。
「……汝、名を何と呼ばれる。」
古代語――ハイエイシェントが湖面を震わせ、空気を揺るがす。
エルドリンは背筋を伸ばし、正面からその声を受け止めた。
「私はエーテリウムの残滓、名はエルドリン。」
「我が名はアザゼル・マハト。破滅を運ぶ力の化身なり。」
黄金の瞳が、鋭くもどこか寂しげに光る。
「我はネフィリム、神々が地に残した残滓。神性の火花を宿す者だ。
お前には懐かしさ、親しみを感じる。エーテリウムであるからだろう。
かつてネフィリムとエーテリウムは同胞であった。
共に神の残滓として交流していた。エーテリウムは国を持ち、我々は少数で生きていた。
されど時は流れ、我は孤独になり、ただこの身を苛む歳月を過ごしてきた。」
その声には、哀しみと憤怒、そして永劫の孤独の色が混ざっていた。
アザゼルは続ける。
「フロスト・ジャイアントどもは、この地を神域と呼び、我を拒む。
だが我は彼らを害するつもりなどなかった。
ただ、安息を求めただけだ。……ゆえに、神性の残滓を解き放ち、二体を魅了した。
孤独に飢え、仲間を欲していたからだ。」
エルドリンはその想いを静かに受け止めた。
「あなたの状況はわかりました、二体を開放するのであればフロスト・ジャイアントとの仲を取り持ちましょう。
そしてこの地で共生する道を模索しましょう。」
「それが可能なのか?」
「先にフロスト・ジャイアントの長ヨトゥングリムに会って来ました。
私が問題の解決を依頼されました。」
やがて、彼はゲートを開き、フロスト・ジャイアントの長ヨトゥングリムのもとへ赴く。
エルドリンはアゼザルとヨトゥングリムの間に立ちまずはフロスト・ジャイアントを開放した。
事の経緯を整理してヨトゥングリムに伝え、正式にアゼザルが謝罪した。
その上で孤独に耐えられなくなったアゼザルと共生・共存出来ないかと提案した。
お互いに長寿の神の残滓同士である。
長い対話の末――氷と孤独の狭間で、両者の間にひとつの答えが見いだされた。
「我らは共に生きる。」
ヨトゥングリムの低い声が、氷壁に響いた。
アザゼルもまた、ゆるやかに頷く。
「ならば、約定としよう。我は彼らを害さぬ。代わりに、汝よ……我が仲間として歩め。」
黄金の瞳がエルドリンを射抜く。
「困難が汝を襲う時、我は転移の術にて駆けつけよう。
孤独に生きる我が、連なる者と定めたのだから。」
その言葉は誓いのように重く、そして温かであった。
別れ際、アザゼルはふと、声を低めた。
「……教えてやろう。エーテリウムの残滓は、ただ力の源ではない。
それは神々が遺した“門”でもある。
閉ざされた古代の記憶へと通じる扉……汝がそれを解く時、この大地の真実が現れるだろう。」
その言葉と共に、黄金の光が一瞬、エルドリンの胸奥に宿る。
吹雪の中、アザゼルは氷の湖の闇へと溶けていった。
残された冷気はなお厳しい。
だが、エルドリンの心には確かに刻まれていた――孤独なる半神との約定と、エーテリウムの秘められた真実。




