53、商都ラーデン到着
昼下がり、帝都から南の森を抜けた一行の目に、壮麗な光景が広がった。
石畳の街道の果て、陽光を受けて輝く巨大な環状の城壁――それが商都ラーデンだった。
幾重にも巡らされた厚い石壁は人の力の象徴であり、外敵を寄せ付けぬ防壁でもあった。
槍を構える衛兵たちが壁上に整然と立ち、跳ね橋と鉄格子の門は都市の喉を押さえるごとく重々しい。
門をくぐれば、そこは混沌と活気に満ちた世界。
石畳の大通りを荷馬車が列をなし、馬に跨る兵士が行き交う。
香辛料の香り、焼きたてのパンの匂い、鉄槌の響き、吟遊詩人のリュートの音――五感を圧倒する都市の息遣い。
広場では東方の絹、南方の香油、西方の毛皮や琥珀が飛ぶように売買され、鐘楼を戴く大聖堂が空にそびえる。貴族の馬車が通り過ぎ、貧民が施しを受ける光景もある。富と貧困、聖と俗が同居するこの街はまさに「帝国の金庫」であった。
そのラーデンを治める領主はコンラット・メルヴィン卿、元国軍の将兵ですでに齢50を過ぎているのに今も体格が逞しく、性格は陽気で豪快。祭りや催しを好み、領民から親しみを持たれている。そして強い正義感を持ち、盗賊や腐敗を徹底的に排除。商都の治安維持に尽力している。
そんな彼には心配のタネが芽吹いていた。
領地の西方にある永劫氷河山脈別名エテルナ・グレイシャーの麓の村グルジアから、10メートルを超える氷の巨人の目撃情報。領地の安全、しいては帝国の繁栄に仇なす兆候なのか、情報が少なく判断しかねていた。
そして帝都から“アンブレイク・ハート”が商都に現れる。
「手出し無用」と何やら物騒なお達しを受けている。厄介事は重なると偶然と思えない。
彼の心中は目に見えない重圧に侵食されていた。
――エルドリン一行は商都に無事到着した。
アシュリーは巨大な環状の城壁を見て息を吐いた。
「これで夜襲の心配は無くなったのでしょうか?」
夜に"追手"による襲撃、夜目が効かない彼には黒装束に黒い小太刀の装備が見にくく、かなり苦戦を強いられた。緊張感を常に感じながら移動する事は、常人の神経をすり減らすのに十分だった。
「そうだね、でもまだ気は抜けないよ。それにまだ昼下がりだ。冒険者ギルドに行って帝国で行動しやすいように冒険者登録をしようか。街の事を聞いてたりしようか。」
エルドリンはそう言うと近くの露天商に、冒険者ギルドの場所を聞いて冒険者ギルドに向かって歩き出した。
商都となれば人の出入りが多く、スリがいたり、強盗等治安が悪いイメージがある。人々はガルムを見ると避けるので、余計な事に巻き込まれる心配は無いだろう。
それ以上危険なのは美麗なソレンディルに注目が集まることか。
人々は立ち止まり彼女の美しさに見惚れてしまう。
露天商は呼び込みの手を止め一時の白昼夢に落ちてしまう程だった。
冒険者ギルドに到着した一行は受付で冒険者登録をしていた。
「パーティー名はアンブレイク・ハートですね。」
「はい、4人です。」
「ではここにメンバーの名前とクラスを記入して下さい。」
エルドリンは書き込みしながら受付嬢に質問した。
「この街は治安は良いんですか?」
「領主様が国軍のご出身で強い正義感をお持ちで、盗賊や腐敗を徹底的に排除に務められていてかなり治安が良い街です。」
「それは良いですね。先程到着したばかりで良い宿を知りませんか?」
「それでしたら"翡翠の鶴館"をお勧めします。
翡翠色の庭園池には鶴が遊び、薬膳料理や蒸し湯で旅の疲れを癒やせる。
旅商人にも人気の宿です。」
「良いですね、場所教えてもらって良いですか?」
受付嬢は簡単な地図を書いてくれた。
「ありがとうございます。所で依頼はどこに張り出しているのですか?」
「ああ、あちらのボードに張り出しております。」
受付嬢の指先の方向に大きなボードがあった。
「ありがとうございます。」
メンバーの登録を済ませたエルドリンは他の3人と一緒にボードの前に立ち依頼を見ていた。
「どうだった?」
「領主が正義感に熱く、治安維持に尽力を尽くしている御仁らしいです。
ここなら簡単に刺客に襲われる心配は無いと思います。」
「それは良かった。」
ソレンディルとエルドリンが話している内容を聞いて、アシュリーはホッと安堵した顔になった。
冒険者ギルドのホールでもソレンディルは注目の的だった。
しかし、ガルムの巨体を見て誰も近づいて来ない。
「とりあえず宿に行きましょう。」
一行は冒険者ギルドを出て"翡翠の鶴館"へ向かった。
商都ラーデンの喧騒を抜け、石畳の大通りをさらに進んだ先に、静かな庭園を抱く宿が姿を現した。それが「翡翠の鶴館」であった。
翡翠色に磨かれた瓦屋根と、柔らかな光を放つ灯籠。
中庭には水面を湛えた池が広がり、数羽の白鶴が羽を休めている。
大通りのざわめきが遠ざかり、ここだけが別世界のような静けさに包まれていた。
「うぅ~、ここ良いねぇ~」
ソレンディルは雰囲気の良さに感嘆の声を上げる。
玄関口に現れた宿の女将が深々と頭を下げる。
「ようこそ、翡翠の鶴館へ。長旅でお疲れでしょう。すぐにお部屋と湯をご用意いたします。」
「よろしくお願いします。」
通されたのは、香木の薫りが漂う広間付きの客室。
障子風の仕切り越しに庭園が眺められ、池の水音が心地よい。
荷を下ろしたエルドリンたちは、腰を下ろした。
ガルムとソレンディルが先にお風呂に入ると言った為、蒸し湯へ案内された。
エルドリンとアシュリーは後でお風呂をいただく。
石で囲まれた浴室には湯気が満ち、薬草の爽やかな香りが鼻をくすぐる。
湯を張った桶の中には生姜や桂皮、山草の葉が浮かび、体を温めながら疲れを芯から和らげていく。
ガルムは豪快に桶を抱えて湯を頭から浴び、ソレンディルは目を閉じて深く息を吸い込み、安らぎを感じていた。
疲れを癒やしてほっこりした2人に変わってエルドリンとアシュリーが浴室に向かった。
アシュリーは蒸気に頬を赤らめながら「ふぅ」と小さく息をついた。
エルドリンは静かに肩の力を抜き、ようやく張り詰めていた心を解きほぐした。
湯上がりには白湯が差し出され、そのまま夕餉の広間へ。
そこには、色とりどりの薬膳料理が用意されていた。
蒸した鶏肉に山椒の香りがほのかに漂い、山の茸を煮込んだ滋養深いスープが湯気を立てる。
香草と炒められた羊肉の皿は食欲をそそり、穀物と豆を炊き合わせた飯は腹を優しく満たした。
「これは…体に沁み渡るな。」とガルムが感嘆の声を漏らせば、
ソレンディルも「香りが深い…魔力の循環まで整えられる気がする」と頷いた。
アシュリーは小皿を手に取り、ぱくりと口にして「軽やかで優しい味、旅の疲れた心に刺さります」と笑みを浮かべた。
エルドリンは杯を手にしながら、仲間たちが穏やかに食事を楽しむ姿を眺めた。
戦いと陰謀に巻き込まれた旅路の中で、こうして心安らぐ一夜を過ごせることは、何よりの贅沢だった。
その夜、閉館の鐘が鳴り、クラリスは日中の受付カードをまとめ始める。
整えられた束は分厚く、最後に彼女は《アンブレイク・ハート》と記されたカードを一番上に置いた。
「新しいパーティー…しかもS級の推薦状付き。これはギルドマスターにすぐ伝えた方がいいわね。」
小声でそう呟きながら、書類を報告書の束の上に置いた。
――一方領主の館では領主コンラットは、もう到着していてもおかしくない
冒険者ギルドからの"アンブレイク・ハート"到着の報告を待ちかねていた。
「まだなのか?誰か、冒険者ギルドへ使いを出せ!」
コンラッドはたまりかねて報告の催促の使いを冒険者ギルドに走らせた。
皇帝が出した"アンブレイク・ハート"に手出し無用という知らせは、現場に浸透するのに時間がかかる。商都に入る前に暗殺者ギルドにより拘束、消されてしまった場合、皇帝に対し申し訳が立たない。
速く接触しなければ。彼は焦っていた。
ギルドマスター、グラントは家に帰らずまだ冒険者ギルドの執務室にいた。
書類仕事が終わらないのでまだ残っていた。コーヒーを飲んで少し休憩を入れる。
報告書の束にまだ手をつけていなかった。
「ドンッ、ドンッ、ドンッ!」
冒険者ギルドの閉じられた扉にノックが響き渡る。
クラリスは扉を開いた。
「本日の受付は終了しましたがどの様なご用向きでしょうか?」
「我らは領主コンラット様の使いの者だ!
領主様は、《アンブレイク・ハート》という名の冒険者一行が到着していなか、冒険者ギルドに聞きに行くようにと言付けられた。彼らはもうギルドに姿を見せているのか?」
この一言で、クラリスはハッとした。
「こちらにお越し下さい。」
そう言ってクラリスは使いの者と一緒に執務室へ案内した。
執務室に着くとクラリスは扉をノックする。
「ギルドマスター、領主様の使いの方がお見えです。」
そう言って扉を開く。
グラントは「領主様の使い?何の用だ?」と返答する。
使いの者は先程クラリスに訪ねたのと同じ言葉を口上する。
執務室は凍りついた。
ギルドマスターが報告書の束をめくり、最上部にある受付カードを見た瞬間、目を見開いた。
「……なんだと?すでに到着していたのか!」
「おい!クラリス!《アンブレイク・ハート》が登録していたのか!」
「は、はいっ!確かに…、エルドリン様という方が……」
「気付かれていなかったのか!《アンブレイク・ハート》には手出し無用との達しが、皇帝より発せられている。そして彼等の行先がこの商都ラーデンであると、領主様は到着されたら直ぐに報告せよと事前連絡があったはずだが?」
グラントは頭に手を置いて「まいったな」と思った。
「滞在先はどちらか聞いているか?」
グラントはクラリスの方に振り返った。
「はい、翡翠の鶴館をご案内致しました。」
「了解した。それでは我らは領主様に報告に戻る。今後の対応は領主様と相談の上、対処願いたい。
お願い出来るか?」
言葉は丁寧だが怒気が込められていた。
「はい!」
その返事を待たずに使いの者は立ち去ってしまった。
「何か特別な存在なのか?」
「いえ、そういった感じは受けませんでした。」
2人は報告書の束の一番上に乗っている、冒険者登録カードを眺めていた。
ふかふかの布団に体を横たえて、疲れた身体を和ませているエルドリンたち。
そのとき、館の扉が勢いよく叩かれた。
「失礼いたします!冒険者の皆様はおられますか!」
現れたのは、冒険者ギルドの使いと、ラーデン領主家の紋章を刻んだ使者であった。
エルドリンが応じると、使者は深々と頭を下げ、巻物を恭しく差し出した。
「我らが領主、コンラット・エルンスト・ラーデン卿よりのご伝言でございます。
──“王国の使命を受けし冒険者たち、汝らの到着を我は心より歓迎する。
明朝、領主館にて謁見を賜りたく、ぜひ参上されよ”──」
使者の声に、館の空気が一気に張りつめる。
ソレンディルは片眉を上げ、静かに呟いた。
「領主自らか……これは、軽い歓迎の宴では済まないね。」
ガルムは豪快に笑い、肩を鳴らした。
「よかろう!うまい酒も出るだろうし、腹ごしらえも万全だ!」
アシュリーは表情を引き締め、エルドリンへ視線を送る。
エルドリンは短く息を吐き、巻物を丁寧に受け取った。
「……わかりました。領主の呼びかけを無視する理由はありません。
明朝、伺いますと返事をお伝え下さい。」
その瞬間、翡翠の鶴館の女将がそっと茶を運び、にこやかに一言添えた。
「英雄様方。どうかご安心を。この館は、代々領主家の御用宿でもございます。
お心置きなく、お休みくださいませ。」
夜の静けさの中、しかし冒険者たちの胸の内には次なる大舞台の予感が渦巻いていた。
商都ラーデンでの新たな章が、静かに幕を開けようとしていた。




