第二章「導かれる者たち」1
翌日、今日から授業が開始されるというのにほとんど眠れずに朝を迎えた。
気だるく重い身体を奮い立たせて布団から出ると、洗面所で顔を洗い、部屋に戻って黒のタイトスカートに白のYシャツに黒のジャケットを羽織り、手早く着替えると鏡を見ながら化粧の仕上げを済ませた。赤い唇と宝石のように緑色に輝く瞳が印象的に鏡へ映り込んでいた。
昨日の出来事を改めて思い出してみても平静でいられるはずがない、自分が担任教諭を務める女子生徒三人が危険なゴーストとの戦いに身を投じていることを偶然にも知ってしまったのだから。
あの光景を目の当たりにしてしまったのは事故のようなものだが、いずれ知ることになる宿命にあったように思う。
私はここに来てどういう日常を望んでいたのか、そんな事も忘れてしまうほどに、これからの日々を思い不安で頭がいっぱいになっていた。
少女たちが戦うのを果たして私は辞めさせたいのか……それすらも今は分からなかった。
この眠気を出来るだけ迅速に覚ましてくれるカフェインに頼ろうと部屋から出てダイニングキッチンに向かうと、ジュージューとフライパンの上で油が火に通されている音と食欲をそそる良い匂いが漂ってきた。
身体を近づけキッチンの方を覗くと実娘の凛音がキッチンに立ちフライパンを器用な手つきで扱い、朝食を作っている。
愛娘の凛音は長く伸びた艶やかな黒髪を後ろでヘアゴムで結んでいて、鼻歌を歌い出しそうなくらいの上機嫌さで料理に集中している様子だった。
魔法使いの証である宝石のように澄んだ紫色の瞳をしており、凛音は曲がったところなく思春期へと成長し、スタイルも年頃の女の子として申し分ないほどで、親としては人一倍心配になる美人になった。
私はダイニングテーブルの椅子を引いて座ると、付けっぱなしにされたままのテレビに目を向けた。
インフルエンザなどの感染症の拡大や舞原市内で起きたマンションからの飛び降り自殺など、うんざりするくらい暗い報道ニュースが画面にこちらの心情など無視して流れていた。
「お母さん、おはよう」
明るく元気な娘の声が耳に響いた、つくづくこの声を聞いていると一人寂しくこんなところまで引っ越してこなくてよかったと感じる。
「おはよう、凛音。コーヒーを入れてくれる?」
凛音は軽い調子で「はいはい」と言って手際よくツインバードのコーヒーメーカーに保温されたまま置かれているコーヒーサーバーを手に持ち、カップにコーヒーを注いで湯気を立たせた。
私よりもずっと綺麗な穢れのない肌をしたその手を見ていると、自分が高校生だった頃を思い出すようだった。
「また夜更かししてたんでしょ、だらしないんだから……」
凛音は「しょうがないなぁ」と言いながら眠たげな私の視界に入り、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
慣れた手つきでする一連の動作は新妻のようで、見ているといつか娘が嫁に行っていなくなってしまう日が訪れてしまうのかもしれないと想像が働いてしまい酷く胸が痛んだ。
「絶対娘は渡さんからな……」
「早く目を覚ましてよ……お母さん……」
私の無意識に出た謎のひと言に凛音が呆れ顔でツッコミを入れる。
瞼がまだ重く半目のまま余計な会話をしてしまい、私はカップを手に取って一口黒く濁った熱せられた熱い液体を口に含んだ。
コーヒー豆の香ばしい風味を味わいながら、口の中に入ると同時、襲い掛かって来る苦みと熱さが眠っていた身体を奮い立たせてくれる。
「あぁ……ふぅ……」
一口ごとに覚醒していく意識、カフェインの力で瞬く間に落ち着いていく精神状態の中で気付けば凛音は台所に立って朝食の準備を再開していた。
「はい、朝ごはん。お仕事頑張ってね、先生」
教師らしいことがこれから自分に出来るのか、全くもって不安しかなかった私は凛音の言葉が心に沁みた。
「似合いはしないだろうけど、目立たない程度に努めるわ」
照れ隠しもあったのかもしれない、凛音の目を見れないまま私は言った。
目の前の丸皿プレートに彩られたハムエッグとポテトサラダが視界に映る、愛娘の料理の腕を疑わない出来栄えであった。
「ハムエッグトーストサンドも作ってるから、お昼に食べてね。
教師生活が始まる以上、不規則な習慣は許されないんだから、肝に銘じてお昼もしっかり食べてね」
いや、どこまで面倒見がいいんだと……我ながら娘相手に思いながら、私は香り引き立つコーヒーを飲んだ後、湯気を上げるハムエッグに手を伸ばす。
食欲をそそるハムエッグを一口大に切り分けながら、黄身がとろりと白身に流れていく半熟の卵と焼き加減が絶妙なハムエッグを食した。しっかりと歯ごたえがありジューシーな味わいが口いっぱいに広がるハム、分厚めのものを選んで買ってきたようで、私好みだった。
とろっとした味わいの卵も美味しく、チーズが載せていることもあり濃厚な味わいが口いっぱいに広がっていく。
「美味しい?」
「ええ、凛音を連れて来てよかったと心底思うくらいに」
「そ、それは最高の誉め言葉ね」
照れくさそうに返事をして、凛音は笑顔になるとエプロンを脱いで私の正面に座った。凛音は私が食べているものプラスアルファでバターロールパンを二つ載せて食べるようだった。私に比べ食欲旺盛な育ち盛りであると分かり、見ていて安心する光景だった。
私は以前の仕事が不規則なものだったこともあり、昼食や朝食を抜いて一日一食か二食の事が多かった。その時の経験もあり、凛音はこの教師生活を私が始めることをきっかけを生活習慣を更生させ、しっかり三食健康維持のため食べさせようと意気込んでいるようだった。
私もその方がいいとは思うが、元々小食である私の胃袋はきっと付いて行かないだろう。情けない生活をしてきた自分には煙草を吸って酒を飲んでいるのがお似合いということだ。