第十九章前編「裏切りのロンド」1
「静枝ちゃんっっ!!!」
自分が発したとは思えないほど大きな声で浮気静枝の名前を呼び、ひなつは強引な形で夢から目を覚ました。
「予知夢……信じたくないけど、これも予知夢なの……?」
夢に出てきた浮気静枝の最後の冷たい表情が忘れられないひなつ。気持ちの悪い寝汗まで掻いていて呼吸も落ち着かない。それほどにひなつが見てしまった夢は信じたくない光景だった。
ステンドグラスの光が降り注ぐ、薄暗い礼拝堂。それがひなつが目覚めの悪い起床を迎えた場所だった。
ブランケットを払い、身体を起こし呼吸を整える。お気に入りの凛翔学園の制服の下に着た下着が汗ばんで心地悪かった。
後に厄災と呼ばれる異変が始まった日以来、ひなつは一人で暮らす自宅でもなく、大勢の人が共同生活を送る避難所でもなく、この静けさに包まれた凛翔学園の敷地内にある教会の中で一日の大半を過ごしている。
避けられない遭遇をした神父には言い訳じみた事情を説明した。
理解のある神父は、小柄で眼帯も付けた小動物のようなひなつを受け入れ、奥の部屋で休んでもよいと話しをしたが、ひなつは結局、この礼拝堂でブランケットを掛けて過ごすのが落ち着くという結論に至った。
今日までに現実として受け入れがたい異変の数々をひなつは予知夢として、望まぬ形で夢の中で見てきた。人が睡眠をしなければ生きられない生き物である以上、眠ることは避けられない。そして、夢を見る見ないも人の意思で制御できるものではない。
聖域である教会の中で過ごすことで、この異常から来る精神的負担を軽減することが出来たが、夢を見ないわけではなかった。
「先生……私はどうすればいいの……」
頭の中に信頼する稗田黒江の姿が浮かぶ。頼りになる知性的で包容力を持った大人の女性。ひなつは不安に駆られると何度も黒江に会いたくなり、その度に迷惑を掛けるようなことには、困らせてしまうようなことには巻き込みたくないと、必死に衝動を抑えてきた。
だが、今回は無視していい内容とは思えず、戸惑いを隠せない。
予知夢であったとしても必ず夢に見たことが起こる根拠はない。自分がどう行動するか、それによってどんな変化が生じるのかも見当が付かない。それ以前に、信じたくない夢を誰かに話すことの抵抗感が、行動する意思を阻害しているのだった。
「マリア様が見ています、私が責任ある行動を取れるのかどうか。勇気を持って、運命に立ち向かえるのかどうかを……」
行かなければならない、このことを一秒でも早く伝えなければならない。そう思えば思うほど、足は竦み、身体が震えてしまう。
十字架とステンドグラスに描かれているマリア様の姿が視界に映る。
後悔しないために、これ以上、逃げてはいけないこと。
ひなつは勇気を振り絞って立ち上がった。
「早く行かないと……取り返しのつかないことになる前に。
茜先輩……稗田先生。信じてくれますか? こんなに弱虫な私の事を……」
不安を払いのけようと独り言を呟く。
時間は待ってくれない、ひなつは足を動かし、礼拝堂を後にした。




