第十六章「震える街」6
蓮は緊急職員会議が終わると、アンナマリーと奈月を連れて、なんとか市外に脱出する方法を模索するため、自動車を走らせた。
黒江や学園長には放課後までには戻ると伝え、三人で抜け道がないかを入念に探ることにしたのだ。
「気は乗らないが、地上を使って脱出するのが難しい以上、致し方ないか」
地上ルートからの脱出が現実的ではないと判明した蓮達は、地下にある下水道から街を抜け出せないか探ることにした。
蓮が懐中電灯を手に先頭を歩く。しゃがまなくても前に進むことが出来る水路であるものの、薄暗く湿気が強い。それに下水道内に入ると地図が役に立たず、現在地も曖昧なまま進み続けるしかなかった。
「先生は……こういった場所を歩いたことは……」
「あるわけないだろう……こんな薄暗くて、居心地の悪い」
「やっぱり……そうですよね」
暗いところが苦手な奈月は蓮の後ろにピッタリ引っ付きながら歩いた。
そんなやり取りにアンナマリーは呆れながら周りの警戒に努めて後方から歩いた。
「どこまで続いてるんでしょう……」
生活用水の流れる音がする下水道で奈月は不安そうに声を上げた。
夜間のゴースト退治は平然とこなしているにもかかわらず。迷路のような先の見えない下水道を歩くのは奈月は苦手なようだった。
「相模川の下流まで出れば隣の市に入っていることになるはずだが……単純に舞原市全域のみをファイアウォールが囲っているかは分からんから、境目がどこかは曖昧だな……」
「つまりそれって、結界の範囲が最初から分からないってことじゃないですかっ?!」
「その通りだよ、奈月。分からないからこそ、調べる必要があるのさ」
蓮が当然のように言ってのける。調査団に入ったつもりもない奈月は、いつ帰れるのかと考えて急に不安が大きくなった。
「霧が見えないからって迷い込まないとは限らないのに、本当に戻れるんですか?」
「俺に聞かれてもそれは困るな」
「もう! 先生ってば、綿密な計画があると思ったらこれなんだから」
蓮の行動が地道で歩いていくしかなく、安全性のない思い切ったものであったことで奈月は思わず声を荒げた。
「まぁ二人とも安心しなさい、どんぐり作戦で帰宅ルートは確保してるから」
二人のやり取りがあまり頼りない茶番に聞こえていたアンナマリーは一言そう言って、奈月をたしなめた。
ちなみにどんぐり作戦とは、アンナマリーが勝手に呼称しているものだが、迷子にならないよう一定間隔で目印になるものを足元に落としていきながら先に進んでいく事である。なお、目印に落とすものは決してどんぐりである必要はない。
「さすがマリーちゃん! いつも冷静沈着だねっ!」
「奈月は浮かれ過ぎなのよ……もう少し危機感持って行動するところでしょ」
アンナマリーから見ればこの薄暗く視界の悪い道を歩く行為が、二人にとってはイチャイチャしながらお化け屋敷に入って楽しんでいるようにしか見えなかった。
「そうかもね……あたしは先生と一緒ならこのまま地獄に堕ちてもいいかなって」
「うちを巻き込むのは勘弁してちょうだい」
引きつった笑みを浮かべながら、奈月は恐ろしいことを口にした。
アンナマリーは奈月の発言に付いていくのも馬鹿らしく感じながら返事をした。
奈月の蓮絡み限定の能天気さにはアンナマリーも呆れてしまうのだった。
「二人とも、はしゃぎ過ぎるなよ」
そんな話し声を聴いていた蓮は緊張感のなさを感じ、思わず一言、口を出したくなった。話していないと怖さを実感してしまう奈月であったが、蓮の言葉は素直に聞く性分で、そこからは口を閉じることになった。
こうしてゴールの見えない道を歩き、こんな不衛生な場所にやってくる物好きは自分たちくらいだといよいよ思い始めた頃、《《いるはずのない人影が姿を現した》》。
「あんた……生きた感じがしないな……まさか悪霊か?」
警戒心を強めながら先導する蓮が懐中電灯を向け、話しかける。
こんなところに一人でいること自体、不審者しか見えない。
後ろから見つめるアンナマリーも只物ではないオーラを感じ取った。
その人物は顔に傷のある、白いスーツ姿の男だった。下水道の歩くには相応しくない服装。それに白いスーツは一切汚れているようには見えなかった。
白人のようだが見た目の年齢や身長は蓮と似ている。しかし髪は長く、黒い髪を胸の辺りまで長く伸ばしていた。
「そういう君も他の人間と違って隙のない佇まいをしている。異変を前に脅える様子もないとは、驚きだな……」
道を塞ぐように正面に立つ男が反応した。
幽霊とは思えない力強い瞳で見つめ返してくる。
睨み合う、蓮達と怪しい男。
下水道という人の立ち寄らない場所で出会ってしまったこと自体、不幸な運命のようであった。




