005 立志
『おっ、これはツイておるな』
団栗のような、毬に包まれていない栗のようなものを拾い集めていると、大福が宣わった。
ちなみに元の世界の団栗は種であり、栗は果実であり、似て非なるものである。
「えっ、だから、ツイてるか、いないか分かんねって」
『武器を持ったゴブリンが一匹で近づいて来とる』
ゴブリンって、あれかな。物語やゲームの序盤で、良く出てくる雑魚キャラの……いやいや、待て待て、あれはゲームだから雑魚なのであって……生身で遭遇するのは……
「……ツイてねえじゃん」
『バカなのか、お前は。あれが持っている短剣を奪えば、武器問題が解決するだろ』
摩物から武器を奪う。その発想はどうなんだろ。それは、まともな人の発想じゃない……って、大福はスライムだった。
短剣を持っているゴブリンはレアらしい。それが、一匹でいるなんて、超ツイてるってことらしいが。
「俺でも殺れる?」
『木陰に潜んで、その棍棒でイチコロだな!』
なんか、そっちの方がゴブリンっぽい印象がするのですが、どうなのでしょうか。
『バカ者、最弱の無能が何をわがまま言っておる』
うっ、イチコロのゴブリン相手に最弱言われる俺って一体……。
しかし、逆らう根拠も見つからず、灌木の陰に潜む。
ゴギャ!
来た。身を屈めて、葉の隙間から様子をうかがう。
身長100cm、黒いヘルメットのような頭頂部に、人に似た造作の顔面には黒目が大半を占めた大きな目、下あごから生えた2本の小さい牙、首の後ろの橙色のぼこぼこしたコブのようなものから背中には甲虫類のような黒茶色の羽根のようなものとその下に黄土色の蓑のようなものが生えている。手足は細く、がに股で身体を左右に揺らすように歩き、それが背中でカサカサと音をさせる要因となっていると思われる。
あれが、ゴブリン?いや、あれは、別の惑星で進化を遂げたGなのでは……。
『今だ。イケッ!何をしている』
「いや、アレは無理……」
前方を通過していくゴブリン。
『それで、ぺちっとするだけだろーが、何をためらうことがある。殺れ、殺らぬか!』
ぺちっする瞬間にこっちに向かって飛んで来たりしたらどうすんだよ。
『では、口を開けっ、開かぬかっ。開かぬのなら、中で爆発させるぞ!ええぃ、軟弱者がっ、“ファイヤ……』
「うあわー」
ゴゲェ?
ぺちっ!
グジャッ
真造は飛び出した。棍棒は振り向いたゴブリンの頭に会心の一撃。脚がついて行かず上半身が前に流れた状態での一撃であるが、形は剣道で言うところの飛び込み面である。
「ひゃっxxー」
振り回した棍棒は最高の威力は発揮したが、真造の口からは悲鳴が漏れ、その腰は引けている。
『よくやった。ほれ、その短剣を奪って逃げるぞ』
そう、この世界のゴブリンも一匹いたら100匹いると思えと言われている。
数の脅威。それが摩物たるゴブリンの特徴である。
取り敢えず、この場を離れた方が無難であろう。
さようなら、ローエングリン……君の雄姿は忘れない。
Gの体液の付いた棍棒を放り捨て、短剣を引っ掴んで走る。
◇
「ううっ、もう帰りたい……」
水たまりで手を洗う真造。鼻水も拭いたほうが良いかも知れない。
『良かったではないか。想定外に良い短剣だぞ。見よ、錆びも浮いていなければ、曲がってもおらぬ。これは、冒険者の予備武器だったものに違いない』
刀身45cmほどの短剣は鞘付きだった。ゴブリンは剣を抜くこともせずに棍棒のように使っていたのだろう。鞘の方はだいぶ汚れていた。
「ううっ、冒険者?」
『そうだ。摩物を狩る人種の職業の者たちのことよ。我もときどき襲われた。まあ、返り討ちにしてやったがな、ぷるる』
「ん、人?……そうだよ。人に助けを求めればいいじゃないか。大福、ここから、一番近い人の街はどこにある?」
なんで、そんなことに気付かなかったんだと指を鳴らす真造だが、それに対する大福の反応は鈍い。
大福の話しによると……
今いるのは、フィアーバと呼ばれるこの世界の大陸の東寄りの場所。
なんでも、死ぬ前に大陸の東の果ての先に何があるのか、確かめたかったらしい。
大陸の西端に生まれた大福にとって、最果ての地は東端にあり、その土地、果てはその先の海に何があるのか、ただただ見たかったのだそうだ。
目新しきものは特段なかったとのことだが、心に映る何かを感じたとのこと。大福は結構、詩人なのかも知れない。
もう少し南方に寄れば、テブルガルフ市国という島国が微かに見えた可能性があったので、大福はもしかしたら海を渡ることを考えたかも知れず、その場合は、もちろん、真造と出会うこともなかったであろう。(海を渡る手段で大量の摩素を使うため、召喚の可能性が無くなるし、残り時間的にその先で大福が果てる可能性も高いので)
東に戻れば、巨大な塩湖があり、それを包みこむように三日月型の半島が突き出ている。その南半分が大福が訪ねた大ガンピプル国。北半分はノースダイヤルン王国。
北に向かえば、領土は広大だが寒冷な気候ゆえに耕作地は少ない北雷連邦が広がる。連邦制ではあるが、一人の国家元首による強い指導力と豊富な天然資源を背景に他国には影響力を有している。
大陸の南は戦乱続きで、新たな国が興ったり、国の支配体制が変わったり、合従連合を繰り返したりと常態的に領土の支配域が変動している小国家群がある。
そして、その真ん中の広大な土地を占めているのが、シナヘゲモニ公国。それらの国のなかで最大の人口を有するが、その貧富の差は激しく、その富と権力は一部の者に集約されている。その中でも、随一の実力を持つシー・チンチン公が皇帝となるべく圧制の手を強めている。
そのどれもが、源人族を中心とした、いや、源人族しか認めない国々である。
現在地は、そのシナヘゲモニ公国の東端に位置していた。
『我も、いずれ、街には連れて行くつもりでいた』
「いずれなんて言ってないで、今、行こう。すぐ、行こう」
大福の歯切れが悪い。
『我は、それを薦めぬ。今、行けば殺される危険性がある。少なくとも、奴隷にされることは間違いない』
「へっ、なんじゃそれ」
『それに今、行っても、お前の言葉は通じぬ』
「大福とは話せてるだろ」
摩物である大福は俺が人に交じるのが、嫌なのだろうか。
『それは我がお前の国の言葉を解し、お前の国の言葉で返しているからだ』
シナヘゲモニ公国とは、大福が嫌気する禁忌の勇者召喚を行った国であるらしい。そして、召喚した者にその者の意志を奪う奴隷の首輪をつけて、魔王さまの暗殺をたくらんだのだと。
もしも、真造が異世界から来たと彼らに知られれば、勇者の身代わりにされる可能性が高い。その能力が足りないと分かれば、腹いせに殺される場合もある。そうでなくとも、言葉が話せなければ、人とは見做されず首輪をつけられ奴隷とされるだろう。
「なんだよ、それ。なんだよ、それ。もう、いいよ、元の世界に還してくれよ。頼むよ、大福、帰りたいんだ……」
『済まぬ、真造。我には、その力がない。……だが、方法がない訳でもない。それに元より、我はそのつもりでいる』
「へっ?」
真造の半泣きの顔に戸惑いが浮かぶ。
『あのな、真造、よく考えても見よ。この世界にない大福餅を何故、我が知っていたのか。それは、我が真造の世界を知っていることの証左だとは思わなんだのか』
大福から伝わってくる思考には、いつもの呆れた感じではなく、優しさが込められていた。
『魔王さまに嘆願しよう。魔王さまは真造の世界に続く“門”を構築している。魔王さまは理解のあるお方だ。きっと願いを叶えてくれるに相違ない。……だがな、魔王さまの元に行くには、ここからだとソッジョルノの森(通称=魔の森)を越えねばならぬ。力をつけてくれ、真造。それも、なるべく早く。真造は忘れたのか、死にかけていたのは、お前だけではないのだぞ、我もなのだ。いつ、我の活動が停止してもおかしくないのだから』
実験体のおおじろんは、ここに来るまでの途中に道程を短縮するために摩法を使用してます――でないと、この距離の移動はスライムには難しい――が、使ったのは不完全な刻越えの術だったりします。