001 異世界召喚
小高い丘の上。一本の樹の下にじいっとしているスライム。
直径20cmほどのまあるいその身体は、体表の艶を失い、透明感を失い、そのプルプルとした躍動感も失いつつあった。
彼の記憶によると……。
名は実験体0026。
今の彼の種族名は、エルダースライム。
数多いるスライム種の頂点となる種族である。
全てを喰らいつくす暴食と喰らった全てを自身の摩力に変換して保有する能力。
暴食の大罪そのものの姿。とどまるところをしらない欲の持ち主。
その寿命は数百の時の長きに及ぶと言われるが、永遠ではなかった。
しかも、彼の身体は元より実験体として生まれたモノ、生来のモノと比べて同じ寿命は期待できない。
ぴきっ、ぱらりと、また、体表の一部が硬化し、剥がれて、地に落ちて、塵となり、風の一部となった。
我は最後の時に自らを想い思索にふける。
最初から、ただのスライムでは有り得ない考える力を持って生まれた我は、角はないがひとかどのモノとして扱われていました。
魔王さま(の配下であるマルバスさま)によって生み出された実験体でしたが、治験も成功を収めた後はもうその身を捧げる必要もなく、我は野に放たれました。
しかし、その研究に仕えた我はこの身に知識欲というものを身に付けてしまったようなのです。何かを知ることに“快”を感じます。
我が佇む大地とは何で出来ているのか、風はどこからきてどこに流れていくのか、水はなぜ命を育むのか、火は扱う者によって、全てを無と化す時と新たな血(進化)を授ける時があるがその境目はどこにあるのか。
知ることに我の全てを費やし、各地をさすらい、その欲を満たすための道を、ただひたすらに這って進みました。いつの間にか長老の名を冠するまでの生物となっていたときには、その流れた時日に唖然としたものでした。
しかし、知識の探求にかけた長かった時も絶えようとしています。
感じるのです。我が生涯もついに閉じようとしているのだと。
ぴきっ、ぱらり。
もう満足……いや、もう満足しなければならないでしょう。智というものは、常に新たに生み出されるもの。全てを知り尽くすことは魔王さまでも為し得ないことなのです。
そうです……満足しなければならないのです。
もう終わり、充分なのだと。
………。
ですが、心が感情が揺れるのです。
食べたかったなぁ、大福……死を目の前にして思う唯一の心残り。
魔王さまが異世界から持ち返られた大福。
マルバスさまたちへのお土産。
口の廻りを白くしながら、お前の姿形によく似ておるにゃと笑われておられた大福じゃなくて、マルバスさま。
「おおじろんは、実験を済ませてからにゃ」
スライムの意識に懐かしき声が響く。結局、大福はもらえませんでしたが……。
「ああ、マルバスさま……」
我には味が分かりません。スライムには味を感じる機能が存在しないからです。
ぴきっ、ぱらり。
味覚。それを保有する生物を観察し、書物でその仕組みを理解し、それらの事柄や情報に基づいて考え、推測し知識として蓄えたとしても、それを感じられなければ、理解したとは言えないのではないでしょうか。
あぁ、大福。
そうだ。最後に味は判らなくとも、そのものを吸収・分解した後に、この生を閉じるのも、“快”と言えるかもしれません。
しかし、大福はこの世界に無きもの……まあ、良いのではないかと判断します。最後に禁忌の一つや二つ、魔王さまも笑ってお許し下さるでしょう。
ぴきっ、ぱらり。
では、我の最後の魔術です。
貯めに貯めた我が摩力の全てを使った刻越えの召喚術。
さあ、始めよう、終わりの時を。
「偉大にして至高なる死の王に祈りを捧げ給う。
我は望み、欲する。
悠久なる時と宙の狭間にて、偽りの時と宙を結び解くことを。
開け円環の門、結べ輪環の門。
我が元に来たれ、大福!」
◆
ああ、疲れた。今日も、よく働いた。
そして、頑張った俺に、至福のご褒美タイム。
帰り道の途中のコンビニで購入した、プラパックではなく、簡素なビニール袋に入った“豆”大福。
豆入りだから豆大福なのか、よく見かける大きさよりも小振りだから豆大福なのか。
つぶあん3個入りで税込み99円。
30%引きのシールがついて、さらにお安くなっていた。
ビニール袋から取り出す。
ああ、この絶妙な弾力感。そして、指につたわるこの重量感。
疲れた身体を癒し、脳に幸福をもたらす……この一口。
ぱくり。
ああ、甘露。
皮に埋められた大粒の豆の食感も、いと楽し。
このかじり取られた残りの三日月の形さえも、いと愛し。
指先の 月に眺める 人の夢 (楽しい時はなんて儚いのだろう)
ぱくり……ん、うぐっ、うぐぐ……喉に詰まって……苦し、み、水……
ああ、視界が白く、意識も白く。
◆
どすっ!
召喚された物体が、黒い裂け目から届きました。黒〇宅急便です。
白いシャツ、黒いスラックス、血の気の失せた顔色。
白と黒、配色は記憶の中の大福ですが、明らかに人型をしたもの、というか死体が召喚されました……何故でしょう、魔王さま。
背負った背嚢を下にしているためか、弓なりの苦しそうな姿勢ですが、それを本人が気にすることはないでしょう。
最後のわがままだからと、禁忌を犯した我への罰なのでしょうか
……oh bad luck. daifuku is big luck.
Shock死体。No、食したいのです。ああ、混乱が止まりません。
状態異常を回復しようにも、摩力を使い果たしてしまいました。
最後にこれでも食えとの思し召しでしょうか。
あれっ、まだ、温かいです。これは……状態解析。
仮死状態ですか。開いた口から覗いて見れば、喉に何か詰まっていますね。
どれどれ。
スッポン!
こ、これは……大福やんけ!
バシュ!
ぶるぶるぶる、思わず、衝動的に、異物を死体に叩きつけてやりました。
ドクン!あっ、その衝撃で心臓が再起動したようですね。
チッ。
しかし、しかし、なんということでしょう。
“元”死体は、弓なりの身体の下に隠すように、右手に大福の入った透明の袋を握りしめているではありませんかっ。
元死体の上に上がってみなければ見落とすところでした。
新たな知識です。神はいませり。
これは緊急蘇生処置費用として頂いておくこととしましょう。
2つもあります。素晴らしきかな。
では、早速、失礼して。
吸収、そして、分解。
タンパク質2.4g脂質0.2g炭水化物29.2g糖質28.0g食物繊維1.2g水分23.8gナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム……
おぅ、ぷるぷる。
ぴきっ、ぱらり。
◇
「げふっ、げほっ。はぁー、ひぃ~」
ああ、呼吸ができる。
空気が美味い。
そりゃ、廻りは草原で、小高い丘の木陰の下にいれば……って、なんだ、そりゃぁ~。
思わず、上半身を起こすと、胸の上に載っていたらしい小汚い石塊が太ももに転がる。
胸の上にこんなのが載っていたら苦しくも感じる。
うりゃ!
石塊を腹立ちまぎれに樹に投げつけた。
俺の幸せの時間はどこにいった。って言うか、俺がどこにいる。ここはどこだ。何が起きた?
『お前は貴重な“我の”大福を喉に詰まらせ仮死状態に陥ったのだ。ついでに言うと、我がお前を助けたのだがな』
頭の中に声が聞こえる。
「なんだ。どこにいる。姿を現せ!」
『ここだ、ココ、コォ~コ。お前は無礼にも我を投げただろ』
「へっ、石がしゃべった……」
『石ではない。我はエルダースライム。スライムの最上位種ぞ。失礼な奴じゃな』
石塊が大福の袋を咥え込んでいる。
「俺のだ、返せっ」
『本当に源人というのはどうしようもない種族じゃな。我はお前の命を救ったのじゃぞ。礼をよこすのは当然ではないのか』
石、いや、スライムだったか、が礼節を説いてくる。
一体、何がどうして、どうなって、どうなった、う~ん。
「うー、ぐるる」
う~頭を押さえる。う~頭を振る。う~ぐるる?
頭を上げると、その視線の先に狼っぽい四足の獣がいた。
『似狼犬じゃな。狼種ではない。えせ狼じゃ。知識は正確にの』
「ひぃっ」
どうする。1.逃げる。2.戦う。3.樹に登る。
『仕方のない奴じゃな。どれ、これでどうじゃ、“ファイアボール/火球”』
スライムが放ったソフトボール大の火の玉が、えせ狼に直撃し炭化させる。
『はぁ~せっかくの大福の摩力がファイアボールなんぞに化けてしもうた』
ぴきっ、ぱらり。
「今のはなんだ。何をした」
元死体がスライムを手の平に抱えて尋ねる。
『摩法ですよ、摩法。世界の理を解いて、自らの意志を世界に重ねることで起きる自然の息吹のようなものです』
「ここはどこで、何が起きている?」
『元死体さん、いや、この呼び方はフェイクライフのようで正確性を欠きますね。死損無さんと呼びましょう。死損無さん、あなたは死に掛けて我が助けて、もうすぐ、また、死ぬでしょう。まあ、直に死ぬのは我も同じことですが』
ぴきっ、ぱらり。
表面だけではなく、ついに深いひび割れが入り始めた。
「死損無じゃねーー。真造だ。竜野真造。お前も俺も死ぬって、どういうことだ」
『そう心臓ですよ』
「だから、俺がどうしたって」
『あなたには心臓が欠けています。正確には、心臓と対を為す臓器=摩臓というのですが、この世界に満ちている摩素を処理する臓器である摩臓を持たないあなたには摩素は毒物でしかない。ほら、手がしびれてきていませんか』
スライムは、先程の状態解析で知った彼の身体の欠陥を伝えた。
確かに真造の手が震えている。呼吸も息苦しさを感じる。震えが手に持つエルダースライムの崩壊を加速させる。
「何を言ってんだよ。訳わかんねえよ」
手に持つスライムの表面がぽろぽろと崩れ始めているのも、さらに恐怖をあおる一因となる。
『我も寿命が来たので最後に心残りだった大福を食そうと異世界から召喚したのですが、余計なものまでついてきてしまって死が少し早まりそうです』
「余計なもの?」
『………』
お互いの間に沈黙が流れる。
「お前のせいじゃねえかぁ~」
心からの叫びである。
「何とかしろよ。何とかしてくれ」
『いやはや、死ぬ間際のスライムにわがままを言いますねぇ~』
「お前に言われたくねえよ」
手の平のスライムを思わず、額にあてて願いをこめようとしたら、耳にぴきりと彼の割れる音が響いた。
『まあ、方法が無くは…「あるのか」
廻りには何も見当たらない。さっきのような獣もいる。どの道、こいつが壊れたら、何もなくとも詰む可能性が高い。
『しかし、我もあれから体組成などが変わりまし…「あるんだよな」
って言うか、膝立ちの状態も辛くなってきた。バックパックを降ろして、仰向けに倒れ込んだ。
『可能性としては…「頼む」
ぴきっ、ぱらり。
『では、我をあなたの胸の上に…「もう、置いてるよ」
(マルバスさま、私は完成体だったのですよね……)
『状態解析。知識領域から擬態情報を移行。摩法陣を展開』
先程よりも詳細に真造の身体状態を解析する。マルバスさまからの知識の補填はないので、自らの知識領域から摩臓の構造・機能等を摩法陣に構築し、自らの身体にそれを読み込めるようにする。
真造は自分の身体の上に拡がる摩法陣を見て、驚きとともに呟く。
「きれいだ」
『最後の工程です。声を重ね…て……「再現!」』
展開していた摩法陣のさらに上方に摩法陣が追加される。多重積層摩法陣である。
最初の摩法陣が回転し、最後の摩法陣が降下しエルダースライムに重なると、スライムが光を帯び、真造の体内への侵入を開始した。