最期の日、君を想う
浅井アサイ 楓奏カナデ side
音がする。頭が痛くなるような、耳を今直ぐ塞ぎたくなるような、そんな音がする。目を開ける。眩しい。光が僕の目を、これまでかという程に刺してくる。なんだ。何が起きている。分からない。ああ、なんだ、またか。もう見慣れた風景を他所に、僕は重い腰を持ち上げて制服に手を伸ばす。バランスを崩して、ハンガーごと落ちてきた。「いってぇ…」小さく愚痴こぼしながら手元の携帯を開くと「7:37」と表示された。「、、、は?」一瞬頭が真っ白になったが「死んだか?」「遅刻するぞー」「俺先にバス乗ったわ」そんな大量のメッセージが良介から届いていたことに気づいた。どうやら誰も僕を起こしてくれなかった訳ではないらしい。急いで制服を着て、鞄を担いで洗顔と歯磨きを済ませて家を飛び出す。
空が明るい。空だけが。
自分の味方な気がした。
華宮ハナミヤ 良介リョウスケ side
現在の時刻は8:14。今朝はいつも一緒に7:36分のバスに乗って登校していた友人が来なかった。真面目で遅刻や無断欠席も無かったのに珍しい。あと1分で来なければ遅刻扱いだ。一限目の数学の単元テストの為に勉強をしているクラスメイトを横目に外を眺めていると、肩に強い衝撃が加わった。
「ギリセーーフ…」
『うあ!?…っておい楓奏!お前あとちょっと遅れてたら遅刻だぞ!!笑』
「ごめんごめん笑寝坊しちゃってさ笑」
そんなことを口からこぼすそいつの首には赤黒い跡が残っていた。
『お前それどうした?もしかしてキスマか!?抜け駆けとは許せねえなあああ』
俺が自分の首を指して言うと、彼は一瞬焦ったような顔をしてからいつもの笑顔に変えて
「あ、えと、違うよ笑笑虫刺され笑」
どう見ても違う。恐らく痣だ。こいつの家庭環境は俺だけが知ってる。お前はもう頑張らなくていいんだよ。隠したって無駄。全部バレてる。なぁ。なんでだよ。なんでお前はそんなに我慢するんだよ。なあ
浅井 楓奏 side
カリカリとクラスメイトがシャープペンを走らせる音が静かな教室に響く。
やっば。何もわかんねえ。ギリギリの成績で運良く入学できたこの学校の学習に、入学早々僕は着いて行けなくなっていた。
「やめ」
先生の乾いた声が聞こえると同時に生徒がペンを置く。
僕も静かにペンを置いた。
テスト用紙を回収しよう立ち上がると、目の前に頭を抱えた良介が目に入った。
チャイムがなって生徒全員が立ち上がり、女子の学級委員が落ち着いた声で「ありがとうございました。」と言う。先生が小さく会釈し、教室を去っていく。
僕が直ぐに良介の席に行く。
華宮 良介 side
『むずくね?俺今回ガチでヤバいかも…親に殺される』
「良介そんなこと言って毎回点数いいじゃん!笑僕は毎回ほんとにやばいんだからね!?」
『笑笑いや、言うてお前もそこまで悪くないだろ。前回のやつ何点?』
「23」
『……』
「……」
「『あはははははははは!!!笑笑笑』」
2人で大笑いする。
「お世辞でもいいから褒めてよ!」
『笑 いや、思ったより悪くて笑笑 赤点じゃん!!』
「うああああああそうだあああ補習最悪。帰り待っててよ。」
『塾あるから無理』
「なんでええええ」
『あはははははっ笑1人で頑張れよっ☆』
こんな時間が永遠に続けばいいのに。そうすればこいつはそんな痣作らずに済むのに。そんなことを考えたって現実は何よりも残酷だ。
━ 放課後 ━
浅井 楓奏 side
放課後クラスメイト数人と担任の鈴原スズハラ先生と僕が教室に残り補習をさせられている。ぼーっとしていたら
おい浅井。何ぼーっとしてるんだ。早くやって帰んないとと親が心配するぞ
と鈴原先生から言われた。心配してくれる親なんているっけ と思ってしまった僕は多分絶対もう手遅れなんだろう。
n分後
「終わったあぁああああ」
最後まで残っていた僕はもう外が暗い中ようやく終わらせた。
帰ろうと靴を履き替えていたら鈴原先生に声をかけられた
“あ、なあ浅井、先月の学費がまだ納められてなくてな、これ親御さんに渡しといてくれ”
ああー父さんまたか…
そんなことを考えながら笑顔で受け取る。
「ああ!すいません!父に伝えておきます。」
“急ぎじゃないから都合いい時で大丈夫だと伝えてくれ。気をつけて帰れよーあ、あとお前ヒョロヒョロなんだからちゃんと飯食えよー!”
「はははっ分かってますよ!!さようならー!」
そんな会話をして正門を潜りバス停に向かう。
丁度バスが来た。
時間も時間だからか席が空いていて、1番後ろの端に座った。あの家に帰ると思うと身体が重い。
華宮 良介 side
嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。嫌だあああああああああぁぁぁああああああああああああああああ
叫ぶ。どこまでも聞こえそうで誰にも届かない声を叫ぶ。もうこんな人生。こんな世界。こんな自分。もう嫌なんだ。勉強ばかり。幼い頃から水泳、ピアノ、塾、英会話、体操、そろばん、小学校を卒業して部活で困らないようにってバスケまで。もう疲れたよ。誰か助けてくれ。誰か。誰でもいい。もうこんな世界は嫌なんだ。親のために生きてるんじゃない。先生のために生きてるんじゃない。お前らの人形じゃないんだよ…
塾からの帰り道、いつもならバスに乗るところだが、今日は家に帰るまでの時間稼ぎで歩くことにした。自習室に居た とでも言えば親は納得するし怒られる心配も無いだろう。
浅井 楓奏 side
段々と田舎道に差し掛かってくる。もうすぐ家だ。大嫌いな家だ。ふと今朝のことを思い出す。
酒を飲みながら、顔も名前も知らない女の細い肩を抱き寄せる父親の姿。
身長は高く、若い頃から筋トレをしていたらしくガタイも良い父が昔から怖くて仕方がない。
反対に僕は顔の知らない母に似たらしく、身長は小さく、身体付きも華奢だ。せめて身体が男らしかったら殴られても勝てたかもしれないのに。
そんなことを考えていたら自分の人生はもう既に狂っていることを悟る。
ふと外を見たら、もうすぐ自分の家の近くのバス停だった。
慌ててボタンを押す。
バスが静かに止まる。
降りる。
走り出した脚は何故か家とは反対の方向に進んでいた。
あれ。おかしい。違うよ。そっちじゃないよ。何度そう思い込んでも、僕の身体は思うように動かない。いや、僕が動かしていないだけなのだろうか。
分からない。
何も分からないまま、脚は進む。いや、もしかしたら僕が進んでいるのではなくて、道が動いてるのではないだろうか。僕はただひっそりと取り残されているだけなのではないか。情景が変わっていく。辺りを見渡しても田畑のようなものははもう存在しない。
走り疲れてその場に座り込む。
「ハァ…ハァハァ…ハァ…」
息が上手く吸えない。ふとポケットから携帯を出すと時刻は9:00を示していた。
もうそんなに時が過ぎたのか。
そういえば朝も昼も何も食べていない。お腹が空いてきた。所持金は1200円程。これで何日くらい生きてられるんだろう。
自分が家に帰る気が無くなっていることと、どうにか生きていこうとしていることに驚いた。
取り敢えず近くのコンビニに寄っておにぎりと水を買った。コンビニは一般庶民の僕には高すぎる。いや、いろんなものから逃げてきた僕には高い。ただそれだけだ。
取り敢えず路上に座って水を1口飲む。
食道が一気に冷えた。
華宮 良介 side
家の方向に歩いていたら、車から降りてきた誰かが俺に向かって歩いてくる。
こんな所で何してる。
聞き覚えのある声。父だ。
『自習室…行ってました。』
違う。なぜこんな所を歩いてるのか聞いてるんだ。寄り道か?
『何がダメなんだよ。別に俺がどこを歩いて何をしたって自由だろ!!!いい加減そうやってなんでもかんでも俺に押し付けるのやめろよな!!もう疲れたんだよ!!俺は!!!!お前らの人形でもおもちゃでもなんでもないんだよ!!!!なあ!!!やりたくもない習い事に部活。頼んでもない塾。行きたくもない進学校。聞きたくもない話。疲れたよ。もういいだろ。何が不満なんだよ。俺なんて産まなければよかった。そうだろ!!?!?なんの才能もなくて申し訳ないなあ!!』
いつもだったら絶対に言うことの無い言葉が口からこぼれ落ちてくる。少し遅れて車から出てきた母はびっくりして少し涙ぐんでいる。
誰が育ててやってると思ってるんだ!!!親の言うことも聞けないなら二度と帰ってくるな。
そう言い捨てて父は車内に戻って行った。取り残された母が何か言いたげな顔をしていた。
『こっちから願い下げだよ』
とぼそりと呟き、父の車と反対方向に進んだ。
後ろから母の声が聞こえる。何を言っているのかは聞き取れない。いや、聞き取らない。
誰かに助けを求めたい。もう誰でもいいから一緒に逃げたい。誰か。誰か。
助けを求める相手なんて一人しかいない。
唯一の友人の楓奏。頼る場所なんて他に何処にもない。
プルルルルル
電話をかけた。
あ、あいつもまともな家じゃないんだよな、、
かけた後に気づく。
もうそんなことはどうでもいい。
今はただ同じような人に会いたいだけ。
浅井 楓奏 side
携帯電話がなる。
明るすぎる画面を見ると「良介」だった。
出来る限り平常心を保ち、電話に出る。
「もしもし」
『あ、楓奏?なぁ、もう俺どうすればいいと思う。なんかもう全部どうでも良くてさ笑』
「え、?大丈夫?」
こういう時に大丈夫か聞くのはお門違いなのだろう。そんなことは分かってる。でも口から出たのはそんな言葉だった。
『え、いやまぁ笑』
明らかに大丈夫ではない口調と息遣いだ。少し過呼吸気味になっているのが電話越しでも分かった。
今は良介の心配をしている場合では無いのだが、大事な友人が今にも消えそうな気がして、良介の方ばかり心配になってしまう。
「今からそっち向かう。家にいる?塾帰り?」
『何処にもいない。俺は何処にも』
「どうしたんだよ。場所を聞いてるんだ。」
『ごめん』
彼がそう呟いて通話は切れた。
訳が分からない。良介はどこにいるんだ。
良介の元にいないと死んでしまう気がして、急いで足を進めた。
死んでしまいそうなのは僕なのか、良介なのか、はたまた知らない誰かなのか僕も分からない。
通話越しに車や風の音が聞こえたため家では無いのだろう。取り敢えず塾の方向に進む。
走り続ける。息が乱れても。肺が痛くても。心臓が五月蝿くても。息が上手く吸えなくても。
良介 side
もう俺は華宮家の息子では無いのだろうか。
まあなんでもいい。もう死のう。全部どうでもいいんだ。
死のうと思い、近くのドラッグストアでナイフを買う。
上手く死ねなかった時用に2つ。
あーどこで死のうかなーもうどこでもいいな。いっその事交差点のど真ん中で死んでやろうかな。そしたら歴史に残るんだろうなあ笑
きっと今の俺は頭がおかしい。
だって涙が出てくるんだから。
死にたいのに、今死ねるのに、なんだか涙が出てくるんだよ。
面白いな。人間。
楓奏 side
もうすぐ良介の塾だ
全身が痛い。今にも身体中の骨が折れそうだ。臓器も潰れそうに痛い。
肩で息をしながら足を止める。
「りょうすけ、?」
ナイフを首に当てる良介の姿が目に入った。あいつ死のうとしてるのか、?
「待て!!!!!」
僕の乾いた声が街に響く。みんなの視線が僕と良介に集まる。
パトカーの音がする。
警察官らしき人の声がする。
君!!待ちなさい!!!!
うるさい。今は良介を止めなきゃダメなんだ。僕が。僕が止めなきゃ。
こんな時間にこんな所で何している!!!一旦落ち着きなさい!!彼はナイフを持っているんだ!近づくんじゃない!!!
肩を掴まれた。
「へ、?あ、え、えと、あの良介が、」
良介?あの少年か?
「そう、です、あの、良介が、死んじゃうから僕、止めなきゃ」
涙がこぼれてくる。
視界がぼやける。
何も見えない。
警察官も良介も通行人も、建物さえも何も見えない。
だけど、真っ赤な液体が飛び散っていることだけは確認できたんだ。
待て!!!!!!そのナイフを置け!!!さもないと撃つぞ!!
そんな警察官の声と共に老若男女の悲鳴が聞こえる。
僕の耳だけには良介の優しくてか細い声が聞こえた。
即座に救急車が来て、男の人が乗せられて、僕は警察官に話しかけられている。
ああ、違う、警察官じゃない。
あなたは か。