選択型お題「雨後に芽吹く」
二人の視点で話は進みます。
頑張った良き親友に捧げます。
遅れましたが、おめでとう。
小学校の帰り道に咲いていた名も知らぬ花が好きだった。集団で咲く小さな花に親近感を覚えた。
普通の人から見れば私の家族は少し変わっていたかもしれない。小学校は六年間同じ学校に通えたことはなかった。幾度となく転校を繰り返し、友達も少なかった。家族には、半分しか血のつながらない姉妹が五人。実の母親の他、妹の父親が一人。高校の頃は妹の父親と母、そして妹と五人で住んでいた。その父親に、母に気付かれないよう体をまさぐられることは毎日だった。母に相談もできず、よく家出や外泊などを繰り返した。
怖かったのだ、血のつながらない父親も、気付かない母も。血のつながりのない家族がいることが、恐ろしくてたまらなかった。
「それで、名前は決まったの?」
「まだ。だって、修司って変な漢字ばかり使おうとするの。遼子からも言ってやってよ」
そう愚痴をこぼす私を微笑ましそうに眺めながら、遼子は冷めたコーヒーを口に含んだ。
「名字が二文字だから、私は四文字がいいのよ。でも修は蓮がいいって……。園蓮って、変でしょ?」
ノートを眺めながら私は唇を尖らせた。せめて三文字がいい、と呟くと、遼子はそうねえ、と頷いた。
高校を卒業してから四年。私は七年付き合った彼との間に子供を儲けた。来月生まれる予定だ。
遼子は、小学校からの知り合いだった。五年生の時同じクラスになって仲良くなった。中学では話すことが少なくなったが、偶然高校が同じになり、それからまた一緒にいるようになった。一番長い付き合いの、親友と呼べる存在だ。
私が家出した時も、当時の彼とのいざこざがあった時も、親からの猛反対があった時も。ずっと一緒にいてくれたのが遼子だった。
「強く育ってほしい。太陽って、そういう感じの意味もあるの。私、太陽って名前がいいと思うんだけど、どう?」
「いいんじゃない。有香がいいと思うなら。私は断然快晴を押すけどね」
快晴もいいけど漢字がなあ、と私は呟いた。かっこいいのに、と遼子は言った。元気に産まれそうじゃない、と続ける。
「あんたが無事に子供を産んで育ててくれるなら、いい。ずっと、悲しかったでしょう」
私は過去に二度、妊娠していた。一度は中絶して、二度目は流産した。
血が止まらなくなって、痛くて辛くて悲しかった。
子供ができたのは私も悪かったのだ。最後に一度だけ、と別れていた彼に頼みこまれ、断りきれずに一度だけセックスした。それを遼子に告白した時、彼女はひどく怒った。どうするつもり、と怒りを抑えた声音で私に言った。おろすしかないとはわかっていた。二度目よ。そう言って遼子は部屋を出て行った。自分の愚かで浅はかな行動を、心の底から後悔した。
「でもよかったね。修司が結婚する気で。性格からしておろせとか言うと思ったけど」
「修、産むのに賛成じゃなかったのよ。今でも言うわ。その前に何かしらやりたかったことがあったって」
「今すぐ連れてきなさい、あいつのせいのくせに。修司のくせに」
遼子は気が強い。修司のような頼りない男は頑として認めたがらなかった。私がそういう性格の男ばかり好きになって、ひどい目にあっていたのを知っていたからでもあるけれど。
「自分のせいのくせに、あいつはまだそんなことを言うのね。ならちゃんと計画しなさいってのよ」
遼子には、彼氏がなかなかできない。気の強さもあるだろうけれど、きっと、私のせいだろう。
私がろくでもない男に引っ掛かってばかりいたから、心配かけさせっぱなしだった。彼氏を作る暇もないだろう。
それに。
そんな私を見ていたから、怖くなってしまったのかもしれない。恋をして、傷ついてしまうことが。
「なあに」
「……何でもない。大成はどうだろうと思って」
考えていたことを気づかれないように、私は慌てて話をそらした。
「いいわね、大成。あんたの好きな大っていう字も入ってるし」
遼子の気をそらせるためにふいに出た名前に、彼女はやけに乗り気だった。どうやら好きな感じの名前だったようだ。
「私、産むのがすごく怖い。修司は私に死なないでって言うし。私、ちゃんと産めるのかな?」
今まで不安だったことを口に出してしまった。私は体が弱く、しょっちゅう入退院を繰り返していた。小学校の修学旅行では、空気が変わって喘息の発作も起こしてしまうほどだった。
「……私には、わからないけれど。きっと大丈夫よ。この子はきっと、丈夫に生まれるし、あんたも、無事よ」
大丈夫。気休めをめったに言わない遼子の言葉に、少し気分が浮上した。彼女はいつも冷静で客観的で、毒舌な時がある。それは私を心配してくれているということも分かっていた。
大丈夫、としか言えないくらい、彼女も不安になっているのかも知れないけれど。
「生まれたら、真っ先に来てね」
「仕事第一よ」
減らず口を叩く遼子は、いつもの飄々とした雰囲気に戻っていた。
* *
予定日を何日か過ぎたころ、私は有香に連絡をとってみた。
「……まだ」
「ええっ? まだ?」
私は度肝を抜かれた。普通がどのくらいなのかはわからないが、予定より早かったりはしないのだろうか。
「初産は予定日より遅れるのが多いんだって。もうやだあ。私、怖い。遼子、代わってよ」
無理だ。
有香はずいぶんと弱気になっている。無理もないとは思うが、しかし私には言葉をかけるしか出来なかった。
そんなことを言っていたのが、つい二日前。有香からは陣痛がきたとだけ連絡があり、その後音信は不通。
どうにも私は彼女のことになると心配症になるようだ。
昔からそうだった。彼女があらゆる理由で家出したと、何回も泣きついてきた時、私は律儀にも有香に付き合って夜を過ごした。家に泊めたりはできなかったから、深夜営業の飲食店で朝まで話したり、ひどい時は、試験前日に徹夜で話を聞く羽目にもなった。おかげで母親からは、私が非行に走ってるんじゃないかと心配したと、後になって聞かされた。
それでも、彼女と付き合いをやめないのは、私が彼女を大事に思っているからだ。
私は有香が大好きで、無二の親友で、できれば傷ついてほしくない、大事にされてほしい。あいつが精神的にダメな男ばかり好きになるのも、私はずっと反対してきた。
それでも、有香が好きなら、私はできるだけ口出しせずに見てきたつもりだ。
そして裏切られて有香が泣いていても、私には怒るか慰めるかのどちらかしかできなかったし、傷ついた有香に対して、かけられる言葉もその時の私には思い浮かばなかった。
有香は、自分のせいで私に彼氏ができないんだと思っているようだが、私は本当に恋人という存在を欲しいと思ったことはなかった。
「だって、面倒じゃない」
口に出してみた。そう、私にはまだ必要ない。でも、それも思い込みかもしれない。いなさ過ぎて、自分がどう思ってるのかもわからない。そんなことはどうでもいいの。
今は自分より有香なのだ。
「どうか……」
部屋に立ちすくんで、私は有香を思った。
陣痛がきたとメールがきてから、もう何時間経っただろう。
もう夜の十時をまわっていた。そわそわしながら有香からの連絡を待った。
むやみに冷蔵庫を開けたり、シャワーを浴びたりするけど、落ち着けない。早く連絡が来ないかと思っていた時、携帯が鳴った。
携帯を開くのも煩わしい。メールボックスを開くと、それは私の待っていた彼女からのメールではなかった。
「こんな時に! 紛らわしいのよ」
手にした携帯を投げ付けそうになりながら、私は乱暴に放った。同時にまた鳴り始める。いらいらしながらもう一度開く。
「――っ」
――生まれたよ。
一言のメールで、私の体から一気に力が抜けた。視界が霞んでくる。
「よかった」
小さく口に出せば、涙はこぼれ落ちた。有香も子どもも、無事だった。
ずっと心配だった。子どもは五体満足で生まれてくるのか。もしかしたらという気持ちもあった。彼女は体が弱いし、医療関係に疎い私には、あいつは早死にするんじゃないかと、思うこともあった。
彼女の家は複雑で、苦労してきた人は、最後まで苦労するのかと思ったものだった。
「おめでとう」
だからこそ、心の底から嬉しさが込み上げてきた。自分のことのようにほっとした。
あとは、子どもがすくすくと育ってくれればいい。そう願いを込めて。
数日後、お見舞いに行ったときの有香の様子は元気そうだった。
「あれだけ苦しんだのに、お腹を切ろうとしないなんて。鬼かと思った」
くたびれた雰囲気は出ていたけれど、達成感も感じた。母になった人の表情は違って見えた。
「小さいね」
「うん」
ガラス越しに子どもを見つめながら、私は思ったことを口に出した。小さい。生まれたばかりの子どもは、びっくりするくらい小さかった。
私は末っ子で、滅多に子どもと触れ合う機会がなかった。苦手意識もあった。従姉妹が生まれたとき、私は小学生で、抱かせてもらったときは、こんなに重いのかと思ったものだった。今抱いてみると、なんて軽いんだろう。愛しくてたまらなかった。
「名前は?」
そう聞くと首を傾げて少し意地悪く有香は笑う。快晴はやっぱり駄目だったよ、と残念がっていた。
「大地」
大きく、元気にのびのびと育つように、祈りを込めて名前を呼んだ。
H21.9.3