退くわけにはいかない!
勇者が置き去りにした聖剣を前に、私とマディール、そしてもうひとり逃亡せずに残ったネガティブ根暗メガネ男子魔法使いのツバルツ・ヨガリは、途方に暮れていた。
「いったいどうして勇者まで?」
ツバルツの質問に、私はちょっと口ごもる。
「……えっと。……その、勇者は昨晩ちょっと特殊な魔物と戦って……それで、その『ヒール』をかけたら、今までの比じゃないくらいに、とんでもなく痛かったみたいで……」
マディールは、碧の目をキラリと輝かせた。
「それは、いったいどんな魔物だったんですか?」
食いつき気味に聞いてくるのは、きっと“とんでもない痛み”に期待しているからだろう。
本当に正真正銘マゾな騎士さまである。
一方、ツバルツは露骨に嫌そうな顔をした。
今の話の反応としては、こちらの方が普通だろう。
それでもツバルツが逃げずにここに残っているのは、ひとえに彼の持っている特殊スキルのおかげだった。
痛覚耐性というスキルで、よほどの痛みにも耐えられるという優れもの。
ただし残念なことに『耐えられる=痛くない』という方程式は成り立たないのだそうだった。
……つまり、痛いものは痛いのだ。
痛いのに耐えられるとか……スキルじゃなく呪いの類いではなかろうかと、私なら思う。
少なくとも、私は絶対いらないスキルだ。
「…………淫魔よ」
私は、ツバルツに深く同情しつつ、重い口を開いた。
「は?」
騎士と魔法使いは、口をポカンと開ける。
「だ、か、ら、淫魔よ! い、ん、ま! ……まあ、淫魔自体は返り討ちにしたみたいなんだけど、その“過程”で、勇者は、ちょっと口には出せないところに傷を負ったか病気を貰うかしてしまったみたいで…………『ヒール』をかけたら、もんどり打ってのたうち回って、泣きながら逃げていったわ」
マディールとツバルツは、ゴクリと唾を呑みこんだ。
二人そろってアソコを守るように手で隠すのは止めてほしい。
私だってそんなところにヒールなんて、かけたくなかったのである。
「……そ、それは、仕方ないかもしれませんね」
「あ、ああ。さすがの私も、それは――――新たな扉を開いてしまいそうで怖いですね」
同情たっぷりなツバルツの言葉に、マディールが頷いた。
マディール! その扉だけは、絶対開けないでよ!
私は、心の中で強く願う。
ともあれ、困った事態なのは間違いないだろう。
「――――騎士はともかく、勇者のいない魔王討伐なんて考えられません」
「ここは、一度城に帰って、勇者を説得するか、もう一度選定するかしないといけないでしょうね」
マディールとツバルツは、額をつき合わせて話し合う。
どうやら、いったん王城に引き返すという判断になりそうだった。
しかし、それはとんでもないことだと、私は思う。
異世界召喚されて、既に一年以上。
ここまできたのに、振り出しに戻るなんて、許容できるはずがないからだ!
だいたい、勇者を説得もしくはチェンジして再び旅立ったとしても、同じことが起こらない確約はどこにもないのである。
そんなことになったのなら、魔王討伐がいつ終わるかわからないではないか!
私が地球に帰る際には、召喚された瞬間に戻してくれることになっているのだが……いくら時は戻っても、私の肉体年齢を戻すことはできないのだ。
一、二年ならまだしも、三年、五年、と重ねてしまった年齢を、どうやって誤魔化せばいい?
ある日、突然老けた私を周囲の人間はどう見ることか?
それくらいなら――――。
「そんな必要はないわ。このまま魔王討伐の旅を続けるわよ!」
私は、大きな声で宣言した。
マディールとツバルツは、驚き慌てる。
「それは無謀です。私もヨガリ殿も、攻撃力は高い方ですが、それでも勇者には遠く及びません。勇者なしで魔王軍を破り、ましてや魔王を倒すことなどできるはずがありませんからね」
マディールの主張に、ツバルツがコクコクと首を縦に振って同意する。
私は、腰に両手を当てた。
プクッと頬を膨らませて、マディールとツバルツを睨む。
「なにを言っているの? 勇者なんかよりよほど高い攻撃力を持った人物が目の前にいるじゃない?」
二人は、パチパチと目を瞬いた。
呆気にとられた表情が、なんとなく愉快だ。
「私は、たった一人で、騎士の精鋭を集めた一個師団と勇者まで退却させた恐怖の魔法『ヒール』の使い手なのよ! 私がいれば魔王軍も魔王も恐れるに足らないわ!」
ドン! と胸を叩いて、私は言い放った。
――――次の瞬間ゴホゴホとむせてしまったのは、ご愛敬である。