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8 だから出会えた

「森の中の鳥みたいな声をしているね」


 ある日の練習中、レイ君と二人きりになったときに、そんなことを言われた。

 教室の窓から入ってくる光がレイ君を優しく包み込んでいて、綺麗だ。


「森の中の、鳥?」


 レイ君は、小さく、本当に小さく、笑った。


「そう。森の中は木がたくさんあるでしょ。音が響きにくいでしょ。でも、鳥の声は聞こえる。綺麗な音で。ミドリさんの歌声は、僕の中では、鳥のイメージ。名前にぴったり合ってるなって思ったよ」


 そんなふうに褒められたこと、一度もなかった。

 私のほっぺはあっという間に熱くなって、私はうつむいて、ありがとうと言うことしかできなかった。

 私たちはまだ恋というものをなんとなくしか知らなくて、それでも、誰かを大切だなあと思う気持ちは、しっかりと持っていた。

 私にとって、その相手はレイ君だった。

 口数が少なくて、でもそれは一生懸命言葉を選んでいるからで、そしてその言葉は美しくて、私を幸せにしてくれた。


 素敵だなと、思った。


 練習が楽しくて仕方がなかった。たくさん歌えて、作品ができあがって、レイ君のこともどんどん知ることができて……本当に楽しかった。


 私は何も怖くなかった。


 本番は全校生徒が聞いている前で歌う。一年生のころから毎年やっている。もう四回目だ、慣れたものだ。

 そう思っていた。

 ステージに上って、私達を見つめているたくさんの顔を見ても、何も感じなかった。ただ、発表が楽しみで仕方がなかったのに。

 ソロが始まる数小節前。ピアノだけになる瞬間。


 突然、気がついてしまった。

 私一人で、歌うっていうことを。

 知っていた。でも、わかっていなかった。

 私一人だ。

 誰も助けてくれない。

 一人。

 できるのかな。

 できていたっけ。


 ピアノが鳴りやんで、私が歌い始める、リズムを、とって、でも音って息を吸わなきゃどうやって音を出すんだっけ。

 森の中でも美しく響くような音を私の口から。

 出した音はかすれていた。

 全く綺麗な音ではなかった。

 その後に慌てて出した音もぎざぎざで、やっといつもの声がでたと思ったのはすでに三つの音符を通り過ぎた後だった。


 その後、私は歌えなかった。

 メゾピアノからフォルテッシモにのぼっていく、迫力のある音に、置き去りにされた。

 曲が終わった後の拍手は、私のことを馬鹿にしているように聞こえて、泣きそうになった。

 レイ君の歌声も耳に届いていなかったことに気がついたのは、ステージを降りてからだ。

 レイ君は、お疲れ様、頑張ったねと言ってくれたけれど、私は何も言えなかった。先生も、ソロの二人は特に、なんて話していたけれど、気を使っていると思った。

 私は失敗した。

 悲しかったし、恥ずかしかったし、辛かったし、泣きそうだったし、皆にいっそ責めてほしかった。それでも、だれも私の歌に文句をつけはしなかった。

 どう思われているのか分からなくて、ますます悲しくなった。



 その日から、私はレイ君とは話さなくなってしまった。

 残念なことに、四年生の後半あたりから恋愛の話がはやり始めてしまって、私は嫌で仕方がなかった。五年生になって、せっかく三つのパートにわかれても、何も嬉しくなかった。

 あんなに好きだったのに。

 あんなに頑張ったのに。

 



 あの日のことを思い出すのは辛かった。

 自分の言葉にするのはもっと辛かった。

 何度も泣きそうになった。それでも、なんとか我慢して、つっかかりながら、私は話した。クサキと、ビズムさんと、ロットさんに。


「こんなことが、あったんです」

 三人とも、だまったままだ。

 じっと、私を見つめている。その瞳が、まだ、続きを待っている。

「えっと」

 私は、何を言おうとしていたんだっけ?

「だから、私はずっと、夢の話も恋の話も、嫌いだった」


 教室の隅っこに逃げて、それでも逃げきれなくなって、図書室にこもるようになった。

 クラスのみんなは好きだ。

 友達もいる。

 でも、話したくないことはある。

 たとえその話が、皆のしている話だとしても。


「夢の話を聞くと、失敗したらどうするのって思う。恋の話をすると、あのとき一緒にソロを歌った、そのあと離せなくなっちゃったレイ君を思い出して苦しくなる。でも、クサキ」


 静かに私の話に耳を傾けてくれる幽霊に、私は、向き合う。


「クサキにあって、クサキが自分の夢を、ずっと、ずっと追いかけているのを見て……私にはまだわかっていないことが多いけれど、でも、あの日から今までで初めて、夢を見るのを怖いって思うより先に、かなえたいって気持ちが多くなって」


 思いがあふれる。

 その思いを、言葉にするのは難しい。

 きっと、自分の中から湧き上がっていく思いを、クサキは絵本にしようとしたんだ。絵本に乗せて、自分の伝えたい何かがあったんだ。

 よくわかる。

 私も、歌が楽しいって気持ちを、歌にのせたかった。

 今なら、わかる。


「うまく言えなくてごめん。でも、何かをしたいって気持ちを、思い出せたよ」

「……ミドリは、頑張ったな」

「……へ?」

「頑張った。いっぱい考えたんだな。すごいよ、ひとりでずっと、悩んでたんだろ?」

「……そうかも」

「だから出会えた」


 クサキは私に背中を向けて、ビズムさんとロットさんの二人に向かって、胸を張る。


「俺が選んだ人は、間違っていなかっただろ?」


 返事がない。慌てて二人の様子を確認する。

 ビズムさんも、ロットさんも、うつむいてしまって動かない。

「ビズムさん……ロットさん?」


 そのときだった。

 ビズムさんが、ず、と鼻をすする音が聞こえた。


「ビズムさん?」

「ちょ、ちょっと黙ってろ……」

 ビズムさんが、自分の鼻に手をやりながら、必死に顔を隠している。ロットさんが、もうダメです、と言って両手で顔を覆った。

「泣いてるの?」

 思わず声に出してしまった。

 クサキが苦笑しながら、私を見上げる。


「俺が、夢があるからここに残るって言ったときもこうだった」

「クサキ! よけいなことを言うんじゃない……くそ、ロット、泣くな!」

 ビズムさんが顔を手のひらで拭い、勢いよく私をにらみつけてきた。その目は、真っ赤だ。一方のロットさんは、泣いていませんと叫びながら、両手に顔をうずめたままだ。

「ミドリ」

 ビズムさんが、鼻をすすりながら、私に向かって静かに言った。私の背筋が、ぴんと伸びる。

「私とロットの仕事の話をしよう。私は、普段は君らとは違う世界にいる。肉体を失い、魂となったものを、行くべき場所へ送るのが仕事だ」

「魂……」


 その仕事って、と私は口にしようとしたけれど、その前にビズムさんの話を聞こうと思って、黙ることにした。ビズムさんは紅茶に口をつけたあと、ひとつ息をついて、続ける。


「クサキは、夢があってこの世界を離れることができないと言った。私たちは困った、その願いをかなえない限り、クサキはずっと幽霊としてこの世界に居続けることになるからな。だから、私は、絵本作家に頼みに行こうと提案した。するとクサキは、断固としてそれを受け入れなかった。なぜだと思う」

「……わかりません」

「そうだろ、私にも分からなかった。でも、クサキは言うんだよ。俺と同じぐらいの真面目な人を探す。俺は、プロに絵本を描いてほしいんじゃない、一緒に夢を叶えてくれるような友達と、絵本を作りたいって言うんだ」


 鼻の奥が、つんとした。

 クサキをちらりと見ると、私に背中を向けたままだ。

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