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7 夢が、怖かった

 振り返ったクサキの表情は、今まで見たどんな表情よりも真剣で、私は思わず息をのんだ。


「俺だって、ずばりと言うのは怖い。だから言えなかった。でも、ミドリはわかるはずだ」

「わかるはず……?」

「そうだ。透明で、触れられない。もっと身近に、いるはずだ」


 透明で、触れられなくて、身近に……?

 ファンタジー図鑑を思い出す。

 クサキが、苦しそうに、言う。


「怖いやつだ」

 怖いやつ。



「ゴースト……幽霊?」



 クサキが、寂しそうに、そうだ、と微笑んだ。

 どうして笑うの、クサキ。

「幽霊ってことは……」

 思い出す。私のクラスにクサキみたいな子がいたらいいのに、と言ったときの、クサキの表情。

「クサキは、人間だったの?」

「そうだ。去年の夏まで、幽霊じゃなかった」


 去年の夏。

 クサキに何があったのか。

 私は聞くことができなかった。

 詳しくはわからない。でも、クサキは、夢を置き去りにして、この世界から──。



「……クサキ、話してくれてありがとう。辛かったと思う」

 口にして、何か違う気もして、目を閉じる。

 クサキは、人間から、幽霊になってしまった。

「……俺とミドリは、同い年だ。俺は、小学五年生で……」

 クサキの声が震えている。当たり前だ。嘘をついてまで隠したかったことなのだ。

「クサキ、大丈夫、いいよ。言わなくていいよ」


 実感は、できない。


 私は去年の夏、何をして過ごしていたっけ。

 朝、体操をして、それからプールに行って、お昼ご飯を食べて、友達と遊んで、図書館に行って、宿題をして、優ご飯を食べて、眠って。

 当たり前のような日々を、クサキは、最後まで過ごすことができなかったのだ。

 それがどんなことなのか、わかっているようで、わからない。


 泣きたいけれど、泣けない。

 信じられない。

 そんなことがあるなんて。


「そっか、それで、クサキは夢をたくしてくれたんだ」

「そうだ。ごめん。幽霊だなんて言うと、怖がると思って……話も、聞いてもらえないくらいに」

「確かにね」


 私は、無理にでも笑って見せた。それしか、できることはないと思ったから。


「大丈夫だよ、クサキ。私、クサキが妖精でも幽霊でも、クサキはクサキでしょ。夢を一緒に叶えるよ。作ろうよ、絵本」

 クサキが、ゆっくりと振り返る。いつもみたいにはじけるような笑顔を、クサキは見せてくれなかった。代わりに見せた表情は、泣きそうな、でも無理に笑っているような、悲しいものだった。

「作ろう、一緒に。私、この夏休み、頑張るよ。大丈夫、仲良しの友達は夏期講習で忙しいし、集中して何かをしてみるっていうの、いいと思うし」


 お互いに黙ってしまうのが怖くて、私は無理やりにでも言葉をつないだ。

「ありがとう、ミドリ」

 クサキは、泣くのを必死にこらえているのがわかる。

 私は、クサキの気持ちの、ほんの端っこしかわかっていないのだろと思う。


「……こちらこそだよ、クサキ、だって私」

 クサキに泣いてほしくなくて、言葉をつないだ先。

 私は自分が何を言おうとしているのか、わかっているのに、わからなくなった。

「私……」

「……ミドリ?」


 私、夢を描いたのなんて、久しぶりだよ。

 そう言おうとした。

 言いかけて、のどの奥で、つっかかってしまった。

 うつむく。握りしめた両手が、足の上で震えている。



 思い出すのは、あの日。二年前の、合唱コンクール。



「私、夢が」

 言葉にするのが怖かったはずなのに、どうしてだろう。

 誰かに聞いてほしいと思った。

 あの瞬間のこと。

 きっとさっきまで私のことをぎゅうぎゅうに縛っていたけれど、クサキと夢を叶えるって思えたから、消えていった、あの出来事。


「夢が、怖かった。四年生のときに、失敗して」


 顔をあげると、クサキが私の目の前に浮いていた。その向こうで、ビズムさんとロットさんも、静かに耳を傾けてくれている。

「聞いてくれる?」


 ロットさんが、優しく微笑む。

「言葉にすると、整理整頓ができますよ」

 ビズムさんが、ゆっくりと目をつむる。

「心につっかえていた何かを話したいのなら、聞くぞ」

 クサキが、小さくうなずいた。

「ミドリは、何か辛かったものを抱えているって、思っていた。話したかったら、話すといいよ」

 私は、ひとつ息を吸って、両手をぎゅっと、さらに強く握った。



 あの日のことを、思い出す。





 私の好きな教科は、美術と体育、それに音楽。

 四年生のとき、担任の先生にその話をしたら、芸術的センスがあるのねと褒められた。四年生のときには、褒められたことが嬉しくて、芸術的センスって言葉がしっかりとわかっていたわけではないような気がする。それでも、その嬉しさはずっと残っていた。


 私の通っている学校には合唱祭がある。夏に入る前に行う、一学期最後の大イベント。

 二学期には学習発表会があるし、運動会もあるのに、どうして合唱祭までするのって言う人もいるけれど、私はこの日が大好きだった。歌が大好きだし、まだ話したことのない子とも話すチャンスができる。文句を言っている人も、なんだかんだで音を覚えて、小さな音でも歌う。口をぱくぱくさせている人だって、参加していることには間違いない。

 そんな合唱祭が大好きだった。


 ソプラノとアルトの二つの音で別れていたけれど、五年生からはテノールも入って、さらに音が広がっていく。私は、五年生がうらやましくて仕方がなかった。

 四年生のときに歌うことになった曲は、今までとは少し違った雰囲気の曲だった。

 皆が歌っている中、突然ぴたっと音がやみ、そして、ひとりだけ歌い始める部分がある。最初に女の子が歌って、その後男の子が歌う。


「ソプラノひとり、アルトひとり! ソロパートよ」


 担任の先生は嬉しそうにそう言っていたけれど、クラスのみんなは困っていた。やりたい! って手をあげる人がいないようなクラスだったのだ。

 困った先生は、こっそり私に相談してきた。


「ミドリちゃん、歌が得意って話したでしょう」

 正確には、音楽が好きと先生には言った。

 でも、先生の言う通り歌は好きだし、得意な方なのかもしれない。

「ソロ、してみない?」

 先生に頼まれたことも、嬉しかった。私がいいよと返事をすると、先生はほっとしたように笑った。


 アルトのソロは、レイ君という、おとなしい子が引き受けた。最初、私は意外だな、と思った。レイ君は授業で発言することも少なく、友達と話しているときも、にこにと笑いながら聞いているような子だった。だから、ひとりで歌うパートを引き受けたなんて、と驚いてしまったのだ。

 でも、レイ君の歌声を聞いて、私はなんて失礼なことを考えたのだろうと反省した。


 透き通る、私より少し低い声。


 クラスのみんなも驚いていて、その中で何人かは、実は知っていたのだとにやついていた。先生も知っていたのだろう。レイ君の歌声を、頷きながら聞いていた。

 私達二人は、先生に呼び出されて、別の場所で練習することになった。先生がいないとき、私達は少しずつ話すようになった。レイ君は私の話をいつも楽しそうに聞いてくれて、ときどき口にする彼の話はどれも面白くて、いろいろなことを知っていて、一緒にいると楽しかった。


「ミドリさんは」

 レイ君は、大人みたいに、私の名前にさんをつけて呼んだ。私がどんなにミドリでいいって言っても、レイ君は、ミドリさんが呼びやすいといって聞かなかった。そんな少し頑固なところも、面白いなあと思っていた。


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