6 クサキの嘘
「そうですね、一般的には怖い存在かと」
はは、とビズムさんが笑う。笑うと、優しそうなお姉さんに、見えなくも、ないような。
「じゃあ怖いかもしれないが、怖がる必要はないということだ。クサキの夢をかなえることは、私達の仕事に関係する。話すと長くなる。しかし、よく引き受けてくれた。感謝する」
「え、あ、はい」
「またあとで、ミドリ。突然すまなかった」
ビズムさんが一歩後ろにさがると、その足元から黒い煙が出てきた。たちまちその煙は私とクサキを包み、あっという間に目の前が真っ暗になり──気がついたら、私は元居た場所に戻っていた。
時計を見上げる。そんなに時間は過ぎていない。
「……な、怖いだろ」
怖かった。
私は、クサキがあの二人におびえているんだと思ったけれど、それは違うみたいだった。クサキは、突然黒い煙に包まれて、白い謎の世界に連れていかれるのを怖がっていたんだ。
「……あの人たちは、何」
「説明すると長くなるから、今日の夜にな……俺はあの、黒い煙と白い世界がどうも苦手なんだ……ごめん、少し眠るよ」
そう言って、クサキは絵本に沈んでいった。そうか、絵本に沈むってことはクサキにとっては眠ることなんだ。真っ白な絵本をぼんやりと見つめながら、私はふう、と息を吐く。
不思議なことがたくさん起こりすぎて、変な気分だ。
少しだけ、わくわくもしている。
あの二人のことを思い出す。何歳なんだろう。高校生、大学生よりももっと年上の大人だった。大人は皆大人だから、年齢なんてわからない。きっとビズムさんが年上で、ロットさんが年下なんだろう。ロットさんは敬語を使っていたし……ビズムさんの方が、偉そうだったし。
二人とも、黒い服を着ていた。全身真っ黒だった。ビズムさんは両耳に赤いピアスをしていたけれど、それ以外はすべて黒。あの二人も妖精なのだろうか。妖精というよりかは、魔法使いや、怖いけれど悪魔のようだった。
悪魔だったらどうしよう。
……悪魔って、どんなのだっけ。
私はクサキが眠っている絵本を閉じて、図書室にあったファンタジー図鑑を取り出した。そこで悪魔を調べて、あまりの怖さにぎょっとした。なんとなく悪魔は真っ黒、というイメージしかなかったけれど、調べたらこんなに種類がいて、こんなにも怖い見た目をしているんだ……あの二人は優しそうだったから、悪魔だとは思いたくなかった。
私はすっかり悪魔に気を取られて、見逃していた。
魔法使いよりも、悪魔よりも、真っ黒が大好きな神様がいるってことを。
午後の授業は、昨日よりもさらに集中できなかった。
クサキが周りを見渡して、黒い二人がいないか、と言っていた気持ちがよくわかる。
私も、ついつい目の端を気にしてしまう。黒いものが視界に入ると、びっくりしてしまう。
休み時間にまいまいに心配されたけれど、もちろん本当のことを言うわけにはいかない。適当にごまかしながら、私は今日の夜が、楽しみなような、怖いような、変な気持ちで午後を過ごした。
今日もゆう君の遊ぼうを断ってしまったのは本当に申し訳なかったけれど、昨日のように食事とお風呂を済ませて、私は部屋にこもることにした。
ベッドの上で、友情絵本を開く。
クサキが、神妙な顔つきで座っていた。体育座りだ。いつものあぐらじゃなくて、ちょっと笑ってしまう。
「何だよ、怖いんだよ」
クサキの素敵なところは正直なところだなと思いながら、私は聞いてみる。
「あの二人が? それとも、黒い煙につつまれること?」
「それもだけれど……これから話すこと全部が。先に言っておく」
緑色の目が、私をじっと見つめる。
「あの二人からすべてを聞いて、やっぱり夢の手伝いができない、ってなったら、断ってくれていいから」
「……どうして? 私はやる気満々だよ?」
「ごめん、ミドリ。俺は少し、嘘をついた」
嘘?
「どういうこと?」
「あの二人は、俺みたいに嘘をつかない。仕事だから」
「……よくわからないよ」
「俺はうまく言えなかった。嘘をついた。ごめんな。でも、しっかり話すよ」
クサキが何を言っているのかよくわからなかったけれど、二人きりで何を隠していたかを話す気は無いようだった。
「わかった。しっかり聞くよ」
私にできることは、それだけだ。
ひとつ、息を吸って、吐いて、目をつむって、小さくつぶやく。
「ビズムさん、ロットさん、準備ができました」
音はしない。しばらく目をつむっていたけれど、もし何も反応がなかったらどうしよう、と思って薄目を開ける。
目の前に、黒い煙が見えた。私はもう一度目をつむる。ぎゅっとつむる。心の中で数を数えて気持ちを落ち着かせる。一、二、三……十六まで数えたところで、ロットさんの声がした。
「目を開けても平気ですよ」
優しい声。大丈夫、悪魔じゃない、どちらかというと天使。そう思いながら、ゆっくりと目を開ける。目の前に、心配そうに私を見つめるクサキとロットさんの姿があった。クサキは、昼休みと同じように、ふわふわと宙に浮いている。ロットさんの後ろには、ビズムさんが腕を組んで立っていた。
「怖かったですか?」
ロットさんが困ったようにたずねてくる。
「ちょっとだけ……でも、大丈夫です」
「よく来てくださいましたね。お茶でも飲みましょう」
ロットさんはそう言って、ぱん、と手をたたいた。
すると、何もなかったはずの空間に、白い丸机が現れた。次に、白い椅子。さらに、机の少し上に、ケーキ、ティーポット、ティーカップ、綺麗な白い花と花瓶が現れて、ふわふわと浮かびながら、机の上に静かに降りていく。
私は、驚きすぎて腰を抜かしてしまった。後ろに倒れる、と思ったけれど、私の後ろにはすでに椅子があった。ふわふわのクッションが置いてある椅子に、優しく包まれる。その間も、クッキーやマカロン、フルーツが現れては、机の上に静かに置かれていった。
やっぱりロットさんは、魔法使いなのかな。
私の左前に座ったロットさんも、右前に座ったビズムさんも、全く驚く様子はない。私の右手のそばにいるクサキもだ。驚いているのは私だけ。なんだか変な気分。
「好きなのをめしあがってくださいね」
ロットさんがにこりと微笑む。かっこいいお兄さんだ。思わずどきっとしてしまう。いつのまにかクサキ用の小さなサイズのものまで出てきている。すごい。やっぱり、魔法使いだ。
私はワクワクしながら、それでも何を聞いていいのかは分からず、二人の顔を交互に見た。
「さて」
切り出したのは、ビズムさんだ。
「クサキの嘘から、話をしようか」
さっきまであったワクワクは、すぐにどこかに飛んでいった。クサキも、ロットさんも、何も言わない。私は黙ってうなずくことしかできなかった。
「最初に謝っておくが、私達は二人の会話をこっそり聞いていた。だから、そこの少年がどういう嘘を君についていたかも知っている。私は回りくどい言い方ができないから、分かりやすく言う。彼は妖精ではない」
「そうなの? ……ですか?」
クサキをちらりと見たけれど、クサキの背中しか見えない。クサキは、ふりかえってくれない。
「じゃあ、何なんですか?」
ビズムさんは、私の質問に対してすぐに返事をしなかった。代わりにロットさんを見つめて、なあ、と唇を突き出す。
「言っていいのか、ずばっと」
「そうですねえ」
ロットさんはうーんと眉毛をハの字にしながら、クッキーを一口頬張った。
「ずばり言うと、衝撃が強すぎますが、どうしましょう。ミドリさん、覚悟はできていますか?」
「覚悟?」
そんなもの、急に言われてできるものでもない。何がくるかもわからないのに。
「覚悟、ですか……」
「いい。俺から言う」
返事に困っている私を助けてくれたのは、クサキだった。