3 夢は無いのか?
絵本をランドセルにしまって、いつもよりゆっくりと歩いて帰った。ランドセルの中にクサキがいるのに、走ることはできなかったから。でも、関係ないのかなあ? クサキに何も注意されていないから、平気なような気もするけれど、それでも念のためにとゆっくり歩く。
家に帰ってもゆっくり歩く、はずが。
「お姉ちゃん!」
「ユウ君! 待って、わー!」
弟のユウ君は、いつもこうやってとびついてくるんだった! 私が玄関のドアに背中をぶつけてしまうほど、勢いよく。いつもはランドセルがクッションになって助かるけれど、今日はランドセルの中にクサキが!
足を踏ん張る。ぎゅっと踏ん張って、なんとかドアにぶつからずに済む。
えー、とユウ君がつまらなさそうに私を見上げる。もう、とユウ君の小さな頭をなでると、陽だまりのようなあたたかさに思わず笑顔がこぼれる。四歳の子どもは太陽みたいに温かくて元気なのよ、というお母さんの言葉を思い出す。ユウ君はいつも走って、ころんで、それでも走る、とっても元気な男の子だ。
ただいま、と叫ぶと、お母さんがリビングのドアを開けて、おかえりと笑った。ユウ君は、お母さんに向かってびゅんと走っていく。
私の家は一軒家で、二階には私の部屋がある。階段をのぼると、お母さんが「もうすぐ夕ご飯だよ」と声をかけてきた。はあいと答えて、部屋に向かう。クサキ、大丈夫だったかなあ。
ランドセルから絵本を出して、そっと開くと、クサキが絵本の真ん中であぐらをかいて座っていた。大丈夫かと声をかけるよりも先に、私の部屋を見渡し、ここがミドリの家かあとのんきなことを言っている。どうやら、大丈夫だったみたいだ。
「ようこそ、私の部屋へ」
「よろしく」
言いながら、クサキはちらちらとあたりを見渡している。
何かを探しているみたいだ。図書室でおびえていた黒い人が関係しているのだろうか。
「ねえ、クサキは何を怖がっているの? 何か見えるの?」
「単刀直入だなあ」
単刀直入。この前授業で習った。たくさん言葉を知っている妖精さん。
「黒い人?」
「会ったのか?」
「会ってないよ。ねえ、その人たち何なの」
「……もうすぐ会うことになるかもしれない」
やだあ! 私は絵本をベッドに放り投げた。やめろお、とクサキが叫ぶと同時に、絵本がベッドの上で一度はねる。そのままベッドにダイブして、ごろんと横になる。
「クサキは秘密がたくさんの妖精だね」
「少しずつ話していく予定なんだ。一気に話すと驚くだろ」
「そうだね、私達まだ出会ったばっかりだもんね」
目の前のクサキをじっと見つめる。
透けた体の妖精。これが現実だなんて、いまだに信じられないけれど、でも嘘だとは思わない、変な感じ。
「クサキは絵本の妖精で、私と友達になりたいと思っていた」
横になると眠くなる。私は静かに目を閉じる。
「ミドリは休み時間に図書室にくる小学六年生で、まじめなお姉ちゃん」
「まじめかあ……どうかなあ。私、何も考えていないよ」
「どういうこと?」
「友達はね、いっつも恋の話か受験の話をしている。私はどっちの話もできない。誰かを好きだなあって思う気持ちってどんなのだろうって思うし、こんな勉強がしたい、こういう人になりたいって思う気持ちもない。みんなの方が、まじめ」
「ミドリは、夢とかないのか」
夢。
怖い言葉。
タイミングよく、お母さんの声がする。ご飯よー。
「この話はまたあとでね! ごはん行ってきます」
私は逃げるようにして、部屋を出た。
夢について、私はいつも考える。
夜に見る、不思議なものではなくて、未来にあってほしいと願う、夢。
ごはんを食べながら一生懸命考えてみたけれど、これっぽっちもアイディアが浮かばない。クサキは夢ってあるのかなあ。後で、聞いてみよう。
「夢は無いのか? そちらのほうが、都合はいい」
「ん?」
私の後ろで声がした。低い、女の人の声だ。
振り返る。そこには、誰もいない。
「ミドリ、どうしたの?」
お母さんが、心配そうに聞いてくる。
私は、壁をじっとみつめる。クリーム色の壁の前に、かすかに見えるものがあったからだ。
煙のような、粉のような、きらきらしたもの。
黒色の。
「……煙?」
きらきらしたそれは、空気に溶けていくように、消えていく。
煙? とお母さんが慌てて立ち上がったけれど、もうそのときには、黒いきらきらはどこかに消えてしまっていた。
「煙なんて、ないわよ?」
「う、うん、ごめん。見間違えた」
私はえへへ、と笑って、口の中に入っていたご飯を丸ごと飲み込んだ。
黒い何か。
クサキが言っていた黒い人に関係する何かだったら、どうしよう。
夢は無いのか? そちらのほうが、都合はいい、と言っていた。
私の話を、誰かがしていた。
ごくり、とのどが鳴る。背筋がすっと、凍った。
夢? 黒いもの? 私のことを話す声?