2 もう、友達でしょ
放課後、掃除の時間を終えて、私は逃げるように図書室に駆けこんだ。いつもいる図書室の先生に挨拶をして、端っこにある机に向かう。周りに誰もいないことを確認して、私はそっと、ランドセルから絵本を出した。
「信じたか?」
クサキは笑って、両手を振った。私はこくりと頷く。
クサキはきょろきょろとあたりを見渡した。
私は、さっきクサキが言っていた、黒い人、という言葉を思い出した。妖精は可愛いけれど、黒い人は、きっと可愛くない。
「何か見えてるの?」
「見えていないから怖いんだ、黒いやつらには注意しろ」
「やっぱり黒い人! ねえ、わけがわからないこと言わないでよ、怖いよ」
「俺だって怖いよ!」
何がなんだか。クサキが何かにおびえていることはわかった。話を変えないと、ずっとびくびくしていそうだ。
「騎士、調べたよ。辞書も引いた。草の騎士、素敵な名前だね」
クサキは、私の言葉にとても感動したようで、目を大きく開いて、しばらく言葉を失っていた。私は黙ってクサキの言葉を待つと、やがてクサキは、絞り出すように「ありがとう」と言った。そんなに感激するなんて、不思議な妖精。
「ミドリもいい名前だと思うぜ」
「……ありがと」
不思議で、変な妖精。まっすぐで素直な言葉だ。こんな子、クラスにはいない。特に最近は、みんなどこか緊張していて、特に男の子と話すとすぐに好きだとかそうじゃないとか、そういう話になってしまう。勉強の話をすると、将来と受験の話になる。クラスではいつも、恋の話か、受験をする子の勉強の話でもちきりだ。
私はそんな雰囲気がとても苦手だった。
私は、皆みたいにきらきらしていない。
「どうした、ミドリ?」
「あ、いや。ひ、ひとりで図書室なんて、変でしょ」
突然話しかけられてびっくりして、つい、いつも思っていることを口にしてしまった。
クラスのみんなは、いつも図書室にかけこむ私を、どう思っているのだろう。
例えば受験勉強で忙しいまいまいは、私の悪口を言うような子ではない。そうやって信じられる友達は何人かいるけれど、それでも、怖いものは怖い。
クサキとおんなじだな、と思う。クサキが黒い何かにおびえているみたいに、私も、暗い何かにおびえている。
いつから、こんなに弱虫になっちゃったんだろう。
落ち込む私をのぞきこみながら、クサキは明るい声で言う。
「変じゃないだろ。自分がいたい場所を知っているっていうのは、素敵なことだと思う」
「……え」
クサキを見ると、深い緑色の目が、きらりと光った。
自身たっぷりに私を見つめて、頷く。
「ミドリは変な奴じゃない。俺は知っている。いつも図書室で、楽しそうに本を読んでいた。知らない言葉があると調べる、そういうまじめなところもあるって、知っている」
「……どうして?」
「俺は、この図書室で待っていたんだ。本が好きで、まじめな人を。ミドリを見ていて、この人だって思ったから、今日、絵本と一緒に、本棚に入った」
私は昼休みのことを思い出した。
本棚から、かたんと音がして、私は振り返った。
絵本の棚じゃないところに、絵本が置いてあったことに気がついて、私はそれを手に取った。絵本のタイトルは「友情絵本」。見たことがない絵本だったから、開いてみたら──クサキがいたのだ。
夢みたいに、変な話。でも、なぜか私は、クサキの話を信じようと思った。変な私。
「どうして、私を待っていたの」
「あー……っと」
まただ。クサキは隠し事が苦手なタイプの妖精なのだろう。目を左右にきょろきょろと動かして、わざとらしく笑う。さっきもこんな表情をしていた。
「ひとりぼっちで、その、さ」
しゅん、とクサキの体から力が抜ける。目のきょろきょろがぴたりと止まる。
「さみしくて……」
とっさに口から出た言葉が、自分にぐさりと突き刺さってしまったのかもしれない。
「さみしくて、友達がほしかったの? だから、友情絵本?」
「……え?」
「友情絵本。クサキの乗っている絵本のタイトル! 友達が欲しかったから、そんな名前なのかなって」
変なことを言ったかなと思ったけれど、クサキの顔に笑顔が戻ってきたから、安心する。
「そう、俺は友達がほしかった」
クサキは、右手をすっと私に向かって差し出す。
「友達になってくれるか?」
私は、自分の右手をそっと出す。
「これ、握手できるの? それとも、透ける?」
「透ける」
透けるのに手を出すなんて、変なの!
私が吹き出すと、クサキは困ったように眉をつりあげる。
「何だよ」
「ふふ、いいの。面白い友達ができたなって」
握れない手を、それでも握ったふりをした。そうすると、心の奥に、ぱっと明るい花がさいたような気持ちになる。
「友達になろうってなるもんじゃないよ。もう、友達でしょ」
クサキは、おう、と元気に答えてくれた。
放課後、図書室の隅っこで、不思議な友人ができた瞬間を、私はずっと、忘れないだろう。そんな予感がして、わくわくした。こんなに不思議なことって、ない。それなのに、私はもうクサキのことをおもちゃだとは思わなくなっていた。彼が妖精だというのなら、そうなのだろうと信じられた。
「クサキみたいな子が同じクラスにいたらなあ」
ぽつんとこぼした言葉に、クサキは意外な反応を見せた。
てっきり、照れたり、冗談を言ったりするかと思ったのに。
クサキは目を丸くして、その場に固まってしまったのだ。
「……クサキ?」
「……いや、なんでもないよ」
ぼそぼそとつぶやきながら、もじもじと手を動かしている。
変なクサキ。
なんとなく、これ以上この話はしないほうがいいかなあ。そんな予感がして、私は窓の外を見る。夏は太陽の出ている時間が長くて、時々時間を忘れてしまう。友達と話していたらなおさらだ。
クサキとはもっとゆっくり話がしたい。
「ねえ、そろそろ家に帰ろうと思うんだけれど、絵本は持って帰っていいの?」
クサキはもちろん、と大げさにうなずく。
「持って帰ってもらわないと困る! 静かな図書室で夜を過ごすのはいやだよ」
「わかった。クサキのこと、家族には秘密?」
クサキはさらに大きくうなずく。
「絶対の絶対だ、俺のことは誰にも言わないでほしい」
なんだ、ちょっと残念。
「ユウ君……弟にだけでも」
「だめったらだめ」
ちぇ。でも、だめって言われたらしっかり守る。秘密は大事。
「わかった、誰にも言わないよ」
クサキは私の言葉に、嬉しそうに親指をたててみせた。グッド、のサイン。私は嬉しくなって、ふふ、と笑った。