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19 生き生きしてる

 下書きは、一日に一枚と少しといったペースで書いていった。一日中絵本に時間を使いたかったけれど、宿題も山ほどある。自由研究を絵本製作にすればいいよとクサキは言ったけれど、それは断った。自由研究をしているというのはただの部屋にこもる言い訳。絵本製作と自由研究は、別にしたかった。


 宿題をクサキと一緒にするのは面白かった。クサキは六年生の勉強をしていないから、興味津々で宿題を覗いてくるのだ。私は先生になって、いろいろとクサキに説明しながら宿題を進めた。教えながら勉強すると、自分の分からないところが見えてくる。


「クサキと勉強すると、私もすごく頭がよくなる気がする」


 そう言うと、クサキは笑って、次のテストが楽しみだなと言った。

 次のテストのとき、クサキとはもうお別れしている。

 私はそれが悲しくて、返事をすることができなかったけれど、クサキはもう、そうやって悲しむことを通り過ぎたところにいるみたいだった。


「クサキはすごいなあ」


 私がつぶやくと、何が、と首をかしげるんだから、本当に、クサキにはかなわない。




 夏休みがはじまって十日目。ついに下書きが完成した!

 クサキからのオーケーが出るまで、何度も何度も完成したと思っていた下書きを修正した。クサキの下書きより、さらによい案がうまれたら、そちらを採用したりもした。主人公の表情や立ち位置から、葉っぱや花がどのように風に揺られているかまで……長い長い旅だった。


「ここから色塗りだな」

 クサキが目を輝かせていうものだから、私は思わずくじけそうになる。

「夏休み中にできるかなあ」

「できるよ。色塗りは、ミドリが想像しているより、時間はかからないと思うよ?」

「そうなの?」

「下書きをしっかりしたからね」


 クサキが優しく微笑む。きっと、過去の経験から、そう断言できるのだろう。


「クサキが言うなら……きっと本当だね」

「きっとじゃなくて、大丈夫だ。あと半分ってところだよ」

 胸の奥がチクリと痛む。


 あと半分。


 悲しい気持ちを無理やり追い払って、元気な声を出してみる。

「完成が楽しみ! 用意するのは、水彩絵の具と色鉛筆でいい?」

「ああ。文字は、最後に入れよう。全体のバランスを見て、文字の色も変えていく」

「全部同じ色かと思っていた!」


 ページごとに文字も変わる絵本! なんてオシャレなんだろう。


「それとな、ミドリ。今回は下書きみたいに、一ページずつ完成させていく方法はとらない」

「え、どうして」

「ページごとに空の色とか森の色が、微妙に違ったら、気が散るだろ。だから、まずは薄い色を塗っていく。空の水色と、葉っぱの緑……いや、黄色かな」


 私の想像もつかないような方法で、クサキは色塗りをしてくらしい。


「えっと、じゃあ、花は花で、一気に塗っていく? 表紙も、中身も、全部?」

「そう。色を何度も作る必要もなくなる」

「なるほど……すごい!」


 下書きのときは、一枚一枚にじっくり、という感覚だったけれど、色塗りは、一色一色、じっくり、向き合っていくんだ。

「面白いね、クサキ。すごいよ」

「楽しいだろ」

「うん、わくわくする。何色から作ればいいの?」

「まずは、黄色。森を塗っていくぞ」


 クサキに言われ、絵の具からレモンイエローを取り出す。さらに白を足して、本当に薄い黄色ができあがる。クサキが必要だと言う量は、図工の時間で出したこともないような絵の具の量で、私はひるんでしまった。


「本当に、こんなに?」

「そうだよ、足りなかったら面倒だから、がっつり用意しておくんだ。緑色なんか、もっと使うぞ?」


 ひゃー、と私は変な声を出しながら、薄い黄色の絵の具を筆で混ぜていく。


「よし、そのくらいでいいだろう……そうだ、ミドリ。その黄色、雲にも使おう」

「雲を黄色に塗るの?」

「ほんの少しだけ。綺麗だと思う」


 クサキの頭の中にはどんなイメージがあるのだろう。私には想像もつかなかったけれど、それがまた楽しみだとも思えた。

 私は袖をまくる仕草をして、よし、と頷く。


「準備オッケー。どこから塗っていく?」




 図工の時間に何度か水彩絵の具を使ったことはあるはずなのに、最初は全くうまくいかなかった。イメージ通りにいかなかったと言った方がいい。

 クサキは、たくさんの塗り方を知っていた。最初に色を置いて、その後水だけをにじませる方法。最初に水を紙ににじませてから、色を塗る方法。色鉛筆を塗ってから絵の具で色を塗る方法もあった。


「難しい!」


 叫ぶ私は少しだけやきもきしていたけれど、クサキはそれを笑って見てくれた。

「うまくなってるって、ミドリ」

「私のせいで、紙もふやふやだよ!」


 水をたくさん含んだ絵本は、ぼこぼこと波打っている。


「それはいいんだ。わざとだよ。そうならないようにする方法ももちろんあるんだけれど、俺は、そうやって実際に塗った雰囲気を出したかったんだ」

「……クサキすごすぎる」


 そうだろう、とクサキが両腕を腰に当てて胸を張る。その姿が少し可愛くて、笑ってしまう。

 薄い色を塗っているときはなかなかうまくいなかったけれど、森の緑の濃い部分を塗るときには、だいぶ筆遣いもさまになってきた。色塗りを初めて、五日経った日の昼には、自分でも納得の色遣いをすることができるようになった。

 クサキの言っていた、下書きをしっかりとしていたから色塗りが楽、という意味もよくわかるようになった。ここを濃く塗って、ここは塗らない。そういうことがしっかりとわかっていると、筆に迷いがなくなる。

 空と森を塗ったら、妖精を縫って、切り株と花を塗る。最後に地面を塗ったところで、完成──ではもちろんない。


「全体の色塗りは終了……じゃなくて、全体の色配置が完了。ここで半分ぐらいだぞお」

 色塗りを初めて八日目。クサキにそう言われても、私の心は、もう折れそうになったりはしない。

「まかせろお」

 私の言葉に、クサキは笑う。

「たくましくなったなあ」

「私の予想だと、この後細かいところを塗っていくんでしょ。多分、絵の具だけじゃなくて、色鉛筆と鉛筆を使って」

 正解! とクサキが両手を突き上げる。

「すごいよミドリ、成長著しい!」

 どもども、と頭を下げながら、私はクサキの指示を待つ。


 まず取り組んだのは、森と地面、切り株に花といった自然物を仕上げていく作業だった。影を付け足していくイメージだ。それと同時に、白い色鉛筆で光が本当に強く当たっている部分を描いていく。


「ハイライト、って言うんだ。それを入れるだけで、すごく立体的になる」


 クサキに言われるまでは、白色を入れたら立体的になるの? と半分疑っていた私だったけれど、その効果を目の前にして仰天した。白色ひとつ、線を一本引くだけで、こんなにも違って見えるなんて。

 絵は、奥が深かった。私は楽しくなって、影とハイライトを入れていった。

 自然物の次は、人物だ。さらに細かい作業に、私は没頭した。何度か、クサキの声が聞こえなくなったほどだ。特に瞳を描くのはとても難しかった。瞳の光や影ひとつで、表情ががらりと変わってしまうのだ。

 その難しさは、楽しみでもあった。


「ミドリ、楽しそう」

 クサキが、ある日私の描く顔を見て、そうつぶやいた。

「そう?」

「うん、生き生きしてるってかんじ」

 生き生き。

「そんなの、久しぶりだよ」

 あの合唱祭の日から、そんな日、きっとなかった。

「クサキのおかげだなあ」

 私がつぶやくと、クサキは、そんなことないよ、と笑う。



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