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11 絵本完成のために

 死神さんたちは、私たちの雰囲気とか、タイミングとか、そんなこと考えてくれない。心の準備もさせてくれない。

 私がクサキに対して、決意の言葉を口にした次の瞬間にはもう、私たちは真っ黒な煙に包まれていた。


「私もう眠いんです」

「俺も眠りたい」


 真っ白な空間で、私とクサキは同時に口を尖らせた。目の前には、真っ白な机があって、私は真っ白な椅子に座っている。クサキは机の隅っこに、絵本なしで立っている。


「私だって眠い」

 机の向こう側にいるビズムさんは、そういって口を尖らせた。

「だが眠る前に、契約書だ」

「契約書に名前を書くんですか?」


 私がたずねると、そうだ、とビズムさんはうなずいて、私にペンを差し出した。真っ黒な羽根の先にインクがついている、羽根のペンだ。書きにくそう。

「なんで書かなきゃいけないんですか」

「こちらは仕事なんでね、手続きが必要なんだ」

「大変なんですね」

 羽根のペンを受け取って、机の上に置かれた紙を見る。白い紙に、金色で書かれた知らない文字がびっしりと並んでいる。


「なんて書いてあるんですか」

 私の質問に答えてくれたのは、ビズムさんの後ろに立っていたロットさんだ。

「クサキさんの夢を叶える手伝いを、ミドリさんがしますよって書いてあります。大丈夫です、サインをしたからといって、ミドリさんに何かが起こるわけではありません。仮に絵本が作れなくても」

「そんなことないです!」


 思わず大声を出してしまった。ビズムさんとロットさんが、目を丸くする。クサキも私を驚いた表情で見上げてくる。


「……クサキの、夢は、かなえます」

 もごもごと言うと、クサキは頬を真っ赤に染めて何度も嬉しそうにうなずいていた。恥ずかしい。ロットさんが眼鏡をくい、とあげて、にこりと笑う。


「そんなこと、ないですか。それは素晴らしいことです。まあ、とにかく、ミドリさんはお手伝いするだけですよって書いてあるんです。こういうのを書いておかないと、ミドリさんの魂まで一緒に旅することになっちゃうかもしれませんから」

「それは困る!」

 今度はクサキが叫ぶ。私はきょとんとするだけだ。そんな、けろっと、私の魂も……だなんて。唾をごくりと飲み込む。どんなに優しそうに見えても、やっぱり、目の前にいるのは死神さんだ。


 ペンをぎゅっと握って、紙の下にペン先をつける。インクは確かに黒いはずなのに、紙にふれたとたん、金色に光りだす。綺麗。ゆっくりと、丁寧に、名前を書く。書き終わるとすぐに、紙が勝手にくるんと丸まって、ふわりと浮いた。ビズムさんがそれを手に取り、にこりと笑う。


「契約成立だ、お嬢さん。改めて」

 ビズムさんはゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。続いてロットさんも、ぺこりと頭を下げる。

「え……え! っと、な、なんですか!」

「感謝の気持ちだ、人間の子」


 ビズムさんはゆったりと顔をあげると、私をじっと見つめた。


「君がしていることは、君が思っている以上に勇気ある行動だ。私たちは敬意を表するよ。絵本の完成を、祈っている。絵本完成のために、まずは原本を手に入れることだ」

「原本?」


 ロットさんが私に一枚の紙を手渡した。

「それは地図です。クサキさんの家に、友情絵本の原本……作りかけの絵本があります。それを取ってくることが、ミドリさんの最初にすべきことです。わからないことがあれば言ってください。すぐに対応しますので」

「では、我々はこれにて」


 ビズムさんがぱちん、と手をたたくと、あっという間に黒い煙に包まれる。いっつも勝手にいなくなるよなあ! と、クサキが叫ぶ声が遠くに聞こえる。

 煙の中で、私はロットさんがくれた紙をぎゅっと握りしめた。



 次の日の昼休み、図書室で、クサキと私は今後の予定をたてることにした。夏休みまであと一週間と少し。明日は土曜日だから、さっそくクサキの家に行こうと提案すると、クサキはわかった、と頷いた。その表情があまりに乗り気ではなさそうだったから、私は思わず聞いてしまう。


「明日じゃないほうがいい?」

「弟さん、大丈夫? 怪我したばっかりで、手伝うこととか」

「そう……だよね、じゃあ、お母さんに聞いてみて、いいよって言われたら、行ってみる」


 おう、と答えるクサキの表情は、どこか曇っている。


「行くの、嫌?」

 するとクサキは、いや、と困ったように頭をかいた。


「違うんだ、できるだけ早い方がいいとは思う。ごめん、なんだか緊張するというか……心の準備ができていないというか。でも、心の準備は多分ずっとできないと思うし……」

「そうだよね……」


 クサキは絵本の上に寝転んで大の字になると、ぼんやりと宙を見つめた。


「家には父さんがいると思う。父さんに、絵本のことは話してないんだよね。俺のもちもの、全部捨てていて、本物の絵本も無くなっているかもしれない」

「そっか、お父さんには秘密だったんだね」

「秘密っていうか……何でもかんでも、親に話さないだろ?」


 確かに、と私は笑った。

 私も、お母さんとお父さんに言っていないことがたくあんある。大きくなるにつれて、少しずつ増えてきている気がする。

 合唱祭の日のことも、家に帰って何も言わなかった。

 もしかしたら、お母さんもお父さんも、ユウ君だって気がついているかもしれないけれど、家族からは何も言われていない。


「秘密にしてるのも、いいよね」

 私が言うと、今度はクサキが笑って、わかる、と言った。

「明日は、その秘密を、打ち明けることになる。父さんはどんな顔をするかな。驚くかもしれないし、案外知っているかもしれないけれど……話してしまっていいから」

 私は、わかった、と頷いた。


 昨日、ゆう君が階段から落っこちたのを思い出す。思い出して、クサキのことと、クサキのお父さんのことを考える。きっと私にはわからないことだらけだ。

 ロットさんからもらった紙を改めてみる。私の行ったことのない駅の名前と、そこから少し離れたところにあるクサキの家。


「どうやってこの駅に行けばいいんだろう……」


 ぽつんとつぶやくと、地図の右下に、黒いしみがポツポツと現れた。

 ぎょっとして見つめていると、そのしみはやがて線になり、文字になった。私の家からすぐの最寄り駅から、何に乗って、どうやってクサキの家の最寄り駅に行けばいいかが書いてある。丁寧に、時間と料金までしっかりと記されている。

 ロットさんは言っていた。

 わからないことがあれば言ってください。すぐに対応しますので。

 クサキがむくりと起き上がり、地図をのぞきこんで苦笑した。


「死神って、電車の乗り換えまで把握してるんだな」

 クサキは笑いながらすぐに横になって、また大の字になったまま、ぼんやりと宙を見つめていた。私も、そこから何も言わなかった。チャイムがなって、教室に戻って、まいまいが今年は誰が合唱祭の代表になるかなあ、夏休み明けが楽しみだね、と話しかけてきたけれど、そうだねえ、と相槌をうつことしかできなかった。


 明日、私はクサキの家族に会う。

 どんな気持ちになるだろう。


 想像も、できなかった。


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