彼女は接客上手
カーペットは意外と寝心地がいい。
いつの間にか寝ていたらしく、映画はメニュー画面に戻ってしまっていた。寝相の悪さからカエルの抱き枕は部屋の端に転がっていて、想定外の女子力の低さに愕然とした思いである。
女子力と言えば――
スマホを握りしめクローゼットを開け放つ。
いくら私が男みたいな生態だとしても女性らしい服がないわけじゃない。スーツはスカートだし、レギンスも何着かは持っている。フリル付きのスカートも実は一着だけもっていたりする。彼氏がいた時代に買ったものだが、家族にはコケにされ元カレにはなぜか心配された苦い思い出が詰まっている一品だ。
問題は彼女と対面するためにそれらがなんの役にも立たないということだ。おそらくは当日も相当可愛い恰好でくるだろう。日付はまだ決まっていないが、夏になる前ならおそらくは茶色のニットカーディガン。
何着かベッドの上に放り投げると、ベッドが黒く染まってしまいどこか面白かった。
一応洗濯機の中には昨日来ていた茶色が目立つシャツとパンツが入っているが、それはNG。いっそ双子みたいな恰好で合わせたい。
財布の中身を確認してベッドの上から適当にチョイスして残りはクローゼットに戻した。
服を買いに行こう。
タバコを一本吸ってから身支度を整え始める。
時計は昼の12時を指していた。
ついでに見終わってしまったレンタル映画をもってアパートを出た。通学に使っている原付バイク。高校時代から乗っているものなので慣れたものだ。一応普通二輪も持っているがバイクは高くて手が出せなかった。大学を卒業した兄もいたし、私も大学受験を控えていた時期だ。どれほど両親の負担になっているかなどさすがに子どもでもわかる。
最初は家が貧乏なのだと思っていた。
駅もない田舎で年期の入った日本家屋。
囲炉裏はなかったが掘りごたつはあった。ついでに物置になっている蔵もあった。加えて水道関係の修繕すら自身で行う父の姿を見て、あぁ、うちって貧乏なのだなと思い込むのはしかたないことである。
ちなみに田舎の日本家屋と言っても武家などではない。
レンタルショップと服屋で買い物を済ませると、すでに夕日がまぶしい時間帯になっていた。空腹具合から昨日のカラオケ以降なにも口に入れていないと思い出す。冷蔵庫の中身は思い出せなかった。
散財するのもどうかと思うが、生ものが増えるのは一人暮らしにとって避けたい案件だと、最近腐りかけのトマトを食べて腹を下した私が言うのだから間違いない。
一番後腐れのない外食をしよう。ファミレスか定食屋か、一人飯、一人カラオケ上等である。伊達に車でも三十分かかる通学路を三年ほど独走していたわけじゃない。
目に付いたファミレスにバイクを停めて、荷物はまとめて座席の下のトランクへ。皺になる可能性もあったがもともとの折り目もあるのだ、皺になったとしてもきっと目立たない。
バイクの半ヘルは持ったまま入店した。高校のときにハンドル部分に引っ掛けていたヘルメットを盗まれたことがあって肌身離さず持ち歩くことを心掛けている。トランクに入れればいいだけの話ではあるが、面倒臭がり屋がここに一人いるだけだ。
「いらっしゃいませー」
男性店員に人数を聞かれる前に人差し指で返事をする。喫煙のほうはすべて空席で助かった。最近では完全禁煙のファミレスも多いと聞くが、そうではなかったことに安堵した。
案内しようとする店員を片手で制し、勝手気ままに適当な席へ腰掛ける。どうせ四人席しかないのだから、端のテーブルを陣取れば問題もないだろう。夕方前で客もほとんどいない、そんな時間だ。
真っ先にタバコに火を点け一息つく。やっていることは見事に中年のオヤジだろう、店員が運んできた水を口に含みながらメニューを眺める。
寝不足ではなかったが床で寝ていたせいだろうか、あくびを何度か噛み殺し、糖分も欲しいなとデザートコーナーも吟味する。むしろこちらがメインだ、我が家ではおやつと言えばせんべいとどら焼きだったが、やはり洋菓子こそ至高。
「こら、あくびすんな」
思わずメニューから目を逸らせて周囲を確認する。
声はさきほどの男性店員のような気がしたが、客をそんなことで注意するわけはない……とは思いつつ気になってしまう。本当に私に言っていたらどうすればいいだろう。
声色のとげとげしいものはなかったから、おそらくは仲のいい店員に声をかけた程度の……。
レジ前で笑いあう二人の男女。
一人は男性店員。
そしてもう一人は――彼女だった。
まだ親元を離れて二か月。私はいまだに母親の手料理が恋しく、夜はだれかと話がしたくてたまらない、そんな一人暮らしだというのに。私よりも小さくて弱そうな彼女は、働きだしていたのだ。
ストライプ柄の白いシャツにタイトなスカートで身を包み、いつもふわふわさせている茶髪は頭の後ろでお団子にまとめている。見慣れない彼女――。
今朝方まで私と連絡を取り合ってくれていた、カラオケ上手の彼女のバイト先がここらしい。
乱れそうになる呼吸を沈め、まずは曜日と時間の確認をする。
日曜日。17:25。
なるほど、来週も来よう。
見たところ店員は二人だけ。どうする、呼び鈴鳴らすべきか。どっちが来る、どっちに来てほしい。そりゃ彼女だ。だが――自分の服装を見て愕然とする。真っ黒なのだ。せめてものあがきとして上着を脱いでTシャツ姿になる。パンクな英語が書かれているシャツは白地だったので白黒姿になった。
震える手で灰皿に置いたタバコをもう一度咥える。
あ、今日スッピンだ。帰りたい。
残念ならがメイク道具の類は持ち歩いたためしがなく、色付きリップも家にある。ちらりと彼女を盗み見ると綺麗にチークがのっていた。可愛いなぁ。
その間にも何人かの客がやってきては、二人は落ち着いて対応している。彼女が同い年だとは到底信じられない接客能力の高さだ。赤ん坊やもう少し上の子どもを抱えたお母さんたちが退店するときには「また来てくださいねー」と手を振っている。
すごいなぁ、と間の抜けた感想を抱いていると、男性店員が喫煙のほうへ歩いてきた。あ、うん、注文ね。デザートはまた今度にしよう。
押せずにいた呼び鈴ボタンから手を放し店員に注文を伝えた。その間にチラチラと私を覗き込む男性の視線に、おそらく女性であると伝わったのだと勝手に認識する。さすがにシャツ姿なら男女の差がはっきりするのだろう。
通路側のテーブル端にまだ水が七割残っているグラスを置いて、自分は隠れるように奥の壁に寄り掛かった。もう注文も済んだのだ、あとはミックスグリルの到着とレジだけが彼女と接触する機会になる。なら、いっそなかったことにしようと決めたのだ。
来週のこの時間にオシャレな大人の女性を演出し、「あら、ここでバイトしていらっしゃったのね」と爽やかな笑顔で彼女に注文を受けてもらおう。それでいこう。
――浅知恵もいいところだと笑ってほしい。
「ご注文お待たせいた……し、ました」
身を隠して五分後、私と彼女とはバッチリ目が合っていた。普段から大きい瞳がさらに大きく開かれる。
時間にすれば一瞬だろうが、この気まずさはしばらく引きずるものだ。
料理をテーブルに置きながらぱちぱちと目を瞬かせる彼女の笑顔が引きつっていく。私としても大変に遺憾なのだ。大人の私計画はたぶん一生とん挫するし、こんな格好を見られたからには彼女をこのまま帰すわけには――。
ピンポーンとどこかのテーブルで注文が入ったらしい。男性店員も仕事はしているがすこし混んできた印象がある。
残心といったか、彼女は視線だけは私を見つめたまま上体を起こす。チラと店内を見渡すと、私の伝票を備え付けの伝票入れに突っ込んでもう一度私を見た。
「あの! あとで!」
禁煙のブースへ戻っていく彼女のお尻を目で追って、もう一本のタバコに火を点ける。
見事なオッサンがここにいる。
オイルライターの点きが悪くなっているような気がするのは、私の手が震えているからか。これはひどい羞恥心だ。
一本吸い終わる頃には鉄板の上で暴れていた油も落ち着いて、肉も揚げ物も表面は完全に冷え切っている。ごはんも乾燥して皿に張り付いていた。洗い物が彼女の担当だとすれば悪いことをしてしまった。
一人の食事には慣れたものだが、誰かと食べることがどうでもよくなったわけじゃない。ふとした瞬間、家で皿を洗っているときとか泣いてしまいたくなることもあったが、今日は彼女に料理を運んでもらえて嬉しかった。外食にして良かった。
「あの……えっと」
揚げ物を頬張っていたところ彼女の声で顔を上げた。見れば水差しを手にもって、おずおずと私を見ている。怯えている可能性もあるが、どちらかと言えば一人飯を慣行するクラスメイトが職場に遊びに来たことで戸惑っているように見えた。
そして中身のほとんど減っていないグラスに水を足してくれる優しさ。どうにか「ありがとう」とだけ言えたが、コミ症なもので会話のパターンが非常に乏しい。いつもは快活な彼女であるがほとんど接点のない私が相手では陰りがみえる。
大学以外で彼女と顔を合わせたのはこれで三回。
一度目は四月に行われた顔合わせと委員会・部活動の勧誘を合わせたオリエンテーションの打ち上げ。私は結局どこの部活にも所属していないが、それとは関係なく二次会のようなものが開かれ、三十人以上の新入生と、同数ほどの先輩方でカラオケに行った。
彼女は社交性の高さや愛嬌の良さ、そしてカラオケ上手ということからほかの部屋をたらい回しにされていた。
私と言えば男の先輩の自分自慢を二時間ほど聞かされ続けるという苦行を経験した。もっとも彼女がその日移動した部屋数を聞けば、お遍路かなにかかと勘違いされるかもしれない。
二度目は六月で、昨日のカラオケだ。一週間はあっただろうゴールデンウィークが過ぎても友人ができず独りで行動することの多かった私が、当日になって声をかけてもらった。それ自体はクラスメイトの男子だが、そのときグループには彼女もいたのでとくになにも考えず了承していた。
つまるところ、彼女と面と向かって、しかも一対一で会うことは初めてなのでなにを話していいかわからないのだ。
いや、聞きたいことはいくらでもある。だが仕事中の彼女に全部聞けるわけがないし、変なことを聞いて「なんだこいつ」と思われるなんて絶対に嫌だ。
口の中の揚げ物を入れてもらったばかりの水で流し込み、さしあたって質問ではなく謝罪で会話することにした。
今朝方まで連絡を取り合っていたのに、思えば昨日のカラオケルームでダンスの邪魔をした謝罪をしていなかった。もっとほかにやりようはあったはずなのに、あんな怯えさせかたしてしまったのは私の落ち度である。
「いいの! いいの全然! 踊れてなかったし! 邪魔だったよねー」
彼女の弁を慌てて否定したのだが、すぐに降りてきた沈黙。
やはり質問にすべきだったといまさら後悔している。これは今日寝る前に「あー!」ってやるやつだ。
お互いにやはり気まずく、どこかのテーブルで注文が発生すると彼女は「またね」と行ってしまった。
彼女は歩み寄ろうとしてくれていたのに、それを否定してしまったような気持ちになる。食事だけ済ませ、私はさっさとレジに向かった。会計は男性店員だったがまたもチラチラ覗き見られた。残念ながら彼女の友人になれなかったただのクラスメイトです。
私たちの学科は五十人程度だったので、つまるところ私は彼女にとって1/50の存在なのだ。そこで満足すれば彼女を傷つけることはない。
接客をこなす彼女は出ていく私を見て笑ってくれた。
店内には二十人もいないだろう。
来週も来ようと思ったがやめておくことにする。私はクラスメイトの一人で満足するべきなのだ。