親友は悪役令嬢
「レベッカ・アップルフィーユさん? ちょっとついて来てもらえないかしら」
編入初日、金色の縦巻きロールの女の子に呼び出された。本来疑問符のつくべき文末には断定口調しか残されず、内心ため息を飲み込んでそのお嬢さまに従う。
周りはちらちらと好奇の視線を送るだけで、誰も助けてはくれない。取り巻きに複数の令嬢を従えた彼女はどんどん人気のない廊下を進み、恐らく誰も来ないであろう辺鄙なトイレの前まで連行された。
「あなた、ルカ様にお声をかけられたからといって、調子に乗っているのではなくて?」
縦ロールお嬢さまの一声を皮切りに、取り巻きたちからも鬱憤不満が吐き出される。
ルカ様というのは、編入生である私に学校案内をしてくれた、この国の王子様だ。そして今、私を糾弾している令嬢たちの中心人物が、そのルカ様の婚約者のダイナお嬢さまだ。
編入初日なのに詳しい?
当然だ。何せ私は、この乙女ゲームの世界に転生してきた主人公ちゃんだからだ。
「聞いていますの!?」
一層大きな声に怒鳴られ、はたと意識を戻す。
初日イベントのこれは洗礼のようなものだが、私にも言い分はある。敵意に染まったダイナ様の目を見詰め、閉じていた唇を開いた。
「折角のご忠告をいただいて申し訳ないのですが、私には既に心に決めた方がいます」
「この期に及んで、そのようなでたらめをいいますの!?」
手にした扇子がぎしりと歪みそうなほど力を込め、悪役令嬢様がこちらを睨みつける。
ふはは、でたらめと言うか。
……でたらめだと? 私のこの積年の想いをでたらめだと? 言ってくれるじゃないか。
「私には長年恋い慕っているお兄さんがいます。本当は学園にも来たくなかったのですが、お兄さんに励まされたので渋々通うことにしました。何故ここは全寮制なのでしょう? 私は片時もお兄さんと離れたくないというのに。けれども卒業したらお兄さんと挙式を上げる約束を一方的に取り付けましたので、頑張ります。ですがこうしている間にもお兄さんの周りを毒虫が漂っているのではないかと思うと気が気でなく……ああっ、一分一秒一瞬でも早く故郷へ帰ってお兄さんの元へ向かいたい! お兄さんのいない空気がこんなにも辛いだなんて! 私は首都に指輪を買いに来ただけ、指輪を買いに来ただけ、指輪を買いに来ただけ……」
「自然に発狂していくの、やめてくださいませんこと?」
荒立った呼吸を整えていると、令嬢たちが完全に引き切っている顔でこちらを見ていることに気付いた。誰ともなく、「もう行きましょう?」小声でやり取りがなされている。
やっちゃった!? 初日からやばいやつ認定されてしまった!?
「と、とにかく! 私はルカ様へ取り入ろうなどと考えていません!!」
「ま、まあ、そうね……。あなたの想い人への気持ちも、まあ一部分だけですけど共感出来ますし……」
「わかってくださいますか!?」
「一部分だけよ!!」
そっぽを向いてぶつぶつ呟いたダイナ様に、目を爛々と輝かせてにじり寄る。しかし即座に身を引かれた。おのれ、侮れない運動神経だ。
正直私も、乙女ゲームの枠外にあんな素敵なお兄さんがいるだなんて思ってもみなかった。幼い頃にご近所さんとして知り合って、その日から私の夢は『お兄さんのお嫁さんになること』だ。一瞬たりとてぶれたことがない。
確かにこの乙女ゲームのことは好きだった。しかし、しかしだ。お兄さんの魅力には敵わない。
「今も恋焦がれる想いに、正気がじりじりと焼き切れそうなんです」
「ま、まあ、わからなくもないわね……」
「手紙を出しても、埋められない時間と距離が、克明に私に現実を突きつけてくるんです!」
「それは……辛いでしょうね」
「会えない時間が恋を燃え上がらせるなんて、幻想です!! 私は一瞬たりともお兄さんから離れたくないのに!!!」
「……前半は理解出来るわ。けれども、後半は相手へとっての重荷でしかないわ。弁えなさい」
「!?!?」
ダイナ様が放った一言に、雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
私、今まで自分の欲求にしか従ってこなかった……! こんなにも焦がれて止まないお兄さんの都合、考えてこなかった……!!
音速で令嬢の華奢な手を握る。短い悲鳴が上がったが、聞かなかったことにする。真っ直ぐな眼差しで彼女の目を見詰めた。
「先生と呼ばせてください」
「い、嫌よ……!! 何故わたくしがあなたなどに!!」
「今、私はこれまでの自分の過ちに気付けました! それはダイナ様、あなた様のおかげです!!」
「気安く名前を呼ばないでちょうだい!」
真っ赤な顔を背けたダイナ様が、鼻を鳴らして手を振り払う。いやしかし! 私は諦めないぞ!!
「ダイナ様! 今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!!」
「だから嫌だといっているでしょう!? そのような押し付けがましい態度が、レディとしてなっていませんの!」
「なるほど!!」
「わ、わたくしとしたことが……!!」
ついつい口を出してしまったダイナ様が、悔しげに震える。悪役令嬢であるはずの彼女は、実はいい人なのかも知れない。
満面の笑顔で差し出した和平の手は、きいっ! 叫んだ彼女によって払われた。
あれからダイナ様とは仲良くさせてもらっている。ダイナ様はあれだ、所謂ツンデレだ。
私の顔を見るなり嫌そうな顔はするが、何だかんだ小言を言いながら世話を焼いてくれる。これには王子様もにっこりだ。今までダイナ様を敬遠していたルカ王子様が、ちょこちょこダイナ様へちょっかいを出すようになったのだ。
だがしかし! ダイナ様の親友ポジションは譲らないからな!!
さて、今私は、ダイナ様の机の前を陣取っている。ダイナ様の前の席の子、ごめんね! 借りるよ!
そしてダイナ様の右隣の座席に、ルカ王子が座っている。当然そこはルカ様のお席ではない。そのことを証明するかのように、ダイナ様は必死に左側へ顔を向け、にこにこ頬杖をついているルカ様から顔を背けていた。
何なの、照れ屋のダイナ様可愛いじゃないか……。
「あっ、アップルフィーユさん? 今日はどうされましたの?」
困惑の極みに達したらしい。いつもは私がしつこいくらいに話しかけなれば聞いてくれないダイナ様が、ご自身から話を振ってくれている。内心スタンディングオベーションしながら、ルカ様を置いて口火を切った。
「聞いてくださいダイナ様! 実はお兄さんからお手紙が届いたのです!!」
「あら、朗報ではありませんこと」
「それがっ、お兄さんが文面で、『会わせたい子がいる』と書かれたのです! 私、相手が女狐じゃないかって不安で不安で……!!」
「女狐って断定しちゃうんだ……」
ルカ様が何か言っているが、気にしない。
そうなのだ。将来を誓い合ったお兄さんが、手紙にそんなことを書いて送ってきたのだ。
お兄さんはとても美人だ。6歳年上の彼が悪い女に騙されていないか、いやお兄さんの顔立ちなら間男だって考えられる。とにかく私は堪らなく不安なんだ。一刻も早く故郷へ帰りたい。授業なんかやってられるか!!
「盗んだ馬で走り出したい……っ。お兄さんに会いたい……ッ」
「落ち着きなさい。同級生から窃盗犯を出すわけにはいきませんわ」
「ですけどぉ……、わざわざ『会わせたい子』ですよ? 『子』ですよ!?」
涙目でダイナ様の机にしがみつく私を、心持ち引いた目で見下ろした悪役令嬢様が、しばし考え込む仕草をする。ルカ様はあれだ。完全に引き切った微笑みを浮かべてらっしゃる。彼と私の恋愛フラグは断絶された。しめたものだ。
「……お手紙を書きましょう。突撃するなんて、レディらしくありませんわ」
「なまぬるくありませんか!?」
「いいから、淑女らしく文を送りなさい!!」
白い便箋を叩きつけたダイナ様の気迫に押され、渋々ペンを握る。採点してもらうため、いくつか文面を作成してみた。
「……どうでしょう、ダイナ様」
差し出した文面へ目を落としたダイナ様の表情が、見る見る険しくなっていく。隣からひょこりとルカ様が便箋を覗き込み、その素敵なお顔を引き攣らせた。辛抱堪らんとばかりに、ダイナ様が縦ロールを震わせ顔を上げる。
「何ですか、この文章は!? これでは脅迫状ですわ!!」
「心情をありのままに語ったものです!!」
「ご自身で見直してみなさい!!」
えー。心を込めて書いたのに。
不貞腐れた胸中で、叩きつけられた自身の作成した恋文を読み直した。
作文1
『
お兄さんへ
お兄さんに会えない日が続いていますね。寂しくて堪りません。
ところで、会わせたい子とは何処の馬の骨ですか? あ、女狐でしたらすみません。
二度とお兄さんへ近付かないよう、お灸をすえますので、詳細を教えてもらえると助かります。
必ず、生きていることを後悔させてやります。
お兄さん、待っていてくださいね。
』
作文2
『
今すぐ馬を盗んでお兄さんの元へ向かいたいです。
この手紙と私、どちらが早くお兄さんのところへ届くでしょう? 楽しみですね。
お兄さんは何も心配しないでください。
お兄さんを誑かすものは、全て私が消し去ります。
』
作文3
『
お兄さん、会わせたい子とは誰ですか?
呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる
』
「何処がダメですか!?」
「全部ですわ!!!」
「三つ目のなんて、呪詛じゃん。お兄さんに何送るつもりなの?」
顔を上げた私へ、ダイナ様がお怒り、ルカ様が指摘する。
む、なるほど、確かにこれでは呪詛だ。ついつい私の中で眠る地獄の門番が顔を出してしまったらしい。三番目にバツ印をつけた。
「わたくしは窃盗を禁じましたし、淑女らしくとも言いましたわ!」
「うえええっ、一番目はそこそこいけてるじゃないですかあああ」
「『必ず、生きていることを後悔させてやります』と宣誓してどうするのですか!?」
「だってー! だってー!! 嫉妬の炎がああ!!!」
「お黙りなさい!!!」
ダイナ様ならわかってくれると思ったんだ! 何せ編入初日にトイレ前でリンチしかけた張本人だもん!! 素質は十二分にあるもん知ってるんだもん!!
机を叩いたダイナ様が頭痛に耐えるような顔をする。お叱りの言葉を吐き出そうと開かれた口を、横からルカ様によって遮られた。その素敵なお顔を組んだ頬杖に乗せて、何てあざといポーズなのかしら……!
「ダイナが手本見せてあげたら?」
「……はっ、はい??」
「手紙とかさ、用例があった方がわかりやすいし」
「そうですよ、ダイナ様!!」
「あなたが偉そうに言えた義理ではありませんわ!!」
顔を真っ赤に染めたダイナ様が、しかしはたと口を閉じ、視線をさ迷わせる。悠然と微笑むルカ様はダイナ様の一挙一動を楽しんでいるようで、後押しするように、ね? 囁いていた。
こら、リア充。今私がダイナ様とお話してるんだからね!!
「……わ、わかりましたわ。少々お時間をくださいまし」
「うん」
ふん、と高飛車に鼻を鳴らした悪役令嬢様が、染まった頬を背ける。教授を受けるのは私のはずなのに、ルカ様が嬉しそうに頷いた。
つんつんと背けていた顔を机へ戻し、ダイナ様が便箋へ向き直る。真剣な面持ちでペンの背を唇に当てた彼女が、意を決したのかペン先を紙面に載せた。
『
拝啓 ゆく秋の寂しさ身にしみるころ
お手紙拝読いたしました。お忙しい身であられますのに、文をお送りくださり、ありがとうございます。
先日の満月はご覧になられましたでしょうか? とても美しく、貴方様の元へ繋がっているかのようでした。
今度は、是非お傍でと、夢見てしまいます。
お話にあられました、ご紹介いただけるお方との面会、楽しみにしております。
どのようなお方でしょうか? 私の存じている方でしょうか。詮索してしまい、申し訳ありません。
どうかお身体壊されませんように。遠い地よりお祈り申し上げます。
敬具
』
「どうでしょうか……!!」
「物足りません!!!」
「あなたのは押し付けがましいのです! もっと淑やかにおなりなさい!!」
読み取った文面は奥ゆかしい難しいもので、抗議を上げた瞬間机を叩かれた。
えーん! ダイナ様もっと個性を爆発させてよー!! 原作では私に水かけるくらいしてたじゃんかー!!
便箋を手に取り、黙読したルカ様が、にっこり笑みを浮かべる。「ダイナ」呼びかけた声は優しかった。びたり、ダイナ様の動きが止まる。
「これ、誰を思い浮かべて書いたの?」
「だっ、だっ、誰かなど……! わ、わたくしがお慕いしているお方は、たったひとりですわ……!」
「うん。だから、誰?」
「――ッ!!!!」
にこにこ、無害な微笑みで確実に言質を取ろうとするルカ様により、手玉に取られたダイナ様が首まで真っ赤に染まる。派手に椅子を鳴らした彼女が立ち上がった。
「わっ、わたくしっ! 少々、用事がっ!!」
「あと5分で予鈴鳴るから、それまでに戻ってきてね」
「し、失礼、いたします!!!」
真っ赤な顔を覆って走り出したダイナ様が、風とともに教室を飛び出す。淑女云々言ってられないくらい彼女を追い詰めた犯人をねめつけた。
「……ルカ様、意地が悪いですよー」
「最近のダイナ、かわいくって、つい」
「ダイナ様は元から可愛いんですー。これだから男子はー」
「あはは。確かに、見る目なかったね」
苦笑いを浮かべたルカ様が、甘ったるい眼差しで便箋を見詰め、私の方へ差し出す。うっかり疑問に顔を顰めてしまった。
「ほら、今の内に写しなよ」
「ええー、ですけどー」
「これ、好きな子からもらったら、男の子絶対嬉しいから」
「本当ですかー?」
「うん。僕は嬉しい」
「のろけやがって」
半信半疑で文面を写し取り、自分の書いたものと見比べる。……大人しすぎない? これじゃ女狐抹殺出来ないじゃん。
「ダイナ、この手紙くれないかなー」
「試しに三ヶ月くらい離れてみたらいいですよ。私みたいに」
「えー。それは遠慮するー」
「いちゃつくなリア充。ダイナ様は、私の親友ですからね!」
「りあじゅう?」
尊大に鼻を鳴らして席を立つ。本来の席の持ち主が困ったように笑っていたから、申し訳ない笑みでお礼を言っておいた。ルカ様も立ち上がり、爽やかな笑顔でお礼を述べている。予鈴が鳴ったため、各々の席へ解散した。
ダイナ様は本鈴一分前に教室へ駆け込み、肩で息をしていた。9分ではルカ様ショックを癒せなかったらしい。よろよろと机についた彼女は、便箋に残された筆跡に再び爆死していた。
おのれルカ様。ダイナ様のこと弄びやがって。