表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

くるま今昔物語

作者: 各務原逍遥

 今からほぼほぼ四十八年前というと、高度経済成長期の時代、

一宮市内ではけっこう大きな時計店に勤めていた。職種は時計

の販売ではなく、時計全般の修理をしていた。

 その店の決まり事の一つに、こんなのがあった。

『車の免許取得にかかった費用はすべて会社が負担します』

 という嬉しい事項があった。ただし、半年が経過しないとそ

の効力がなかった。

 こんな訳で半年後、車の免許を一発で取り、次は車を手に入

れなければという流れは自然の思いであろう。乗りつけた最初

はボディに擦り傷を付けたり、ぶつけたりするだろうから、中

古車にしようと、ニッサンサニースポーツ1000cc、白の

セダンタイプの車を、流れに竿さすように買った。

 

 今でもこの車を買った時のことをよく覚えているが、親戚の

家が車関係の仕事をしていることもあって、程度のいい車を探

してもらっていたところ、見つけてくれたのがニッサンサニー

であった。そして直ぐに買うことを決断し、キャッシュで購入

した。

(現在もそうであるが、分割払いはなぜか嫌いである!)

 車を購入と同時に、メンテナンスが解説された、『サニーの

日曜整備』という本を買った。

 この本が、本棚を整理している時に、長年の眠りから目覚め

たのである。その中に挟んであった一枚の懐かしい写真が時を

忘れたかのように見つかった。最後のページには、車の購入日

と値段までご丁寧に書かれていた。

 それによると、

〝昭和四十五年(一九七〇)六月十日購入。24万5千円〟

 間違いなく本人の筆跡で書かれていた。写真は、車にもたれ

ている自分が、カメラ目線で澄ました顔で写っている。

(もちろんカラー写真です……念のため……)

 写真の裏をみると、

〝昭和四十五年九月 家の裏で撮影〟

 とある。つまりこの写真は、車を購入した三ケ月後に記念と

して撮ったことになる。

 おそらくこの本は、待望の車を手に入れたということもあっ

て興味を持ち、エンジンの構造や性能を知ろうと思ったに違い

ない。なぜなら、小さい頃から機械にしこたま興味を持ってい

た。その流れで時計修理を希望したのである。

 

 その甲斐もあって、本を読みながら自ら車の点検を定期的に

行っていた。バッテリー液やエンジンオイル、タイヤ、ファン

ベルトの点検はもちろん、四本のスパーク・プラグ(点火栓)

の掃除では、ワイヤーブラシでカーボンを取り除き、ギャップ

を、0.7~0.8ミリに調整をする。ディストリビュータの

キャップとローターの掃除。エアクリーナーの掃除などなどは、

慣れたものであった。そのおかげもあり、バッテリー交換、四

本のプラグ交換、オイル交換などは自分で行ない、車のメカニ

ズムにけっこう強くなった。

 

 本の中から見つかったのは写真ばかりではなかった。

 銀行でもらった小さなメモ帳には、当時付けていた車の走行

記録やドライブメモが、事細かに書かれていた。どうもこの頃

から機械的なこと以外にも細かなことが、やぶさかではなかっ

たようだ。

 車の購入日が四十五年六月十日だから、同月三十日(火)か

らメモ書きは始まっていた。

 そこには現在の走行キロ数。どこへ誰とドライブをし、目的

地までどれだけの走行キロ数があったかとか、ガソリンを何リ

ッター入れたとか、(当時のガソリンは、リッター50円とあ

る)オイル交換、タイヤ交換、ランプ交換、ワイパー交換をい

つしたとか、十一月二日(月)には、この頃付き合っていた彼

女と京都へドライブしている。その後も福井の東尋坊、長野の

白樺湖、滋賀の琵琶湖へと走っている。

 その時のことが懐かしく走馬灯のごとく思い出される。車が

デートには欠かせないアイテムであったことがよく分かる。


 四十六年六月六日(日)から会社通勤に車を使うようになり、

会社までの走行キロ数や、フューエルメーターの図まで書いて

あり、現在指している針の位置まで描いてあった。

 よくもこれだけ細かに書いたものだと、感心するやら呆れる

やらである。

 これがずっと続き、四十七年八月一日には、二台目となるサ

ニークーペ1200cc、色はダークブルーの新車に替え、メ

モ帳に挟んであった栞を見てみると、彼女と奥比叡ドライブウ

エイを走っている。またそこには普通車100円の駐車証が二

枚あったが、日付が同年八月七日と十四日になっており、二回

奥比叡ドライブウエイを走っていることになる。しかし、一回

は覚えがあるのだが、二度走っているとは本人は覚えていない。

 その後もメモ書きはずっと続き、四十八年一月十五日(日)

成人の日(当時は十五日が成人の日であった)で、記録はプッ

ツリと終わっている。

 ただ十九日の日付で、9012キロと、走行キロ数だけが書

いてあった。今となっては、なぜここで止めてしまったのかは

滅法界覚えていない。

 ちなみに、今までに乗った車の中で、走った総距離数ではサ

ニークーペが一番多い。(若かったこともあるだろうが……)

 確か、地球を一周すると4万キロだから、地球を三周した距

離を走っている。

 

 これを書いている時に思い出したのだが、今の車には装備さ

れていないものが、昭和の時代には装備されていたものを、い

くつか挙げてみることにしよう。

 

 フェンダーミラー……現在はドアミラーだが、当時はボンネ

ット横に付いていた。サニーセダン、クーペもフェンダーミラ

ーだった。

 三角窓……運転席と助手席の窓には、開閉が自由な三角窓が

付いており、角度を変えて外の空気を取り入れていた。サニー

は、エアコンが付いていなかったため、風を入れて暑さを凌い

でいた。

 チョーク……ハンドル近くに付いており、これを引くことで

ガソリンが濃くなり、エンジンがかかりやすくなる。温まると

戻して使っていた。

 レギュレターハンドル……今はパワーウインドウだが、窓を

開閉するときに使用した手回しのハンドル。何度も回している

と、ポロンと取れることもあった。

 シガーライター……たばこ用の電熱式着火装置で、これを押

して熱くなると自動で押し戻されたが、使ったことはない。

 灰皿……たばこは吸わなかったので、小銭やカードなどをこ

の灰皿に入れていた。

 スペアタイヤ……今はパンク修理剤が付いているが、応急用

のスペアタイヤを積んでいた。

 速度警告ブザー……100キロを超えると、キンコンと警告

音が鳴り、耳ざわりであった。

 シートカバー……新車には必ず白いレースのシートカバーが

付いていた。が、それを外してお気に入りのTシャツをカバー

にするのが、この時代のステイタスでもあった。

 アンテナ……ラジオ用の受信アンテナが、フェンダーの上に

付いていた。車内にあるスイッチで上げ下げの操作が出来た。

 

 音楽好きであったこともあり(今でも音楽は欠かせない)車

にはなくてはならないもの、それはカーステレオデッキであっ

た。

 当時は、8トラックカートリッジ(8トラと呼んでいた)と

いうエンドレステープで音楽を聴いていた。

 最近復活してきた、カセットテープは4トラック2チャンネ

ル方式であるが、8トラは8トラック4チャンネル方式で、カ

セットテープに比べると、大きくて厚みもあったが、それでも

助手席ダッシュボードの下になんとか取り付けていた。


 まだまだ他にもあるが、当時、自分が乗っていた車に付いて

いたものを思い出す限り挙げてみた。

 

 時代が変われば車も変わる。しかし、不易流行も心せよ!

 

  



 



 

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ