表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストーム ブレイン インシピット  作者: 田中 祐斉
第一章
6/11

救出

亮治は岸壁の隅に置かれているコンテナや資材に身を隠しながら、少しずつ貨物船に近づいて行った。

船を一望出来る場所まで来ると、甲板に出ている歩哨の様子を観察した。

甲板に上がる渡しに一人、船首に一人、船尾に二人が立っていた。乗組員喋り声もロシア語、葵を拐って目的地に運ぶ船に間違いない。

相手は手に武器などは持っていないが、上着にホルスターが見え隠れしている。拳銃を持っているのは間違いないだろう。


亮治はしばし船外に出ている歩哨を観察していたが、見つからずに侵入するのは不可能と悟った。

そこで亮治は奇策に打って出る事に決めた。

相手に気が付かれないように、物陰から船尾の方に周り、貨物船から少し離れた岸壁に沿ってヨロヨロとした足取りで、船に向かって行った。


三十メートル程船に近づいた所で船尾の二人が亮治に気づいた。

「誰だ? 止まれ! 船に近づいてはいかん!」

ロシア人はホルスターから拳銃を抜き、亮治に向けた。

亮治は痲薬中毒者のような“ろれつ”の回らない、わざとカタコトのロシア語で二人に話しかけた。

「あんたらロシア人だろ? 葉っぱ買うよ、葉っぱ。言い値でいいよ」

亮治ニヤけた表情で言うと、ポケットから分厚い五千ルーブル紙幣の束を取り出し、片方の手にバサバサとぶつけた。

勿論本物は一番上と下の一枚ずつだけで、中身は新聞紙だった。こういう事態を想定して、出発前に急いで用意したのだった。


船尾の二人は笑いながらロシア語で何やら話すと、渡しに立っている仲間に中に入れてやれと怒鳴った。

亮治が渡しに近づくと、渡し近くの歩哨に一番上の本物の紙幣をチップ代わりに渡した。気を良くした歩哨はコッチだ、足元に気をつけろと亮治を気遣い、笑顔で船内に入って行った。

船内はボイラー音が酷く、大声で話さないと聞き取れない環境だった。

ロシア人の後ろを付いて歩く亮治は不意に質問を投げかけた。

「アンタ、スカイツリー、知ってるか?」

ロシア人は振り向きながら、得意げな顔で亮治を見ると、

「知っているも何も、オレは今日登ったぜ」

と、言い終わるか終わらない内に、亮治は後ろから相手の両膝を蹴り、ガクンと跪いた男の後頭部に肘打ちを入れた。

男はその場で卒倒すると、亮治は近くの一斗缶が積まれた山の上に寝かせ、畳まれていたブルーシートで男を隠した。

と、同時に船尾にいたと思われる二人のロシア人の声がボイラー音に混ざって聞こえてきた。


亮治はくるりと向きを変えて船首に向かった。

物陰から船首を見ると、男は亮治に背を向けて雑誌に読みふけっていた。

そのまま船首に出て行けば、操舵室に敵が居た時に丸見えになる。

そこで亮治は周囲を見回すと、岸壁とは反対方向の船横に取り付けられている、船体保護の為のタイヤのロープをほどき、ロープを持ったまま、また岸壁側に戻り、物陰に隠れて握っていたロープを離した。

一瞬間を置き、タイヤが海面に叩きつけられる音がした。船首の男が振り向いて音のほうに近づき、船べりに手を置き、海面を見下ろした。

その隙に素早く後ろから忍び寄り、男の首を締めあげた。

亮治より遥かに巨体の男は締め付ける亮治の腕を必死につかみ、離そうとするが首にがっちり食い込みびくともしない。

亮治は操舵室の真下まで男を引きずってくる頃には、既に男は失神していた。

「今頃、船尾のロシア人が必死に私を探している頃だろうな……。急がなくては」


亮治は貨物室に続く扉を押し開けた。

中は人一人が通れる程の隙間しかないぐらいに、無数のコンテナがびっしりと積まれていた。亮治はコンテナの扉を一つ一つ確認して行ったが、どの貨物も厳重に鍵がかけられており、小声で名前を呼んだり、貨物をノックしたりして回ったが、葵が居る形跡は無かった。


一通りの貨物を調べ終え、ここではないと察し、貨物室の扉を慎重に開け、通路の状態を確認した。

辺りに人はおらず通路に出ると同時に、後方から気配を感じ取った。呼吸音と足音から後方二メートル程と察した亮治は、その場に素早くしゃがみ込み、後方に一八〇度回転しながら、両足で相手の足を挟み込むと、回転の勢いに併せて右足で相手の両膝を後ろから蹴り飛ばした。相手は足首を固定される形で蹴られ、その場で膝を落とし前のめりに倒れた。

亮治はさっと身を翻し、相手の背中を膝で抑えつけ、右腕をねじり上げた所で、目を丸くした。それとほぼ同時に相手がうめくように亮治に言った。

「さすがは亮治センセイ、声をかける間もなく抑え込まれるとは、現役から十年以上経っているとは思えません……」

亮治はニコライの背中から降り、腕を掴んでニコライを起こしてやった。

「すまなかった、だが何故船内に来た!? 由美さんの警護をして待っていろと命じたはずだ!」

亮治は詫びながらも、命令に反してやって来たニコライを叱責した。

「申し訳ありません……。ですが、たった一人での救出は無謀過ぎます。由美さんは安全な場所を見つけ、車の中で隠れているように言ってあります。私も葵センセイを探す手伝いをします」

亮治自身、一人で葵を救出する事の無謀さは良く理解していた。ただ、この件では出来るだけ自分以外の人間を巻き込みたくないという思いがあった。深入りする程に命の危険が増す事を危惧していたのだった。既に由美やニコライを湾内に連れて来た時点で亮治は呵責の念を抱いていたが、船内への潜入は危険度の高さ故に、亮治のみで遂行する事は決して譲れない点であった。

だが、ニコライの目に浮かぶ、軍人のみが持つ”決意”と”覚悟”を見て、亮治はそれ以上何も言うまいと考えた。

「コンテナを見て回ったが、そこには葵は居ない。残りは船室か、操舵室だろう。私は操舵室を調べる。ニコライは船室を見て回ってくれ。それからもう一つ……」

亮治がそう命じると、ニコライは一瞬躊躇したが、目で頷き、二人は反対方向へ歩き出した。


 *


ワゴン車から船の食料庫に運ばれた葵を二人のロシア人が見下ろしていた。

「こいつが礼の日本人のハーフ娘か?」

真冬だというのにワイシャツ一枚で腕をまくった毛深いクマのような男がもう一人の男に聞いた。

「そうだ、どうみてもロシア人だな」

そう答えた金髪男は、クマ男とは対照的に物静かで、椅子に腰掛け本を読んでいた。

金髪男はスカイツリーで葵を拐った、もう一人の男だった。

「しかし、大勢の目撃者に見られてまで連れていかれるこの娘は一体何者だ?」

クマ男が目を細めて尋ねた。

「連れて行くのだけが俺たちの任務だ。必要以上に詮索すると消されるぞ」

本から目を話さず金髪男が答えた。

「そうだな。連れて行きさえすりゃぁいいんだ。どんな味がするかぐらいは詮索じゃないよな?」

葵の容姿に感心し、不埒を働こうとクマ男が歪んだ笑みを浮かべた。

「止めとけ。余計な事をすると、後でエライ目にあうぞ!」

金髪男が咎める暇もなく、クマ男は葵の足の紐をほどきにかかっていた。


紐が解けたと同時にクマ男の顔が天井にのけぞった。

驚いた金髪男がクマ男に駆け寄り、葵の方を見た。

葵は軽くその場で跳躍すると、膝を胸までつけ、後ろ手に縛られた両腕を足からぐるりと通して、背中側から胸側に持ってきた。

「このアマ! 麻酔から覚めてやがったのか!」

クマ男がアゴをさすりながら真っ赤の表情で葵を見た。

葵は自由になった両足を広げ、両腕を付けたまま構えのポーズを取った。


クマ男は不意に蹴り上げられた事に激怒しつつも、急に不敵な笑みを浮かべて葵を挑発した

「麻酔で寝ていた方がお嬢ちゃんは何も知らなくてハッピーだったのになぁ。目が覚めちまったなら仕方ない。無き叫ぶ女をいたぶる方がオレは好みなんでね」

クマ男が立ち上がって葵にゆっくり近づく。さっきの蹴りはそうとう応えたが不意をつかれただけだ。こんな小娘、押さえつければどうにでも出来るとたかをくくっていた。


クマ男は縛られている葵の腕を掴もうとサッと片手を繰り出すと、それよりも早く葵は男の手首を縛られた両手で掴み、大きく跳躍し、空中で身を翻しクマ男の首に両足を回した。

「この野郎!」

あっけにとられながらもクマ男が肩車のように自分の首に乗っている葵を掴もうとするや否や、葵は身体に反動を付けて、全体重を前方に傾けた。不意に重心を崩されたクマ音とこは前のめりになり、床に両手を付いた。そこへ葵は空中で前転すると、右足で男の頭目掛けて踵を振り下ろした。

二人の動きがピタリと止まったかと思うと、クマ男は前のめりで突っ伏して倒れた。


倒れる前に男の肩を台にして空中で翻って、金髪男の前に立ちはだかった。

自分よりも遥かに腕力のあるクマ男がものの十秒足らずで、こんな華奢な小娘に負けてしまい、金髪男はここで助けを呼んだり、銃を抜いたりすれば、この小娘は必ず自分を殺すだろうと、直感的に感じとった。

そこで金髪男は譲歩し、葵に尋ねた。

「何が望みだ?」

「何故私がこんな目に会うの? 私を家に返して!」

「その望みは両方共叶えられん。俺たちの命がかかっているんだ」

金髪男は葵の間合いに入らないように、ジリジリと部屋を回りながら答えた。

話し合いでは無理だと感じた葵は、金髪男も倒す事に決め、間合いを詰める。

葵の考えを悟り、間合いから離れつつ、横のテーブルに置いてあった銃にさりげなく近づいた。

金髪男の手が銃にかかったのと、葵が仕掛けたのはほぼ同時だった。

間合いの中に相手を捉えた、葵は後ろ回し蹴りで銃を蹴り飛ばそうとしたが、腕を縛られていたため蹴りの伸びが悪く、空を切っただけだった。

「しまった!」

葵はすかさず態勢を整え、構え直すと金髪男は既に銃口を葵に向けていた。

「さぁ、おとなしく壁まで下が……」

そこまでいうと、金髪男は白目をむいて、膝を折りその場に崩れ落ちた。

葵は男が失神しているのを見ると、男の後ろにニコライが立っていた。


操舵室へ向かった亮治は、船員が多く行き交う通路を通らねばならず、身を潜めては徐々に進むという形で、目的の上階に上がるのに手間取っていた。

業を煮やした亮治は一気に操舵室へ向かう為大胆な行動に出た。

通路のヘリに身を隠した亮治は、黒縁のメガネを掛けた船員が書類を見ながらこちらへ一人で歩いて来るのを見つけ、亮治の脇を船員が通り過ぎようとした瞬間、相手の口を手で抑え、右腕の背中にねじ上げヘリの中に引きずり込んだ。

「これから言うことを良く聞け。逆らえば命は無いと思え」

亮治がロシア語でそう言うと、気の小そうな船員は書類を落とし、震えながら首を縦に振って答えた。


操舵室には五人の船員が居た。二人はマシンガンを持ち、デッキの前方左右を見下ろして警備していた。一人はボードを持ち、計器類のチェックをしており、残りの二人は操舵室の端にあるテーブルで、航海図に目を通していた。

そこに不意に黒縁メガネの船員が現れた。

テーブルで航海図を見ていた二人の船員が、黒縁メガネの船員の後ろに、両手をロープで縛られた日本人が居るのに気が付いた。

「船内に不審者が居たので連れてきた……」

黒縁メガネの船員はやや震えるような声で言ったが、誰もそれには気付かなかった。

残りの三名の船員が皆振り返ると同時に、亮治の手に“巻かれた様に見せかけられた”ロープを払い、黒縁メガネの船員を左側に居たマシンガンを持っていた船員に向けて突き飛ばした。

すかさず亮治は右側のマシンガンを構えた船員に掛け寄り、発砲するよりも早く足払いで相手の体制を崩し、払った反動を付け空中で前転し、相手の首元に踵落としを食らわせ、気絶させた。左側の船員が黒縁メガネの船員を払いのけ、亮治に照準を合わせると、操舵室に来る前に仕入れておいたタールを入れた缶を相手の顔に投げつけた。

タールが目に入り、激痛でマシンガンから手を離し、両手で目にかかったタールを落としている所へ、亮治が側頭部に肘打ちを入れると、男はガクリと膝を折り、その場で卒倒した。

一瞬の内に武器を持つ二人の船員を制圧した光景にあっけを取られていた船員も、ようやく自体を把握し、亮治を三方から取り囲んだ。

亮治は一番間合いの近い左側の男の腕を掴んで、足払いでバランスを崩し強く引き寄せると、延髄に拳を打ち付けまた一人片付けた。

残る二人は亮治の技量に警戒し、後退りしながら間合いを取ろうとしたが、亮治は真ん中の男へ駆け寄ると、大きく跳躍し、相手の膝を踏み台にして肩の上に飛び乗った。脳天に肘打ちをすると、男はそのままガクリと膝を折り、倒れ込んだ。


残る一人に掴みかかろうとした時、背中に硬い棒が押し当てられた。

「アンタの強さを噂には聞いていたが、ここまでとは恐れいった」

亮治は四人を倒しながら、操舵室の隅々まで目を見やったが、葵の姿は無かった。

そして、最後の一人を倒す前に他の船員が現れ、背後から銃を突きつけられたのだった。

「無謀にも単身、娘を助けに来たのに、残念だったな」

銃を突きつけられながら、首を横に向け目の端で声の主を見やると、顔の片方に額から顎にかけて深いナイフ傷の入った男が喋っていた。

亮治は両手を挙げ、それ以上反攻するのを止めた。

亮治はニコライの存在がまだ気付かれていないのを知り、無事葵を見つけ、連れ出してくれる事を祈った。

ナイフ傷の男は、部下に命じ亮治の手を後手に縛らせ、操舵室のパイプと紐を手錠で繋ぎ拘束した。そして亮治の正面に立つと、

「お前の処遇は上に報告した後に決める。その前にひと目でも娘に会うか? これが最後の対面になるかもしれんからな」

思わぬ収穫に機嫌を良くした、憎たらしい笑みを浮かべて言った。

すると操舵室の通信機器の横に備え付けられている、黒い電話がけたたましい音で鳴り響いた。

部下が応対すると、にわかに動揺した様子で、電話を持ったまま、顔に傷のある男に伝えた。

「食料庫で娘を見張っていた、イワンからです! 侵入者が娘を連れだしたそうです!」

ニコライに一撃を受けて失神していた金髪男が目覚め、報告して来たのだった。

ナイフ傷の男は亮治に近づき問い詰めた。

「もう一人仲間が居るのか?」

亮治はその問いを無視した。

ナイフ傷の男は軽く頷くと、

「船から絶対に逃がすな! ここは私だけで構わんから総員で確保しろ!」

部下に怒鳴ると、また亮治へ向き直って言った。

「せいぜい娘が痛めつけられない事を祈っていることだな」

ナイフ傷の男はそういうと、操舵室の窓から甲板の状況を見下ろした。


 *


その頃葵とニコライは操舵室に向かった亮治を見つけようと、上階に上がる階段へ向かっていた。

「由美まで一緒に来ているの!?」

亮治を探しながらニコライからこれまでの経緯を聞き、今度は葵が亮治救出に奔走していた。だが、操舵室への道は船員の往来が多く、遅々として前へ進めなかった。

「このままでは拉致があかないわ! 別の通路は無いのかしら?」

葵がニコライに尋ねると、しばし思案した後、答えた。

「船内では挟み撃ちになったら、どうする事も出来なくなります。上階への階段があるかは分かりませんが、一旦甲板に出た方が安全です」

葵もそれに承知し、通路を折れ、船の右甲板を目指して駆けて行った。

ボイラー音の音に混じって、船内の壁の反響で、中が騒々しくなっているのにニコライが気付いた。

「どうやら葵センセイが逃げたのが全船員に気付かれたようです。急ぎましょう!」

すると、ニコライが確認して通り過ぎた後、通路から銃撃を受け、左側の壁に数えきれない程の銃痕が出来た。

銃撃した船員はニコライ一人と思ったらしく、通路から飛びだし、ニコライの背中に向けて銃を構えた。

後ろにいた葵は背後から船員の右脇に回し蹴りを決めると、銃痕だらけになった壁に身体ごと叩きつけられ、頭を打ち付けたのか、よろけながら銃を落とし二、三歩前にフラフラと歩いて来た所を、葵は左肘で相手のみぞおちに一撃入れ、更に懐から上に向かって、船員の顎に掌底を打ち上げた。

船員はその場でうつ伏せに卒倒した。

ニコライは目で礼を言うと、葵もそれに応え、先を急いだ。

「あっちで銃声が聞こえたぞ! 右甲板の方だ!」

甲板の外から船員たちの声が聞こえた。こちらの居場所がバレてしまった。

葵、ニコライはすぐ目の前の扉を開けると、冷たい風が顔を吹き付けた。

ニコライは船首の方を見ると、四十メートル先に七人ほどの銃を持った船員を見つけた。

三十メートル程先に、操舵室に上がる階段があり、二十メートル先に、岸壁へ降りる渡しがある。ニコライは現状を冷静に分析した、相手の銃撃から身を守る遮蔽物は甲板には一切なく、発砲されれば確実に被弾する。操舵室へ上がる階段まで無傷で辿り着く事は不可能だろう。

だとしたら、亮治との約束通りにする他ない。ニコライは決断するや否や、葵を抱え上げ、全速力で渡しに向かって駆け出した。

「ニコライ! このまま階段に向かうのは危険だわ! 一旦船内に戻るわよ!」

ニコライは速度を緩めず答えた。

「それは出来ません……」

「えっ!?」

「このまま渡しを降りて、脱出します」

葵は耳を疑った。亮治を置いていくつもりなのかと。


渡しまであと五メートルという所で、船員に気付かれた。

「居たぞ! 逃がすな! 娘は生け捕りにしろ!」

葵がニコライを説得した。

「離して! ニコライ! お父さんがまだ中に居るんだから! 離してよ!」

必死にニコライの腕の中でもがき、飛び出そうとするが、ニコライの腕は石像のように固くなってびくともしなかったが、ニコライは葵の必死の懇願に甲板には降ろしたが、ニコライは盾の様に葵を庇い、自身の身体で葵の遮蔽物になった。

船首の男が葵とニコライに向けて発砲した。葵はその音を聞き咄嗟に顔を上げた。

葵の前に中腰で立っていたニコライは気づかなかったが、葵と向い合って発砲した船員たちは、葵のグレーの瞳が青色に輝くのを見た。


葵は驚愕した。自身の記憶にある限り銃で打たれた事も無かったし、発砲した事も無かった。だが少なくとも銃弾の速度がどのぐらい早いかというのは常識として知っていた。

しかし、今その常識を疑っていた。”銃弾の弾道が自身の目で追える”からだった。

一発は葵、ニコライを外れて、右横の壁に当たる。だが、もう一発は自分の左上腕部に被弾すると捉えた。

葵は銃弾を避けようと、身体を反らそうとしたが、動体視力に対して身体が付いて来なかった。

「クッ!」

自分の未熟さと、被弾の痛みを痛感しながらも、ギリギリの所で左腕をかすめる所まではなんとか避けられた。

とは言え、被弾の痛みは強烈で、反射的に右手で傷口を抑えうずくまってしまった。

痛みを堪えながら、葵は先ほどの出来事を思い返した。これもお父さんのトレーニングの成果なの? 飛んでくる銃弾を目で捉えるなんて、人間に出来る事なの? 葵は自問自答したが答えが見つかるはずもなかった。


その間も船員たちは、葵たちに向かって発砲しながら迫っていた、壁に当たった銃弾が、モルタル製の壁の破片をはじけ飛ばし、ニコライと葵の顔に降り注いだ。

鳴り響いていた破裂音が急に止んだ。先頭にいた船員の弾が切れたのかマガジンを入替ていた。

ニコライは再度葵を抱えて、全速力で駆け出すと、ニコライが渡りに折れた瞬間、後頭部を銃弾がかすめる音が聞こえた。

渡りを降り切るのと同時に、一台の車がタイヤにきしみ音を立てて、あわや葵を抱いたニコライを跳ね飛ばしそうになる寸前で止まった。

「早く乗ってー!」

由美が大声で叫ぶと同時に、出口に着いた敵の発砲音が聞こえ、ニコライは急いで車の反対側に回りこみ、葵を先に車の後部座席の足元に押し込み、

「出せ!」

と由美に叫ぶと同時に自分も後部座席に乗り込み、葵の上に覆いかぶさった。

何発もの銃弾が車に浴びせられ、後部ガラスや、フロントガラスを割り、サイドミラーも砕かれたが、どうやら射程圏内からは脱したようだった。


湾内を出て、公道に出ると、ニコライは由美に運転を変わると言った。

「無免許運転で捕まりますからね」

「免許も持ってない私に、こんな無謀な事を押し付けたのは誰よ!」

由美はニコライの耳元で怒りをぶつけた。

「亮治センセイはとても強い。上官の命令は絶対です、でも一人では無謀過ぎな作戦でした。しかし申し訳ありませんが十年以上のブランクは亮治センセイ一人では作戦を成功させられないと考えました。私も亮治センセイと葵センセイを助けに行かなくてはならなかったのです。ごめんなさい。」

ニコライは由美に詫びた後、後部座席の葵の様子を見て、怪我をしていないか確認した。幸い被弾した左腕以外、どこも出血していなそうだ。

「葵センセイもう、起きて大丈夫ですよ」

葵はゆっくりと身体をお越し、社外に出るとニコライの胸を冷えた手で打ち叩いた。

「どうしてお父さんを見殺しにしたの?」

ニコライは無言で葵を見つめ、ゆっくりと話した。

「船内で亮治センセイと会い、お互い約束をしました。亮治センセイは父としてではなく、軍人として人質奪還に向かいました。人質奪還の為に“葵を先に助け出した方が、脱出を優先する”という約束です。私も出来る事なら亮治センセイと合流して脱出したかったですが、船員の発砲を受けて、止む無く亮治センセイの命令に従いました……」

「お父さんはもう軍人じゃない、私の大切なお父さんなの!」

葵はニコライの説明に納得出来なかった、そして何より未熟な自分のせいで、父の命を危険にさらしてしまった事が悔やまれてならなかった。

遠くに見える湾内から貨物船は亮治を人質に取って、静かに出港するのを三人はただ眺めていることしか出来なかった。


操舵室から東京湾を一望しながら、ナイフ傷の男は電話のコールが鳴っている間、少女を取り逃がした報告によって、自分たちを待ち受けている結果を思い描いていた。

それは容易く想像出来、且つどう描き直しても”希望”というものは描けなかった。


十秒ほどコールがなると、唐突に「私だ」という声が聞こえてきた。

傷の男は一呼吸置くと、簡潔に状況を説明した

「キツネを取り逃がしました。再度明朝確保する許可を頂けますでしょうか。尚、キツネの親を捕らえています」

キツネというのは葵の隠語だったが、電話の相手は無言のまま何も応えなかった。

傷の男は耐え難い沈黙が破られるのをただ待つ他ない。

しばらくして電話の相手は感情も無く応えた。

「再捕獲は却下する。キツネの親は生かしたまま連れて来い」

「了解しました……」

傷の男は額から汗がしたたるのを感じた。すると相手は続けた。

「それから、お前たちも全員生きて帰ってこい」

そういうとブツリと電話が切れた。


ナイフ傷の男は握りしめていた電話が、汗でべたついていた。最後の言葉は我々の航路の無事を祈ってくれたものではなく、死の宣告だからだった。

今回の失態で我々がウラジオストクに着いた後、十中八九、銃殺刑が待っているのは明らかだ。


ナイフ傷の男は何か生き延びる手はないか考えた。

操舵室を行きつ、戻りつしながらふと立ち止まると妙案が浮かんだ。

亮治を我々側に寝返らせて、協力するよう懐柔出来れば、温情措置を得られるかも知れない。得られる期待は非常に低かったが、何もしないよりはましだ。

ナイフ傷の男は部下に亮治の束縛を解いて、自室に連れてくるように命令した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ