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ストーム ブレイン インシピット  作者: 田中 祐斉
第一章
5/11

実験

父の荼毘に付き添った優介は無表情のまま、美園に言われた通り、父のお骨を骨壷に移していった。

その様子を見ながら美園は優介の受けた心の傷は一生癒えないのではないか、例え相手が美園であっても、もう笑顔を見せる事はないのではないか、不憫でならなかった。

また、美園が夫の心中に気づいていながら、自分が力になれなかった事が、夫の死に繋がってしまったという強迫観念を抱き、後悔の気持ちが抑えられなかった。

優介の幸せを奪ったのも、夫を死へ追いやったのも、自分のせいだと責め続けていたのだった。


自宅へ戻った後、優一の母、実母、兄から、しばらく優一の家で一緒に生活しようと提案してくれたが、優介の気持ちを考えると、美園一人だけの方が良いと考え、礼を言って断った。

三人が美園に労いの言葉をかけて、何かあったら遠慮なく連絡するよう念を押し、別れを告げ帰っていった。

美園は玄関に施錠を掛け、振り返ってリビングを見回すと、いつも帰りの遅い優一だったので、優介と二人だけで過ごす時間の方が多かったので何も変化は無いが、今はやけに家の中がガランとして鎮まり帰り、今までより部屋が広く寒々しく感じられた。


美園が私服に着替え、リビングで本を読んでいた優介に着替えの服を持ってきてあげ、

「着替えようか」

と笑顔で声をかけると、優介が思いがけない事を口にした、

「僕、お父さんが死んじゃうの、知っていたんだ……」

美園はしばらく全ての時間が止まってしまったかのように、優介が本を両手に持ったまま、美園を見つめる目を同じように見つめていた。

優介は美園に話した後、黙りこんでしまい、時計の針の音しか聞こえぬ部屋は一層静寂さを強め、美園が我に返えるまで一体どれぐらい時間が経っていたのか分からないほど動揺していた。

美園は優介の告白に何と言えば良いのか言葉が見つからなかった、当然“何故、優介が父の死を知っているのか”と咄嗟に考えはしたが、優一が優介には何か話していたのかと思い、

「優ちゃん、お父さんから何か聞いていたのかな?」

優介はしばらく母の目を見つめたのち、首を横に振ると、

「うぅん、ずっと前から知っていたんだ……」

美園は優介の言葉を聞いても、決して優介が嘘や混乱しているわけではなく、真実を語っていると直感的に感じ取った。

「どうしてお父さんとお母さんに教えてくれなかったのかな?」

美園は優介の服をソファに置くと、膝を曲げて優介の目線の高さに屈み、向い合って尋ねた。

「だって……、お父さんが死んじゃうって知ったら、お父さんもお母さんも、悲しくなっちゃうでしょ?」

美園はそれを聞いて、これまで優介がとってきた言動の全てが理解出来た、何故かは分からないが、この子は父の死を知っていた。

それは自分の死を宣告される父の辛さや、夫を失う妻の失意、それを気にして自分の胸の中に何年間もの間仕舞い込んできたのだろう。

父を失う事は優介自身にとっても受け入れがたい辛さと悲しさのはずだが、父と母の気持ちを優先し、二人には明かさず、しかし幼い少年が背負うには余りにも過酷すぎる重荷であり、耐え難い辛さが、これまでの言動となって現れ、そうする事で何とか気持ちを押さえ込んでいたのだろう。


美園は夫の心中を察していながら、一線を超えるのを止められなかった自身の不甲斐なさ、そして優介の心中にしても八年間もの間、個性としてただ話しを聞くことしか出来なかった母親としての無力さがどっと押し寄せて、その場で突っ伏して号泣してしまった。

「ごめんなさい、優一さん……。お母さんを許して、優ちゃん……」

優介は母の頭を優しく両手で包み、愛情を込めて言った。

「泣かないで、お母さんには僕がついているよ」


次の日、いつものように学校に行こうと美園が声をかけると、

「一人で行けるから大丈夫だよ」

優介が玄関で靴のつま先をトントンと床に突いていた。

昨日の優介の告白が、まだ美園の心の中で消化し切れていなかったが、突然の優介の変わりように美園は若干の戸惑いを感じていた。

優介の事は信じている、本当に優介に夫の死が分かっていたならば、現実となった死そのものは今でも優介を悲しませているだろうが、今度は美園を励まそう精一杯振る舞っているのだろう。

だが、一方で優介が夫の死後、突然活発になった点に関して、優介は本当に父の死を悲しんでいるのだろうか、という相容れない思いが一瞬頭をよぎった。

美園は頭を振ると、優介が父の死を悲しまないわけがない、優一の死の上に、優介の告白で混乱しているだけだ、自分がしっかりしなくてはと自身に言い聞かせた。


優介の登校とほぼ入れ違いに村上が訪問してきた。恐らく気を遣い優介が不在のタイミングを見計らっていたのだろう。


美園がお茶を淹れて、リビングテーブルに置くと、村上が椅子に腰掛けた。

「先日は、夫の弔問にいらして頂きありがとうございました」

美園は丁重に礼を言った。

村上は片手を振りながら、

「いえ、あのような場所に刑事がお邪魔するのは、逆に失礼でしたので、私の方こそ申し訳ありませんでした」

美園は微かに微笑んだ。

村上は、今日天間家を訪れた理由を美園に説明した。

「旦那さんを亡くされて心身共にお辛い中、非礼を承知で本日お伺いさせて抱いたのは、旦那さんの件を含めて、同病院で起きた投身自殺がこれまで四回起きており、警察では事故から事件扱いに切り替えて、捜査を進める事になりました」

美園は無表情のまま、頷いて聞いていた。

「現在捜査員は様々な方面から事件の原因究明を行っております。そこで差し支えなければ旦那さんの最近の言動で気になる点があったら、お聞かせ願えないかとお伺いした次第です」

村上が言い終わると、美園が淹れてくれた紅茶を一口すすり、良い香りですなぁと呟いた。

美園は視線を自分の紅茶の入ったカップに落としていた。

「今は色々と混乱しておりまして、捜査にお役に立つか分かりませんが、ここ一ヶ月ほど、夫が何か思い詰めているような素振りはありました」

美園は生前優一と一緒に居た時の事を出来るだけ考えないようにしていたかったので、話す心境ではなかったが、もし優一が何かの事件に巻き込まれたのなら、犯人を捕まえて欲しいと考え、自責の念にかられている一番口にしたくない事を村上に話した。


村上は美園の表情を読み取って、次の質問をして、今日は辞しようと考えていた。

「なるほど、それで旦那さんは何か奥さんに相談したり、思い詰めている原因のようなものが何か、感じたり、見たり、聞いたりされましたか?」

「いえ。ただ、事件の起こる二日前に直接夫に自分に相談して欲しいと言いましたが、夫は心配ない、大丈夫と言って詳しくは話してくれませんでした」

村上はメモを取りながら、ありがとうございます。今日はこの辺で失礼します、と言って立ち上がった。


村上を玄関まで見送り、村上が靴を履き終えると、振り返って美園に言った。

「これは捜査上、機密情報なので胸に留めて頂くだけでお願いしますが、四人の被害者はいずれも家族をお持ちでしが、家族に当てて言葉を残されたのは優一さんだけでした。それだけ優一さんは奥さんと優介君を愛しておられたのでしょう。必ず犯人を挙げます。どうか気を落とさないで下さい」

村上はそう言って去って言った。

美園は村上の心遣いに、僅かながら親しみを感じた。

だが、それを聞いた美園は夫がそこまでして私たちに詫たかったのは一体何なのか、夫は不貞をはたらくような人間でないのは美園が一番良く知っている。それだけに、ことさら美園の疑問を深めた。

すると、不意にある記憶が美園の中で蘇った。それは優介がまだ胎児だった時の出来事だった。


 *


六ヶ月検診を受けて帰宅した晩の事だった。

夕食時に優一に赤ちゃんが順調に育っている事を美園が嬉しそうに伝えた時だった。

「今受けている産婦人科だけでなく、一度ウチの病院でも検査をしてみたらどうだい?」

優一の勤めている東条大学付属病院には、当然産婦人科もある。

「そこまでする必要あるかしら?」

美園は箸を止め、優一を見やった。優一も同様に、美園に笑顔で、

「念には念を、だよ。予約は僕が取っておくから、明日にでも来るといいよ」

そういうと優一は二時にサービスカウンターで自分を呼び出すように美園に言った。


翌日、美園が来院すると院内は通院患者、入院患者、院内スタッフでごった返していた。

身重の美園は人の波を避けながら、サービスカウンターに着くと、要件を告げた。

程なく白衣姿の優一がやってきた。

「やぁ、お待たせ。体調はどうだい?」

美園のお腹に手を当て、母子を気遣った。

「うん。元気よ。赤ちゃんもお父さんに合えるのが嬉しいみたいで、朝から元気に動いているわ」

美園が笑顔で答えた。


「じゃぁ、検査の準備はもう出来ているから行こうか」

優一は北棟の検査室へ、美園を連れて歩きだした。

連れてこられた場所は産婦人科ではなく、脳神経検査室だった。

「あら、赤ちゃんの検査じゃないの?」

美園は検査室内を見回しながら、優一に尋ねた。

「勿論赤ちゃんの検査だよ。産婦人科では入念に調べられない脳の発育状況を調べるんだよ」

優一が説明すると、美園もなるほどと納得した。


「それじゃぁ、この検査着に着替えたら、そこのベッドに横になってくれるかい?」

優一は肌色の柔らかな布で出来た、検査着を美園に手渡すと、カーテンで仕切られた、着替え場所へ案内した。


普段通っている産婦人科のベッドと異なり、MRIのような機械のベッドに横たわらされた。

「こんなに精密な検査なの? 赤ちゃんに悪い影響はないかしら?」

物々しい機械に横たわらされて、少々不安になった美園が優一に尋ねた。

「大丈夫だよ。これはMRIに似ているけど、胎児には影響がないから。でもお母さんが緊張してしまうと、正しい検査結果が出ないから、軽い鎮静剤を打つよ」

何か言いたそうな美園の表情を見て、優一が言った、

「大丈夫だよ、これも赤ちゃんに悪影響はないよ」

優一は笑顔で美園を安心させた。


すると、三人ほどのスタッフが検査室に入ってきて、一人は美園の寝ている機械を優一と一緒に調整し、検査状況をモニタリングするためにパソコンの前に二人が腰掛けた。


「これから検査をするからね。痛みは全くないから、リラックスするんだよ」

優一が軽く美園の手を握ると、機械の制御盤の方に回り、美園の視界から消えた。

すると、美園が寝ているベッドが機械の中にゆっくりと滑り込見始めた。

中の構造もMRIの検査と同じような作りの機械だった。

ベッドの移動が止まると、お腹の胎児が居る辺りの上部に、ドーム型の見慣れない機械が取り付けられており、ドームの周囲に三センチ間隔でくぼみがあり、中には青色のライトのようなものが埋め込まれていた。


程なくするとドーム状の周りのライトから青色の光が照射され、胎児の居るお腹部分に青色の光が映しだされた。

先ほどの鎮静剤の作用か、美園の意識がぼんやりとしてきた。


どのぐらいの時間が経ったのだろう、照射が止まると、機械がらベッドが滑りだし、横には優一が立っており、美園が起き上がるために手を差し出した。

「なんだか、少しフラフラするわ……」

美園が優一の手をしっかりと握ると、優一は鎮静剤がまだ聞いているからねと言って、機械の裏側にあったベッドで少し休むと良いと促された。ベッドに横になりながら美園が優一に尋ねた。

「赤ちゃんの発育の結果はいつ頃分かるのかしら?」

ぼんやりとした目で美園が優一に聞いた。

「エコーと同じで、リアルタイムで分かるんだよ。脳の方も異常なし。元気に育っているよ」

「そう…、良かった……」

優一からそう聞くと、美園は目を閉じて眠ってしまった。


美園がゆっくりと目を開けると、いつの間にか寝てしまっていたのに気付き、不安になり辺りを見回した。

「やぁ、お目覚めかい? 気分はどう?」

パソコンを操作していた優一が、美園の寝ているベッドに近づきながら聞いた。

「うん、大丈夫。私寝ちゃったのね。ごめんなさい。でもフラつきは収まったみたい」

寝てしまったせいで、優一の仕事の邪魔をしてしまったと感じた美園は、自分で起き上がって、ベッドから降りようとした。

「寝ていたのはほんの十分ほどだよ。気分も良くなったみたいで良かったよ」

優一がベッドから降りる美園に手を貸しながら言った。


優一は途中で倒れたりしないようにと心配し、正面玄関のタクシー乗り場まで付き添った。

すると、美園と優一が玄関を出るのとスレ違いに、優一の上司である佐伯が丁度出張から戻り院内に入る所だった。

「お帰りなさいませ、佐伯教授。ご出張は如何でしたか?」

佐伯は何も答えず、優一を見て、横にいる美園を見た。

佐伯の視線を感じて、美園が挨拶をした。

「いつも主人がお世話になっております。天間の家内でございます」

恭しく美園が頭を下げると。佐伯はどうも、と言っただけで、優一に手が空き次第、例のレポートを持って教授室に来るように告げた。

かしこまりましたと答える優一の横で、美園は愛想の無い上司を持った優一の心労を労い、大学病院に付きまとう派閥争いに優一が巻き込まれない事を祈った。


 *


美園は八年前の記憶から我に帰ると、あの出来事が捜査の役に立つだろうか、村上に連絡した方が良いだろうかと思案した。

しかし今は誰にもあの出来事を話したくない気分だった。優一との思い出が強いからか、検査の事を話したくないからなのか、自分でも理由は分からなかったが、今はまだ気持ちが落ち着いていないからだろうと自分に言い聞かせた。

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