消失の歌
部屋の中には女の吸血鬼とユウ。
広い部屋の真ん中で、吸血鬼が人間より発達した犬歯を露に笑みを浮かべ、立っている。妖艶で、美しくも、恐ろしい。そんな女の足元に跪くユウ。
「顔をお上げ、美しき僕」
吸血鬼の言葉にユウは反応しない。仕方のない子、と溜め息まじりに、どこか楽しげに吸血鬼はしゃがみ、白くしなやかな手でユウの顔を自分に向かせた。冷たい銀灰の瞳が吸血鬼のそれとかち合う。吸血鬼は鈍色の瞳を満足げに細め、いとおしげにユウの頬を撫でた。
「いつ見ても美しいな、お前は。……今更首なぞ隠してどうする」
吸血鬼の手がユウの黒いハイネックシャツの首元に伸びる。やけに鋭いその爪が、やすやすと布を引き裂き、その下の肌を露にする。
「あ──」
「しっ!」
シュウが思わず上げかけた声をカイが制止する。シュウはなんとか思いとどまり、ユウに目を戻す。
露になった首筋には、二つの赤い点。まだ少し、血が滲んでいる。──吸血鬼に噛まれた跡だと、容易に想像できた。
「ふふふ……美しい。ああ、なんて美しい……もう、我慢ならぬ」
吸血鬼はひとしきり──やけに顔近づけて──ユウの首筋の傷を眺めると、その首を食んだ。
「──っ!?」
叫びそうになるのをシュウは必死で堪えた。カイに止められたというのもあるが何より……ユウの瞳に宿った覚悟に、言葉を失ったのだ。
俺はいいんだ、これで。これが俺の復讐だから──
世界の夢は
遠く、淡く、儚く消ゆ
消ゆるものたち
どうか、安らかに眠れ
絶唱姫 ミク
第五楽章 「消失の歌」
「世界を、終わらせてほしいの」
「悲しい願いがたくさんあるわ」
「何よりも悲しいのは」
「私たちを守ったのに、彼が大切にしていたひとも救ったのに、どうあっても報われない、彼の心」
「彼はみんなを忘れられないままでいるのに、みんなは彼を忘れてしまった。彼がそうなるように、みんなの記憶を変えたから」
「でも、だから、彼を救ってあげられるひとはいなくなった」
「私も、彼を止められない」
「この声は彼には届かないの」
「だから、ごめんなさい……私、貴方にいつも背負わせてばかり」
「でもどうか……彼を、救って」
「そして、貴方や彼を苦しめるこの世界をどうか……終わらせて」
「……カイ」
屋敷を出たシュウは、カイに問う。
「なんだ?」
「彼は……ユウは、何者なんだ?」
食まれ、押し倒されても、ユウは表情一つ変えずにされるがままだった。それほどの決意と覚悟。──全て、復讐のためだと。彼はそう言っていた。
彼がそこまでする理由がシュウにはわからなかった。
「……それは、わからなくていいことなんだ。正直言うと、俺もよくわからないしな。……ただ」
カイの青灰の視線は遠くを見つめた。
「あいつは三千年前にも吸血鬼と戦っていた。メア、ミク、セナ、俺……それにもう一人とあいつ。戦って、いたんだ……」
だから、かもしれない、とカイは言った。
三千年前。
シュウの記憶に、何かが引っかかる。
けれど、深く考える暇はなかった。──戻ってきたシュウをサヤがかなり興奮状態で出迎えて、それを宥めなくてはならなかったから。
第六部へ続く。




