もっとおいしいものを食べようよ!③
あ……、あ……、危ない……。
*
大きめの空き部屋を一つ借り、農業以降、なぜかおれに懐いたゴブリン族に石盤を運ばせる。
「丁寧に積み上げろよ。絶対に割るんじゃないぞ」
黒い猿のようなゴブリン族全員から同時に「うぇ~い!」という元気な返事が聞こえた。互いに協力しながら、がに股で重い石盤を次々と運んでいる。
どいつもこいつも額に汗を浮かせて、楽しそうに働いてやがる。
魔物のなかでは小柄な下位種族ではあるが、並の人間よりよほど素早く、実は力もある。だからこそセラトニア王国は魔物に追い詰められたのだが。
ムカつく口調を除けば、なかなかに使えるやつらだ。おれの目的達成のために、せいぜい利用されているがいいさ。
「アニキ」
「どうしたゴブ蔵?」
向こうのほうからがに股で一体のゴブリンが走ってきた。その手には一枚の紙キレがある。
「チョー自信ねえんスけど、マジこれでどっスかね? ガス室からのパイプを石盤コンロ設置箇所すべてに通す予定の図案ス。あと、換気口はマジ雨が入らねえ角度に設置させてるス」
おれは紙に描かれた図案に目を通して驚いた。かなり緻密に計算されているし、おれなんかが詳細を考えるよりもよほどよくできた図案となっている。
こんなバカそうな言葉遣いで猿顔のクセに、なんてやつらだ……。この知能的潜在能力は、いずれ脅威になりかねん……。
「お、おう。よかろう。それで進めろ。それと、排水溝は現厨房の排水溝と地下で繋げて、排水は外に流せるように造るんだ」
「ッス! ――うぇ~い! 野郎ども、アニキの許可が出たぜぇ~! ヨー!」
ガス室とは、この魔王城の地下に無尽蔵に溜まるガスのことだ。
この移動し続ける城が生物なのだとしたら、それが何を意味しているかはわかりそうなものではあるが、この際だ。利用できるものは利用させてもらう。
ゴブ蔵ががに股で走って行き、現場監督らしきゴブリンに図面を使って説明し始めた。
やつらはまるでスポンジ石のように教えた作業を確実に吸収してこなしてゆく。それだけではなく、一つの事柄を教えれば十の作業で返してきやがる。
身軽だから高所作業もなんのその。道具もなしに岩肌をヒョイヒョイ登り、見かけに寄らず力があるから石材運びもスムーズだ。身体が小さいからどこにでも入り込めるし、二本の腕と五本の指があるから手先も器用。そして性格は極めて素直。
ゴブリン一体につき、人間五人分くらいの働きはしている。
このままやつらに物作りの知識を与えることが本当に正しいのか。もしかしたら、おれは人類存続にとって致命となる文化を与えてしまっているのかもしれない。
うむ。
ああぁぁぁ……! おれはなんッで敵の城を強化してるんだぁぁぁ……!
だがその反面、どうしても思ってしまうんだ。
チャラチャラしていてムカつく言葉遣いさえなければ、こいつらは人間とも案外仲よくやれそうだなって。
「頭を抱えて何をしてるの?」
「おわっ!? リリン!」
後ろ手を組み、長く肉感的な足を交差して金色の髪を揺らした純魔が、わずかに瞳を細めた。
「ハ~イ、参謀さん」
「……すまんが、その呼び方はあらためてくれ。アルカンでいい」
レイン・アシュタロトのせいで、その呼ばれ方をすると背筋に寒気が走る。この城でレインは唯一おれと同じ人間だというのに、同時に最大の危険因子でもある。今朝などは狂戦士の大鉈で真っ二つにされる夢でうなされ飛び起きたくらいなのだから。
「あたしと仲よくなりたいの?」
いつもの挑発だ。だが、おれだっていつまでもやられっぱなしじゃない。
「そういう下心も少しはある。おまえは美しいからな」
「少しだけなの?」
平然とそんなことを尋ねるリリンに、おれはやはり勝てそうにない。
肩をすくめて正直なところを話す。
「……大いに」
「ふふ」
満足げに微笑んで、リリンが思い出したように口を開けた。
「あ、そうだ、アルカン。魔王様が呼んでいたわよ」
「む、もうそのような時間か。わかった、すぐに向かう。――ゴブ蔵!」
「うぇい?」
ほとんど見分けのつかないゴブリン族のなかの一体が、顔を上げて全速力でこちらに駆け出してきた。
「どしたッスか、アニキ?」
「あとはおまえに任せる。あまり遅くならんうちに解散して、よく身体を休めとけ」
「ッス。おつさま~ッス。アニキもマジ少し休んだほうがいッスよ? マジ魔王様みたいに下瞼に隈ができてるッスから」
うう、いいやつだなぁ、こいつ……。ほろっときちまったぜ……。
なんか魔王城に剣を交えたくない魔物がどんどん増えていって、自分の首を絞めている気がしてならないが。
「わかっている。だが、おれには参謀として貴様らを幸福に導く役割があるのでな」
「……アニキ……。あざッス! あざぁぁ~~~ッス!」
がに股のまま両方の太ももに手をついて、ゴブ蔵が瞳を隠すかのように深々と頭を下げた。ポタポタと何やら滴が足もとに落ちているが、こういうときは気づかぬふりをするのが男の礼儀というもの。
「では、な」
鮮血色のマントを翻してその場を立ち去ろうとしたおれに、リリンが背中越しに声をかけてきた。
「ねえ、アルカン。あなたと魔王様、こんな遅くに二人きりでなんの用事があるの?」
おれは立ち止まって振り返る。
「なんだ、気になるのか」
「ええ。大いに、ね?」
先ほどとは立場が逆だ。今度はリリンが少し拗ねたように、視線を逸らして口元を尖らせている。
普通に考えれば嫉妬だ。だが、相手は狡猾なる上位の魔物。それも極めて知性が高いとされている純魔種ときたもんだ。
これが演技ではないとは言い切れない。そんなことは明々白々。
「バカ、ヘンな勘ぐりをするな。料理の研究だ、料理の。うまく完成したら、そのときはおまえにも食わせてやるから待ってろ」
だが、なのに。
なぜかおれはあわてて言い訳をしてしまうんだ。この純粋なる魔の血脈を引く少女に。
「そうなの。行ってらっしゃい」
「おう」
不満げに、けれども無理に瞳を細めて。リリンが長い金髪を少しだけ傾けながら手を振る。
どうかしてる。ほんっと、どうかしてる。この城にいると頭がおかしくなる。
頭を掻き、ため息をつきながら新たに増設している厨房の扉を開けて、おれは薄暗い回廊に踏み出す。
回廊から外は見えないが、すでに日は落ちている。
回廊の壁の油溜まりに火を灯して回っている下位の魔物にねぎらいの言葉をやりながら、おれは自室を目指す。
木造の扉を開けると、おれのベッドに白髪のチビがちょこんと腰かけていた。おれの姿を見かけるなり、嬉しそうにベッドから降りて駆け寄ってきた。
「アルカン!」
「待たせたな、アシュ」
「頼まれてたもの持ってきたよ~」
石皿だ。
別段なんの変哲もない石皿。あえて言うなら、普段の食事に使われているものに比べれば多少大きい。あとは巨大なナマニクが一枚載っかっているということくらいか。
おれはそいつを右の掌に載せて、まじまじと見つめる。
「これでい?」
「うむ、問題なかろう」
ちなみに、石の大皿を鉄板代わりにするつもりだ。
残念ながらこの魔王城には鉄板という概念がまだないため、代わりにできそうなものといえばレイン・アシュタロトの大鉈か、もしくは石の大皿くらいのものだ。
むろん、レインから大鉈を借り受けるなどという選択肢はない。ぶち殺されるのが関の山だ。どのみち、あれは呪いの大鉈らしいからレインには装備解除できないのだが。
おれは腕まくりをして、鮮血色のマントを汚さぬように外した。
「さて、と」
「やるの!? やっちゃうの!?」
期待に満ちた瞳で、アシュがおれを見上げている。
「やるぞ! おれはやる!」
一概にニクを焼くと言っても、仮にもおれはセラトニア王国の第三王子。貴族などとは比べものにならんほどに上流階級の出だ。ちゃんと学んでニクを焼いたことはもちろんのこと、料理らしい料理をしたことすらない。
魔王討伐に旅立った当時も、家事全般はパーティーメンバーだった全裸がやってくれていた。たき火にかけた鍋をかき回しながらリズミカルにケツを振るものだから、ナニが揺れてペチペチとうるさかったっけ。
……フ、もはや取り戻すことすらできん古き良き時代の話だ。
「アルカン?」
「お、おお。よ、よし、やるぞ」
「ん!」
アシュが両手を拳にして、顔のすぐ横でおれの持つ石皿の上のナマニクに真剣な視線を向けている。
この部屋には水道は通っていてもガスはきていない。つまり、火の元は自ら作り出す以外にないということだ。
まともな呪文を唱えるのは久しぶりだな……。
だが、イメージはできている。大丈夫。おれは大丈夫だ。
高温で熱せられた石皿との接地面で泡立つ脂が弾ける音。この狭い室内に芳しい香りが立ち始める。赤色だった表面が香ばしく色づいたところで裏返す。表面の少々焦げた部分の発する香りはさらなる食欲を掻き立て、新たな接地面では再び得も言われぬ音と匂いを発する脂が泡立ち始める。
じゅう、じゅう。
「よし、イメージは完璧だ。――行ける!」
「おーっ!」
おれは静かに口内で短い詠唱呪文を唱える。
「――フレイムボルトォッ!!」
直後、おれの掌から溢れ出した高熱の光が、アシュの目の前で石皿ごとニクを爆発させた。それはもう部屋全体を炎の光で覆ってしまうほど派手に。
「ぎゃあああぁぁ、目が、目がぁぁぁ!」
「どわあっ!?」
石皿を文字通り爆砕しながら天井まで吹っ飛ばし、ナマニクを瞬殺で消し炭に変え、あまつさえ天井で跳ね返った焼けた石皿の破片が、隕石召喚魔法のようにおれたちに降り注ぐ。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
「いででであっつぅぅッ!?」
「ぎゃああぁぁぁぁぁ!」
おれはマントでとっさに頭部を覆って、ナマニクの逆襲を防ぐ。しかしおれの真横で、一際大きな石皿の破片が、ゴスッという鈍い音を立てて少女の頭部を打った。
「ぎゃぴン!?」
「ア、アシュゥゥゥ!」
それはもう、これ以上ないほどに勢いよく。
消し炭と石皿の破片、そして砕かれた天井の破片がすべて落ちきるなか、少女は頭部を自らの手で押さえながら、ふらふらとよろめいていた。
「だ、だ、大丈夫か!?」
「……」
濛々と立ち籠める煙と砂埃のなか、一歩、二歩。
押さえた頭部の手の隙間から、赤い筋が垂れた。
「……くッ」
あ。あ~~~~~~~っ!? だめええぇぇぇぇぇっ!!
時すでに遅し。異世界の言葉だ。
「まったく――っ」
呆れたようなため息をついて、少女が血塗れの手をゆっくりと下ろした。その手の握力に砕かれ、少女の側頭部を打った石皿の破片が砂利となって地面にばら撒かれる。
おれは見ていた。
破片が少女の頭部を打った瞬間。いや、破片が少女の皮膚をわずかに破った直後、なおも自らの頭部へと侵入し続けるそれを、自ら手でつかんで握り潰した瞬間を。
魔王シエルが瞳をぎょろりと動かし、おれで視線を止めた。
先ほどまでの阿呆の瞳ではない。
知性と、理性と、威圧。そして、幾ばくかの暴虐。
「……貴っ様ァ……」
ごくり、と唾液を呑むおれに、シエルが額に縦皺を刻んだ。
「ち、ちが――っ」
違うんです。ほんと、事故なんです。事故っていうか、ただの料理だったんです。間違ってもあなた様を攻撃したわけじゃないんです。
そう言いたかったが言葉にならなかった。
頭二つ分ほど低い身長のシエルがペタペタと裸足で歩み寄り、おれの胸ぐらをつかんで無理矢理に顔を引き下げ、至近距離からおれの瞳を覗き込んできた。
流れる血液の色を鮮明に映し出す瞳が、おれの魂をくじいてゆく。
……お、終わった……。……殺される……。……き、気絶しよっかな……。
抵抗は無意味だ。力も速度も魔力も精神力も知識も覚悟でさえも、何一つおれが勝っている部分はない。
走馬燈はなぜか全裸のポージングだった。
「来い、アルカン」
「う、うわっ!?」
真っ赤な瞳を逸らし、魔王はおれの胸ぐらから襟首へと持ち替えて、そのまま引きずるようにして爆発で折れ曲がった扉の前に立った。
「ふん、歪みおったか。邪魔だ」
歪んだ扉を一瞥してから、シエルが片足を持ち上げた。
直後、木っ端とか粉微塵という言葉を体現するかのように、歪んだ扉が回廊の壁に叩きつけられて粉砕する。
そうして暴虐の笑みを浮かべ、シエルはおれの耳元で囁いた。
「用を果たさぬものに価値などない。扉なら扉、兵ならば兵。参謀ならば参謀。そうは思わんか、アルカン?」
「おひ!? へっふん……!」
「ハハ、ハーッハッハ! 貴様、何を言っておるのかわからんぞっ!! ハッハッハ!」
必死でうなずくおれを豪快に笑い飛ばし、魔王はおれを引きずって歩き出す。
そうしておれはシエルに引きずられたまま、薄暗い回廊の地下へと連行されて行くのだった。
あ~あ、やっちゃった……。