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もっとおいしいものを食べようよ!①

彼はいつも必死です。

 またか……。

 下級の魔物に運ばせた昼食に視線を落とし、おれは大きなため息をついた。

 石皿の上には、大小様々なナマニクが載っかっている。


 前菜(オードブル)はナマニクの刺身。脂身の少ない赤身部分を大胆にやや分厚めにカットしてある。塩やソイソースらしきものはない。


 お次は新鮮なナマニクのサラダ。向こう側が見えるくらいに薄くスライスされたナマニクが一枚ずつ丁寧に丸められて重ねられ、赤い花弁のように芸術的に盛られている。見事な盛りつけ技術でありながら、当然のように味はない。


 スープは骨から取った出汁にナマニクを入れただけのもの。脂が浮いていて、血の色でうっすらと色づいている。やはり味つけはなく、ひたすら血生臭い。


 メインはナマニク。棍棒と見紛うほどに巨大で、サシの入った骨つきだ。むろん焼いていないし味はなく、最も胃と精神にくる厄介な食い物だ。


 口直し(ソルベ)は角切りにされた、薄ら甘いナマニクだ。どうやって味をつけたのかは不明。若干色味が変化していることから、熟成させたと予想。


 そしてチーズ。こいつはまともだ。悪くはない。


 デザートは凍らせて摺り下ろしただけと思しきシャーベットナマニクにチーズを添えたもの。味は察しの通りで、それ以上でもそれ以下でもない。


 だが、食後の一杯は選べる。獣の生血かミルクだ。


 野蛮な魔物どもの分際で、一丁前にナイフやフォークやスプーン、果てはナプキンまでもが用意されているのがまた腹立たしい。

 わかるか? この異常な食事が。

 ナマニク、ナマニク、ナマニク、ナマニク、ナマニクナマニクナマニクナマニク! 来る日も来る日もナマニク! 昨日も今日も、明日も明後日もナマニク! 未来永劫ナマニク!

 アホッッか! コレステロール溜まって血管詰まって死ぬわッ!


「あ~~~~~~~~~も~~~~ぅ、この野蛮生物どもがぁぁぁッ!!」


 おれは勢いよく立ち上がって、テーブルに両の拳を叩きつけた。テーブルも食器も石でできているから、ペチっとマヌケな音がした。

 なんか勢いづいていただけに、ちょっと恥ずかしい。

 痛いし。魔力を込めないと、人間の力なんてこんなもんだ。


 お誕生日席のアシュを始め、南の魔王軍幹部連中と、部屋の隅で控えていた魚人の給仕が不思議そうな目でおれを見ている。

 オーク族のブタ野郎が不思議そうに尋ねてきた。


「ブヒ? 参謀様、何か気に入らないものでもあったブヒか?」

「最初っから最後まで全部だっ! 何これ? ナマニクナマニクナマニクナマニク! 野菜は!? 魚は!? 米は!? パンは!? せめて味くらいつけろ!」


 南の魔王軍では多種族の調和のため、魔王が先代だった頃から幹部連はともに食事を摂ることが決められているらしい。おかげで参謀に格上げされる前のように、一人でこっそりと調理をすることもできなくなっていた。


 魔王城の魔物はおよそ三百体といったところか。そのうち、草食系と特殊なものを食う魔物を合わせておよそ百体。ニクを食うやつは上限で二百体だ。

 ちなみに、草食系の代表であるミノタウロス族の主食は草だ。肉体が大きすぎるため、長テーブルにはつかず、一体だけ地べたに座って飼い葉をモシャモシャ食べている。その他の特殊な食料とは、魔法生物であるガーゴイル族の砂や、ウンディーネ族の水などのことだ。

 ややあって、アシュが小さく首を傾げた。


「アルカンって、時々人間みたいなこと言うんだねえ」


 お、おおう……。

 ぞぞっと悪寒が走った。周囲の魔物どもの視線が怖い。もしも人間だとバレでもしたら、さすがにこの状況での脱出は難しい。

 おそらくアシュとリリンを除けば戦闘力的には問題にならない。けれどそういったこと以前に、おれはリリンやゴイルの旦那、ポチ子と殺し合いをしたくはない。


 しかしここは退けない。

 このような食生活を続けていては、人間であるおれだけが寿命を削られてしまう。魔王の暗殺のために危険を承知で潜入したのに、不摂生なんかで死んでたまるか。そうならないまでも、成人病なんかになってしまっては目もあてられない。

 何か……何か言いくるめる方法はないのか……!

 隣の席に座っていたリリンが、石のテーブルに片肘をついた。


「アルカンは鬼族だからじゃない? ほら、あたしたち南の魔物って、東の妖怪連中のことは全然知らないじゃない? 根本的に食生活が違うのかもしれないわよ。あいつら、生魚をソイソースで食べるって言うし」


 いいぞ、リリン! おまえ、ほんとは天使だろう!


「そ、その通りだ。我々鬼族に限らず東の妖怪は様々なものを食す。それも、わざわざ食材を調理してだ。いいか、調理と言っても切るだけじゃないぞ? 火を通して匂いを楽しみ、塩や砂糖で味をつけ、アクセントとなる薬味を添え、栄養のバランスを考えて野菜も摂る」

「おべんと! さんぽ!」

「そうだ、ポチ子。焼きたてはホッカホカに温かいし、味つけをしっかりすれば、弁当にして冷めてもうまいぞ? ちょっとした温度で腐るしかないナマニクとは大いに違う」


 ポチ子が石のテーブルに両手だか前足だかを乗せて、千切れんばかりに尻尾を振った。


「それにな、それが健康を保つことにも繋がっているのだ。すなわち東の食事を採用すれば、我ら南の魔王軍そのものの戦力を底上げすることにもなるだろう」


 ざわめきが広がる。

 いいぞ、みんな手を止めておれの話を聞いている。洗脳するなら今しかない。

 おれは鮮血色のマントを翻し、朗々とした声で叫ぶ。


「つまり食生活さえ正せば、貴様らにもまだまだ強くなる余地があるというものだ! 西の魔王軍だあ? 人間どもの王国ゥ? ハッ、そのような輩は蹴散らせッ!」


 なんか墓穴掘ってる気がするが、もうどうでもいい! おれはうまいものが食いたいんだ!

 向かいの席でナマニクを汚らしく頬張っていたゴブリン族のゴブ蔵が、くわっと目を見開く。鋭い牙を見せながら立ち上がり、食べ滓を飛ばしながら叫んだ。


「あっしらみたいな下位の魔物でもマジ強くなれるスか! 農業以外でも役立てるスか!」

「もちろんだ、ゴブ蔵。だが、ゴブリン族の功績はそれだけじゃねえぞ。おまえらの作った野菜が年中食えるようになったら、この軍は比較にならぬ強靱さを手に入れることになろう」

「パネェ! それオニパネェス、アニキ!」


 まーゴブリンじゃ強くなったところで、たかが知れてるけどな。

 もちろんそんな言葉はつけ加えたりしない。


「アシュもー? 力持ちになれるー?」

「いや、おまえはそれ以上強くならなくていい。ほんと世界が滅ぶから」


 がっくりうなだれるアシュはさておき。

 予想通り、オーク族は不満げな表情をしてやがる。ミノタウロス族もそうだが、こいつら魔獣種と呼ばれるやつらは、何かとおれに逆らってくる。ポチ子を除いてだが。

 あとはスライムのオッサンなんかもだ。やたらと反発するのは、やはり人間から最もかけ離れた種族だからだろうか。

 オーク族のブタ野郎が、ニヤケたツラで言い放った。


「でも参謀様、コック長様がなんと言うかが問題ブヒ。オラたちはコック長様のナマニクで十分ブヒよ」

「コック長だと? そんなやつがいたのか? まあ、かまうことはない。おれが行って話をつけてくれば問題ないだろう」

「ンモ!? やめたほうがいいモ~ゥ……」


 飼い葉をモシャってたミノタウロスが、突然顔を上げて困ったような表情をした。スライムのオッサンが容姿を突然液状化して、脅えたような声を絞り出す。


「う、うむ。あ、あれは……その……まともな話の通じる輩ではないぞ、参謀様……」

「ブヒヒ! オラたちはちゃあんと警告したブヒよ! ブヒヒ! ほらほら、さっさと行くブヒ! ピギ、楽しみプギィ!」


 血管がブチキレそうなくらいにムカつく。

 おれがまだ勇者やってたら、てめえのメタボッ腹を輪切りにしてステーキにしてやったところだ。実際問題、旅の間はそうやって食事を摂っていたのだから。

 知ってるか? 一部の魔物ってのは結構美味いんだぜ? さすがに言語を話す二足歩行のやつは食ったことはなかったが、ブタ野郎を見ていると挑戦してみたくなる。


 だが、魔王シエルはこの城にいるすべての存在を愛していると言っていた。そして今、この部屋にはアシュの目がある。迂闊なことはできない。

 そんなことよりも、今は食い物だ。

 いくらコック長とやらが話の通じる輩ではなかったとしても、魔王軍ナンバー2のこのおれが行けば従うはずだ。


「よし、では今から行ってこよう。誰か道案内を頼めるか」


 誰も名乗りを上げない。

 性格の悪いブタ野郎や根性なしのミノ吉、スライムのオッサンは論外か。ポチ子についてったら散歩させられそうだし、ゴイルやウンディーネはそもそも食い物が違うから、この件に関わらせるのも酷な話。

 となると……。


「リリン」

「ん? ああ、ごめんなさい。あたし厨房の場所を知らないから」

「そうか。おまえはおれと同時期に入団したんだったな」

「ええ。まあ、何かあったらいつでも手伝うから呼んで。遠慮なくね?」


 リリンがパチっと綺麗なウィンクをして、おれはなぜか視線を逸らせた。

 くそ、いちいち意識するなよ。相手は魔物だぞ、敵なんだぞ、おれ。


「お、おお。ありがとな。じゃあ――」


 おれは長テーブルを見回す。

 キラキラと目を輝かせ、おれの言葉を待っている魔王で視線を止める。

 うわぁ……こいつしかいねえ~……。


「アシュ、頼める? や、断ってくれてもいいんだけど。いや、むしろ場所だけ教えてくれたらおれ一人で行ってく――」

「アシュにまかせろー! リリンには無理でもアシュならいけるぞー!」


 ですよねー。アシュといいシエルといい、なんでおれ魔王にこんなに気に入られてんの?

 諦観の念で、ため息混じりに呟く。


「じゃあ頼むわ」

「はぁ~い!」


 アシュが椅子から降りて一度おれのほうへと駆け出しかけてから足を止め、自らの席に並べられたナマニクのフルコースを両手でつかんで口に詰め込む。


「あうあん、ひょっとまっへ!」

「はいよ」


 どうやら、席を立つ前にすべて食べてしまうつもりのようだ。すべての料理を手づかみで次々と口に運んでいる。


「もぐ、んぐ、へぐっ!? ん! んんんんっ!? ……ふんが~っくっく!」


 どうやら詰まったらしい。スープとは名ばかりの、ナマニク汁で流し込んでいる。


「……別に焦らなくてもいいぞ」

「らいじょぶ! ごぶ、ごびゅ! げびゃごほっ!」


 ほら言わんこっちゃない。噴出だ。欲張りすぎたリスみたいな食い方をしているからだ。

 他の魔物らが、あわてて自らの皿を遠ざけた。


「どう見ても大丈夫じゃねえんだが」

「らいりょぶ! もがっ!」


 それにしても、なんという適当な食べ方か。まるで離乳食を始めた一歳児だ。もうナマニクの脂や血で、アシュのワンピースはグロ色に染まっている。

 一通り食べたあと、その手をワンピースのスカートで拭きながら駆け寄ってきた。

 頼むからハンケチーフくらい持ってくれ。紳士淑女の嗜みだぞ。


「お待たせ、アルカン!」


 おれはついつい反射的にハンケチーフを取り出して、アシュの手を取って拭ってやった。


「ったく、もう」

「わあ……。ありがと」


 これじゃまるで魔王の世話役だ。

 ああ、ほんっとに何やってんだかな。念のために言っとくが、これは別にアシュのためにやったのではない。おれの服を汚されては適わんからだ。そうに違いない。そうに決まってる。それ以外の何がある。


「あれ? おまえ、魔王の王冠どうした? 前はぶら下げてなかったっけ?」

「えへへ~。西のまおー軍とケンカしたとき、どっかいっちゃった!」


 悪びれた様子もなく、アシュが無邪気な笑みを浮かべた。

 そういや、その頃から見なかったっけ。ほんと適当生物だな、こいつら。王がその証を紛失するなど、セラトニア王国では考えられない失態だ。

 まあ、どうでもいいか。


「んじゃ、厨房まで案内してくれ」

「はぁい!」


 アシュが嬉しそうに小走りで食堂を出て行く。歩いてそれに続こうとしたおれに視線を向けて、ゴイルの旦那が静かに石のハットを押し上げた。


「気をつけろよ、参謀殿。私やウンディーネはそれでも生きてゆけるが、有機物を食す必要のある者が彼女の機嫌を損ねれば、この城で食事ができなくなる。あれはとてもケンカっ早い」

「忠告ありがとよ、ゴイルの旦那。けど、別にケンカしに行くわけじゃねえから大丈夫だろ」

「ならばよいが」


 ゴイルがハットを下げ、再び砂をスプーンですくって口へと運んだ。ジャリジャリ言わせながら、石像は砂を噛み潰して呑み込んでいる。


「うめえの、それ?」

「悪くはないぞ。試すか?」


 ゴイルが石皿をおれの目の前に出して、意地の悪い笑みを浮かべた。


「はは、さすがに食えねえよ」

「フ、冗談だ。砂や土は欠けた肉体の修復にあてることができる。味とやらを感じる器官は、我々ガーゴイル族には存在しない。それだけのことだ」

「そいつぁ残念だ」


 少し顔を見合わせて笑ったあと、おれは視線を戻して歩き出す。食堂をあとにして薄闇の回廊へと。

 むろん、回廊と言ってもセラトニア城のように磨かれた石でできた上等なものじゃない。会議室や食堂と同様、床も壁も自然の岩のままだ。外観こそ古城ではあるが、その内部は山をくり抜いて造った洞窟のようなものだ。魔王の部屋以外は。

 どういうわけか、補充せずとも自然と窪みに溜まる不思議な油を利用して、灯りとなる炎が揺れている。


「あんにゃろ……」


 いねえ。案内しろっつったのに、嬉しがって先に行きやがったな。

 食堂の扉を閉めて、胸一杯に空気を吸い込む。


「ぅおおおお~~~~い、アァァーーーーシュゥゥーーーーー!」

「……………………ぁ…………ぁぁああ~~いっ!!」


 遠くのほうから聞こえた声が急激に近づいてきて、おれの目の前で裸足を滑らせて止まった。


「先に行くなよ。道案内してくれって言っただろ」

「そっか~。うっかりだねえ」


 両手を後頭部に置いて、アシュが楽しそうに身体を左右に傾ける。


「じゃあ頼むよ」

「あ~い」


 アシュが回廊をトテトテと歩き出す。十数歩進んだところで、その足が止まった。


「どうした?」

「ここだよー」

「は?」


 なんのことかわからなくなったおれを尻目に、アシュは右隣にある扉を指さす。


「厨房でしょ?」

「…………こんなに近いのかよ! おまえ、さっきなんであんな遠くまで走ってったの?」

「む? む~ん……」


 額に縦皺を寄せ、瞳を閉じて首を傾げる魔王アシュタロト。


「でも、お城の回廊はくるっと一周してるから、そのうちついたよ?」


 なんで遠回りしたのかって話なんだが。まあいいか。深く考えるのはよそう。


「わかった。もういい。なんか楽しくなって突っ走っちまったんだな」

「そう、それ! すごいねー、なんでわかるの? 参謀だから?」


 おまえが三歳児くらいの知能だと思ってるからだ。

 言葉には出さず、おれはため息をつきながら扉に手をかけた。ゆっくりと押し開く。思いの外、扉はあっさりと開かれた。

 なかの様子を見ようとした瞬間――!


 この一ヶ月をぬるま湯のなかで過ごした身体で反応できたのは、まさに奇跡だった。

 おれはほとんど無意識に腰に吊していた剣を抜刀していた。だが鞘から抜けきるよりも早く、巨大で幅広な銀閃がおれの剣を打つ。


「イ――ッ!?」


 甲高い金属音と火花が散って身体が浮かび、おれは踏ん張ることさえできずに厨房の壁へと勢いよく叩きつけられた。


「がはっ!?」


 息が詰まり、激痛が背中を走り抜ける。


「ニクゥゥゥ!」


 壁で跳ね返ったおれの首へと、巨大な鉈のようなものが振るわれた。

 ――ッ!

 とたんに勇者としての防衛本能が目を醒ます。

 おれは身を低くして紙一重で鉈をかいくぐる。鉈によって、頭部付近の壁が引っかかれて岩肌の破片が飛び散った。

 おれはがら空きとなっているそいつの胴体部へと剣を薙ぐべく、深く踏み込む。


「――ッこの!」


 振り下ろしたおれの刃がまさにそいつの脇腹へと侵入しかけた直後、偶然視界の端に捉えたアシュの姿に魔王シエルを思い出し、おれはギリギリのところで刃を止めた。


 互いに肩で荒い息をしながら、至近距離で睨み合う。

 ほんの一瞬の攻防。たとえば手に持ったスプーンが床に落ちるまでの時間。たったそれだけの間に、おれは一瞬だが死を覚悟した。


「はっ……ふ……、……ふう~……っ」


 危ねえ~! マジで斬っちまうところだった!

 たぶんこいつを殺していたら、おれは怒り狂ったシエルに殺されていただろう。

 勇者としてこの城に攻め入った際に、ほとんどの上位の魔物は斬り捨てたと思っていたが、まだこんなに強力なやつが残ってやがったのか。

 そいつもまた、巨大な鉈を振り切った状態で目を剥いて止まったままだ。


「どなたですか? 料理中は何人たりとも入室をゆるさないと申し上げたはずですが」


 女――女の声だ。

 女がゆっくりと大鉈を下ろし、全身から力を抜いて数歩下がった。


 あまりアテにはできないが、見た目はリリンよりも年上か。目鼻立ちのくっきりとした顔を歪め、気の強そうな表情をおれに向けている。エプロンは獣の返り血を浴びて赤く、部屋全体が血生臭さに支配されていた。

 見回すと、凄まじい広さの厨房に、これまた凄まじい量のナマニクが吊されている。

 まさかとは思うが、これを全部一人で捌いているのだろうか。


「すまない。来たばかりでそういうルールがあるとは知らなかったんだ」

「あなたに言ったわけではありません」


 血と脂にまみれた不似合いなくらいに大きな鉈で右肩をとんとんと叩きながら、女はアシュをギロリと睨みつけた。

 その段になって、おれはようやく自分の剣を鞘へと収めることができた。


「えへ~、そうだっけ? そう言えばそんなこと言われてた気もするなー」

「……おい~……頼むぜ、アシュ。おれ死んじゃうところだったじゃねえか」

「まったくです。わたしも殺られたと思いましたよ、このおバカ魔王。あなたから先に捌いて差し上げましょうか」

「うぴゃ!? あわわわわ……」


 アシュが大慌てでおれの背中に隠れた。


「で、ご用件は? 忙しいんですけど。こちとら毎日二百体分のニクを三食捌かなければならない身ですから。……というか、あなた誰です?」


 あらためて彼女を眺める。

 銀色の髪に薄いブルーの瞳。見た目の年齢は二十代から三十代前半といったところか。全身から凄まじいまでの生命力が滲み出し、エプロンに大量に付着している返り血がより一層彼女の凄味を強く押し出している。

 筋肉により引き締まった肉体は躍動感に溢れ、己の身長ほどもある大鉈を片腕で振り回す様は、まるで歴戦の戦士だ。


「あんたこそ何者だ?」


 そう尋ねた瞬間、大鉈がおれの首を目がけて振り抜かれていた。

 ひぃぃ!

 またしても反射的に剣でそれを防いだおれは、躊躇いの一切なかった彼女の行動に全身の毛穴が開く感覚を味わった。

 一撃が異常に重い。剣を持つ手が衝撃で麻痺しそうだ。


「質問に対して質問で返すのは失礼ですよ。もう一度訊きますね。あなた誰です?」


 そ、そんな理由だけで殺されかけたのか……。ケンカっ早いとかいうレベルじゃないだろ、これ……。


「ア、アルカンと申すものだっ。先月、魔王軍の総参謀に就任したっ」

「そうですか。それはどうも初めまして」

「初めましての前に消されそうになったんだけどッ!? おれニクじゃねえし、いちいち殺しにかからないでくれるッ!?」


 銀髪の女が振り切った大鉈に視線をやって、事も無げに微笑んだ。


「ああ、ほんとだ。すみません。無意識でした」


 嘘つけ! ほんとだったら完全に呪われし伝説の狂戦士様々じゃねえか!

 大鉈が引かれて、再び彼女の肩へと乗せられた。

 も、もう最初から剣抜いとこ……。


「でもまあ、ここなら殺しちゃってもニクにして晩餐にできますからご安心を。魔物連中は皿に載せさえすれば、なんでも気にせず食べますから」


 やめて!? 怖いから聞きたくない! ――ん?


「魔物連中は?」

「ああ、はい。わたし人間ですから。アルカンさんもそうなのでしょう?」


 バッ!? え? ちょ……な? え、何? この人、人間なの? 何してんの、こんなとこで?

 いかん、先に否定をせねばならんというのに、脳みそがついてこない。

 アシュがおれの背中から顔を出して、ベーッと舌を出しながら吐き捨てる。


「アルカンは鬼族だよぉ。ニンゲンに変身する秘術で、ニンゲンになってるだけだもん!」

「そ、それだ! じゃない! そうだとも! あのような下等な生物どもと一緒にするんじゃあない! だから二度とおれを人間だなどと……え、ちょ、待――ごめっ!」


 アシュに話を合わせた瞬間、おれとアシュを一刀両断にできる角度で大鉈が薙ぎ払われた。とっさにアシュを片手で庇いながら剣を立てる。

 バギンッと音がして、安物の剣が悲鳴を上げる。

 だが勢いに押され、おれとアシュの身体が浮いた。おれは両足で着地をするも、アシュだけが投げ出されて厨房に転がった。


「ぷぎゃん!」


 心臓が壊れたかのように跳ね回っている。

 倒れたアシュの股ぐらから、黄色い汁が漏れ出した。それを見た女が、面倒くさそうに舌打ちをする。


 お、おおお……。

 いや、無理。もう絶対無理。この人嫌い。話通じない。もうヤダ。


 魔力で強化した剣よりも、おれの腕のほうが先にイカレちまう。殺すよりも話し合うほうが難しいタイプだ。ゴイルの旦那も、もうちょっと詳しく教えてくれりゃいいのに。

 ぐびっと唾液を呑み下す。


「落ち着け! 頼むから一旦落ち着いて!」

「え? 落ち着いてますよ。――あら、うふふ。また無意識でした」


 大鉈を振り切った体勢で自らの獲物に視線をやって、彼女は無邪気に微笑む。そうして先ほど同様、まるで血を飛ばすかのように振ってから肩に刃を置いた。


「あなたが下等生物だなどと言うからですよ。侮辱されるのは好きではありません」

「あ、はい。すみませんでした……」


 見たとこ、魔力の流れは感じられない。となると、あの細腕の腕力だけで、大剣並に重量がありそうな大鉈を軽々と振り回しているということだ。

 ちょっと考えられないんですけど……。


「と、とにかくだ。おれは鬼族アルカン。新しく南の魔王城に就任した総参謀だ」

「はい。二度目の自己紹介ありがとうございます」


 震える息で、胸を撫で下ろす。


「で、あんたは?」

「先ほども申し上げましたが、私は人間ですよ。ここでコック長をしております、レイン・アシュタロトと申します」

「やはり人間! なぜ人間がここ……に――アシュタロト!?」

「はい」


 え?

 小便を漏らして失神した魔王シエル・アシュタロトと、目の前で人間を名乗るレイン・アシュタロトを交互に見つめる。


「か、母ちゃん? こいつの?」

「はいっ」


 レイン・アシュタロトは、晴れ晴れとした笑顔でうなずくのだった。


彼女はちょっぴり短気です。

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