魔王だって色々考えてるんですー!⑤
名前のない怪物。
*
いつものように食堂で朝食を摂り、定例報告を聞く。アシュは楽しそうに喋り、その邪魔をしている。
昨夜の出来事が夢であったかのように、リリンもいつも通りだ。ナイフでニクを切って、フォークで上品に口へと運ぶ。表情に変化はない。
先ほどからブタ野郎がおれに何かと食ってかかってきているが、まるで耳に入らない。スラッサンの皮肉もだ。それどころか今朝からようやく復帰した、ゴイルやポチ子、それにゴブ蔵の声でさえも響かない。
おれの頭は、昨夜の出来事でいっぱいになっていた。
何度も何度もリリンの言葉を反芻し、考え続けている。けれど明確なこたえらしきものは未だ浮かんでこない。
ああ、シエルの言っていたアシュの思考とは、こういうことなのかもしれない。
靄が晴れず、正答まで辿り着けず、挙げ句それでもあさっての方向へと突き進んでしまう。こんな不安を抱いたまま、アシュは魔王として歩き続けてきたのだろうか。それとも不安であることにすら気づかぬほど、知能が低下しているのだろうか。
どうでもいいことを考えながら、機械的に少量のサラダを口に運ぶ。
味もわからない。
「――ニキ、アニキ?」
「……? あ、ああ、なんだ?」
おれは虚ろな視線を斜向かいに座っているゴブ蔵へと向けた。
「ぼーっとしてどしたッスか?」
「なんでもねえよ。何か用か?」
しばらくおれの顔を見つめていたゴブ蔵が、ほんの一瞬だけリリンに視線を向けてすぐに戻し、気を取り直したように明るい口調で言った。
「ッス。アヌビスン家の図面があがったんで見てもらってもいッスか?」
「ぽちこのいえかー!」
おれの右隣でポチ子が椅子を蹴って立ち上がり、勢いよく尻尾を振った。
「ッスよ~、アヌビス。アニキの頼みだし、マックスマジでやってやるッス」
「おー! ごぶぞー、あとでぽちこをモフらせてやるぞー?」
「や、チョーいらねッス。マジ犬臭くなるんで」
「が~ん、ぽちこしょっく!」
猿と犬は古来より仲が悪いためか、興奮しまくっているポチ子に対してゴブ蔵は極めて冷静に対処している。おれは差し出された図面に首を振ると、ゴブ蔵に押し返した。
「……すまん、あとでおれの部屋に放り込んどいてくれ。ちゃんと見ておく」
「ア~イッ」
再び歓談の場に戻り、皆それぞれに自らの皿に載せられた食料を平らげてゆく。
おれが反論も何もせず黙ったままだったためか、ブタ野郎の皮肉の矛先がいつの間にかアシュへと向けられていた。
やつらは同族を殺されているのだから必死だ。そしておれはその犯人を知っている。だが口に出すことはできない。その煽りを受けて、アシュは魔王としての不甲斐なさを責められている。
なのにおれは割って入ることはおろか、アシュの顔さえ見れなかった。
やがて食事を終えた魔物らがそれぞれに与えられた仕事に就労すべく、食堂から出て行く。おそらくは不自然な行動を見せぬようにだろう。リリンもこの場を去って行った。
息苦しい……。
給仕さえいなくなった食堂で、おれは顔を上げてようやく気がついた。未だお誕生日席に座ったまま額に縦皺を寄せて、似合わない真剣な表情でおれを見ていた赤い視線に。
「アシュ……」
「大丈夫、アルカン? 顔色悪いよ?」
ようやく自分に気づいてくれたとでも言わんばかりに、アシュがお誕生日席の椅子から裸足で滑り降り、ぺたぺたと足音を響かせながら近づいてきた。
「大丈夫だ。なんでもない」
絞り出した声が掠れた。
「でも、なんか」
おれの真横で足を止めたアシュが、心配そうにおれの手に触れようとして――。
「おれに触るな――ッ!」
声に驚いて止まった。思った以上の大声が出てしまい、おれは自己嫌悪する。
「すまん」
「アルカン……? どうしたの? やっぱりおかしいよぉ。ほら、しんどいならアシュとお風呂入ろ。最近寒かったし、温まったらきっとよくなるから~」
なんでおまえはそんなに――ッ!
気がつけばおれはアシュの両肩を強くつかんでいた。
「い、痛いよ、アルカン」
「アシュ、頼む、一つだけ訊かせてくれ」
おれは唾液を飲み、一拍おいてから禁忌の言葉を吐く。
「おまえは先代魔王を――父親であるヴィケルカール・アシュタロトを殺したのか?」
あるいはシエルとヴィケルカールの間に血の繋がりがなければ、これほどまでには気にはならなかったのかもしれない。けれど、この問題が喉に引っかかった小骨のように、ずっとおれを悩ませていた。
アシュの表情から笑顔が消えた。赤い瞳をこれ以上ないくらいに見開き、ただでさえ白い顔色をさらに青白く染めてゆく。
「ア、アシュは……」
昨夜のように、再び心臓が絞り上げられるかのような感覚に襲われ、おれは痛みを堪えるために歯を強く食い縛る。浮かべたつもりの笑顔が、醜く歪んでしまったのを自覚した。
「……こたえてくれ……頼むよ……。じゃなきゃ……おれはもう、どこにも進めねえ……」
「ア、アシュ……は……」
「殺したのか? おまえがその手で実の親を――」
アシュの口が形を変え、限界まで見開かれた瞳から涙がこぼれ落ちる。そうしてシエル・アシュタロトは、うつむき加減に苦しげに言葉を吐いた。
「………………殺した……よ……」
ただの言葉であるにもかかわらず、ハンマーで頭をぶん殴られたかのような衝撃に、意識が明滅した。
アシュが肩を拘束していたおれの手を強引に振り払って、両手で瞳を押さえながら回廊へと走り去って行った。
おれは叫んでいた。獣のように、怪物のように。
ただただ、あらん限りの声を絞り出して叫び続けた。幾ばくかの怒りと、あまりにも巨大な失望。そして抱え切れぬほどに育ってしまった悲しみを吐き出そうとして、とにかく叫んだ。
腰の剣を確かめて立ち上がる。
殺そう。シエル・アシュタロトを。殺されてもいい。勝てなくてもいい。だから殺そう。あれは生きていてはいけない魔の者だ。
叫びを聞いて食堂に集まった魔物らの頭を跳び越えて両足に魔力を宿し、おれはアシュの走り去った方向へと回廊を疾走する。
途中、顔見知りの魔物を跳び越えた。
ゴブリン族の長だ。そいつはおれの形相を見て、おれの殺意にあてられて、一瞬にして脅えた表情で腰を抜かした。
駆けつけてきたアヌビスの娘は尾を丸めて回廊横で崩れ落ち、石像ガーゴイルはその場で目を見開いて動きを止めた。
アシュの魔力を辿り、おれは一体の名前のない怪物となって回廊の階段を駆け上がる。
この先にあるのは魔王城で最も広い部屋、謁見の間だ。
赤絨毯の敷かれた謁見の間に飛び込んで、おれは王座の魔王に視線を向ける。
「……ッなんで!」
この世で最も忌むべき魔の者は、肉体のサイズに似合わぬ巨大な王座にすがりついて泣いていた。
おれに隙だらけの背中を向けたまま、自分の身長ほどの高さもある座面に上半身だけを乗せて、何度も何度も同じ言葉を呟きながら。
「……とーちゃん……とーちゃん……っ……とーちゃん……」
――父を愛していたし、愛されてもいた。
「だったらなんで殺したぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
剣を抜き放ち、魔力を足に集中させたまま身を低くして王座へと疾走する。
斬る速度に走る速度を加算しても、斬撃の瞬間に足から腕へと魔力を戻しても、剣速は倍にはならない。おれの斬撃はシエルに止められ、おれは今度こそ魔王に殺されるだろう。
でも、もういい。考えることに疲れた。殺せなくても殺すしかない。結果ですら、もうどうだっていいんだ。
なあ、シエル。もう終わりにしよう。
アシュがおれに気づき、王座から離れて逃げるために走り出す。おそらく無意識にだろう。アシュも両足に魔力を通わせている。
おれはその背を追って方向転換をした。
アシュを挟んで、おれの対面に風が巻き起こった。
漆黒の翼を広げ、金髪碧眼の純魔が上空に出現する。
リリン――!
いつもとは違って、両手の爪すべてが細剣のように長く伸びている。
突然のリリンの出現に、アシュの足が一瞬止まった。リリンは静かに漂ったのち、突如として高度を下げ、地面すれすれの高速飛行でアシュへと迫る。
残り十歩。
剣速を倍にすることはできない。だが、おれと同じ剣速でリリンが両手の爪を同時に繰り出せるのであれば、いくらシエルといえども防ぐには腕が一本足りない。
リリンの左右の爪か、おれの剣か。どれか一つは確実にシエル・アシュタロトを刺し貫く。狙うべき箇所は頭部、頸部、心臓だ。
足を止めたアシュへと向けて、背後からはおれが、前方からはリリンが超高速で迫る。
三歩――!
ありったけの殺意を込め、おれは両足から剣を握る両腕へと魔力を移動させる。
だが、皮肉にも。死を覚悟しつつも殺意のみに支配されていたおれの脳は、同じ目的を持つリリンの出現によって勝ちの可能性を見出したためか、わずかながらの思考を取り戻していた。
本当にいいのか? こいつを殺していいのか?
脅えるアシュ。
その涙は自分のためか、先代魔王のためか、どっちだ?
一歩――!
間合いに入ると同時に剣を横薙ぎに振り、両腕の魔力を無機質な刃へと流す。
同時にリリンが鋭く伸びた両手の爪を、アシュの赤い眼球と、あまりにか細い首筋へと突き出した。
おれの刃はアシュの左半身、心臓を含めた軌道を取っている。
いいのか? 涙の訳を知りたくはないか? 後悔しないか?
刃が薄汚れた白のワンピースの布地を裂いて、魔王の皮膚へと浸入する。
後悔だと? バカバカしい! くそ、くそ、くそくそくそくそったれがッ!!
「そんなもん、するに決まってんだろうがぁぁぁッ!!」
アシュの背中の皮膚を引き裂きながら、おれは寸でのところで剣を跳ね上げる。急激な力の方向転換に両腕の筋繊維が破裂するのがわかった。
「アルカ――!」
リリンの表情が驚愕に歪む。
まだだ――!
おれはアシュの頭部上空をギリギリで通して、剣を強引に叩き下ろす。
今まさにアシュの両の眼を貫こうとしていた五本の爪と、首筋の頸動脈を裂こうとしていた残る五本の爪を巻き込んで。
「――ッ」
十本の爪が空間に散り、おれの剣を受けた謁見の間の石床が轟音とともに縦に裂ける。剣の巻き起こす烈風で、アシュが数歩よろけて後退した。
「アルカン、あなた――!」
剣を振りきった体勢で隙だらけだったおれの脇腹を、リリンが勢いよく蹴り飛ばす。
「がぐっ!」
おれは何度も跳ねて転がり、しかし魔力を通わせた刃を石床に突き刺して勢いを殺し、両足を地面につけた。
「はあ、はあ……。――待ってくれ、リリン」
「バカな男」
斬り裂いたはずのリリンの爪が一瞬で再生されてゆく。
「選ぶ女を間違えたの。あなたは」
「話を聞――」
風が吹いたと思った瞬間には、おれは右半身を刻まれていた。
まるで疾風。距離などないに等しい。
パッと血飛沫が散る。
「か……っ」
反射的に身体をひねらなければ、右腕を持って行かれていた。
鮮血が散って魔王城の床を濡らす頃には、リリンはすでに空中で回頭し、次の行動へと続く体勢を取っている。
おれが魔力を利用してどうにか作り出すことのできる限界速度を、彼女は漆黒の翼を一度羽ばたかせるだけで作り出している。
準備段階の早さが違う。それはすなわち加速性能の差。ヒトと魔の者の差だ。
振り返る余裕はない。おれは右手に持った剣を肩越しに背中へと回し、リリンの右手の爪を防ぐ。
金属を爪が引っ掻く嫌な音が響いた直後、左手の爪がおれの脇腹を抉った。
「痛――ッ!」
爪が臓器に達する前に横っ飛びで強引に引き抜き、追撃の右の爪を剣で払い除けて後退する。またしても石床に真っ赤な液体が飛び散った。
激痛の走る脇腹を片手で押さえて、おれはリリンを睨む。
「……くっそ、どいつもこいつも人の身体を好き勝手に穴だらけにしやがって……っ」
いろんな意味でやっちゃった。




