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異世界の勇者とかほんと迷惑だから帰ってくんない!?⑦

ゆうしゃ は まおう に くっぷくした。

     *


 二人揃って魔王の部屋までシエルに引きずられ、ヴィケルカールサイズのベッドに投げ上げられて数秒。おれは枕に腰を下ろしたシエルの前で、マリカの鼻面を指さした。


「だから言ったではないか! こいつが魔王だと! 余計な手間をかけさせおってからに!」

「そ、そんなこと今さら言わないでよ! だって、こんな小さな女の子が人類を滅亡寸前にまで追い込んだ魔王だなんて誰も思わないじゃん!」


 魔王シエルは頬杖をつきながら赤い視線を左右させ、二人の勇者、つまりおれとマリカを眺めている。


「だいたい、おれのことは信用したんじゃなかったのかよ!」

「アンタが信用を裏切るようなことをしようとしたからでしょうがッ! 小さな子供を傷つけるとか!」

「だから、それはアシュが魔王だからこそだろ!? その前提をおまえが信用しなかったから、こんな騒ぎになっちまったんじゃねえかよ!」


 シエルは瞬きをして口を閉ざしたままだ。


「魔王とはいえ、こんな小さな女の子なのよっ?」

「おまえはその小さな女の子を殺しに来た勇者だろうがっ! 言えた義理か!」

「それを言うならアンタだって――」


 待――っ!

 大慌てでマリカの口を塞ごうとした瞬間、シエルが口を開けた。


「貴様らだけか?」

「あ?」

「え……?」


 シエルが解せぬといった具合に、視線を向けた。


「この部屋に立ち入った者は、貴様らだけか?」

「あ、ああ、そうだが」


 マリカに視線をやると、マリカもまた大きくうなずいた。


「アタシたちがいたときに誰かがいたとしたら気配でわかるよ」

「……そうか。少々匂っているが……。ふん、ま、よかろう」


 シエルがぼうっとしている。


「シエル? どうかしたのか?」

「――すまぬな。少々、アシュであるときの記憶を漁っていた。貴様ら、私を覚醒させようとしていたようだが、何か用でもあったか? 頬の傷は軽いゆえ、あまり時間はない。話があるのであればさっさとしたほうがよい」


 そ、そうだった。肉体の傷が完全に塞がれば、シエルはアシュに戻ってしまう。


「マリカ、一時休戦だ」

「うん」


 おれとマリカが広大とも言えるベッドの上で、小さな魔王シエルへと向き直った。

 目つきと魔力を除けば、ほんとにただの小さな女の子だ。痩せぎすで不健康そうではあるが。


「このマリカの身の上なのだが――」


 おれはマリカが異世界から召喚されてきた勇者で、セラトニアの大賢者に騙されて魔王を討ちに来たことまでを端折りながら話す。


「ほう、貴様が異界書にある伝説の勇者ニホンジンとやらか」


 魔王が威圧の視線をマリカへと向けると、マリカがわずかに首を仰け反らせた。その額には汗の玉が浮いている。


「早とちりするなよ。マリカはこの城の魔物をまだ一体たりとも殺してねえぞ」

「それはたまたま貴様がいたからであろう、アルカン?」


 く……。

 アシュには雪原での戦いを見られている。つまりシエルにもその記憶があるということだ。


「それは……そうだが……」

「ふむ。被害が広がる前に殺しておくか」


 一瞬にして室内の温度が下がったかのような錯覚をおぼえた。

 背筋が泡立つ。


「待――っ」


 吐き出しかけた言葉が消滅するほどに気圧される。マリカが息を呑むのがわかった。

 冷静になって魔王シエルを見つめ、初めてわかったのだろう。

 マリカは強い。それこそ純魔種にも匹敵するほどの強さだ。


 勇者の道は困難だ。

 街を囲う城壁を一歩出た瞬間から、そこはヒトの手の及ばぬ大地となる。

 野良の魔物一体ならばともかく、種族によっては徒党を組んで冒険者を襲うやつらもいる。セラトニア以外の街が滅亡したことから、旅中で安らかな夜を過ごす地も、食料すらも得られなくなった。


 そんな過酷な状況のなかで魔物どもを薙ぎ払いながら魔王城にまで辿り着くなど、並大抵の人間にできることではない。精神も、肉体も、突出した者にだけ成し遂げられる偉業だ。

 それを見事に成し遂げ、ここに至った強者だからこそ見えてくるものがある。

 力を得て、速度を得て、魔力を得る。だが、近づけば近づくほどにその遠さを思い知るのだ。


 魔王種――。


 すべての魔物の頂点に立つ魔の王。

 だが、そのような種族など本当は存在しないとする説もある。そもそもが魔王とはその多くが純魔であり、彼らのなかで飛び抜けた力を持つ者が魔王となり、魔王となった者だけが魔王種と呼ばれるようになる、と。


 今のおれならばわかる。おそらくその説は正しい。

 魔王種が魔王を継ぐのではない。魔王を殺し、新たな王となった者が魔王を名乗り、その他の存在がそいつを魔王種と呼ぶようになる。つまり人間が魔王を殺して時期魔王を名乗れば、世界はその人間を魔王種と呼ぶようになる。

 また、魔王は先代魔王を殺すことでしか代替わりできないのだから、確実に先代以上の力を持つ者が次の王となる。それはつまり、代を追うごとに強くなり続けるということだ。


 たかが血統で勇者を名乗るなど、魔王どもの過酷さにしてみれば片腹痛い話だ。

 だが、だからこその疑問がある。魔王シエル・アシュタロトは、実父である先代魔王ヴィケルカール・アシュタロトを殺したのか。

 片膝を立てたシエルから庇うように、おれはマリカを背中に隠して剣の柄に手を伸ばした。

 どうにかできるわけでもないというのに。


「やめろ。殺すなシエル。こいつは魔王城の魔物を殺していないし、今後もそんなことはおれがさせない」


 シエルが小さな手で自らの顔を覆って表情を隠し、指の隙間から威圧を込めておれを睨む。

 心臓を素手で優しくつかまれ、捏ねくり回されているかのように胸が苦しい。冷たい汗がひっきりなしに全身を伝っている。


「こいつはただ、自分の故郷に帰りたいと願っているだけだ。この城の魔物が人間を襲わない限り危険はない。だから帰してやれば丸く収まる」


 シエルの全身から魔力が溢れ出し、巨大なベッドからも流れ落ちてゆく。


「それは私の知ったことではないな。殺しても丸く収まるぞ、アルカン。要はその女が世界から消えればいいだけの話だ」


 全身に汗が浮いて、おれは歯を食い縛った。


「マリカは殺させねえぞ……シエル……っ」

「違うな、アルカン。ああ、全然違う。貴様は間違っている。私にとって勇者マリカがどうあろうが知ったことではないのだ。わかるか?」

「何が言いたい……?」

「貴様にはもっと相応しい言葉があるはずだ。あの夜を思い出せ。できなければその女の生命はない」


 息苦しいのか、マリカの荒い呼吸がおれの首筋にあたっているのが煩わしい。瞬きをすることさえゆるされない、重い空気がのしかかってくる。


「剣を抜くなよ、アルカン。決して抜くんじゃあない。私と敵対するのであれば、貴様もだ。私はそれを望まん。ゆえに思い出せ、アルカン。私の言葉を思い出すのだ。そして正しく恥知らずな言葉を私に吐いて見せろ、友よ」


 何を言っているんだ、こいつは……。

 赤の視線を受け止めてマリカを背中で押し、おれはシエルを睨む。剣を持つ手に汗が滲み、滑らぬようにおれは一層強く握り込む。

 戦いとなれば、おれやマリカに勝ち目はない。ましてやマリカは素手だ。

 くっそ……どうする……? シエルはなんと言った……? 正しく恥知らずな言葉……?

 おれは顔を上げて剣の柄から手を離し、汗を拭って笑みを浮かべた。


「ごちゃごちゃうるせえぞ、シエル。おれが、このマリカをもとの世界に戻してえって言ってんだ。こいつが勇者だのなんだのは知ったこっちゃねえ。だから知恵を貸せ」


 シエルの顔から小さな掌がするりと落ちた。片頬にのみ、邪悪な笑みが浮かぶ。


「く……、くく、そうだ。それでいい。それでこそだ、アルカン。貴様のその恥知らずな言動は、私をいつも退屈から解き放ってくれる。愛しているぞ、アルカン。この城の魔物の誰よりもだ。もう二度と他の誰かのためだなどと、くだらんことを抜かすな。私を動かしたくば貴様自身の欲を叫べばいい」


 表情からは殺意が消えている。

 空間を支配していた空気が、一瞬にして弛んだ。

 おれは長い息を吐いて膝を崩す。


「意地が悪いな、シエル」

「ハッハッハ! 言ったはずだ。私は貴様の恥知らずな行動のすべてをゆるすと。だが、貴様以外の者、ましてや魔王城の外の者の欲を叶えてやるほどには寛容ではない。わかるな、アルカン? 次からは間違えるんじゃあないぞ」


 ずいぶんと気に入られたもんだ。

 マリカはおれの背中をギュッとつかんだまま、まだ震えている。


「大丈夫か?」


 言葉がうまく出ないのか、乾ききった唇の隙間から、わずかに吐息を漏らしながらマリカが小さくうなずいた。

 そんなマリカを無視して、シエルがおれに口を開く。


「しかし異世界からの召喚か。これはまた珍しい」

「おまえでもわからないのか?」


 シエルが隈のある瞳をしばらく閉じ、思案するように胸の前で両腕を組んだ。


「逆に問う。アルカン、マリカ。貴様らは召喚魔法がどのようなものか知っているか?」

「おれは使えねえから知らねえよ」


 マリカは声を出すことさえ恐れているのか、途切れ途切れにこたえた。


「あ……う……、アタシも……使えません……」

「ふむ。魔導書などというくだらんものが出回ったせいで、皆、魔法を勘違いしているのか」

「どういう意味だ?」


 瞼が上げられ、赤い瞳がおれたちに向けられる。


「貴様らは無自覚に召喚魔法を使っている。いや、言い方が悪いな。魔法と呼ばれているものは、本来すべてが召喚魔法だ」

「ああ?」


 シエルが人差し指を立てて、その先に無詠唱で小さな炎を灯した。


「たとえばこのような炎でさえ、無から有を創り出すことはできん」


 炎は小さな太陽のように丸みを帯び、しかし消えることなく安定している。推進力と爆散から免れない、おれの拙いフレイムボルトとは大違いだ。こんな魔法は初めて見る。

 だが、魔王であるシエルのすることだ。今さらこれくらいでは驚くに値しない。


「これも召喚魔法だ。シヴァールヴァーニ大陸、いや、この世界のどこかから炎を召喚しているに過ぎん。むろん、貴様らの扱うものも同じ。炎であろうと水であろうと、たとえ形や性質を変えたとしても、それはこの世界のどこかに存在するもの。人間はそれを術式で、魔物は魔の法で術者に集約させることで召喚している」


 な……んだって……?

 大賢者カルドですら、そんなことは知らないはずだ。


「その証拠に魔法は万能ではない。はるか天空を彷徨う隕石ですら召喚できるのに、手を触れずに物体を動かすなど、いかにも可能でありそうなことすらできんのだからな。それはつまり、手を触れずに物体を動かすという物質や現象が存在していないからに他ならない。言うまでもないが、磁石や風といったものは例外として話している」


 マリカがぽかんと口を開けている。

 おれも似たような表情になっているはずだ。


「だが、そうではないものも存在する」


 シエルが立ち上がり、ヴィケルカールサイズのベッドから飛び降りた。

 そのまま裸足でペタペタと歩き、本棚からいくつかの本を選んで小脇に挟み、跳躍して再びベッドの上へと戻ってきた。

 おれとマリカにそれぞれ本を投げて寄こし、シエルが再び枕に腰を下ろした。


「この世界にはない物体。つまり異界書だ。私自身、こうしてたまに召喚している」

「あ……」


 マリカが呟く。


「『銀河鉄道の夜』だ」

「ふむ。貴様はその異界書を知っておるのか」

「は、はい……。あの……昔の大作家が書いたもの……です」


 シエルが眉を寄せてマリカに顔を近づけ、人差し指でその顎を少し上げた。


「無用に脅えるな、勇者マリカ。私はそうされるのが好きではない。ご機嫌を取るなら私ではなくアルカンにしておけ。こやつの欲がなくば、貴様は五体満足にここから出ることさえできんのだからな」

「う、うう……へうぅぅ……」


 マリカが一瞬で泣き顔に変化する。

 おれはシエルの手を取って、マリカの顎から離した。


「やめろ、シエル」

「冗談だ。こやつがあまりに貴様に近づくものでな。少々妬いた。――ゆるせよ、マリカ」


 どこからどこまでが冗談だ、この魔王め。おれは騙されんぞ。

 でも、なんでちょっと喜んでるんだ、おれぇ……。


「そんなことより、異世界から召喚できるってことは送還も可能なのか?」

「いや、事はそう単純ではない。召喚時には術者が楔となり、世界のどこかから術者の位置に喚び寄せることができる。だが、送還に関して言えば、送り返すべき場所がわからん。異世界ともなれば、それこそお手上げだ。ゆえに生物の召喚というものは、あまり軽々しくすべきではない。人間どもの間では、おそらく禁術とされているはずだ」

「確かに。精霊召喚術でさえ禁書にしか載ってねえから、おれには使えなかった」


 シエルが右手を高く持ち上げる。またしても無詠唱で何かを喚び寄せた。

 丸い物体に文字が記され、台座の上に置かれている。世界儀というやつだ。つまりはこのシヴァールヴァーニ大陸を含んだ世界全体を表している球体形の地図だ。

 シエルが球体部分を手で回転させる。


「これがこの世界の自転だとする」


 指先でデタラメに止める。水色の海。


「このように、世界のどこかに送還することまでは可能なのだが、デタラメに送還しても海に落ちる恐れがある。むろん、ニホン以外の国に落ちる可能性もだ。むしろそのほうが高い。そうであろう、勇者マリカ?」

「はい……。日本は小さな島国で、地球――世界全体から見れば、偶然そこに降り立つなんて無理だと思います……。アタシのいた世界は七割が海だから……たぶん……」


 なんてこった。


「もっとも、マリカの契約者、つまりは召喚者であればマリカの記憶を楔に送還することができるはずだ」

「セラトニアの大賢者にしか送還できねえってことか」


 うつむいたマリカの瞳から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

 魔王軍でセラトニアを攻めて大賢者カルドを捕虜にする。もしくはこっそり忍び込んで大賢者カルドを攫ってくる。

 どちらも現実的ではない。どのみちあの頑固爺は口を割らない。セラトニア王国のためなら、自分はもちろん他人の死さえも厭わない冷徹な堅物だから。無能な国王メディルの下、セラトニア王国が人類最後の国家となり得たのは、裏に大賢者カルドがいたからだ。


 残る方法は一つ。魔王を殺せば送還してもらえる。

 むろん、これも不可能だ。魔王は殺せない。


「アタシ……これからどうしよう……。……行くところも帰るところも……ない……」


 こればっかりは、おれやシエルにもどうしようもない。

 そう思った瞬間、シエルがため息混じりに呟いた。


「方法はなくもない。マリカと召喚者の魂を切り離すため、新たな召喚者と契約をする」


 マリカが泣き顔を上げた。


「新しい……召喚者……?」


 左右に視線をやって、おれで止める。

 シエルのものとは違って、神秘的な黒い瞳が涙で潤んでいた。


「む、無理だぞ。おれにはそんな高度な召喚魔法は使えん。隕石が限界だ。生物も無理だし、異世界となるともう未知の領域だからなっ」

「お願い……アルカン……」

「や、お願いされてもやり方がわかんねえんだって! だいたいあれだ! 魂で契約をするってことは、おれが死んだらおまえだって死ぬってことなんだぞ!」

「あんな大賢者とかいうお爺ちゃんよりは長生きするじゃん……」


 マリカの表情が悲しげに歪む。

 あ、あ、泣いちゃう……!


「バカヤロ、お、おれはいずれ――」


 言えない。いずれはシエルと戦わなければならないおれなんかよりは、カルドのほうがまだ長く生きられる可能性があるだなどと、本人の前では。


「ならば私がなろう」

「へ?」

「え?」


 おれとマリカが同時にシエルのほうを向いた。


「気が進まんので黙っていたが、もうあまり時間がない。アルカンの言う通り、貴様はこの城に長居すべきではない招かれざる客人だ。殺してやってもよいのだが、アルカンがそれを願わんのであれば、とっとと失せてもらったほうが何かと都合がいい」

「で、できるの?」


 薄く笑うとシエルはヘタリ込んだままのマリカに歩み寄り、突然その首を手でつかんだ。


「あ……ぐっ!? な……な……にを……?」


 あまりの出来事にマリカの瞳が恐怖に見開かれる。


「おい、シエル!」

「黙って見ていろ、アルカン」


 シエルはそのままゆっくりとマリカを引き寄せ、上から覗き込むような体勢で長い白髪のなかにマリカの頭部を引き込むと、ゆっくりと凄味のある言葉を吐いた。


「できるのか、だと? 誰に言っている? ひよっ子勇者め」


 言うや否や、シエルはマリカの首をつかんだまま、顔を下げてマリカに唇を重ねた。

 う、おお……っ? えええぇぇぇ……?


 しかしそれは一瞬の出来事で、シエルは乱暴にマリカを突き飛ばした。ヴィケルカールサイズのベッドを転がったマリカが喉に両手をあて、酸素を求めるように喘ぐ。

 一方のシエルは舌打ちをしながら唇を、腰に巻いたままのおれのマントで拭っている。


「まったく。女と唇を重ねるなど気分の悪い。だから気が進まんのだ」

「じ、自分からやっといておまえ……」

「遊びではないぞ、アルカン。これは契約の儀式だ。これ以外のやり方もあるはずだが、私は知らん。ゆっくりと調べて他の方法を採ってもよいのだが、マリカを長居させるわけにはいかんし、急がねば私の意識にもすでに靄がかかり始めている」


 シエルが片手で頭部を押さえて顔を歪める。


「頬の傷が塞がりかけてるのか?」

「どうもそうらしい。傷口を今一度広げたいところではあるが、無意識下で操る魔力が邪魔をする。私であってもシエル・アシュタロトを傷つけるのは難しい」


 それもう無敵じゃねえの……?

 魔王化させたら、もはやシエルを殺す方法はないということか。ならばやはりアシュでいるときにしか機会はなさそうだ。それに、もう一つわかったことがある。魔王シエルはシエル自身であっても自らを傷つけることができない。それはつまり、シエルである時間を延長することはできないということだ。


 シエル化したら逃げの一手。アシュになったときのみ殺しにかかる、か。

 ああ、嫌な考えだ……。胸糞悪い……。


「だがその前に――」


 突如としてシエルがおれの胸ぐらをつかみ、自らへと引き寄せた。疑問や恐怖を感じるよりも早く、シエルの唇がおれの唇に重なる。


「~~ッ!?」


 唇に感じるぬくもりに、頭が真っ白になった。

 しかしそれも一瞬のことで、シエルはおれを乱暴に突き飛ばすと、自らの唇を舐めとりながら微笑む。


「――口直しだ」


 白目を剥いて足腰の立たなくなったおれから視線を逸らし、シエルが再びマリカに歩み寄る。


「では、始めるぞ。マリカ」

「あ、はい」


 シエルはマリカの襟首をつかむと、あっさりと彼女を持ち上げてヴィケルカールサイズのベッドから飛び降りた。


「く……っ、急がねば……」


 白髪を振り乱すように頭を振って、床を覆っていたカーペットを剥ぎ取った。

 その下から出てきたのは巨大な魔方陣だ。

 シエルはその中央にマリカを置くと、自らは魔方陣から退き、全身の魔力を陣へと流し込み始めた。やがて魔力は光となって、魔方陣が輝き出す。


「ではな、勇者マリカよ。もうくだらぬ賢者になど喚ばれるんじゃあないぞ」

「ま、待って、まだお礼やお別れも言っ――」


 光が魔方陣の中心部を覆ったと思った瞬間、マリカが光のなかで消滅した。余韻もクソもない。呆気ないまでの幕切れだ。

 気配も何もなくなり、おれは少し不安になる。


「お、おい、シエル。マリカはちゃんとニホンに帰れた……んだよな……?」

「んー。たぶんー?」


 シエルが白髪を傾けて、可愛らしい笑顔を浮かべた。


 あ、これだめだ。もうアシュに戻ってる。ほんとにぎりぎりだったんだな。

 でも、アシュはシエルの記憶を持っているし、おそらくおれには嘘をつかない。ならばアシュの言う通り、たぶんマリカはニホンとやらに無事に帰れたのだろう。


 今にして思えば、もう少し魔王城で楽しませてやってもよかったかもしれない。そもそもこの城での想い出が、シエルとリリンという同性の魔物二体に唇を奪われただけというのは女としてどうなのか。


「ふふ、はははっ」


 そんなことを考えて、おれは少し笑った。

 いつかニホンとやらで、あいつが笑って思い出せる日がくればそれでいいさ。それよりも、ようやく肩の荷が下りた感覚が心地いい。

 おれは全身を伸ばして、大きなあくびをした。


「心配だったら聞いてみるー?」

「ん? マリカと話せるのか?」

「んー。アシュ、ケーヤクシャだから、たぶんー?」


 う~む。シエルと姿が同じなだけに、口調がいきなりアホっぽくなったのが気になる。だが威圧がないためか居心地は悪くない。


「じゃあやってみるねー」

「おう」

「ほいっと」


 アシュが魔方陣に再び魔力を流し込む。シエルのときとは比較にならないほど遅く弱々しいが、魔方陣がゆっくりと柔らかな光で満たされてゆく。


「おいでおいで~。いいこいいこしてあげるよ~。召喚獣マリカ~」

「ブーーーーーーーーーッ!!」


 …………え? なんてッ!? 今なんつった!? 召喚獣!? しかもまた喚んじゃってね!?


 中心部に光が満ち、天井まで届きそうなほどの柱となった瞬間、そのなかにボロ泣きしているマリカの姿が浮かび上がった。


「うわああぁぁぁん、お父さん、お母さ~――………………あえ? ふぇ……?」


 おそらく感動の再会の途中だったのだろう。誰かに抱きついているような格好で、涙と鼻水と涎を垂らしている。


「……」

「……」


 マリカが不安げに前後左右を見回して首を傾げた。おれは白目を剥きながらかろうじて片手を挙げて挨拶をする。


「よ、よお。お、お早いおかえりで……」


 なんだったら泡まで吹いて卒倒しそうだ。


「え~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!? なんでまたここぉぉ~~~!?」


 すまん。おれの不用意な一言が原因です。

 だが、おれが卒倒するよりも早く、マリカが泡を噴いて卒倒した。


 ちなみに後日、どうにかシエルを覚醒させて再送還には成功したのだが、例の契約は魂を繋がずに済ませるためか、召喚獣契約を結んでいたそうだ。

 魔王シエル・アシュタロトに勇者マリカという便利な使い魔が一体増えた瞬間だった。



召喚獣勇者爆誕。

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