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異世界の勇者とかほんと迷惑だから帰ってくんない!?③

ナマゴミカスムシウンコクズ。

 おれは急ぎ足で新しい厨房に入り、リリンの魔力で作動し続けている石人形、ゴーレムにトレイを押しつけた。ゴーレムは無言でそれを受け取って流し台まで歩いていき、洗い始める。


 まだ内装こそ完璧ではないが、新厨房はすでに機能している。

 旧厨房でレイン・アシュタロトが斬っ――切ったナマニクはゴーレムの手によってこの部屋に運ばれ、食材が料理と呼べる形になるまで、彼らの手によって姿を変えられてゆく。

 むろん、ゴーレムに調理の仕方を教えるまでは結構大変ではあったが、今では焼き、茹で、煮込み、蒸し、なんでもござれの一流コックだ。

 厨房から出ようとしたとき、おれはテーブルの陰に隠れていた小さな影に気がついた。


「ゴブ蔵か? そんなところでどうした?」

「ア、アニキ」


 隠れていたのを見つかったためか、ゴブ蔵が恐る恐るといった具合にテーブルの陰から出てきた。

 なんか肩を落として、元気がないように見える。


「……な、なんでもねッス……。壁の外装、ほ、ほら、岩肌剥き出しじゃあオニ不衛生じゃねえッスか。だからあっし、こうして直してたんス」


 ゴブ蔵はごつごつした岩肌に、ハケで何かを塗りたくっている。おそらく崩壊防止のためのコーティングなのだろう。

 魔王城とは違って美しく切った石を積み重ねたものだが、セラトニア城の壁にも塗られている魔法薬の一種だ。

 見たところ他のゴブリンたちはいない。


「おまえ一体でやっているのか?」

「へ、へい。も、もう時間外なんで、みんなは帰らせたッス」


 仕事熱心なのはいいことだが、どうにも態度が気になる。リリンを待たせているのだから、あまり時間は取れないが。

 ゴブ蔵は一心不乱にハケで壁をなぞる。


「何かあったのか?」


 一瞬ゴブ蔵の毛むくじゃらな手が止まって、次の瞬間には大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ始めた。


「お、おい。どうしたんだよ?」

「すいやせん! すいやせん! アニキ! あっし、逃げやした!」

「ああ?」

「あっし、勇者から逃げやした! 怖くて、マジ怖くて!」


 ああ、マリカたちが攻めてきたときのことか。幹部連で相手をしたはずなのに、確かにゴブ蔵の姿はなかった。ミミックは待ち伏せ専門だから仕方がないとして、スライムのオッサンもいなかったがな。

 そうか。逃げていたのか。いや~、ぶっちゃけ、死ぬほどどうでもいいんだが。そんなことより早くデートに行きたい。

 目の前のザルに堆く積まれていた木の実を口に含む。甘い。


「あっし、ずっと前に鎧の勇者と戦ったことがあって、一瞬で蹴り飛ばされて仲間を全滅させられた挙げ句、相手にもされずに突破されたことがあったッス……」


 ぶーっ、と咀嚼された木の実が口から噴出した。


「アニキ?」

「いいいややややや、なな、なんでもないぞ?」

「鎧の勇者は確かにあっしを一瞥したのに、まるでナマゴミカスムシウンコクズでも見るかのような視線を向けただけで、殺しもせずに行ってしまったんス。鎧の勇者にとっちゃあ、あっしなんて殺す価値もねーって」


 ゴブ蔵が腕で何度も涙を拭う。

 よもやあのときのナマゴミカスムシウンコクズっぽいゴブリンがゴブ蔵だったとは……。心の底から殺さなくてよかった~……。


「あっし、そのときの視線がマックス怖くて、また鬼畜勇者が来たって言うからそれ思い出しちまって、マジブルって、昨日の勇者の前に立てなくて……う……う……っ」


 は、は、は、半分以上おれのせいだぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!


「や、やや、いいよいいよ、そんなもん! 勇者ならちゃんと捕まえたし、結果よければすべてよしって異世界の言葉にもあるだろっ!? 気にすんなって!」

「で、でもあっし、魔王軍の兵隊としてはもう失格ッス……。シエル様は、たぶんもうあっしをこの城に置いちゃあくれねえッス……」


 え、えええぇぇ、そんなに思い詰めてんのぉぉぉ? スライムメンタルだな、こいつ。

 おそらくアシュがゴブ蔵に何も言っていない以上、シエルが覚醒したとしても何も言ってこないはずだ。正反対に見えても、あいつらは同一人格だから。


「あっし、ここが好きッス! 農作業チョー楽しいッス! 工事するのもガチ楽しいッス! アニキのことマジリスペクトしてるッス! まだここにいたいッス!」


 ゴブ蔵が突然おれの腰にしがみついてきて、泣き始めた。

 ゴブリン族の成人の身長は、人類の成人男性のおよそ半分ほどだ。ちょうど涙が染み込んで、下っ腹から股間あたりが生温かくて気持ち悪い。

 少し前までのおれなら振り払ってやるところだが、さすがにそれは胸が痛む。


「あ~……。や、戦うのが嫌になったなら、戦わなくていいんじゃねえの?」

「へ?」


 おれはさりげなくゴブ蔵の肩を押して引き剥がし、厨房を見回す。


「畑のこともそうだが、実際大したもんじゃねえか。おまえがいなくなったら誰が魔王城の修繕や増築をするんだよ。細かな作業ができる魔物なんざ、ほとんどいねえ。ゴーレムは操るのに魔力を必要とするらしいしな。農作業だってオークやミノに任せてみろ、明日にゃ野菜はつまみ食いで全滅だ」


 ゴブ蔵が涙でべちゃべちゃの顔を上げて、ほんの少しだけ笑った。

 おれはゴブ蔵の肩をつかんだまましゃがみ、視線の高さをゴブ蔵に合わせる。


「いいか、ゴブ蔵。高尚な生命ってのは、他の生命体を生み出し、育めるやつらのことを言うんだ。奪うことは誰にでもできるが、創り出し、育むことは選ばれたやつにしかできん」

「……ガチッスか……」

「ガチガチチョーガチ。だから気にする必要はねえよ。戦うことは戦いが得意なやつに任せてりゃいい。おまえらは農業や築城に力を注げ。おまえらの作物が兵隊を強くし、築城技術が魔王城を不落の城へと変える」


 口から出任せだが、あながちそう大きく間違っているというわけでもあるまい。魔王城を不落にしてしまうのは将来的に自分の首を絞めそうではあるが。


「了ッス! アニキ、マジ感謝ッス! 戦闘以外を頑張るッス! ……けどあっし、アニキがピンチになったときは、勇気出してマジ盾になりにいくッスから!」


 胸が痛え。おまえのトラウマは大半おれのせいなのだが。

 ヘンな汗出てきた。


「わかったよ。でも無理はするな。死んで咲かせる花にゃ意味がねえ。生きて咲かせなきゃ、てめえでそいつを愛でることもできねえ。たまには自分で自分を褒めてやれよ」


 大きくうなずいてやると、ゴブ蔵が涙を拭き取って手にしたハケを再び動かし始めた。


「うッス!」

「張り切るのはいいが、ちゃんと休めよ」

「ッス!」


 おれはさり気なく立ち上がり、厨房のドアを開けて回廊へと出た――瞬間に猛烈ダッシュで走り出す。

 あああぁもう!

 さすがに待たせすぎだ。これはもう帰られていたとしても文句は言えない。

 だが、リリンは先ほどまでと同じ場所で壁を背にして腕を組み、おれを待ってくれていた。


「すまない、待たせた!」

「……」


 リリンが壁にもたれたまま、視線だけをおれへと向けた。


「ずいぶん時間がかかったのね」

「あ、ああ。ちょっと用を足していてな」


 ゴブ蔵のプライドを守ることと、おれ自身が鎧の勇者だったことを隠すため、おれは急造の嘘をつく。

 リリンの視線が下がった。


「……」

「ん?」


 おれは彼女の視線を追って、自らの下っ腹から股間を見る。

 ゴブ蔵の涙でべちゃべちゃだ。


「……」

「や、これはだなあ」


 おれは祈ったね。はるか太古の昔に滅んだとされる神の一族とやらに。

 リリンが呆れたようにため息をついて、いつものトーンで呟く。


「間に合わなかったの?」

「そんなまさか。アシュじゃあるまいし。はははは!」

「……」


 ねえ、笑って?

 誰か、このいたたまれない空気をなんとかしてくれ。またヘンな汗が出てきた。

 ややあって、リリンが呟く。


「今日はやめておきましょ、アルカン」

「へ? いや、ほんとに違うぞ?」


 リリンが片手を腰にあてながら目の前にまで歩を進めてきて、自らのオーバースカートのホックに手を伸ばした。


「もちろん信じているわよ。でも、その状態のまま歩き回る気?」

「むう」


 確かに。おれ自身だけならばともかく、リリンにまで恥をかかせるわけにはいかない。スライムのオッサンやブタ野郎に見られた日にゃ、何を言われるやら。

 おれは頭を掻いて、ため息混じりに呟く。


「そうだな。お、おい、何を――」


 オーバースカートを外してしゃがみ、リリンがおれの腰に両腕を回した。

 暖かい頬がおれの腹部についてもリリンは気にした様子もなく、手に持ったオーバースカートのホックをおれの腰で留める。

 そうして上目遣いで声をひそめて囁いた。


「貸してあげる。ちょっと不格好だけれど、部屋まで隠せるでしょう?」

「あ……。ほんとに信じてくれていたんだ……」

「嘘なの?」


 金色の髪を振りながら立ち上がり、悪戯な笑みで尋ねてきた彼女に、おれは大慌てで頭を振った。


「ほ、ほんとだ。これは涙だ」

「涙?」

「ああ、すまん。あまり聞かないでやってくれ」


 リリンは少し迷ったように口を閉ざし、数秒後に静かに唇を開く。


「男の? 女の?」

「男だぞ、男」


 むしろ雄だ。一応、人類に近いとされる魔人種ではあるが。

 ちなみに魔王種や純魔種の一種は、魔人種よりもさらに人類と近い遺伝子を持つという学説もある。突拍子もない説だとは言われていたけれど、魔王と人類の子、シエル・アシュタロトが存在するくらいだから信憑性は高い。


「なら訊かない。てっきり魔王様か勇者かと思ったわ。だめよ、魔王様は。魔王の座にいるということは、先代の魔王を、実父を殺したということなのだから。あなたには合わないわ」


 やはりそうなのだろうか。でもおれはそうじゃないと思いたいんだ。シエルとヴィケルカールは、ちゃんと愛し合っていた親子だって信じたい。

 この件に関する話題を避けるため、おれは意図的に明るい声を出した。


「あはは、アシュのやつはこけただけで泣き出すし、マリカの立場なら今頃泣き喚いてても不思議じゃねえからな。けど、違うよ」

「マリカ?」

「勇者の名前だよ。おまえが精気を吸った女だ」


 人類と純魔が近い存在であるとするなら、純魔種であるリリンから見たおれはどんなふうに見えているのだろうか。

 何気なく興味本位で尋ねてみる。


「これが誰の涙か気になるのか?」

「え?」


 珍しく驚いたように目を見開き、リリンは唇に手をあてた。視線を二度三度泳がせ、眉間に皺を寄せてぽつりぽつりと呟く。


「そう、みたい……。女の涙だったら、ちょっと嫌かも……」

「そ、そっか」


 おれとリリンにも、ヴィケルカールとレインのような未来はあるのだろうか。

 これはますます人類と魔物を衝突させるわけにはいかなくなった。一刻も早くこんなところからおさらばするつもりだったが、魔王城が人類からの略奪をやめられる程度に自給自足ができるようになるまでは面倒を見なければならない。


「アルカンは?」

「ん?」

「あたしのことをどう思っているの?」

「惚れてるが?」


 おれが即答すると、リリンがぽかんと口を開けてゆっくりとうなずいた。アシュほどではないが、元々白い肌がうっすらと色づいてゆく。


「な、慣れていないのではなかったの?」

「……? ああ、慣れてない。恋人などいたこともないし、こんなことを口に出すのも生涯初めてだ。だから、どこかおかしかったら言ってくれ」


 幾分冷静さを取り戻したのか、リリンがこめかみに人差し指をあてて頭痛を堪えるかのようにうつむいた。


「どこかって、何から何まで全部おかしいから」

「す、すまない。治すよ」


 リリンが不審げに瞳を細めて、おれに視線を向けてきた。


「……そこは治さなくていいと思うわ」

「え、ええ?」


 おれにどうしろと言うんだ。王城育ちの世間知らずをなめんなと言いたい。旅に出されるまでは、恋人どころか友だちだっていなかったのだから。

 混乱するおれを尻目に、口元を手で覆って笑い出したリリンが背中を向けて歩き出した。少しだけ振り返って、後ろ手を振る。


「ではね、アルカン。また明日」

「あ、ああ。また……明日……」


 どうやら機嫌を損ねたと思ったのは勘違いだったらしい。

 おれは胸を撫で下ろして回廊を歩き、自室へと戻ることにした。



心が通じる不思議な呪文、ナマゴミカスムシウンコクズ☆ミ



25日より『京都多種族安全機構』の番外短編「愁いの魔人は想いを託す」を更新中です。

もしよろしければそちらのほうも覗いてやってください。

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