もっとおいしいものを食べようよ!⑥
ゆ~わくされたり。
だが、炎系の呪文で最も威力が低いのがフレイムボルト。これ以下はない。
「……アルカン、あなたもしかして、フレイムボルトでやろうとしてない?」
「う……、やっぱ無理か?」
リリンが部屋を見回して、呆れたように肩をすくめた。
「この部屋の惨状がどうやって造られたのか、ようやくわかったわ」
「だが、他に火を熾せるものなどないぞ」
リリンが思案して、大きな胸を持ち上げるように両腕を組んだ。
「新しい厨房設備は?」
「ガス室からガスは引いているが、火を熾すのは火打ち石を使う予定だ。だが、まだその用意にまでは手が回っていない」
ゴブ蔵とゴブリン族のおかげで、それでも作業は急ピッチで行われてはいるが。
「フレイムボルトだと、火力はともかく推進力と爆散が邪魔になるわね。元々戦闘のために創られた魔法なのだから仕方がないのだけれど」
「おう。死にかけたぜ」
主にアシュが。そしてアシュが死にかけたおかげでシエルが覚醒し、おれはシエルに殺されるかと思った。これが本当の死の連鎖だ。
料理とはなんと危険な代物なのか。
リリンが焦げついた部屋で視線をまわして、暖炉を指さす。
「あれ、使えるかしら?」
「ああ。季節柄まだ火を入れたことはないが、問題なく使えるはずだ。だが、あそこにフレイムボルトを撃ったところで、くべられた薪を吹っ飛ばすだけにならないか?」
「アルカンがあたしに撃って、あたしが受け止めながら推進力を殺し、同時にフレイムボルトの爆散と同じくらいの圧力で爆縮するわ。爆散する力がなくなったところで暖炉に置いてみる」
「ば、爆縮!? おまえ、そんなことができるの!?」
セラトニアの大賢者でさえ、そんな術式があることなど知らないだろう。
「ええ。あたしたち純魔は自然現象の一つを操るから、術式さえも必要ないのよ。鬼族は違うの?」
「あ、ああ。鬼族は人間どもと同じで術式がなければ魔法は使えん」
とっさに思いついた嘘で誤魔化す。
しかし驚いた。アークデーモンが雷を呪文なしで操るように、リリンも炎を操るということだろうか。
「リリンは火を操る純魔なのか?」
「風よ、風。本気を出したら、ハーピー族なんて比較にならない速さで飛べるんだから。それに、わざわざ人間が編み出した魔法術式なんかに頼らないわよ」
得意気に呟いて、リリンが両手を腰に当てた。
純魔は全員、術式なしで魔法を使えるのか。これはまた大きな情報だ。セラトニアと南の魔王軍が決戦を行う際には、気をつけねばならない最重要事項だ。
それにしても、ここにいると驚くことばかりだ。
人類が過去知らなかった事実が、いとも簡単に次々と発覚してゆく。これでは人間が魔物に勝てないわけだ。
「…………おまえに危険はないのか? 初心者レベルの魔法とはいえ直撃するんだろ」
「え?」
リリンが少し驚いたように目を丸くしてから、表情を柔らげた。
「へ~え、心配してくれるんだ?」
「あ……。ああ、まあ……」
「あはっ。ありがと、アルカン。……嬉しい」
いや、待て。なんでおれ、こんなことを言ったんだ? もしここで南の魔王軍でシエルの次に脅威となるであろうリリンを殺せるのであれば、それに越したことはないはずだ。
なのに――。
リリンは少しはにかんで、それを誤魔化すように砕かれた扉の残骸を集めに行った。おれはそのあとに続き、同じように木くずを拾い集めて暖炉へと投げ入れてゆく。
リリンは嬉しそうな表情で、木くずを手にとっては暖炉へと運んでいる。
どうかしてる。ほんと、どうかしてる。
「あとは石皿を置く台座を作って……これでいいかしら。準備は完了ね」
すべての準備を整え、リリンが部屋の中央に立った。
「じゃ、始めましょう」
「おう。なるべく威力を抑えるから、リリンも無理だけはしないでくれよ」
「ええ」
リリンが右手を顔の高さへ、左手を腹の高さに調整してから両手をゆっくりと回し始めた。とたんに彼女の二本の腕を中心にして、柔らかな風が渦巻いてゆく。
室内を這う風こそ穏やかなものだが、彼女の腹部から頭部にかけてのみ言えば、もはやハリケーンのような渦巻きが見える。
エプロンが勢いよくはためいている。
すごい。これが魔法術式なしで自然現象を操る、純魔というものか。
「いつでもいいわよ」
おれは一つうなずき、口内で魔法術式を組み上げる呪文を唱える。右の掌に熱量が発生し始めた。それが橙に色づくと同時に、リリンへと右手を向ける。
おれの目配せに、リリンがうなずいた。
「――フレイムボルト」
静かに唱えたはずのフレイムボルトは、それでもこの部屋を吹っ飛ばしたときとなんら変わらぬ速度と熱量を伴い、炎の塊となって美しい純魔へと襲いかかる。
「――ふっ!」
リリンが息とともに炎の塊を腹部で受け止める。熱量を伴った風が全方位に弾け、リリンの金色の髪とエプロンが激しく躍った。
「リリン!」
「大丈夫よ。うまく均衡が取れたわ」
おれは目を見開く。
炎の塊は、彼女の腹部には触れていない。直前で静止し、爆散するはずの刻を過ぎても浮いたままだ。
すごいな……。
リリンの生み出した風の殻が橙色の流れを形作っている。
おれは安堵の息を吐いた。
「うまくいったようだな」
「……ん。アルカン」
「どうした?」
「どうしよう、エプロンが焼けてる」
考えてみれば、炎を封じても熱量は漏れ出しているのだから当然だ。リリンの胴体部から布の焦げる臭気と音、そして黒煙が上がっている。
「急いで暖炉に投げ入れろ!」
「だめよ。まだ爆散し続けてる。圧縮しないと大爆発してしまうわ」
リリンのエプロンに小さな炎が燃え移った。
「バカか、そんなこと言ってる場合じゃねえだろッ!」
おれはとっさに魔力を右腕にまとって拳を持ち上げ、驚くリリンの目の前で炎の塊へと叩きつけた。炎の塊が焦げた石畳の床でたわむ。
外からの圧力を失った橙色の塊が炸裂する瞬間、おれはリリンの身体を強く抱え込んで跳躍していた。
「アルカ――ッ!?」
橙色の光が溢れるとともに、背中で本日二度目の爆発が起こった。
おれはリリンを抱えたまま爆風に吹っ飛ばされて、焼け焦げたベッドへと投げ出された。
「イッ――てぇ!」
爆発の衝撃で背中が限界まで反って、背骨が砕けたかと思った。
身を起こそうとすると、電撃のように激痛が腰部から背部へと突き上げてきた。
「か……っ!?」
「ア、アルカン? あなた何をしているのよ!?」
まずい。これは折れているかもしれない。頑丈な魔族のマントだから、低レベル魔法の直撃程度ならどうにかなると思ったが、そううまくはいかなかったようだ。
瞑ってしまった瞼をこじ開ける。
おれに押し倒される形でベッドにはリリンが仰向けに倒れている。純魔であることを示す漆黒の翼は折れ曲がり、金色の髪が扇状に広がっていた。
正直なところ、普段であれば慌てふためいているところだが、今は息すらろくにできない。視界もちらついているし、耳も半分麻痺しているのか、リリンの声がくぐもって聞こえている。
「アルカン!? ちょっと、聞こえているの!?」
「ちょ……ちょっと……待て……い、いま、回復魔法……かけるから……」
おれはリリンの腹部に右手をあてる。エプロンも下着も炭化してしまっている。
おれのせいだ。
「リ……カバリ……」
右手が暖かい熱を持ち始める。回復魔法だ。
新陳代謝を驚異的に加速させ、失われた体組織を、周辺組織の構成体を使って強引に再構成させる治癒魔法だが、当然周辺組織から修復材料をいただくため乱用はできない。
怪我を治すために使えば使うほど周辺組織が弱って体力も失われるため、怪我と体力のバランスを見失うことがあれば回復どころか死すら招きかねない魔法術式だ。
無から有を生み出すような万能の魔法などないということだ。
「もう、バカね」
リリンが自らの腹部にあてられたおれの手をつかみ、おれに抱きつくようにしながら身を起こした。
強引に身体を起こされたおれは、激痛に両目を閉じて呻く。
「――イッ!?」
「自分を治しなさい。直撃したのはあなたのほうなのだから」
リリンがおれの手を、おれの背中へと回して押しあてる。
「おまえを……先に……」
「いいから」
手をリリンの腹部に戻そうとしても、普段ならばともかく今のおれでは純魔であるリリンの前では無力だ。今は逆らいようがない。
ならば一刻も早く自らの治療を終えて、リリンを――。
脂肪や筋肉、血液さえも利用して、砕けた背骨が再構成されてゆく。
これはますます焼いたニクが必要だ。再構成に使用した組織を食って補強しなければ。
ようやく激痛から解放されたおれは、リリンの手を払い除けてもう一度彼女を押し倒し、その腹部へと掌を重ねた。
「すまん、時間がかかった!」
焼けて炭化したエプロンと下着を手で払い除け、おれはリリンの素肌に掌をあてる。
「あ……」
リリンの唇の隙間から、小さな声が洩れた。
「すぐに治す」
「えっと、アルカン?」
「なんだよ!」
「無傷よ」
「そんなわけねえだろ! いいから見せろ! 火傷の痕でも残ったらどうすんだ! 恥ずかしがってる場合かよ!」
リリンに痕が残ったら後悔してもしきれない。むしろ彼女よりもおれ自身が。
「そういうわけではないのだけれど……」
おれはリリンの腹部を魔力を帯びた掌でまさぐる。
炭化したエプロンや下着を完全に払い除けると、白い肌が出てきた。もちろん炭で黒くなってがいるが、皮膚が爛れていたりはしていない。
「あれ? え?」
おれは混乱して、炭化した彼女の着衣を掌でどんどん剥がしてゆく。
「や! ちょっと! アルカン!?」
「そんなバカな……」
腹部から胸部近くへと、どこまであがっても火傷も怪我もない。服は焦げて炭化しているというのに、素肌は炭で少しばかり汚れているだけだ。
そんなはずはない。彼女が抱いていたのは炎の塊だぞ。
おれはさらに手を這わせてゆく。
「待っ――も、もう! いい加減にしなさい!」
彼女の豊かな胸にまで掌が差しかかった瞬間、ブーツの裏がおれの顎を蹴り上げた。
「うがンッ!? ……痛ぁ……」
「純魔はそんなにヤワじゃないのよ。この程度の火傷くらいは治癒魔法がなくても自力で治せるわ」
顎を押さえて視線を下げると、両胸を漆黒の羽根で隠しておれを睨みつけている美しい純魔の姿が目に飛び込んできた。
「……もう、どこまで脱がせるつもりだったの?」
下半身を覆う下着こそ焼け残っていたものの、肩も肌も完全に露わになってしまっている。
「うわ! す、すまん! そんなつもりじゃなかったんだ!」
数秒間の沈黙のあと、リリンが渋い表情で早口に吐き捨てる。
「……そのつもりがなかったなら、そんなふうに優しくしないでくれる? ……これでも結構嬉しかったんだから」
拗ねたようにリリンがプイっと視線を逸らした。
とたんにおれの心臓は跳ね上がる。心臓が勢いよく血流を押し上げて、自分の顔が赤く染まってゆくのを感じた。
「そ、それって、そのつもりだったら……てこと?」
「さあ、どうかしら。どちらにしても扉もないような部屋では嫌よ」
ベッドから上半身のみを起こした姿勢で、リリンが長い金髪を手で掻いて背中に流す。不機嫌そうに見えるそんな様子さえ魅力的だ。
おれは室内の有様を見回して、少しばかり冷静さを取り戻した。壁も床も黒焦げ、ベッドは綿まで露出して、扉がないから回廊から室内が丸見えだ。
時折、夜行性の魔物がトテトテと歩いている。おれやリリンとはあまりに姿形がかけ離れているため、こちらに興味を持つものはいないが。
「……そーだな」
おれがリリンの上から身体を除けると、リリンは手を伸ばして自分の衣服をたぐり寄せた。エプロン姿に着替える際に、置いておいたものだ。
「あっちを向いていて」
「お、おお」
背中を向けたおれの背後で、リリンの衣擦れの音が聞こえてきた。ややあって、リリンが落ち着いた声で呟く。
「もういいわよ」
「おう」
いつもの姿だ。ベッドで膝を折ったまま、布を幾重にも重ねた花びらのようなスカートを穿いた、美しい純血の魔族。
ブラウスのボタンを二つ目まで留めて、最後に首筋に両手をやって、ブラウスの内側に入り込んだ長い金色の髪をふわりと出す。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。すまなかった」
リリンがキョトンとした瞳をしたあと、小さなため息をついた。
「馬鹿正直ね。もう少し強引でもいいのに」
「……女性の扱いには慣れてないんだ。すまん」
おれの返答が予想外だったのか、彼女は薄桃色の唇に手をあてて少し笑った。
「そういうところよ、アルカン?」
このとき、おれは確信した。
たぶんではない。おそらくではない。
おれはこの美しい純魔を決して殺せない。何があってもだ。
「なあ、リリン。おまえ、なんでこんなにおれを助けてくれるんだ?」
「アルカンがあたしにとって必要な人だからよ」
「それってどういう……」
気持ちがある、と考えてもいいのだろうか。
少し難しい表情をしたあと、リリンは唇を開く。
「魔王の世代交代の方法はご存じ?」
突然ぶっ飛んだ意外な話題に、おれは混乱しながら返してしまった。
「親の跡を子が継ぐんじゃないのか?」
「それは人間のやり方よ。あなたのいた東の魔王軍はそんな方法だったわけ?」
しまった! まずったか……いや。
「おれはどこにも仕えていなかった。東国にはいたが、野良だったのさ」
「そうなの? なら、教えてあげる。血縁に意味はないわ」
リリンが凄惨な表情で呟いた。
「――魔王を殺した者が、次の世代の魔王になる」
「な――っ!?」
驚くべき事実ではあるが、理に適っている。
シヴァールヴァーニ大陸では、弱い国王の収める国から滅びてゆく。国王が年老いて力を失うのであれば、さっさと次の世代に王の座を譲渡すべきだが、一度でも権力という甘い蜜を味わった者はそうは考えない。一瞬でも長く、その座に居続けるべく固執する。
先代よりも強い者が先代を追いやれるのであれば、国にとってそれができるに越したことはないというものだ。
だが、殺害となると話は法やモラルにも関わってくる。
「魔王軍が強いわけだ……」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」
危ない。思わず人間の立場から言葉を発してしまった。
「なんでそれをおれに?」
「あたしは自分の国がほしいの。魔王種を殺せるか試すのもいいのだけど、できれば危険は冒したくないわ。だから、イチから国造りをしてくれる人材を捜して流れてきたってわけ」
「はは、なんだ。おれにその手伝いをしてもらいたいってことか」
確かに、ここに来て以来おれは軍の強化や訓練、戦争ではなく、国造りに関することばかりをやっている気がする。ずいぶんと道を外れてしまったけれど、それは結構楽しい。
でも、てっきり色気のある話かと思っていただけに、少し残念だな。
「そうよ。そのときには、アルカンにはあたしの隣にいてほしいの」
「……微妙な言い方をするんだな。勘違いをしてしまいそうだ」
「だって男性を誘ってるんだもの」
恋か労働力かはわからない。だけど、そういう生き方もアリかもしれない。
シエルを殺すよりも、セラトニアに戻るよりも、リリンとともに旅立ってどこかに国を造るというのは実に魅力的な提案だ。
「……考えとくよ、リリン」
「うん」
「誘ってくれてありがとうな」
「ううん」
おれたちは顔を見合わせて同時に破顔した。
本心だ。けれど、それと同時におれのなかで一つの疑問が鎌首をもたげていた。
魔王シエルは、先代魔王ヴィケルカールを殺害したのだろうか。そうでなければ、南の魔王軍はシエルに服従しないはずだ。
だが、シエルとヴィケルカールは血を分けた親子だ。
魔物とはいえ、子が親を殺すことなどあるのだろうか……?
シエルはヴィケルカールとの想い出を、あんなにも大切そうに語ってくれたのに。父に愛されていたし、父を愛していた、とまで言ったのに。
けれど、もしもそれが事実なら、おれはシエルを殺す決意を固めることができるだろう。
おれの父である国王メディルは、お世辞にもよい王でもよい父でもない。それでも殺したいなどと考えたことはないし、それなりに感謝し、それなりに愛してもいる。
しかし、魔物であるシエルはどうなのか……。
――ああ、嫌だな。こんなこと考えたくない。
おれは頭を振って思考を飛ばした。
「どうしたの、アルカン?」
「なんでもない。それより、火を熾す手段を考えようぜ」
結局のところ、本人に確かめてみるしかなさそうだ。
扉のなくなった入口から吹き込んでくる風が、少々肌寒い。この部屋には暖炉があるけれど、さすがにそれだけで冬は乗り切れそうにない。
ゴブリン族ばかり頼ってしまって申し訳ないが、扉の修繕もやつらに頼むしかなさそうだ。
あ~、ほんとおれ、こんなとこまで潜入したのに何をやってんだかなあ……。
「あ……。アルカン」
「ん?」
リリンが暖炉を指さす。
爆散したときに偶然燃え移ったのか、暖炉に小さな火が灯っていることに今さら気がついた。
「うおっ、消すな消すなっ、育てるぞっ」
「え、ええ……っ!? だ、だって今にももう消えちゃいそうよ!?」
おれたちは大慌てで燃えやすそうな木くずを拾ってくべるのだった。
彼女はとても賢いのです。




