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もっとおいしいものを食べようよ!⑤

嬉しそうにナマニクを叩きます。えい、えい。

     *


 しかし異界文字か。どうなっているんだ、これは。

 絵画だけでもありがたいが、どうせやるならば完璧にこなしたい。だが、異界文字を読める人物となるとセラトニア王国の大賢者か、先代魔王ヴィケルカール、それに魔王シエルくらいのものではないだろうか。

 確か異界文字は、三種類存在しているのだとか。

 ひらがな、カタカナ、漢字。それらが混ざって文章を形成しているらしい。


「読めん。異世界人ってバカじゃねえの。文字なんて一種類で十分だろうがよ」


 魔王の部屋から石の階段を上がり、回廊の薄明かりで本のページを見ながら歩く。

 さっぱりわからん。絵画だけを頼りに真似てみるしかなさそうだ。

 ため息をつき、件のページに引き抜いた髪を一本挟んで本を閉ざした瞬間、おれは自分の部屋の前で柔らかいものに衝突した。


「おっと、すまん」

「……」


 リリンだ。本を見ながらそろそろと歩いていたため、大したダメージもなさそうだ。

 シエルに蹴り一発で粉砕されたドアだった残骸の上に立ち、リリンはいつもより若干不満そうな表情で至近距離からおれを見上げている。


「どうした? もう夜中だぞ。眠れないのか?」


 後ろ手を組み、大きな胸を突き出すような体勢でリリンが視線を逸らしながら吐き捨てた。


「ずいぶんと時間がかかってたじゃない。何してたのよ」


 なんだ、ずっとここで待っていてくれたのだろうか。だとしたら、それは素直に嬉しい。


「ああ、魔王の部屋で本を探すのに手間取ってな。やましいことをしていたわけではないぞ」

「何よ。そんなことまで訊いていないわ。……本?」

「これだ。魔王の部屋は壁の大半が本棚になっているから、探すのに時間がかかったんだ」


 おれはリリンに異界のレシピ本を差し出す。


「だが異界文字で読めんのだ。ニクの焼き方は掲載されている絵画を真似てみるしかない。文字を読ませるためだけにアシュに血を流させるわけにもいかんしな」

「そうね」


 リリンが本を閉じて、おれに押しつけるように返してきた。

 会話が途切れて、少しの間見つめ合う。

 不満顔であっても、長い金色の髪に碧眼がとても美しい。黒革製のコルセットに絞られた腰部はあいかわらず細く、布を幾重にも重ねて作られたスカートは、まるで花びらの上に座っているかのような錯覚さえおぼえさせる。おまけに甘い匂いときたもんだ。

 あまりに近くて、思わず掻き抱いてしまいたい衝動に駆られる。

 咳払いを一つして、おれはドアのなくなった入口に向き直った。


「ではな、リリン。おまえもちゃんと睡眠は取れよ」

「読めるわよ」


 おれは美しい純魔を振り返って聞き返す。


「へ?」

「あたし、異界文字読めますけど。アルカンが望むのであれば、翻訳くらいはしてあげられるわよ。料理は初心者だけどね」


 そっぽを向きながらも、リリンは優しい言葉を口に出す。


「お、おお」


 しばらく思案していると、リリンが横目でおれを伺うように見つめてきた。


「……どうするの? 部屋に入れてくれるなら、今すぐ試してみてもいいのだけれど」

「そいつは願ってもないことだが」

「では、部屋に入っても?」


 入口などなくなって室内はもう焦げ焦げだというのに、リリンがそんなことを尋ねてきた。勝手に入ってきやがるアシュとは正反対だ。


「あ、ああ。だ、だったらおれはちょっと厨房でナマニクをもらってくるよ。先に入ってくつろいでてくれ。つっても、もうベッドも焦げ焦げで使い物になんねえが」

「……使えないんだ。残念」


 残念!? ど、どういう使い方をするつもりだったんだ!? 料理だぞ!? まさか、わたしを料理して……っ!?

 妄想が脳内を駆け巡り、おれは生唾を飲む。


「ま、まあ行ってくるよ」

「はい。行ってらっしゃい、アルカン」


 ようやく見せた笑顔で、リリンがおれに手を振った。


     *


 レイン・アシュタロトからナマニクと大きめの石皿を受け取って自室に戻ったおれは、扉のない入口で絶句して立ち尽くした。


「あら、お帰りなさい」


 リリンの服装が先ほどとは変わっている。エプロンだ。もちろんそんなことじゃ、おれは自室に戻ることを躊躇ったりしない。

 エプロンから伸びた腕が素肌になっている。布を重ねた花のようなスカートよりも丈の短いはずのエプロンから出ている足は、生足だ。長い金髪は束ねられ、普段は見せないうなじまでもが露わになっている。

 これはあれか! 噂に聞くあれってやつか! 新婚さんがよくやると言われている、あれなんじゃないのか!


 ぐびっと、無意識に喉が鳴った。

 丸焦げとなったベッドに脱ぎ捨てられていたリリンのブラウスとスカートに視線をやって、おれは確信する。

 あれであると!


「アルカン?」

「お、おお、おまえ、なんてはしたない格好を――」


 なんかもうナマニクとかどうでもよくなってきた。むしろリリンがナマニクに見えて、しかもずいぶんとおいしそうで。


「……」

「一応言っとくけど、下着はつけてるわよ」


 リリンが背中を見せると、確かに臀部から胸までを覆う薄い布が彼女の身体を隠していた。だが、そういうデザインなのか、左右の脇腹は開いて肌色が見えている。


 く……。

 もはや誘っているとしか思えん。だが、相手は純魔。誘いに乗れば何が起こるかわかったものじゃない。排泄時と性行為時は、人類にとって最も無防備となる瞬間だ。

 だが、ここは確かめねばなるまい。

 轟々と燃え盛る期待と水滴ほどの警戒を込めて、おれは上擦った声で尋ねる。


「な、んの目的があって、そんな……その格好……」

「油跳ねが嫌だからよ。服のシミになるでしょう?」


 無表情で見つめ合う。


「あ、そう。そ、そうだよな!」

「そうよ? 汚れてもいいようにエプロンにしたのだけれど?」


 おれは目を閉じて咳払いをして、一度深呼吸をした。自らの気持ちを落ち着けてから入室する。


「あはは、そっか。おれはてっきり誘っ――」

「――てっきり?」

「あやややや、なんでもないぞ。さて、材料は揃ったな」


 鉄板代わりの石皿、ナマニク、ナマニクを返すためのトング、海水から抽出した塩。添え物となるサラダなどの研究は後回し、まずはメインとなるニクの調理を完成させる。


「リリン、異界書に記されている最初にすべきことを読み上げてくれ」

「ええ」


 リリンが手元の本に視線を落とした。


「えっと、まずは筋切りをします」

「なんだ、それは?」


 リリンの指がしなやかにナマニクをなぞる。なんだかイヤラシいぞ。


「白い筋みたいなのがあるでしょう? それに包丁で切れ目を入れていくのよ」

「ふむ。これか?」

「それは脂。こっちの細いほうだと思う。ほら、硬いでしょう。だけどちょうどいいわ。脂も切り取っちゃいましょう。焼き脂というのが必要なのだけど、たぶんないでしょう?」

「なんだ、それは?」


 リリンと顔をつき合わせて、おれは眉をひそめる。彼女もまた、端正に整った顔を少し困ったように歪めていた。


「さあ。名称から察するに植物から採取できるものだと思うのだけど、ここにはやり方が載っていないわね。動物性の油脂分でも代用できるらしいから、今回はそれでいきましょう」

「ふむ。どうせ一緒に焼くというのに、わざわざ一度外さねばならんとはな」


 おれは愛用の剣をすらりと抜いた。

 魔力充填! 一刀両断! 勇者の剣捌きをなめるなよ!


「ハアァァァーーーーーーー!」

「え、ちょっとダメよ」

「む? なぜだ?」


 今まさに振り下ろさんとしていたおれに、リリンが額に手をあてて大きなため息をついた。


「あのねえ、料理ってもっと繊細なものなの」

「……と言われても、刃物なぞこれしか持ってないぞ。それに厨房のレイン・アシュタロトなんて大鉈を使っていたが」

「ああもう。料理をしないあたしでも、それはダメってわかるのに。ましてやそれ、これまで武器にしてきた剣でしょう? 手入れしているとはいえ、気持ちのいいものではないわ」


 リリンが渋い顔をして、エプロンのポケットから小さなナイフを取り出した。


「なんだ、それ?」

「植物採取用のナイフよ。ナマニクばかりでは、お肌がぼろぼろになるから」


 こ、こいつも勝手に栄養を補っていたのか……。おれにも教えてくれよぅ……。


「見てなさい」


 リリンがナイフの刃をナマニクに突き立て、脂部分と赤身部分を切り離してゆく。


「ほう、できるではないか。さすがだな」

「ちょっと黙って!」

「あ、はい……」


 叱られた。ものすごく真剣な目つきをしている。


「あはっ、切れたわ。動いている敵を惨殺するよりはずっと楽ね」


 言ってることは相当アレだが、リリンはどこか楽しそうだ。

 大きな脂の塊だけを取ると、今度は白い筋に刃先を入れてゆく。貫通させぬように、絶妙な力加減で。それが終わると、裏返して同じように筋を切る。


「ん。こんな感じでいいのかしら……」


 唇に指をあて、おれの存在など忘れてしまっているかのように、リリンは本とナマニクを見比べている。

 その仕草がいちいち色っぽくて、視線を奪われてしまいそうになる。

 綺麗だな、こいつ……。

 よからぬ思考を追い払うため、咳払いを一つしてからおれはリリンに尋ねた。


「筋切りはなんのためにするのだ?」

「焼いたときに筋が縮むの。そのときに赤身部分も引っ張られるから、焼き上がりが硬くなってしまうと書いてあるわ」


 なるほど。理に適っている。とりあえず焼けばいいというものではなかったようだ。先ほどまでの己の浅はかさに、情けない気持ちになってしまう。


「あとは叩くの」

「叩く?」

「こうするのよ」


 石皿にナマニクを置いてから、リリンが突然、ナイフの柄でナマニクを叩き始めた。

 どす、どす、何やら物騒な音が響く。


「……ふふ……えい! あはは、えい! あはっ、えい! あはははははっ!」


 う、うわぁ……なんか……。……なんでそんなに楽しそうにニクを叩いてるの……?


「えい! えい! あっはははははははっ!!」


 どす、どす。

 みるみるうちにナマニクが変形し、平べったくなってゆく。生物だったものが、形を保てなくなってゆく。


「も、もうよいのではないか? なんか痛そうだし、意味わかんねえし、ちょっと怖い」

「え? どうしてよ? ニクの繊維を潰しておかないと、これもまた硬く焼き上がってしまう原因になるのよ? えいっ! きゃははっ、えい!」


 ぐちゃり、ぐちゃり。ナマニクに付着していた血液が飛び散る。

 なんか想像してたのと違う。料理って怖い。


「こんなものかしら。あとは表面に塩をふるの。高いところからふれば、均一に広がってうまく味つけができるらしいわよ」


 若干引いてしまったおれの目の前でリリンが立ち上がり、高いところから塩をふる。


「これで下処理は完成。ほんとは胡椒とかいう調味料やアリウムサティヴァンなんかもあったほうがよいのだけれど、今は無理ね」

「アリウ……何?」

「ネギ属の球根の一種らしいわよ。臭いが強烈だけど、それがクセになるんですって」


 血と脂にまみれたナイフをおれの目の前にちらつかせて、リリンがとてもいい微笑みを浮かべた。

 やはり魔物にも、労働の喜びというものがあるらしい。もしくは料理というものが性に合っていたのかもしれない。


「まあ、ないものは仕方あるまい」

「そうね。じゃあ、もう一枚もやってしまいましょうか」

「頼む」


 数分後、おれたちの前には下処理を終えた二枚のナマニクが並べられていた。

 リリンが片手で本を開きながら、真剣な瞳をおれに向ける。


「いよいよ焼くわよ。確かこれって野牛のニクだったわよね」

「うむ」

「了解よ。えっと、鉄板――石皿ね。石皿が十分に熱せられてから油を敷いて、ナマニクを載せるといいと書いてあるわ。焼き色がついたら裏返す。牛のニクは中身をややナマ焼けにするくらいが柔らかくておいしいらしいわよ」

「なるほど。では石皿を徹底的に熱してみるか」


 おれは石の大皿を掌に載せた。

 あれ、ちょっと待て?

 さっきはこれでナマニクと石皿を吹っ飛ばしただけに留まらず、自室まで大爆発に巻き込んでしまったではないか。アシュならばともかく、今隣にいるのはリリンだ。傷つけるのは忍びない。いや、アシュでもダメなんだけど。



勇者は賢さが1あがりました。

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