表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/27

もっとおいしいものを食べようよ!④

穿き忘れたわけではありません。

     *


 てっきり処刑部屋か牢獄あたりに案内されるものとばかり思っていた。

 ついた先は魔王の部屋前だ。

 シエルは指先で巨大な鉄扉をいとも簡単に押し開けると、おれを室内に投げ込み、自らもまた大鉄扉が閉ざされる前に入室した。


 明かりの灯っていない薄暗い部屋。大いなる知識を誇る大賢者の部屋。

 すなわち、魔王ヴィケルカールの部屋。

 壁という壁に設置された本棚は蔵書の山だ。見る者が見れば、狂喜乱舞することだろう。


 家具は巨人種のために作成されたかのように巨大で、部屋の主であるシエルにはほとんどが用をなさないものばかりだ。

 それでも室内の様相を変えないのは先代魔王ヴィケルカールへの敬意なのか、それとも父としてのヴィケルカールに対する愛情なのか。

 シエルはおれに背を向けて、顎に手をあててその赤い視線を本棚の上段へと注いでいる。


「……確か、あのあたりだったか」


 そう呟いた直後、魔王は膝を曲げ、自らの身長の十倍はあろうかという高さまで跳躍した。

 天井付近は薄暗くてよく見えないが、彼女は巨大な本棚の最上段を人差し指と親指だけの力でつかみ、両足を空中に浮かせたまま静止しているようだ。

 魔力による強化があれば、指先のみで自らの体重を支えることも難しいことではない。おれにだってできないことではない。だが、真に恐るべきはその魔力量だ。

 おれのように跳躍直後に両足から指先まで魔力を移動させる必要すらない。彼女から無尽蔵に溢れ出る濃密なる魔力は、全身を包み込んでいる。

 あれではもはや、肉体強化機能のついた強固なる全身鎧だ。


「ふむ……、見つからんな……」


 しかも、目的の本をきょろきょろと探しているというオマケつき。あのような離れ業は、魔力に長けた人間――たとえ大賢者といえどもそうそうできるものではない。

 魔力の使い方としては隕石召喚魔法(メテオストライク)などの大魔法よりも、よほど難易度が高い。

 人類最強と思われる勇者、つまりおれだって、攻撃の瞬間や防御の瞬間に自らの肉体や剣に魔力を通わせるだけで精一杯だ。魔王シエルと勇者アルカンの間には、魔力の絶対量はおろか持続力にも絶望的な差がある。

 少女は二本の指で挟み込んだ棚を、器用に指先を動かしてヒョイヒョイと移動する。あまつさえ、その指だけで上下の棚まで移動する始末だ。

 勝てるわけねえ……。


「これだ」


 やがて目的の本を見つけたのか、もう片方の手を本棚へと入れた。


「受け止めろよ、アルカン。大切な書物だ。決して落とすな」

「へ?」


 次の瞬間、五冊もの本がおれの上に降ってきた。


「え、ちょっと待――くっ」


 おれはあわてて片手で二冊ずつ、なおも降ってくる一冊を口で噛んで受け止める。

 危ない。魔王シエルが落とすなと命じたなら、落とすわけにはいかない。尻の穴を増やされることだけは勘弁だ。


「ふう……」


 どうにか五冊の本を受け止めて一息ついたおれの肩に、シエルがふわりと舞い降りた。なんらかの魔法を使っているのか、不思議なことにほとんど重さを感じない。


「異界のレシピ本というやつだ。料理の仕方が載っている。貸してやるゆえ、汚さずに返せ」

「ふぁ?」


 思わず上を向いたおれの視線を遮るように、シエルの裸足の裏がそっとおれの両眼に乗せられた。決して攻撃的にではなく、静かに視線を防ぐためだけに。


「見るんじゃあない。どうやら今は穿いていないようだ。すーすーする」


 おれは口に咥えていた本を両手で持った四冊の本の上に落とし、視線を下げた。


「あ、ああ。わかった」

「まったく、我が事ながらどうにも抜けている」


 今度は魔力など使わず、シエルがおれの肩からフロアへとふわりと舞い降りた。裸足で着地して、ぺたりぺたりと一歩二歩。

 会話の内容に反して赤面するでもなく、平然とした表情で魔王が振り返った。


「これでは貴様らの愚行をどうこう言う資格などないというものだ」

「まあ、アシュじゃしょうがねえよ」


 一度はすべてを見せ合った仲とはいえ、どうやら魔王シエルには恥じらいというものが存在しているらしい。表情には出なくともだ。


「アシュと呼ばれている存在もまた私だと言ったはずだぞ。その時々で正答に辿り着けぬだけで、記憶も感情も決断も思考の方向性すらも概ね共有している。別人格などではない」


 シエルがおれの手から一冊の本を取って、ページをめくる。


「正答に辿り着けんばかりに思考がそれを補おうとしてあさっての方向へ走り、最終的に誤った解答を導き出す。ただそれだけに過ぎん」


 物忘れが極度にヒドくなる、といった感じか。いいぞ、魔王シエルの弱点が徐々に見えてきている。


「……致命的じゃねえの?」

「ハハッ、そうかもな。貴様のその容赦のない言葉選びは嫌いではないぞ、アルカン。私が私であるときは、魔物どもはおろかあの母ですら気を遣ってくる。これが実につまらん。ああ、つまらん」


 あのレイン・アシュタロトでさえもか。


「もっとも、それでも稀に大鉈は飛んでくるのだがな」

「……十分過ぎるほどの親子関係じゃねえの? 魔王とその母親としちゃあな。おれにとっちゃ生き死にでも、あんたにとっては大鉈もコミュニケーションの一部だろ」

「そうか。そうだな。なるほど、確かに母にはそういうところがある」


 シエルが少し考える素振りを見せて、再び視線を本に落とした。


「だが、それすらなくば、私は母を母とも思わなかったかもしれん。愛してはいてもだ」

「態度に気を遣うからってなら間違えてるぜ、シエル。たぶんな」

「……どういう意味だ?」

「レイン・アシュタロトが言ってたんだ。おまえがシエルであるときは、性格がヴィケルカールに似ているって」

「なるほど。つまり母は私に父の幻影を見ているかもしれんということか。確かに母の私に対する態度は、母がかつて見せていた父に対する態度と似ているところがある。大鉈も含めてな」

「含めるのか、それ。父ちゃん大変だな」


 しばらくの沈黙のあと、本のページをめくりながらシエルがぽつりと呟く。


「……そういう考え方もあるのだな。感謝するぞ、アルカン」


 素直な礼に、おれは一瞬どきりとした。


「あ、ああ。それにしても、ずいぶんとまあ複雑な親子関係だな、あんたたちは」

「貴様はどうなのだ?」


 突然の切り返しに、おれは言葉に詰まった。

 セラトニア国王である父は、第三王子であるおれを切り捨てた。その結果が魔王城への潜入という無謀な指令だ。

 少し迷った末に嘘をつく。


「おれは別に……普通だ。親父のことも、兄さんたちのことも嫌いじゃない」


 嘘だが、本心だ。父メディルは王としても父としても、あまりよい人格者ではない。けれど、この世に生み出してくれたことには感謝している。それくらいには、おれはこのシヴァールヴァーニ大陸を楽しんで生きてきたつもりだ。

 視線を落としたまま、シエルはページをめくり続ける。


「そうか。それはよかった」

「お、おう」


 しばらくの沈黙のあと、シエルが再び口を開く。


「私はな、アルカン。貴様には配下ではなく友でいてほしいと考えている。王と配下でも親と子でもない。友だ。だから私は貴様の起こすすべての無礼をゆるそうと思う」


 その言葉に、背筋に何かが走った。雷に打たれたかのような衝撃に、おれは目を見開く。

 でかい。本当にこの小さな魔王は巨大だ。あまりの魅力に呑まれてしまいそうになる。セラトニア王国にこれほどの魅力を持った人物がいるだろうか。


「そ、そりゃどうも」


 恐怖は脅威へと変化し、威圧は威光へと変わってゆく。

 知れば知るほどに勝てる見込みも、戦う意志までもが失われてゆく。

 ページをめくる手が止まり、本を閉ざしたシエルが己の身長よりも高い位置にある長足のテーブルへと置いた。次の本をおれの手から取って、またページをめくり始める。


「父ヴィケルカールは――」


 唇を開けて、数秒後に閉ざす。

 重要な情報だ。友と思ってくれるのは嬉しいが、おれにはおれの事情がある。


「先代魔王がどうした?」


 おれは促す。卑怯にも。

 シエルがページをめくる手を止めた。目的のページを発見したわけではないらしく、その視線は本に落とされながらも、どこか焦点が合っていなかった。


「父ヴィケルカールは、父であり、対等の友でもあった。魔王種としては出来損ないの私を愛し、私もまた父を愛した。私は父の期待にこたえるため、この部屋で父の蔵書を漁った。この世界の書物だけではなく古代書、魔界書、禁書、異界書。すべての知識を蓄え、肉体の脆さ弱さを補う魔力を身につけた。父のようになりたくてな。……その父も、もういないのだが」


 やはりそれが力の源か。

 魔王シエルを確実に殺せる方法は二つ。

 剣速を今の倍にするか、もしくは彼女の魔力を封じるより他ない。

 今はどちらも不可能だが、いつか実現したときがシエルの最期だ。

 シエルが視線を上げて、眉をひそめた。


「どうした、アルカン。なんという貌をしているのだ、貴様は」

「……?」


 く、まずい! 喜びが表情に出てしまったか!

 おれは表情を隠すため、あわてて片手で口元を覆った。何を思ったのか、シエルが困ったような表情で優しげに呟く。


「わからんな。ああ、わからん。……それは他者に対する悲しみか? それとも己の境遇に対する自虐か? よもや私への哀れみではあるまいな?」

「へ?」


 シエルが片手を伸ばしてつま先立ちとなり、おれの頬を静かに撫でた。


「涙を流さずに泣くものではないぞ、アルカン。ヒトも魔物も変わりなく、そのような表情をした者から壊れてゆく。――壊れてゆくのだ、治しようがないほどに」


 泣いてる? このおれが泣いているだって?

 バカか。愚かな魔王め。笑っているだけだ。おまえを討つ方法が見つかりそうなのに、泣く理由があるはずもない。


「ヘッ、そんなツラしてねえよ」


 数秒ののち、シエルは視線を本のページに戻して再び紙をめくり始めた。


「ならばよい。だが、今の話は忘れるな。大切なことだ」


 沈黙が訪れる。

 しばらく、シエルがページをめくる音だけが室内に響いていた。

 おれは居心地の悪い静寂に、言葉を探す。


「話を戻そうぜ、シエル。あれ? 何の話だっけ?」


 シエルがおれを一瞥してからすぐに視線を本へと戻し、事も無げに呟く。


「真実はな、アルカン。驚いた拍子に尿漏れをしてな。汚れたからどこぞに脱ぎ捨ててきた。実に愚かしく残念な話だ。正答に辿り着けぬと、こういう過ちを度々繰り返してしまう」


 それがシエルの下着を穿いていない理由だと気づくまでに数秒かかった。

 魔王の前だというのに、おれは脱力して苦笑いを浮かべてしまった。


「はは、どこまで戻してんだよ」


 ほんとに残念だ。履き忘れてただけのほうが、まだまともに思える。


「ハハハッ! 貴様が悦ぶと思ってな。なにせ私は、貴様の興奮対象なのであろう? ペドフィリアの気でもあるのではないか? なあ、アルカン?」

「ぐっ、や、やめてくれ。本ばっか読んでっからそんな年齢で耳年増になっちまうんだ。この残念魔王が」


 そもそも、そのガリチビ隈白髪裸足に興奮したわけではない。彼女がアシュであるときには、この下半身は確かになんの反応もしていなかったのだから。

 いや……、今のおれにとっちゃ、シエルに反応してしまったことのほうが問題か……。

 愛も同情も、暗殺には不要だ。心などないほうがいい。


「くくッ、そう落ち込むものではない。魔王といえど、私もまた女だ。そのような反応をされては傷つくではないか」

「す、すまん」


 なぜか謝った。まったくもって傷ついた表情など浮かべず、いつものように自信に満ちた表情で言われたというのに。


「フハハッ! やはり貴様はおもしろい。嫌いではないぞ、アルカン。ああ、嫌いではない。私を抱きたくば、もう数年は我慢しろ。そのままの貴様でな」

「お、おいおい……」


 ページをめくる手が止まった。


「ふむ、ここらか。残りの本を置け。もう必要ない」

「あ、ああ」


 おれは少々高すぎるテーブルに三冊の本を置いて、シエルに視線を戻した。


「見ろ」


 視線の先には、とても手書きとは思えぬほどに精密で繊細な絵画が掲載されていた。

 焼いたニクだ。なんのニクかはわからないが、表面に網目状に焼き色がついていて、その横には芋を潰したものと思われるサラダと、緑色の見たこともない野菜が添えられていた。

 今にも匂いが漂ってきそうなほどに鮮明だ。


 ごくり、と唾液を呑み込む。

 これほどの絵画は見たことがない。さぞかし著名な画家が描いたのだろう。セラトニア王国の宮廷画家では、おそらく不可能だと思えるほどに緻密だ。


「これは絵画ではないぞ、アルカン。異世界の技術であるシャシンというものらしい。なんでも、目に見える空間をこうして切り取って、このような美しい絵画としてしまうものらしい」


 おれは息を呑む。


「――なっ!? なんて恐ろしい魔法だ! いや、むしろ呪いか? 切り取られた空間とやらはどうなるんだ? 絵画に封じ込められてしまうのか?」

「知らん。興味もない。見ろ、料理だけではないぞ。生物とて例外ではない」

「に、人間が絵画のなかに封じ込められてやがる。けど、こいつ笑ってるぜ」

「うむ。居心地でもよいのではないか?」


 空間ごと切り取って絵画にしてしまうのだとしたら、対象となる魔王シエルの魔力の絶対量も関係ないはずだ。

 もしもシャシンとかいう魔法で魔王シエルを封じられるのだとしたら……殺さずに済むのだろうか。


 おれは周囲の本棚を見回す。

 もしかして、この蔵書の量ならばシャシンという魔法だか呪いに関するものも見つかるかもしれない。

 そこまで考えて、おれはため息をついた。

 魔王シエルはシャシンを知らないと言った。ならばおそらく、この蔵書にはシャシンという魔法の術式が記されたものは存在しないということだ。


「そのようなことより、ニクの焼き方や行程が絵画になっておろう。その下にあるのが解せ……つ? うん? やり方の説明……つまり料理の本? だから、これを読む……? ……む……う……?」


 突然、シエルが頭を押さえて首を傾げた。


「おい、シエル? どうした?」


 シエルが額に縦皺を寄せて、不満げに唇をねじ曲げる。


「……あれれ~? なんか読めないや……。でもでも、この前はちゃんと読めたんだよ? ほんとだよ? アシュ、すごいんだから! まおーだから!」


 表情が幼くなっている。どうやら傷口が完全に塞がったようだ。

 魔王シエルの面影はすでになく、そこにはなんの取り柄もないダメダメ少女が佇んでいた。


「しまった。長話をし過ぎたか」

「んえ?」


 せめて訳させてから戻ってくれればよいものを。だがまあ、手探りにも程がある状態で試していた先ほどまでよりは、大きな進歩だ。


「なんでもねえよ。アシュ、この本借りてくぞ」

「いいよ~。アシュちょっと眠くなったから寝るねー! 頭使ったからかなー!」

「くく、ほんとにシエルのときの記憶があるんだな、おまえ」

「うんー? あるけどー?」

「や、なんでもねえよ。おやすみ」


 アシュがキングサイズをはるかに超える巨大なベッドによじ登り、おれに手を振る。おれは魔王の部屋をあとにして、ほくそ笑んだ。

 一つ、大きな進歩があった。

 シエルがアシュに戻るまでに要する時間は、ケガの箇所や大きさに左右される。

 この情報は、かなりの収穫だ。



彼女は堂々と尿漏れを申告します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ