クレメンス目醒める
クレメンスは目を醒ますと即座に起き上った。
「くっ……」
火傷が痛むのか、うめき声をもらす。
フィオナはその様子をじっと眺めていた。
「ここは、夜の支配者・冥界の王ウィドゥセイトの神殿。昼と夜・生と死の狭間の世界」
何かを探すように辺りをみまわすクレメンスに向かって、フィオナは静かに言った。
「ロジーナは……。私と共にいた女性を知りませんか?」
クレメンスはフィオナを見上げて言った。
「ロジーナは、すでに冥界へと旅立ちました」
フィオナは嘘をついた。
娘であるロジーナはこの神殿にいる。しかし、本当のことを言うわけにはいかなかった。彼女の使命は、クレメンスを生者の世界――現世に送り還すことなのだ。そして、それはロジーナの望みでもあった。
「そうですか。ならば、私もすぐに行かねばなりません。冥界への入り口は……」
フィオナはゆっくりと首を左右に振った。
「そなたは生きています。そなたの行くべきはあちら」
フィオナの指し示した先には、光り輝く扉がある。
「そなたは生者の世界に戻るのです」
クレメンスはフィオナの指し示す方向をみようとすらしなかった。
「戻りません。私の行くべきは冥界。私はロジーナの傍に行かねばなりません」
クレメンスはフィオナの顔をじっと見据えて言った。
フィオナは思わずクレメンスから視線をそらした。
娘のことをこんなにも気にかけていてくれる。それなのに……。いや、それだからこそ、真実を伝えることはできない。なんとしても現世に戻ってもらわなければならない。
フィオナは意を決し、クレメンスに視線を戻した。
「冥界に入れるのは死んだ者のみ。生者は冥界に入ることはできません」
フィオナは意図的に無機質に言い放ち、取り付く島もない風を装って視線を落とす。クレメンスの顔をまともに見ることができなかった。
沈黙が続いた。
フィオナは違和感に視線を上げた。
そこには短剣を手にするクレメンスがいた。
「お待ちなさい。何をするのです」
フィオナは慌ててクレメンスの手を押さえる。
「死者になれば、冥界に入れる」
クレメンスは短剣を見つめたまま言った。
フィオナは動転していた。
まさか、クレメンスがこのような手段にでるとは思ってもみなかった。クレメンスを死なせてしまっては意味がない。クレメンスには現世に戻ってもらわなければならないのだ。
フィオナは必死で説得しようと言葉を探した。
「冥界は限りなく広い。たとえ冥界に行くことができたとしても、彼女を探すことは、砂漠で一粒の砂を探すようなものです」
「それでも、見つけ出せる可能性はゼロではない」
クレメンスは静かに言った。
フィオナはじっとクレメンスの顔を見た。
瞳の奥に強い意志が見える。ただの脅しではないようだった。
クレメンスは本気なのだ。このままでは、完全にチェックメイトだ。どうしても諦めてもらわなければならい。どんな手段を使っても……。
フィオナは大きく息をつくと口を開いた。
「わかりました。ロジーナに会わせましょう。あの娘の遺体に……」
居たたまれなくなったフィオナはうつむいた。
ロジーナの遺体――人間ひとであった頃の肉体を見れば、納得するはずだ。あの損傷の激しい、醜く無残な姿をみれば嫌気がさすに違いない。諦めてくれる……。
フィオナは顔をあげると、クレメンスを別室へと誘った。