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第二章 時を超えたは選ばれるため

 式典は数刻にも及び、浮かべた愛想笑いは硬化し石仮面になりそうなほどであった。

 執り行われた式次そのものは少ないのだが、とにかく各々の式典が長い。メインイベントであるカシ・ダティータの王位継承式に関して言えば、祝詞から宣誓から全ての項目に対し膨大な時間を割き、挙句には合間ごとに国歌らしいものを歌ったり演舞を行ったりもした。式典の目的は王位を示す宝物の授受にすぎなかったが、正に国を挙げての一大催事──なのだろう。祖国における冗長の象徴である「校長先生の訓話」が可愛く思えるほどだ。

 シーノは重厚な扉が閉められたのを確認すると、長く深い溜息を吐いた。全身全霊が久しくなかった疲労感に侵されている。引きつった笑顔を浮かべる以外のことは特に何もしていないのだが、何一つ事情が飲み込めない中──しかも、宰相だの成婚だの不穏なワードだけが脳裏に蠢く中では、ただ笑っていることが大層な重労働であった。

「──……」

 溜息すら出ない。

 輝くばかりの白いドレスと美しい宝石を身に纏った若い女の心境ではない、と自分でも思う。思うがもはやそれすら不安の象徴でしかない。

 ──一体、自分は。

「おい」

「──ッ!!」

 扉を閉めた格好のまま、つまり縦長に伸びた取っ手を握り締めたまま扉にぺたりと額を付け疲れ果てていたシーノは、突然背後から掛けられた声に飛び上がった。心臓が早鐘を打つ。誰もいないと思っての放心だった。何だかよく──全く分からないけれど、あまり呆けた姿を晒してはいけないような気はした。

 姿勢を正して慌てて振り返ったその先には、黒づくめの青年──コウガが相も変わらず仏頂面で立っていた。

「あ、なんだ……」

 シーノは限界まで正した姿勢をくにゃりと崩す。このコウガとて、ほんの先刻初めて顔を合わせただけの間柄である。よくよく考えてみれば会話らしい会話もしていない。どうやら同郷──この異世界における異分子同士らしいという共通点が、これほどまでに安堵感を与えるものだったことに今更ながら気付いた。

「なんか……良く分からないけど疲れたぁ」

「そうだろうな」

「そうよ。もう、何がなんだか」

 頭を振り大きく伸びをすれば、髪に飾られた玉がしゃらしゃらと繊細な音を奏でた。肉体的には大した負荷は掛かっていなかったはずなのに、肩も首も足腰も凝り固まったような気がする。着慣れないドレスや履き慣れない靴のせいだろうか。

 首を回し解していると何やらコウガの視線を感じた。見れば、何か言いたげに口を開きかけている。

「あの」

「──あんたにはこれから色々知ってもらうことがある」

 わずかな沈黙の後ようやくぽつりと呟いたコウガは、真っ直ぐに視線を向けた。ドレス用のヒール靴を履いたシーノと同じくらいの身長である彼は、若い男性にしては──基準を現代日本に置けば──やや小柄である。しかし、身に纏う凛とした雰囲気のせいであるのか、背が低いというよりは鋭く引き締まった印象を与える。

「労ってやりたいところだが、まだ序の口にも達していない」

 シーノは黙って頷いた。それはそうだろう、と思う。ここにいたるまでにしたことと言えば、馬に同乗と着飾って笑ったことくらいだ。何もしてないに限りなく近い。

「俺に分かることは全て教えてやるが、それでも足りないはずだ。あんたは宰相になっちまったんだから」

 ──宰相になっちまった。

 その言葉はどこか投げやりにも聞こえたが、どうやらそれはこの仏頂面の青年におけるデフォルトなのであろう。シーノの目を一瞬だけ真正面から見据えたコウガの黒い目は、ひどく生真面目な感じがした。そしてその印象は、シーノの心細さをわずかながらに解した。少し──安心する。

「ね、コウガ……さん。その宰相って」

「黙れ」

 しかし、そう感じたのも束の間。シーノが問いかける言葉を鋭く遮り、コウガは真一文字に口を結んだ。仏頂面が不愉快の色を帯びていくのが分かる。

「……」

 その豹変に驚きはしても、反駁する気になれなかった。彼の全身に嫌な緊張が走っている。ただ傍に立つシーノにもそれが伝わるくらいに。

「──死ぬほど苛立つだろうがしばらく黙っていろ」

 ごく小さな声でコウガが呟く。その声にも緊張や棘の類のビリっとした気配が多分に含まれていて、シーノは息を呑み姿勢を正す。

「膝は折らんでいいが、適当に会釈くらいしておけ。内心舌を出してて構わん」

 カツ。

 遠くで何か小さな音が聞こえた。コウガがその方向に踵を返し、後方の扉と己の背でシーノを挟み守るように立ちはだかる。短く切られた髪から覗くうなじからは、まるで猫のように怒気が立ち上っている。シーノに対してではない。その対象はこれから現れる何かだ。

 カツ。カツ。

 耳をそばだてているとそれはだんだんと近づき──やがて音の主が廊下の角から姿を現した。

「おや、黒鼠がこんなところで逢引とは」

 有り体に言えば美人だった。漆黒のシンプルなロングドレスが映える長身と脚線美。胸元の悩ましい曲線を彩る宝玉は白い肌の上で艶やかに光る。分類をもう少し細かく表せば毒々しい色気を放つ魔性の美貌を持つ女が、エナメル風の靴の細く高い踵を華やかに鳴らし立ち止まった。

「王のものに手を出すなんて、むしろ溝鼠かえ?」

「滅相もないことでございますが。マリザヴェール殿」

 コウガが片膝を付き頭を垂れた。異世界の作法は分からず、シーノはとりあえずコウガに従っておくという処置を取ることとした。膝は折らんでいい。適当に会釈。彼の言に倣い、お辞儀をしてみる。

 美人──マリザヴェールと呼ばれた女はシーノを一瞥すると鼻で笑った。場慣れなさは明らかにばれている。シーノはわずかに開き直り、顔を上げた。やはり、そこに立っているのは派手できらびやかな美貌を纏った妙齢の美女である。ただし、ふつふつと煮えたぎるような悪意を隠すつもりはないらしく、佇まいや表情の全てに険がある。

「カシ様も随分とまあ、変わった嗜好をお持ちであらせるよう」

「そうでございましょうか?」

 対するコウガの声も刺々しい。こちらはその悪意を殺す気は一応あるようだが、死にきれない嫌悪感が声色の端々に滲んでいる。

「こんな芋っぽい……いえ、洗練という感性がないおまえには分からぬことであろうが」

「その洗練とやらが、王宮に巣食っている古狐を指すのであれば、そうでしょうな」

「……言うてくれるわ、この黒鼠が」

「どなたのこととも申し上げておりませんが、お心当たりが? マリザヴェール殿」

 古典的表現をすれば二人の間には火花が、というよりも稲妻が走っている。迸るほどの敵意が肌に刺さるようで、シーノは思わずごくりと生唾を飲み下す。

「ほんに──忌々しい」

 先に視線を逸らしたのはマリザヴェールだった。繊細なドレスの裾をひらりと返し背を向ける。大きく開いた背中が妖艶で、揺れる髪の一筋までも色っぽく、そして頭から爪先まで彼女の全てが害意に満ちている。靴を鳴らしながら立ち去っていく姿は──美しく、空寒い。

「……映画みたい」

 マリザヴェールが去りほんの少し緩んだ空気の中、ぽつりと呟いたシーノの声は思いのほか響いた。

「あ?」

「や、すっごい美人」

「あんなもの、年増の女狐だ。ああ見えてあんたの倍は生きてるぞ」

 吐き捨てるようにコウガは言い溜息をひとつ吐いた。肺の中の空気と共に敵意が抜けていったのか、振り向いたその顔はマリザヴェールと対峙する前の表情に戻っていた。それでシーノはようやく、彼の仏頂面は不機嫌や敵意ではないのだと知った。無表情が平常運転なのだ。

「うそッ。三十越えてるの!」

「しかも子供がいる」

「え。えええええっ!!」

 頓狂な声を尻目に、コウガはもう一度溜息を吐いた。シーノに呆れて、というよりはとにかくマリザヴェールが嫌いなのであろう。数分前の記憶を振り払うかのように頭を振り、今度は小さく溜息を吐いた。くるりと背を向け、足を踏み出す。

「ついて来い。あんたが分からんでいることを少しくらいは教えてやれる」

 マリザヴェールとは対照的に、コウガは無音で足を運ぶ。床は厚いカーペットなどではなく石造りになっているのに、二人縦に並んで歩きながら響く足音はひとつだけであった。シーノは彼の足運びを真似てみようとしてみたが、履き慣れないハイヒールで危うくつんのめりかけたため、すぐにやめた。

 廊下は長く、曲がり角や四辻は無数にも思えるほどであった。時折出現する扉はそれぞれ同じように重厚で、向こう側は一体どんな部屋になっているのだろうか。この城に住む者はどうやってこの迷路のような配置を頭に入れているのだろう。シーノは途中で道を覚えることを放棄した。無理だ。

「こっちだ」

「……この複雑な道をどうやって覚えたらいいのかしら」

「慣れろ」

 コウガが開いた扉は、道中の廊下で見たものと区別がつかない。せめて表札のようなものがあればいいのにと思いながら、シーノは前途の多難さを噛み締め部屋へと踏み入る。

 部屋の中は整然としていた。ベッドと文机といった必要最低限の家具があるだけで、雑多な小物も装飾も生活感もない。埃や塵の類もなく、居室というよりは入居者を待つ学生寮のような雰囲気である。

「まあ、座れ。多少長くなる」 

 コウガが指し示した先には、藁で編んだ円い座布団のようなものが床に無造作に置かれていた。カシから始まり城や女官、眼下に広がる国民、自らが身に纏うドレス──こちらに来て出会ったものが概ね洋風であった中、ここでようやく登場した故郷を思わせるものにシーノは心弛びを感じ、そしてそのことが己が気付かないでいた緊張を自覚させた。

「靴、脱いでいい?」

「……むしろ脱いでくれ。土足厳禁はこの部屋くらいのもんだが」

 高いヒール靴を脱ぐと、ドレスの裾が床に広がった。シーノは少しだけ裾をたくし上げると勧められた座布団のようなものに腰を下ろした。出来れば靴だけでなくてこのドレスも早く脱ぎたいが、元々着ていたセーラー服はおそらくあの女官が詰めていたドレッサールームに置き去りであろう。そして単身であの部屋に辿り着ける気は少しもしなかった。

「──何から説明したらいいものか……あんたはこちらには来たばかりなんだな?」

「こちらっていうのがどちらなのかも、正直あたしまだよく分かってない」

 シーノは階段から落ちて今に至るまでの間の出来事を順序立てて話した。その間、シーノの向かい側に座ったコウガは時折不思議そうな顔をしたものの基本的には黙って、ただシーノの話に耳を傾けていた。

「と、いうわけ。宰相っていうものになって、とりあえず食い扶持は見つけられたのかなって思うんだけど」

「なるほど。あんたは案外……」

 そこでやっと口を開いたコウガは、なにか考えるように言葉を切った。そして少し笑った。

「肝が据わっているんだな」

「え?」

 首を傾げたシーノには答えず、コウガが話し出す。

「この世界は、おれやあんたがいた世界と違う。それは分かるな」

 ここは日本ではなく、そして現代世界のどこかでもない。いくらなんでも分かっていたことだが、改めて他人の口から聞くと途端に心細くなる。シーノは頷き口を結んだ。

 コウガの説明によると、彼もまた何かのきっかけでこの世界にやってきた。祖国とは似ても似つかないこの世界の正体は分からないが、動植物の命が育まれ人は暮らしを営むというごく根本的なことは日本と変わらないらしい。この世界を隅から隅まで見て回ったわけではないが、少なくとも今いるこのフィルヴィという国は王政国家であり、その政治を助けるのが宰相である。隣にある大国もどうやら同じシステムを採っているようだから、もしかしたらこの世界ではこれが標準的な政なのかもしれない。

「自治単位ごとに城があり、城主──こっちでは王様というが、まあ国主があり、政を司る者があり、城下に暮らす民がある。そういう意味ではおれたちの世界と変わらんのかもしれん」

 シーノは黙って頷いた。イメージは分かる。現代日本でも、歴史の授業で習った中世古代の日本も世界各地も、国のありかたを分解すればどこも大体そのような体系に収まる。

「その『政を司る者』がこちらでは宰相という、ってことね」

「まあそれはそうなんだが……もう一つ」

 コウガの仏頂面がほんのわずか変化した。微かに困ったような、そんな顔をする。そして、シーノが無意識に忘れてしまおうとした懸案事項の核心にずばり触れた。

「こちらの世界では、宰相は王を補佐する政の主役であると同時に──王を補佐する妻でもある」

「──それって」

「あんたは宰相になっちまった。つまり、あんたはカシ殿に嫁いじまったのさ」

 うっすら分かっていた。女官の言葉。宰相を披露するという席での華やいだ衣装。そうじゃないかとは思っていた。けれども。

「はは……そうなんだ、やっぱり」

 言葉にされれば笑うしかない。厭だとか悲しいとかではない。残念ながら故郷に好きな男がいたわけでもなく、むしろシーノが故郷で出会った誰よりも──テレビの中の芸能人を含めたとしても──カシはずば抜けて整った美貌を備えている。その上、文字通り一国一城の主である。ある意味では、故郷ではありえないシンデレラストーリーとも言えることかもしれない。しかし単純に嬉しいとか幸せだとかそういうことでももちろんなかった。どんなにいい男でなおかつ王であっても、カシのことは何一つ知らない。具体的に考えたことは一度もなかったけれども、結婚というものはこういうものではないと──関わり、互いを知り、そして惚れた男と交わすものだと、なんとなくは思っていた。

「カシ殿は名君だ。お人柄も穏やかでありながらご勇敢であらせられる。……あの方の奥方になられるのは不運なことではない」

 シーノは頷く。この仏頂面の青年の言葉は慰めという方便ではないだろう。少なくとも、コウガ自身は本心からそう思っていることは伝わる。

 それに、カシが己の宰相は異世界から来た異邦人(ストレンジャー)であることを承知していること、見知らぬ世界で王として──そして夫として庇護してくれるであろうことは間違いなく幸運だと言っていい。あの時カシが助けてくれなければ、今頃どこに売られてどうなっていたか分からない。四肢は繋がっていなかったかもしれないのだ。コウガに言われるまでもなく、これは不運なことではない。

 手放しに嬉しい、ではない。それでも決して悲しい、でもなかった。しかしごくわずか、ぱっと見では分からないくらい微かに心配げな表情を覗かせ、コウガはシーノに尋ねた。

「あんた、郷里では結婚を?」

「まさか。彼氏もいないのに」

「彼氏──とは、どこの領地の?」

「え?」

 顔を見合わせる。

 確かさっきもあった。同じ感覚が蘇る。さっきは掘り下げられなかった、会話の微妙なすれ違い──伝わっているようで伝わっていない言葉。コウガが今度は問う。

「あんた生まれは?」

「愛知県です」

「……」

 眉間に一筋、深い皺が刻まれる。コウガはさらに質問を重ねた。

「身分は」

「高校生です」

「本当の名前は」

「椎野杏子です」

「椎野が氏か。どこの家臣だ」

「……え?」

 シーノが答える度に、眉間の皺は深くなっていく。嘘を吐いたわけでもなく怒られるようなことを答えたつもりもない。それなのに、シーノの疑問符を最後にコウガは黙りこくってしまった。真一文字に口を結び、何やら考え込んでいる。

「あの、コウガさん」

 短くはない間、コウガは黙っていた。おずおずと声を掛けたシーノにようやく視線を向けたときにも、眉根は寄せられていた。

「あんたは日本からこちらにやって来たんだろう」

「ええ」

「……違う『日本』なんだろうか」

「え」

 自身なさげに呟くコウガに、今度はシーノが尋ねる。

「じゃあ、あなたの出身は?」

「コウガ」

「や、名前じゃなくって──」

近江国おうみのくに甲賀の者だ。そう名乗ったら、カシ殿はそれをおれの名前だと思われたようだ」

 近江国は甲賀、佐治河内守さじかわちのかみに仕える下忍でおれの本当の名は佐介という──そう、コウガは言った。

「え? じゃあコウガさんじゃなくて佐介さんって呼んだほうがいい?」

「……カシ殿がそうお呼びになる以上この世界のおれはコウガだ。別に『さん』もいらん。コウガでいい」

「じゃあ、コウガ、もうひとつ。生まれた年は?」

 佐治河内守さじかわちのかみ。響きを聞いた瞬間にピースは嵌った気がした。シーノは自分の想像にある程度の確からしさを感じながら、確信を得るためにもうひとつコウガに尋ねた。彼はおそらく──

「おれの生まれた年? あんまり覚えていないが、元号が文明に改まった年だっただろうか」

 ビンゴ。

 シーノは思わずにやりと笑った。

 日本史が得意教科、というわけではない。ないが、祖母の影響か時代劇や時代小説は好きだった。文明という年号には聞き覚えがあり、あれは確か──室町幕府の時代。応仁の乱の前後くらいではなかっただろうか。いや、もっと後か。年号の細かい合致に自信はなかったが、肝心要の事実──コウガの生まれは明治大正昭和平成などという近世ではないということは間違いない。

 つまり、正にコウガの疑問は正しいということだ。

「分かった。コウガの言う通りだわ。あたしたち、違う日本から来てるみたい」

 具体的には、違う「時代の」日本からそれぞれやって来たのだ。数百年を隔てた日本から、このフィルヴィとやらに。

「コウガのいた日本よりずうっと後の時代が、あたしがいた日本だわ」

「は?」

「だからね、コウガのいた時代から何百年も経った世界の人間なの。あたし」

 ついに──コウガの無表情が崩れた。目を剥いて仰け反り、口は半開きになっていた。シーノの言葉の意味を反芻しているようで、時折何かぶつぶつ呟いている。基本的には愛想のない仏頂面でありながら、こうして時折感情が垣間見える。この老練しきらない感じに、シーノはすっかり親近感を抱いていた。

「ねえ、コウガは今何歳?」

 初めは丁寧だった言葉遣いも今や大分崩れてきたのはその親近感ゆえか、もしくは持前の順応性だっただろうか。シーノは身を乗り出した。

「こちらの暦は曖昧だが、おそらく十八になる」

「やっぱり同じくらいじゃん! あたしは十六──数えで十七になるもん」

 現代日本に変換すれば高校三年生──それにしては少し大人びているのは、やはり生まれ育った時代背景のせいだろうか。それとも一般的な高三男子と比較すると非常に乏しい表情変化も一因だろうか。シーノはまじまじとコウガを眺めた。生まれて初めて見る数百年前の生体である。やや小柄ではあるが、現代の日本人の中に紛れても違和感はなさそうだ。

「そんなこともあるのだな……」

 驚愕をどうやら飲み下し、コウガは深い溜息を吐いた。確かに、子孫と言える世代の人間に会うことは信じられない事態だが、それ以前に突然放り込まれた異世界の中で数年を暮らしてきているのだ。今更ひとつ不思議が増えたくらいでいつまでも仰天してはいられないといったところだろう。そもそも、一切合財が非現実的なのだ。

「なあ──」

 問いかけようと口を開きながらほんの少しの躊躇を表情に浮かべたコウガは結局、その問いを収めた。

「いや、なんでもない」

「なによ、言いかけたなら言っちゃえばいいのに」

 シーノが笑う。それに促されたように、コウガが呟いた。質問というよりももう、一人ごとに近いニュアンスであった。

「御屋形様が……おれの国がどうなったのかあんたに聞こうと思った。でも何百年も経っているのなら意味がないな。どうあれ皆死んでいる」

「……そうね。多分、時代はすごく変わったと思うわ」

「──そうなんだろうな」

 整えられた部屋の中、沈黙の帳が下りた。シーノはコウガを、コウガはシーノをぼんやりと眺めながら少しの時間黙っていた。違う時代に生まれた。同じ国に生まれた。そして、同じ異世界へやって来てしまった。

「おれはこっちに来て、どうしていいか分からなかった」

 口を開いたのはコウガのほうだった。一人ごちるように続ける。

「変な色の髪や目をした人間ばかりで、天狗か鬼だと思った。言葉は通じていても何を言っているか分からなかった」

「うん」

 確かにコウガの生きた時代に金髪や赤髪はいなかっただろう。江戸中期ならばともかく、彼の時代の外国は中国や韓国だったはずだ。シーノは式典に集まった群衆を思い浮かべた。人々の容姿は洋画の登場人物さながらだった。

「町から逃げ出して森で野垂れ死にかけていたおれを、カシ殿が拾ってくださった」 

 つまり、カシが拾った日本人──いつの時代の生まれであれ──は、シーノが初めてではないということだ。確かに暴漢から救われた森の中で、カシはそのようなことを言っていたように思う。しかし王様というのはそんなに気軽に人間を拾うものなのだろうか。もしかして庶民が犬や猫を拾う程度の感覚なのかもしれない。

「以来、おれはカシ殿のお側にお仕えしている。小姓のようなものだ──というつもりでいる」

 ということは、正座し生真面目な顔でこう語るコウガはさながら拾われた子犬だろうか。彼の言葉や態度から滲み出る忠義心を見れば、そのイメージはあながち間違いではないかもしれない。シーノはなんだか可笑しくなった。愛想のない忠犬。確かにコウガにピッタリだ。

「おれはなにか変なことを言ったか」

「ううん。ぜんぜん」

 顔に出ていたのだろう。コウガは訝しげに首を傾げるが、生真面目な顔がまた可笑しい。シーノはこの無愛想な青年がすっかり気に入っていた。良く分からない世界で意味の分からない展開になってきたところではあるが、同郷と言えなくもない青年はいい奴そうだ。とりあえず良かったと言っていいのではないだろうか。どうせ何がどうだか分かっていないのだ。分かる範囲のことが恵まれているならば、それは寿ぐべきことである。

「話が逸れたな。……それで、今日からあんたはカシ殿の奥方であり、この国の宰相でもある」

「そうなっちゃったんだもんねえ」

「他人事のようだな」

「理解はしたよ。だけどさあ、だってあたしただの学生だよ? 政治なんて教科書とワイドショーレベルの知識しかないし、花嫁修業すらしたことないのに。しかもよその世界で急にそんなこと言われて、いきなり自覚があるわけないよ」

「それは……そうだろうな」

「カシさんに助けてもらって死なずに済んだし、宰相と国王の奥さんだったら衣食住には困らないだろうし、もちろんああやって紹介されちゃった以上は出来る限り頑張ろうとは思うけど。でも何から頑張ったらいいのかしらって感じ」

 シーノが両腕を真上に上げ大きく伸びをすると、二の腕に触れた髪飾りがしゃらりと細やかな音を立てた。着飾った理由はカシ国王の即位式に同席するためであったが、着飾って同席した理由は己が宰相であるからだ。今身に纏っている全てはシーノのものではなくダティータ家のものであり、即ち国のものなのだろう。借り物であろうともこれほどの宝石やドレスを身に付け公の場に出た瞬間から、夥しい人が王族でもないシーノにも膝付き額づいた瞬間から、己には何らかの果たすべき責任が発生したのだということは理解している。ただ、シーノにはその果たし方が分からない。そもそも責任とやらの外枠だけが朧げに分かった気でいるだけで、内実についてすら分かっていない。

「なんであたしなんだろう。城に住まわせてやる代わりに下働きしろっていうほうが、まだ即戦力になりそうだけど」

 腕を下ろすと華奢な腕輪が手首に落ちる。繊細な金細工だ。これらを着せて飾ってくれた女官らに混じりエプロンドレスを着て、マーリィに叱られながら掃除や炊事などしているほうがまだ現実味があるとシーノは思う。それならば、活躍とまでは言わずとも少しくらいは役に立てるような気がする。

「先王がお隠れになられ、カシ殿には時間がなかったのだ」

「え?」

「先王が薨去なさりひと月かけて行う大葬が済んだのが昨日だ。今日、即位式が執り行われることは決まっていたが──ただ、宰相だけが決まっていなかった」

「え、そうなの? そういうのって家柄とか色々縛りがあって、候補とかたくさんいるんじゃないの? よく知らないけど、様式美として」

 途端、コウガの眉間に深い溝が刻まれた。不機嫌そうな表情のまま彼はほんの一瞬だけ呼吸を止める。そして、盛大な溜息と共に忌々しげな呟きを吐いた。

「あの女のせいだ」

「どの女?」

「女狐マリザヴェール」

 半眼で吐き捨てる様子を見ると、心底彼女が疎ましいらしい。露わになった憎悪は、しかしある意味では表情の乏しい彼に年相応の感情起伏を与えているようで、大人じみた仏頂面よりもシーノには近しく感じられた。

「さっきの美人のことだよね。……見えないけど、子持ち三十路の」

「あれほどまでに腹がどす黒い女を美しいとは世辞にも言えん」

 コウガはさらに顔を顰めた。

 傾国の美女マリザヴェール──王城内でその名を知らぬ者はおそらくない。先刻シーノらの前に現れた如くに妖艶に華々しく飾り立て、靴を鳴らし我が物顔で城内を闊歩する彼女を知らぬ者はないだろう。そして、その不躾を咎めるものもない。

「あれが、先王の愛妾だったからだ」

「あいしょう……って、愛人っていうこと?」

「有り体に言えばそうだ」

 憮然としたコウガが語るところには、マリザヴェールは先王ツォ・ダティータが晩年愛した──コウガ曰く篭絡された──女であった。かつてダティータから降嫁した女系の遠縁を名乗っており、出自としては王家の縁戚ということになる。末端とは言えダティータの眷属であることを理由に彼女がこの城内に現れるようになったのは、先代宰相が鬼籍に入ったころであった。

「ツォ殿の奥方、つまりカシ殿の母君がお隠れになったのが、おれがこちらに来て幾月か経ったころだったと思う。それからすぐにあの女が城に纏わりついた」

「奥さんを亡くしたばかりの前の王様に取り入った、と」

「そうだ。寝技でな」

 王がマリザヴェールに魅了されているのはすぐに城内臣下の知るところとなる。王の寵愛を笠に着た彼女の振る舞いが日増しに高飛車になっていくのは誰の目にも明白であった。時を待たずに新たな宰相が立つと、城内のいたるところでまことしやかに囁かれていた。

「──だがツォ王は昏君ではなかった。どんなにあの女に唆されようとも、あれを宰相に据えることはしなかった」

 彼らが有限の命を持つ生物である以上、王の在位中に宰相が逝去することもある。宰相が時の王の妻である、という原則に従えば速やかに後妻を迎え後任に据えるべきであろう。王はあくまで統治者であり、施政者の長である宰相不在で国政を動かすことは望ましくないと考えられている。

 しかし、それはあくまで原則論であり、王が速やかに後妻を迎えないケースもある。王が老齢であれば宰相喪失を機に王位を禅譲する場合もあり、先代宰相の側近である大臣に宰相代行権を与えることもある。または時を置いて後妻を迎える場合もある。要するに、時の王によるケースバイケースの対応が先例として様々に存在した。

「ツォ王が後任に置いたのはカシ殿だ。当然だ。あんな女を宰相に据えれば国がみるみる傾く。それをご理解されている名君だったと言える」

 基本的には王の妻である人物が宰相という職務に就くという制度のためか、こちらの世界では王族も一夫一妻制なのだとコウガは言った。シーノにとってはあちらの世界でもそれは同じだと思ったが、本筋には関係なさそうなので黙っていた。

「事実、あの女はツォ王の愛妾であったかもしれないが妻ではない。王の奥方がお隠れになった後も妻にはなれなかった。当然だな。あんな女狐」

 隠し切れない悪意を言葉の端々に滲ませながら、コウガはひとつ溜息を吐いた。

「王に妻がいない、もしくはいなくなった場合、近親者──兄弟や子息などが代行者として宰相を執ることもあるようだ。つい先刻、即位なさる前のカシ殿もそうだ」

「あ、そっか。カシさんはさっき王様になったのよね」

「それでさっき宰相になったのがあんただ」

「あ、そっか……そういえば」

 兎にも角にもどうにも現実味のない話にシーノが頭を掻いた。とても具体的な夢を見ている最中のように、この期に及んでもまだ思う。

「あれはツォ王の宰相にはなれなかった。だが諦めていないのだろうな。ツォ王のご子息であるカシ新王の宰相を狙ってやがる」

「え」

「カシ殿にもそんなことは分かっていた。だから──」 

 どこか陳腐な物語のような展開に微妙に付いていけないシーノを尻目に、コウガはそこで一旦言葉を切った。シーノの背後──そこには扉があるばかりであるが──をちらりと見たかと思うと、何かを得心したように頷き口元だけで笑う。

「マリザヴェーラを宰相にしたくない。──だから」

 コウガの視線を追ってシーノが振り返ったのと、音も立てず扉が開いたのはほぼ同じタイミングだったであろうか。扉の向こうに立っていた人物は、コウガの言葉尻に被せるように口を開いた。

「だから、君を選んだんだ。シーノ」

 カシ・ダティータ。

 眩いほどの美しい笑顔で部屋を訪れたその人物は、まさにこの国の新王であった。


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