間宮李菜はビッチである。
間宮李菜はビッチである。
それは自他ともに認めているし、李菜にとってビッチという言葉は悪口ではない。かと言って褒め言葉でもない。ごく一般的に言って、「ビッチ」とは悪い意味をもつ言葉である。当たり前だ。英語圏でそんなことを女性に口走ったら、その父親(大抵ぶくぶくに太り、頭は禿げ上がっている)に「fxxk!」と叫ばれ射殺されるかもしれない。「サノバビッチ」という言葉もある。これは「Son of a bitch」の略であり、つまりは「ビッチの息子」という侮辱の言葉だが、これは「ビッチ」の功罪は息子にまで及ぶということを示しているのだろう。日本語に無理やり直せば「お前の母ちゃん売女」といったところではないだろうか。
「違うわよ、意味はあってるけど、ニュアンスが異なるの。母親への侮辱の言葉は息子にとっては何より堪え難いものであるということよ」
でもあたしは女だからその感覚がいまいちよくわからないわ。李菜は眉をひそめて私に言う。男を取っ替え引っ替え、というか自転車操業のように男と寝ている李菜は、その知識量にも目を見張るものがある。いわゆるピロートークの中で、そういった知識を男から仕入れるのである。男というものは行為のあと、自分の知識をひけらかしたがるものらしい。
私はそういった行為は未経験である。にも関わらず李菜のせいですっかり耳年増になってしまった。李菜の紡ぐ言葉は生々しく血液と粘液に満ち、聞いている私はまるで胎内に回帰しているかのような錯覚に陥る。
「李菜にとってビッチと言われることは何を意味するの?」
「何も意味しないわ。せいぜい、ああ確かにあたしはビッチだわ、と確認するくらい」
ここで読者に問いたい。間宮李菜は何を以てビッチと称されるのか?彼女は確かに複数の男と寝所を共にしている。特定の男はおらず、その日の気分で寝る男と場所を変える。(彼女は携帯電話を3台もっている。すぐ寝れる男用、定期的に会う男用、そして友達・家族用。ちなみに3台めに登録されている番号はひとつしかなく、しかもそれは私の番号である)
「あんたができるようになったらあたしがいろいろ教えてあげるからね」
李菜は朝日の射し込む部屋のなかでドレッサーを覗き込んでいる。そして限りなく金に近い茶色に染めた髪をコテでくるくると巻きながら、私に笑いかける。テラテラと光るサーモン色の唇から、形の良い前歯がちらりと覗く。
「きのう寝たのは小説家よ、幻想小説というのを書いているんですって。あたしの裸を見て、インスピレーションが湧いたとか言ってたわ。小説家なんてばかよ。言葉が何を伝えるのかしら?言葉がエクスタシーをもたらすのかしら?言葉は人を殺すことさえできないわ。お腹もいっぱいにならないわ。言葉はモノの本質を表さないの。ただ仮に名前を付けてるだけなのよ。あんたの名札みたいなものよ。何年何組何番、名前は何何です、ってね。
とにかく名前と本質にはなんの関係もないの、言葉なんて事物とイメージのあいだを行き来する亡霊みたいなものだわ。それなのにみんな言葉に幻想を抱くんだわ。言葉が何かを説明できると思っているの。それは過剰な期待というものよ。幻想小説なんて特に胡散臭いわね。言葉で説明できないから幻想というんじゃない?」
李菜は言葉に対して思いつく限りの悪口を並べ立てる。私はベッドに座り足をぶらぶらさせ、つま先に塗られたペディキュアにうつる自分を見ていた。李菜の言葉は確かに私には何も伝えてこない。半分くらい何を言っているかわからない。ただ李菜はその小説家が好きなのかもしれないと思った。
李菜には男の好みというものが存在しない。国会議員とも寝たことがあるし、ホームレスとも寝たことがある。どちらかというとホームレスとの方がよかった、とそのとき李菜は青カビの生えたチーズを摘まみながら私に報告した。李菜はビッチらしく爪を真赤に塗っているので、チーズの黄色っぽい白と毒々しい赤はこの世のものとは思えないほど醜悪なコントラストをなしていたのである。
「お母さんいってくるね」
「名前で呼んでと言ってるでしょう」
曖昧に頷く。ペディキュアの塗られた足を白いソックスで包んで、私はランドセルを背負った。サノバビッチという言葉があるのだからドーターオブアビッチという言葉もあるのだろうか。私はそう呼ばれるのだろうか。語呂が悪さが気に入らない。おそらくサノバビッチという言葉が広まった理由はその語呂の良さによるものだろう。「くそっ!」や「ちくしょう!」などからも推測されるように、悪い言葉というものは大抵声に出すと快感を伴うものだから。
「サノバビッチ!」
懸命な読者諸君もつぶやいてみてほしい。まず、サ、で息を思い切り出す。続く「ノバビ」の部分は実に「言いごたえ」があるし、最後に促音がきて「チ」という小さな爆発音で締める。妙な満足感に包まれないだろうか?サノバビッチはそういった意味で、優秀な言葉であると言えよう。
そんな益体もないことを考えながら私は学校へ行く。
担任の先生は私のビッチな母親のそのビッチさを知っていて(なにせ、李菜は担任の同僚の若い男の教師と寝たことがあるのだ)、私がいつ非行に走るかを危惧している。しかし私はご期待に添えず、どちらかというと真面目に生活している。しかし真面目すぎるというほどではなく、たまにゲームや漫画をこっそり持っていったり、つまらないことで友達と喧嘩したり、その程度のことはする。宿題も毎日やるが、忘れることもある。つまり普通である。可もなく不可もない小学生である。
母親が娘に悪い影響を及ぼしていると考えられるとき、大抵の場合娘も「不良」に育つらしい。もしくはその母親を反面教師にしてものすごく「いいこ」になるかもしれない。私はそのどちらでもなかった。
「李菜は私に何の影響も及ぼしていない」ということを示したい。もしくは「よくない母親をもったモデルケースになりたくない」。
もちろん、そういうわけではない。そんなことを考えて毎日を送るほど私は器用ではない。私はそこそこに忙しい、凡庸な小学5年生なのである。
意外に思われるかもしれないが、李菜は「勉強はきちんとやりなさい」と私に言う。そこそこ頭がよくないと、いい男と寝れないわよ。やっぱり李菜の基準はそこなのである。徹底している。
李菜はバカではない。いや、行動をみればバカと言えるもしれないが……学力的なことを言えば、彼女はある有名私立大学の法学部を良い成績で卒業している。なぜその大学を選んだのかというと、いろんな男と遊びやすいかららしい。「特に、こんな男が多いの。バカ騒ぎもできる賢さをもつ男。うまい遊び方を知っている男」。一番後腐れのないタイプである。「その分つまらないけれど、若いうちに基本を知っておきたかったの」。
「基本」。一体なんの話をしているのか、この言葉だけではわからないが、李菜の言葉はすべて男絡みであるから推測は可能なのである。
とにかく李菜はほどほどに知的、かつ自由な校風を気に入り、その大学を受けた。李菜がその気になればもっといい大学にも行けただろうが……李菜の行動基準を考えると、やはり勉強一辺倒で遊べなさそうなところよりも多少おバカな大学の方がずっと価値が高かったのだ。
「それに外国人留学生も多いところもポイントよ」そして李菜は四年間をさまざまな男と寝て愉しんだ。ひとつの単位も落とすことなく立派に卒業した。李菜はふざけて、あたしは「インテリビッチ」なのよ、と言っている。李菜の言葉のセンスはあまり良くない。
間宮李菜はビッチである。
だけど私は彼女が好きだ。