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老人と海

 ただ、老人が魚を釣って、その魚が鮫に食べられてしまうだけの物語である。ただ、それだけである。短い。それ以外には、何も起きない。しかし、それでも、この物語はわたしの心を打った。それはなぜか。

 それは、老人が毎日、魚を釣っているからである。老人にとって、魚を釣ることが当たり前なことだからである。だから、老人は魚を鮫に食べられても、一向に動じない。せっかく、釣り上げた魚を食べられても、まったく悔しがることがない。

 老人は知っているのだ。魚など、何度でも釣ればよいことを。鮫に食われたくらいの損失は、ささいなことなのだ。それくらいに長く、老人は人生の挫折を味わってきているのである。老人にとって、失敗や挫折は当たり前のことなのである。運が悪いだけだ。それだけのことで、悔しがったりしないのである。

 老人は毎日、働いているのである。労働者なのである。人生を積み重ねているのだ。その老人の労働の積み重ねは、鮫の攻撃などでは、まったく揺るがないのである。その圧倒的経験の豊富さが、わたしの心を打つのである。

 それは子供である我々読者には、意外なできごとである。わたしは老人の達観した行動に、まさに人生を見るのである。ただ、働いていた。ただ魚を釣っていた。そのことに誰が文句をいえようか。世界は老人のような労働の積み重ねでできているのである。それを教えてくれるこの物語が、無駄な読み物なわけはない。

 老人が釣った魚を見て、喜ぶ子供の様を見よ。あれが子供の世界だ。面白いのだ。大人の仕事は、面白いのだ。大人は、それがあまりにも何度もくり返されるから、飽きてしまうのだ。それが世界だ。

 だが、この老人は負けじと魚を釣る。ただ、魚を釣る。その行動に、誰一人、文句をつけてはいけないことをわたしは感じとったのである。だから、感動した。この小説は、労働者の栄枯盛衰によって社会がつくられていることを、ただ、老人が魚を釣って、鮫に食われてしまうだけのできごとから教えてくれるのである。

 わたしは、これからどんな人生を歩むかわからないが、ひょっとしたら、劇的に面白い波乱万丈な物語を生きるかもしれないが、そうなったとしても、この世界の大部分が、この老人のような淡々とした労働の積み重ねでできていることを忘れないで生きていこうと思う。


おわり。


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