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新約聖書

わたしは、第一に日本神道の信者であり、第二に仏教徒であります。具体的には浄土真宗の信者であり、経典である「無量寿経」は新約聖書より平等思想の根付いた素晴らしい教えだと思っております。


三十五歳のおれが書く読書感想文「新約聖書」


 三十五歳になって、初めて新約聖書を読んでみた。旧約聖書の方は長すぎて、読むのを途中でやめてしまった。だが、旧約聖書とちがって、新約聖書は、ぼくにはたいへん面白い読み物だった。

 まず、「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四つの福音書が書いてある。これはイエスの伝記だ。最も一般的に知られる神秘的な伝記は、「マタイの福音書」であり、「マルコの福音書」に書かれるイエスは洗脳詐欺師のようだ。「ルカの福音書」は、イエスの先祖を詳しく記述しており、イエスが、ダビデ、アブラハム、そして、アダムの子孫であることを説明している。「ヨハネの福音書」も神秘的な書き方がしてある。不思議な感じがするイエスの伝記だ。ここまでは、別にどうでもいい。キリスト教徒ではないぼくには、イエスの伝記を一字一句解釈するようなことにはまったく興味がない。そんなことをしている人たちは、みんな、狂信者だと思う。キリスト教に洗脳されているのだと思う。

 ぼくが面白いと思ったのは、その次に書いてある「使徒行伝」だ。これは、ペテロとパウロがイエスの死後、いかにイエスを神の子であり、その正統性を布教したかが書いてある。イエスはこの時点で犯罪者であり、ペテロとパウロは時々、獄中につながれている。それがとても、反体制的な思想で、ロックな魂を感じさせる。新約聖書は反体制の書だ。ロックな書だ。

 ペテロとパウロはユダヤ人以外の民族にもイエスの支持者が広まっていくのを援助する。そこで、ペテロとパウロは、ユダヤ教の正統な信者と、律法について対立する。ユダヤ教徒は、ユダヤ教徒として認めるには、ユダヤ教の律法を守らなければならないと主張し、特に割礼をしなければいけないと主張する。ペテロとパウロは、割礼をしなくても、同じ教えを信仰する者だと認めようとする。これがキリスト教の成立へとつながる。つまり、ユダヤ人でない信者の発生である。

 ぼくが注目したのは、パウロが「コリント人への第一の手紙」の中で、預言者より愛が大事だと述べている点である。キリスト教は、愛の宗教で、キリスト教の神は愛の神だというけれど、それはまちがいなく確かに新約聖書に書いてある。ただし、そこには、男は女のかしらであるとか、礼拝する時にはおおいをしなければならないなどのくだらない古い慣習が書いてある。こういう聖書のまちがった部分には、断固として反対し、改善していくべきだと思う。教会へ行った女の子が帽子をしていないからといって、髪の毛を切られるのは、聖書の教えどおりだとしても、まちがった悪習であるのはまちがいない。本当に、帽子をかぶらず教会に来た女の子の髪の毛を切るキリスト教徒など、狂信者だ。

 全体として、実際に新約聖書を読んだ印象としては、ペテロとパウロがとても反体制的でロックだったという好印象なものだった。


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