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走れメロス

森見登美彦さんの「新釈 走れメロス」の方です。

森見の「新釈 走れメロス」で書いてみた。


 面白かった。友だちとの約束を絶対に守らない主人公は、自分の身代りに差し出した友人にまったく信用されていない。友人は、主人公が姉の結婚式のために出席できないことを聞いて、ひとこと言い放つ。「おれの親友が約束なんて絶対に守るわけがない」と。そのあまりにも、「旧訳走れメロス」との内容に正反対な展開に、思わず笑ってしまった。

 友人は、主人公には姉はいないと主張し、主人公が約束の時間に帰ってくるわけがないことをぼやく。そこに友情などというものは存在しない。実際のわたしの友人関係でも、わたしのために犠牲になってくれるような気のいい友人は存在しない。友人であっても、わたしはいい大人なのだから、自分のことは自分で後始末をつけるのが常識だ。わたしはかといって、友人を生贄に、約束をかわすことには抵抗があるのだが、それはわたしが歳をとったせいかもしれない。若かりし頃の殺伐とした友人関係では、わたしは友を売ったかもしれない。それが、現実的な友情のあり方であり、太宰治の「走れメロス」とちがい、森見登美彦の「新釈 走れメロス」は、世間の等身大の友情のあり方を表しているといえる。もちろん、「新釈 走れメロス」の主人公には姉はいない。わたしは主人公が本気で友人を犠牲に身の保険を計っていることを知った時、とてもすがすがしい気持ちになったのである。それは、大人ののたまうきれいごとに洗脳されない生き様に共感を覚えるからである。小市民よ、さもあらん、といった生き様である。まったく、この主人公は素晴らしい。そして、友人も素晴らしい。この低俗な生き方が許されるのは、「新釈 走れメロス」の主人公と友人が戦っている相手が、世襲的王さまではなく、ただの大学の人間関係における権力者であるからかもしれない。わたしは、世襲的王さまに支配されるのを絶対に抵抗しようという気持ちはあっても、大学の人間関係の中でつくられた権力者には、それほど、抵抗しようとは思わないかもしれない、と書いた時点で、わたしの人生に登場した人間関係の権力者を憎む気持ちが噴出してきて、やはり、世襲的王さまでなくても、人間関係の権力者などには絶対に従うものかと、怒りが浸透してきた。ここにおいて、わたしの思い描いていた「新釈 走れメロス」の権力者は憎くないという思いこみは打ち砕かれ、やはり、権力者は憎いという結論に達した。権力者が命令権などをもつわけもない世界で、絶対に約束を守らないと逃亡しつづける主人公は正しい。まったくもって正しい。人の生き様とはかくもあるべしである。友情なんて、なあなあで修復は可能だ。それよりも、権力者のいいなりになることだけはさけねばならない。ここにおいて、「新釈 走れメロス」の主人公と友人は、まったくもって、正しかったのだと、わたしは思うのである。


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