斜陽
暇なので書く三十一歳のおれの読書感想文
「斜陽」ネタバレあり。
この物語の中心は、弟にあるのだと思う。この弟のような人生を歩む人が現実に存在するのか疑わしいが、この弟の物語には心に訴えかけてくるものがある。
なぜ、弟は自殺したのか。この物語はただその一点に集約して考えられるものだと思う。弟は特に悩みがあるわけでもない、どちらかといえば、幸せな充実した遊びをしている人物である。その人生の勝ち組である弟はなぜ死ななければならなかったのか。
それは、世間でよくある話として語られる人生に苦しんで死んだとは、別の原因があるのだと思う。人生が八方ふさがりになったものは時として死を選ぶのかもしれないが、この弟はちがう。弟は若くして遊び呆けており、決して、人生の敗者などではないのである。悩みがないのになぜ死ぬのか。これは、一回の人生を生きただけでは凡人は知ることのできない解答であろう。
わたしが思うに、弟は、幸せになっても、人生に充実感を得られなかったのである。だから死んだ。死を選んだ。
この物語における自殺には、社会の悪などまったく関与してはいない。弟は、人生を最高とはいえないまでも、楽しんで生きて、それで若くして自殺を選んだのである。それはなぜか。
わたしが思うに、弟は、幸せになったのに、その幸せ具合に満足できずに失望したのである。人の人生の幸せとはこの程度か、と思い、生きることをあきらめたのである。
これは幸せになったものにしかわからない問題であろう。若輩者のわたしには、とても理解しがたい自殺である。
この物語が名作と呼ばれつづけるのは、弟の自殺の原因が誰にも理解できないからではないだろうか。そこから、わたしたちは、生きることのむなしさを感じとるのである。
わたしはこの物語を読んで、むなしくてしかたがなかった。だが、同時に感動していた。弟の自殺は、まぎれもない一個の人生の形であるからである。
この物語を一行で要約すると、「人は時として衝動的に死にたくなる」ではないだろうか。例え、どんな生き方をしても死にたくなる人という存在の生きることの不確かさを、この弟の自殺は訴えかけてくるのである。
この弟のように自殺するものは少数であろう。弟が自殺する前に、ほんのわずかに美学を見せるところに感銘を受ける。それは、自殺するから見せられる弟が心の奥底に隠しもっていた絶対に知られたくない本音であり、それは遊びに付き合ってくれる女たちを本当は好きではないという告白であり、本当に弟が心の奥にしまいこんでおきたかった秘密だと思う。
このような自殺をするものはまれだろうが、この自殺は、人生のむなしさを訴えかけるとともに、わたしたちの心に残るのである。
そして、癒される。自殺しようと考えても、それは決して特別に悪いことではないのだと教えられるから。
おわり。