エピローグ 『おとこのおんなのこ』
――事件も片付き、翌朝のこと。
家のリビングで、あたしは父さんと母さんに事の顛末を、言うべきじゃないところは隠し、でも言うべきところはしっかりと暴露していた。
「あっはっは! そりゃ、困ったわね!」
すると、けらけらと笑う母さん。
「困ったじゃないよ、やばいんだよ」
「男になる前に、告白しておけば良かったのにね!」
「ホントだよ、もう……」
何と言うか、あたしは紗希センパイは女の子好きじゃないと思っていた。
でも、実際は違ったんだなあ。もっと押しておけば良かったなあ。
「まあ、ペースがあるんだよ。それぞれにね」
「父さん……」
そうか、ペースがあるよね。
あたしは、あたしのペースでいけばいいんだよね。
「朱音、お父さんは何も考えてないだけよ」
「酷いなあ、母さん」
「本当のことでしょう?」
「まあ、そうなんだけどね」
「父さん……」
それでいいのか、父さん。
「でも、一度は好きになってもらえたんだ。きっと、希望はあるさ」
「そうかなあ。好きになってもらえたのは、女の子のあたしなんだけど」
何を好きになったのかはわからない。
何だろう、あたし(女の子)の何を好きになってくれたんだろう?
「その、なんだっけ。恋人ごっこ?」
「うん」
「そこで、挽回していくしかないわね」
「なんか、不思議な感じ」
「セルフ略奪愛ね」
「無茶苦茶だー」
セルフ略奪愛。
セルフサービスみたいな表現はやめてほしい。
「でも、一歩前進でしょ。頑張りなさい」
「うん……」
あたし(女の子)を好きになっている人に、あたし(男の子)を好きになってもらうように仕組む。さて、どうしたらいいんだろうな。バラせば一瞬だけど、信頼とかそこらへんがあるし。ううん。
「でも、面白いわねえ」
「面白くなーい!」
何だか、とても大変なように思う。
というか、かなり難易度高いんじゃないか?
大変だなあ。はあ。
その時。
ぴんぽーん、と家のインターホンが鳴らされる。
「行ってらっしゃい。汐里ちゃんね」
「行ってらっしゃい、朱音」
「行ってきます!」
まあ、深く考えていても仕方ない。
今は、今の生活を過ごしていくしかないのだから。
あたしは、父さんと母さんに手を振り、学校鞄をさっと掴み、ぱっとリビングを飛び出してゆく。
玄関のドアを開け、家の外に立つ。するとそこには、いつも通りに機嫌がよさそうでも悪そうでもない、しおりんの姿があった。あ、車がある。今日は珍しく車でここまで来たんだなあ。
「おはようございます」
「おはよ、しおりん」
手を上げ、さっと挨拶を交わす。
「おはよう、朱音くん」
と。
「へ?」
ん?
何か、おかしいような。
「紗希ねえ、ついてくると言って聞きませんでしたの」
「へ? そ、そうなんだ」
きらりと輝く笑みを浮かべた紗希センパイを見つめ、あたしの心臓はバクバクとハイテンポにビートを刻み始める。てか、何でいるのこの人! いや、朝から会えて嬉しいんだけどさあ!
「こういうの、憧れてたんです」
「そ、そうですか」
「ね、ねえ、しおりん。家の場所バレたじゃん」
「何か問題でも?」
こっそりとしおりんに耳打ちすると、平然とした顔で言われてしまった。
「大丈夫なのかな? あの、女の子と同一人物だって知られたら……」
「大丈夫でしょう」
「そうかな……」
きっぱりと、言われてしまった。
うーん。それなら大丈夫なのかな。うん、多分大丈夫なんだろう。
こっそりと、二人で話をしていると、
「何の話をしてるんですか?」
紗希センパイが、割り込んできた。
やばい。
「いえ、何でもないです!」
必死にごまかすが、
「? そうなんですか?」
何だか、納得がいってない感じだった。
「そうですわ。紗希ねえ」
「うーん、何か隠されてるような……」
「行きましょう。紗希ねえ。今日の生徒総会は朝会議ですわ」
「うん。わかった」
紗希センパイは、副生徒総長として、生徒総会の一員になった。
責任ある立場になったことで、これから辣腕をふるうことが期待できる。本当にあたしは彼女の働きを楽しみにしている。だって、紗希センパイは凄いんだもん。
「車で行くんだね、今日は」
「そうですわね。今日だけですわ。紗希ねえの、初参加日ですし」
「そうなんだ」
家の前に停めてある黒塗り高級車を見つめながら、あたしはこくりと頷く。
「何をすればいいのか、よくわからないんですけどね」
「紗希センパイなら、大丈夫ですよ」
「そう言ってくれると、嬉しいです」
「ああ……紗希センパイ可愛いなあ……」
思わず、呟いてしまった。
「声に出てますわ」
「はっ!」
呆れたように、しおりんの声が紡がれ。
「? どうしました?」
「何でもないです!」
きょとん、と目を丸くして尋ねる紗希センパイ。
ついつい失言してしまった。思わず、想いを吐露してしまった。
「……はあ。さて、行きましょう」
ため息をつかれちゃった。
しおりん、あたしを見捨てないで、お願い。
移動の車内。
一番左はしおりん、真ん中はあたし。右は紗希センパイ。黒崎姉妹にサンドイッチにされる感じだ。黒崎姉妹分を補給。これで朝から頑張っていける。
「でも、良かったですわね。丸く収まって」
「そうだねえ」
「まさか、わたしに彼氏さんが出来るとは思いませんでした」
「そ、そうですか」
「そうですわね……初めてですわ」
まあ、ニセ彼氏ですけどね。
これから、本物になりたいなあとは思うんだけど。
「汐里、羨ましい?」
「ええ。とっても」
「そっかー」
「俺を巡って争わないで二人とも」
「争ってません。ヘラヘラしないでくださいまし」
「いたっ! 太ももつねらないでくれよ!」
冗談なのにい。
本気にしないでほしいなあ。
と、まあ。
時間は過ぎ去ってゆき。
放課後。英語研究会の部室。
「今度、デート行きませんか、紗希センパイ」
「でーと?」
いつも通りの雑談だ。他愛のない会話だ。
「はい。何か今度の日曜日は、恋人同士だと映画が安いんですよ」
別に、本当のカップルじゃなくともおっけーだ。
カップルに見えれば、カップル料金が適応される。便利なのだ。
「でも、いいんですか?」
「見たい映画がないなら、いいんですけど」
でも、紗希センパイと映画行きたいなあ。
首を横に振るかと思ったが、違った。
「ぜひ行きたいです」
「じゃあ、行きましょう」
良かったー。
誘って良かったー。まさか、紗希センパイと二人で映画に行ける日が来るなんて。二人で行動してたのなんて、本当にたまにゲーセンで遊んでたくらいだし。
ほわほわと、感動に浸っていると、彼女は何だか頬を赤らめて俯いていた。
何がそこまで恥ずかしいんだろう、と尋ねようとした。
その時。
「でもその……カップルの証明って、どうすればいいんですか?」
顔を上げ、あたしを見据えたその瞳。
冗談で言ってるつもりじゃない。本気だ。紗希センパイは本気でわかっていないようだった。でも無理もないか。恋人同士で映画なんて、見たことないだろうし。ないよね。うん。
「へ? えと、まあ」
「そ、その、チケット売り場の人の前で、き、キスとかですか?」
思わず、吹き出してしまいそうになった。
どこをどう解釈すれば、見ず知らずの他人の前でキスをすることになるのか。そんなことになったら、見物料を取ってやる。逆に。
「ち、違いますって! 言えばいいだけですよ!」
「そ、そうですか。安心しました」
「そうですよ、そうですよ」
でも本当に紗希センパイは可愛いなあ。
微かに赤らめた頬はさくらんぼのように、朱く染まっていた。
「……でも、何だか楽しいです」
ぽつり、と紡がれるその言葉。
軽い言葉のようで、含まれた意味は相当に重い。
「そうですか?」
「はい。今までは、学校が苦痛でした。でも、今は色んな人が話しかけてくれますし、楽しくやれてます」
「それは良かったです」
思惑通り。
今の時代、肌の色なんて誰も気にしない。いじめっこだって、肌の色でいじめてたというよりも、紗希センパイの容姿に嫉妬していたのだろうし。
でも、そうなると今度は、紗希センパイに悪い虫が寄ってくるなあ。
まあ、何とかするか。
「生徒総会も、うまく行ってますし」
「らしいですね。このままいけば、次の当主になれるんじゃないですか?」
ぽつりと小耳に挟んだところによると、紗希センパイは早速、学校の問題点を指摘し、改善に乗り出しているのだという。
今まで、心の中に溜めてきた思いを、一気に副生徒総長として発露したのだろう。
だから、このままいけば、紗希センパイは優秀な副生徒総長として、卒業してゆくことになる。その先の道は、黒崎家当主の座。
「いえ、わたしはいいんです。まだお爺様たちには嫌われていますし」
でも、悲しく微笑んだ紗希センパイは、その道が閉ざされていることをあたしに、暗に示唆していた。
「仕事が出来ても、やっぱりダメなんですか」
「みたいです。あの人たちから見たら、やっぱり出来損ないなんでしょうね」
「……」
どうしようもないのか。
まだ、足りないのか。
悔しさで、胸の中にもやもやが起こる。
しかし。
「でも、わたしは満足してます。あの人たちが、わたしを出来損ないだって言っても、何とも思いません」
透き通った声で、あたしをなだめるように、紗希センパイは言葉を紡ぎだした。
満足、本当に心から満たされているような声色だった。
「そう、なんですか?」
「はい。あなたや、汐里が認めてくれるから。それだけでいいです。それ以上は望みません」
「……」
きゅん、としてしまった。
「朱音くんのお蔭です。本当に、ありがとう」
「……いえいえ。俺だけのもんじゃないですよ」
「あなたはわたしに、本当に大切なものを、教えてくれました。本当に感謝してます」
そう言うと、彼女はゆっくりと口角を上げて、慈愛に満ちた天使のように。
いや、包容力に満ち溢れた女神のように。
真っ白な肌を、僅かな朱色に染めて。
やんわりと、微笑んだ。
「だから、これからもよろしくです。朱音くん」
だめだ。
この笑みに、あたしはやられたんだ。
メガネ越しに移る、きらりと輝くレッドワインの瞳。微かにゴールドがかった白髪。絹のように柔らかな肌が奏でる笑みは、世界一の光を放っている。
やっぱり、あたしは紗希センパイが好きだ。
好きで好きで、どうしようもなく、好きなんだ。
高まる胸の鼓動を感じながら、あたしは彼女の目を見つめていた――。
――そして、日々は流れてゆく。
あたしはたまに、約束通りヤンキーのボスとして喧嘩に参加していた。まあ、武器を使う卑怯な男もいたが、基本的には圧勝だった。
危険っぽい時は、しおりんに頼んで、裏で調整してもらっているので、危ないことはない。こういう時、黒崎家って、本当に凄いんだなあと思う。
結局は、子供の遊びなのだ。子供の遊びを、大人が裏で監督する。その程度のもので、それで紗希センパイを守ってもらえるなら、悪い取引じゃない。
ただ、時間を問わずに呼び出されるのが、面倒だけどね。
で、日曜日。北宮駅改札。
待ちに待った、紗希センパイとのデートの日。
以前は、あまり出かけることもなかったし、こんなことをするのは実は初めてだったりする。紗希センパイが案外乗り気で良かった。
「ふう……緊張するなあ……」
約束の時刻は、朝九時。
現在の時刻は、朝七時半。
集合場所に指定した、この北宮駅改札にはまだ人が少ない。
まだまだ紗希センパイは来ないだろうが、ついつい先に来てしまった。
かなり先に来てしまった。
「あれ? 朱音くん?」
と思っていたのだが。
「え?」
約束の一時間半前に。
「もう、来てたんですね」
紗希センパイも、やってきた。
「早いですね、紗希センパイ」
「えへへ。嬉しくて、つい」
「……!」
いまどきの服装に身をやつした紗希センパイは、いつも以上に輝いて見えた。
なんだこの生き物。あたしの嫁にしたい。
「可愛いですね、その服」
「朱音くんも、格好いいですよ」
「そうですか?」
「はい」
いいなあ、こんなやり取り。ふわふわするなあ。
これからのデート、楽しい時間になりそうだ。
なりそうなのだけれども。
邪魔が。
邪魔が入った!
「じゃ、じゃあ行きましょうか……って、何だろ、電話です。すみません」
何だ、もう。
ポケットの中へと乱暴に手を突っ込み、携帯電話を取り出す。通話を開始する前に、紗希センパイを一瞥すると、
「どうぞ、出てください」
くすり、と笑みを浮かべたので、あたしはこくりと頷いて通話を開始した。
電話主は、あいつだ。ヤンキー野郎。
「もしもし?」
『青木か?』
「ごめん、切る」
こんな時にかけてくるなよなあ。
正直、悪態をつきたい気分だったのだけれども、必死に堪えた。
『おいおい待ってくれ、話がある』
「俺、今デート中なんだけど」
『少しだけ身体貸してくれ、面倒なことになった。一発ぶん殴ってくれ』
面倒なことになった。
つまり、あたしの出番というわけだ。
こいつらには、紗希センパイを学校外で守ってもらう、という約束をしているので、それ相応の仕事を、あたしもしなきゃならない。そこは筋を通さないと。
「……すぐ終わるか?」
『ああ、終わる』
「じゃあ、行く」
すぐに終わらせて、すぐに紗希センパイの所に戻る。
それでいこう。あたしはすかさずシミュレートを終え、返事をした。
『頼んだ。場所は西北宮高校だ』
「ああ」
通話を終え、携帯をポケットに突っ込む。
まあ、場所はそこまで遠いわけでもない。
全行程合わせて、一時間くらいでケリがつくんじゃないだろうか。
「すみません、紗希センパイ」
「はい?」
「少し、呼ばれてしまいました」
「……ケンカ、行くんですか?」
紗希センパイは、あたしがヤンキーのボスをやっていることを知っている。
でも、あたしは彼女を心配させたり、余計な思いをさせないために、『紗希センパイを守るためにヤンキーのボスをやっている』とは、一度も言っていない。
まあ、紗希センパイから見れば嫌かもしれないなあ。
ヤンキーが同じ部活にいるなんて、拒絶反応を示すかもしれない。
「すみません……すぐ終わりますから」
「じゃあ、わたしも一緒に行きます」
「え? だめですよ、危ないです」
あんなケンカの場所に、紗希センパイを連れていくことはできない。
何があるかもわからないし、何かされるかもしれない。
でも。
「朱音くんがいるなら、大丈夫です。それに、邪魔もしません。男の子ですから、喧嘩くらいしますよ。いじめは、ダメですけどね」
「……えーっと」
そんなことを言われたら、拒絶できないじゃないか。
「それに、黒崎の監視もついてますから。大丈夫です」
ああ、安心だ。
副生徒総長に就任して以降、紗希センパイは黒崎家の庇護を受けているみたいだ。
出来損ないと言っていながら、割と黒崎家は彼女に期待してるんだなあ。
「それよりも、この初デートを楽しみたいんです。一緒に歩きたいんです。初めての、経験ですから」
もう、拒絶することはできない。
そんなことを言われたら、あたしは乗り気になるしかない。
だって、初デートを楽しみたいとか言われたら、もう彼女の言うとおりにするしかないじゃないか。うん。そうだ。その通りだ。
「そう、ですね!」
「いつか、本当の恋人が出来たときのために、予習です」
「……うう」
少し気分が盛り下がった。
でも、まあ。
「行きましょう、朱音くん!」
「は、はい!」
そんな日々も、悪くない。
手を引かれながら、あたしは二人で紗希センパイと一緒に、道を歩き始める。
――さて。
とりあえず、あたしの物語はここで終わり。あたしが見せる物語は、とりあえずここで終わりだ。あたしが女の子に戻れるのかどうかは、あたししかわからない。
もしかすると、あなたも男の子か、女の子になってしまうかもしれない。
その時に備えて、色々と考えていると便利だよ! センパイからの忠告だ!
でも、『おんなのおとこのこ』の生活も、案外悪くないよ?
(終わり)
以上でいったん、終わります。
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楽しめていただけたのなら、幸いであります。