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おとこのおんなのこ  作者: 平山ひろてる
第1巻 『センパイの愛した、おもいびと』
2/7

第一話 『おんなのおとこのこ』

「ちょちょちょっと父さん! 母さん!」

 ばん、と勢いよくリビングの扉を開く。

 すると。

「あらあら?」

「どちらさまだい?」

 リビングのテーブルに向かい合って、楽しそうに何かを話していた男女が、あたしの顔をじいと見つめた。

 中性的な顔立ちで、もう三十後半のおっさんのクセに、未だに会社の同僚に男女問わずモテるという、父さん。ちなみに彼は英国人を父に持っている。

 もう一人の女性は、元モデルで今もたまにテレビに出ており、わが親ながら美しい母さん。あたしの容姿は、きっと彼女から受け継いだものだろう。

「それどころじゃないの! 男の子になっちゃったの!」

 思いっきり叫ぶが、二人はくすくすと笑って、こちらを見つめている。

「おはよう、朱音」

「なんでそんなに冷静なのよおおお!」

 あまりにも父さんは冷静すぎて。

「その声で叫ぶと、変な人に思われるわよ?」

 あまりにも母さんは平常運転すぎる。

「で、でもお……」

 何だ、この二人。

 あたしが男の子になったというのに、何の反応もないのか。

「とにかく、落ち着きなさい。朱音」

「うん……」

「見た目は、そこまで変わってないわ」

「ほんとに?」

 僅かな希望が見えてきた。

 容姿が少女そのものなら、『男の娘』として生きることも出来る。

「うん。父さんそっくりよ」

「えええ……」

 ちょっとショック。

 父さんそっくりってことは、普通に男寄りじゃないか。

 娘じゃない。男の子だ。うわん。

「そんな嫌な顔しないで欲しいなあ。僕に似るのはそんなに嫌かい?」

「嫌じゃないけどお……」

 父さんは中性的な顔をしてるし、かっこ悪くはない。

 どちらかと言えば、モテるほうだろうけど。

「別にいいじゃない。朱音、あなたは男の子になりたがってたでしょ?」

「そうだけどお……」

 確かにそうだ。

 あたしは、男の子になりたかった。

 男の子になれば好きな人に告白して、付き合って、結婚できるかもしれない。

 女の子同士だと、それさえ叶わない。

 同性婚しようにも、好きになった相手が百合少女じゃなければ、想いは成立しないし。

 百合少女が悲恋の結果を迎える。

 そんなドラマや小説の風潮が、あたしは大っ嫌いだった。

 だからこそ、この変化(変身?)は喜ばしいことではある。


 あるのだけれど。

 何か割り切れないなあ。


 そんなことを考えるあたしを尻目に。

「じゃあ市役所行かないとね、母さん」

「そうね。今日はお仕事休めるの?」

「はは。大事なことだからね、有給を取るよ」

「そう。じゃあ市役所行きましょう」

「そうだね、行こう。帰りに久しぶりに遊ぼうか」

 父さんと母さんは、二人で何やら話を進めていた。

 市役所? 休む? 一体どういうことなのだろう。

「ど、どうしたの? 父さん、母さん」

「性別が変わりましたよーって、言いに行かないといけないじゃない?」

「このままだと、朱音は女の子のままだからね」

「ちょっと待って、そんなのでいいの?」

 性転換する人も、このご時世多い。

 多いけれどもあたしのこれは、性転換と言えるのだろうか。

 手術とか、そういう話の前の問題ですけど。ねえねえ。

「はは。お役所仕事だから」

「何とかなるわよ、何とかね」

「ええー……そうなのー?」

 父さんと母さんがそう言うのであれば、そうなのだろう。

 きっと大丈夫なのだ。たぶん。

「で、でも、父さん母さん」

「ん?」

「どうしたんだい?」

「あたし、これからどうしたらいいの?」

 女の子が、ある日男の子になった。

 そんな非現実、経験したこともないし、聞いたこともない。

「男の子になるしかないわね」

「そうだね」

 母さんと父さんは、顔を見合わせて頷き合っている。

「どうやって?」

「朱音はもともと、男の子みたいなものだし、今まで通りでいいんじゃないかな」

「そうね。化粧品もいらないだろうし、お洋服代も浮くわ」

 確かにそうだけど。化粧品とか高いし。朝の忙しい時間にファンデとか乳液とか化粧水とか、色々準備するのもだるいし。それがなくなるだけでも、かなり楽にはなるだろうけど。

「う、うん。でも、学校は?」

 こればっかりは、どうしようもない。

 いきなり、男が女であるはずの『青木朱音です』と主張して、校内に入っても、不審がられて通報されるのがオチだ。

「そうねえ……」

「お友達に聞いたらどうだい? えーっと、汐里ちゃんに」

「しおりんに……?」

 頭の中に、友人であるお嬢様の姿が思い浮かぶ。

 高飛車で、どこかいけすかないが、何故か親友ポジションに落ち着いていた少女。

「理事長の娘さんだし、きっと何とかしてくれるわよ」

「何とかなるかなあ……」

 うーん。

『あら、あなた誰? 近寄らないでくださいな』とか言われるような、そんなオチが見えているが。

「そうよ。電話してみなさい」

「はーい。じゃあ、今日は学校休まないといけないってことなんだ」

「そうなるわね。まあ、汐里ちゃんと話しなさいな」

「はーい……」

 あー、ゆーうつ。

 男の子になれたのは嬉しいけど、女の子友達にどうやって説明すればいいのか。

 よくよく考えれば、今まで苦労して維持してきた、女の子同士のコミュニティにも参加できないんだよね。

 これからの学校生活、一体どうなってしまうんだろーなあ。


 さて。父さんと母さんは出かけていった。

 市役所に、あたしの性別が変わったと告げに行くと言う。

 笑い飛ばされるのが関の山だと思うのだけど、彼らは根拠のない自信のようなものを持っていた。

 根拠がさっぱりわからない。

 でもまあ、とりあえずだ。

「早く来てねお願い、泣き顔……っと。送信」

 電話をしたら、声で男だとバレ、警戒されてしまう。

 そんな心配をしたあたしは、メールで家に呼びつけることにした。

 家に呼びつけたこと自体は、今まで何度もあったことで、おかしなことじゃない。

 ただ、あたしが男の子になっている、というおかしなことを除けば、おかしなことでもなんでもない。

「返信はやっ!」

『すぐ行きます』

 メールを送ったら、簡単な返事がすぐに来た。数秒後に来た。

 さすがあのツンデレお嬢様は非常時には優しい。ツンデレなだけある。来てくれると言うので、とりあえず自らの容姿を、洗面所にある鏡の前に立ってチェックしておく。

「……男じゃん」

 顔立ちは本当に、父さんに似ている。

 女なのか、男なのか。

 顔だけを見ればあまり見分けのつかない、中性的なものになっており。すべすべした絹のような肌は変わらず、肩までかかる、茶色の短髪も変わっていない。

 でも、身体の骨格と筋肉が、そこはかとなく変化してる。

 それにちょうどいい具合に、ぷにぷにだった身体は、筋肉でかちかちになってる。細い腕に、しっかりとついた筋肉。

 力を入れなければぷにぷにしているけど、入れると鉄のように固い。

 全力でぶん殴れば、壁に穴が空くのではないだろうかなあ。そんな錯覚すらある。

 身長もちょっと伸びてるし、色々と無茶苦茶だ。

 小さかったお尻は、少し大きく男の子っぽいものに変化して、もはやはいていたパンツなんて、ぴちぴちになって、ゴムが緩んでいた。

「これじゃあ絶対にしおりん、わかってくれないなあ」

 どうしたものかなあ。

 今の自らを写真に残し、過去の自分に見せたならば、絶対にその写真があたし自身だとは信じないだろう。何となく似ているかも、とは思うだろうがほとんど別人だ。

「とりあえず、着替えるかな……」

 このまま待っていても仕方ない。

 こんな無茶苦茶なパジャマ姿でいても仕方ない。

 幸いなことに今のあたしは、父さんとあまり背が変わらなくなってるし、父さんの服を借りよう。うん。そうしよう。

 そう決めて、あたしは父さんの部屋へと向かうのだけれども。

 その時、ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。

「あれ?」

 さすがに、しおりんが来る時間ではない。

 先ほどメールを送ったばかりだし、彼女は学校に行く準備をしていたはずだから、絶対にここに来るはずがない。

 宅配便とかその辺りだろう。

「あー、もう。めんどくさいなあ」

 母さんがいるときに来て欲しかった。

 今は非常事態だ。あたしはとても困っているのだ。

 そんな時に、来訪者の応対なんてする余裕があるわけない。

「居留守使おう」

 それしかない。

 普段なら出ていくが、今はそれどころではないのだ。

 申し訳ないと思いながら、あたしは父さんの部屋へと再び向かう。

 その間インターホンは何度も、ピンポンピンポンと連続して鳴らされていたが、居留守を使うと決めたのだからと、気にせずに歩いていく。

 でもうるさい。

 あまりにもうるさい。

 さすがのあたしでも、気になってしまう。

 先ほどから鳴らされたインターホンの数は、軽く十回以上。

 いい加減にしろというものだ。

「仕方ないなあ」

 とりあえず、顔だけ出しておこう。

 これだけインターホンを鳴らすのだ。きっと重要なことに違いない。

 それなら、早く出てあげなければ。女モノのパジャマ着たままだけど。まあそういう家庭もあると思ってくれるだろう。それより、緊急の用事があるのだろうし、きっとそんなことは気にしないだろう。

「はーい、今行きまーす!」

 アルトボイスであたしは叫ぶ。

 そして、とてとてと玄関へ走る。

「はーい」

 ドアノブに手を掛け、ゆっくりと回す。

 やがて開かれてゆく扉。

 その先にいたのは。

「朱音さん! すぐ来いって話だったのに、どうして出ないので……す?」

「あれ、しおりん?」

 一人の少女の姿。

 夜の闇のように黒い髪を、可愛らしい白のリボンでまとめてツインテールにしている。その顔立ちは端正で、造形美に満ちており、ぱっちりと開いた吊り目、ぷっくりとルビーのように赤い唇を持っている、あたしに負けない程度の美少女。


 黒崎汐里。

 通称、しおりん。

 あたしと同じ学校学年で、十五歳の高校一年生だ。

 中高一貫校である我が校全体をまとめる、生徒総会の副生徒総長でもある。


「きゃああああ!」


 その彼女が、顔面を真珠のように白くして、甲高い声で叫んだ。

「しおりん可愛い声出すね」

 可愛らしい。

 こんな声を聴いたのは、結構久しぶりのことだ。

「ど、どうして、どうしてわたくしの名前をっ!」

「やだなあ、そりゃ知ってるよ。何でも知ってるよ。しおりん、右のおっぱいの下あたりにホクロあるよね。ちっちゃいの」

「へ、変態っ!」

「変態って何さ……」

 失礼しちゃうわ。

 あたしは百合少女だけど、変態じゃない。ノーマルだ。

「女物のパジャマ着てるくせに、どこが変態じゃないのです!」

「だって着替える途中だったし」

「き、着替え?」

「うん」

 ゆっくりと説明しないと。

 あたしが男の子になった。そう相談しないといけないのだけど。

 しおりんは、そろりそろりと背を向け、あたしの前から去っていこうとしていた。

「そ、そうですの。じゃあ失礼しますわね……」

「待って、ちょっと待ってしおりん」

 その肩に手を掛け、軽い力で抑えたつもりだった。

 が。

「いたっ!」

「あ、ご、ごめん」

 意外に力が入ってしまっていたようだ。

 本当に軽く、力を入れたつもりなんだけど。

「まだ何か御用ですのわたくしは早く電話しなければいけないところがあるのです」

「どこに電話するの?」

 振り返り、むすっとした顔であたしを見つめるしおりんに、尋ねてみると。

「そ、それは教えられませんわ」

「あたしとしおりんの仲じゃん」

「あたし?」

「うん」

 どうしたのだろう。

 しおりんは、顔を青ざめさせているけれど。

「やっぱり変態ですわあああ! 早く警察に電話しないと!」

 失礼な。

 やっぱりも何も変態じゃないのに。

 って、それどころじゃない。電話するって警察にか。

 そんなことされたら、あたしの人生設計が狂ってしまう。

 何としても理解してもらわないと。

「ち、違うんだってばしおりん。あたしは朱音、朱音なんだよ」

「男じゃないですか!」

 すかさず入る突っ込み。

「お、男の子になっちゃった」

「意味がわかりませんわ……」

「うん……だからね、ちょっと説明させて欲しいんだけど」

「よく見ると、朱音さんのお父様にそっくりですけれど……」

「でしょ?」

「でも、それはあなたが朱音さんだという、証明にはなりませんわ」

「そうだなあ……えーと、右のおっぱい横にあるホクロ」

「殴りますわよ? そんなの、わたくしを盗撮すれば、すぐにわかるじゃないですか変態」

 ひゃあ、盗撮犯だと勘違いされている。

 決定的な証拠だと思ったんだけどなあ。

「そ、そうだよね。ごめん。えーと……」

 うーん。

 あたししか知らないことで、あたしがあたしだって証明できる証拠。

 何があるだろう。父さんと母さんがいてくれれば、簡単に証明できたんだけどなあ。

「出来ませんの?」

「ちょっと待って、今考えてるから」

「……はあ」

 やれやれ、といった感じでいつものように、ため息をつくしおりん。

 いざ、自分が何者かを説明しろ、と言われると結構困る。それなりに困る。どうやって自分を証明すればいいのか。

 特に、あたしは女の子から男の子になってしまった。

 自らの身分を証明するものなんて、存在を認めてくれた親以外に誰もいないし。

「この前、遊園地行ったよね、一緒に。アイス食べたじゃん」

「そんなの、朱音さんを追いかければわかるでしょう」

 即断。

 あら、今度はストーカー疑惑。

 しおりんの盗撮犯かつ、あたし自身のストーカー疑惑。

 困った。非常に困った。ダブルスコアだ。

「うーんじゃあ、この前、数学のノート見せてあげたよね」

「見たのは、朱音さんのほうですわ。ノート真っ白だったじゃありませんか」

「そうだっけ?」

「はい」

 即断。困ったなあ。あたしとしおりんしか知らないこと。

 それでいて、誰も知りえるはずがないこと。それを探すのって案外難しい。

「んー……」

 アニメとかゲームなら、すぐに納得してくれるはずなんだけど。

 あんまり都合よくいかないなあ。

「じゃあ、どうやったら信じてくれる?」

「小学校二年のわたくしの誕生日のとき、わたくしにくれたものは何ですか」

「頭にチョップ」

 即答。

 簡単なことだ。小学校のときの話。

 クラスメイトであった、いけすかないお嬢様の誕生日パーティーに乗り込み、頭にチョップをかましてやった。そこから、何やかんやとあって、その娘とは友人になり、現在まで関係が続いているのだ。

「それを知ってるということは……」

「信じてくれた?」

「はい」

 良かった。警戒を解き、笑顔で頷くしおりん。

 これで、話を次の段階に持ってゆける。

「それは良かった」

「でも、どうして朱音さんが男の子に?」

「ちょっと詳しく話したいから、中においでよ」

「はあ……」

「詳しく話すほど、あたしも自分の現状に詳しくないんだけどね」

「じゃあダメじゃありませんの」

 その通りだ。

 女の子に戻れるのか、それとも男の子のままなのか。

 原因は何か、どうしてこうなったのか、そんな問題を解決することはできない。

 しかし。

「でも、しおりんにしか頼めないこともあるし」

「そ、それなら仕方ありませんわね」

 頬を赤らめて俯くしおりん。

 可愛いじゃないか、お嬢様。

 ずっとそんな感じで、しおらしくしていてください。

「うん。じゃあいこ!」

「その前に!」

「うん?」

 何で止められたんだろう。

「服、……着替えたほうがいいですわ」

「あ、そ、そっか!」

 ぴちぴちの女物パジャマ、明らかに違和感がある。

 冷静なしおりんの突っ込みに、自らの異常を再認識した。

「……はい」

「じゃあ、先にリビング行っててね!」

 うーん、どうなるんだろう。

 期待半分、不安半分。先が全く見えない。


 そして、リビング。父さんのものであるジーパンとシャツを着て、とりあえずはこれで済ませる。これであたしは、見間違えることなき、男の子だ。

 あたしとしおりんは、何とも言えない気まずい沈黙の中、テーブルの椅子に座って向かい合う。

 何を話せばいいのか、頭の中に話題は浮かぶのだけど、声が出ない。

「朱音さん」

「は、はいい」

「声、上ずってますわよ」

「そ、そう?」

「はい」

 しおりん、冷静だなあ。

「緊張してるんだよね……。しおりんは、驚かないの?」

 尋ねると、顔色一つ変えずに彼女は答えた。

「正直、わたくしは動揺しています」

「そうなの?」

「今すぐに来い、というから、必死に走ってきたのですが」

「そうなんだ……」

 ありがたいお嬢様だ。

 本当に、こういうところは優しい。ツンデレだし。

 それにしても早かったよね。すぐに来てくれたよね。

「そしたら、朱音さんが、男の子になっているのですから」

「あはは……」

「どうして、そうなったのですか?」

 不思議そうにしおりんは尋ねるが。

「わかんない。朝起きたら、男の子になってた」

 あたしにも、原因や理由はさっぱりわからない。

「よくわからないですわ」

「あたしにもわかりませんわ」

「……本当に、困っているのですか?」

 目を細めて、やや非難するようにしおりんは語る。

「困ってるよ! すげー困ってるよ!」

「そうは見えないのですけど」

「困ってるって! だって、いきなり男の子になったんだよ?」

「常日頃から、『あー、男の子になりたい』って言ってたじゃありませんか」

 痛いところを突かれた。

「そ、そうなんだけど。って、それ母さんにも言われたし!」

「なら、いいじゃありませんの」

「うん……そうなんだけど……」

「なら、わたくしは帰りますわね」

 席を立ち、リビングから去ってゆこうとするしおりん。

「えー、ちょっとまってちょっとまって」

 あたしも続いて立ち上がり、彼女の肩をがっしりと掴む。

 するとしおりんは振り返り、あたしの顔を見つめてゆっくりと語る。

「わたくし、少し気持ちを落ちつけたいんですの」

「そんなに動揺してる?」

「ええ、かなり」

「ふうん……」

 そうは見えないけどなあ。

 彼女の姿は、いつも通りの冷静沈着な姿そのものだ。

「まさか、朱音さんが男になるなんて……」

「やっぱりダメ?」

「ダメというわけではありませんが……、戸惑いがありますわ」

 やや言葉に詰まりながら、しおりんは言う。

「そっか……」

「一番戸惑っているのは、あなたでしょうけど」

「そうなのかなあ、戸惑ってるのは間違いないんだけど」

「とりあえず話はわかりましたわ。でも、少し時間をくださいな」

「う、うん」

 透き通った目が、あたしを射抜く。

 いつにもなく優しく丁寧で、しおりんは語り続ける。

「落ち着いたら、また電話をかけますわ」

「でも、そんなに戸惑ってる?」

「ドキドキです」

「ふうん……」

 イタズラ心がふと心に芽生える。

 その気配を察知したのか、あたしを警戒する彼女。

「ど、どうしましたの? その眼は」

「いやあ、あたしが戸惑いをほぐしてあげようかなって」

 軽いスキンシップのつもりだ。

 いつもやってることだし、別におかしなことではない。

「え?」

 しかし、まさかあたしが今、そんな行動に出るとは思わなかったのか。

「えいっ!」


「きゃあっ!」


 突然あたしに胸を触られたしおりんは、物凄く可愛い声をあげた。

 何この子、女の子ってやっぱり可愛い。

「ふわふわだなあ、やっぱり」

「や、やめっ」

 頬を朱に染めながら、しおりんはあたしを振りほどこうと、必死に身体をよじらせたりしているけど、今のあたしの力は以前よりも強い。なかなか振りほどけずにいた。

「やめないよーやめないよー」

「やめろって言ってるでしょうっ!」

 すると、思い切り脳髄に、強いチョップを食らわされた。

「あー!」

 痛い。結構痛い。

 本気で攻撃したな。

「わかっていますの、あなたは男。男なんですから、そういうことをするのは、もうやめてくださいまし。もし、誰かに見られでもしたら……」

「でも、中身は女の子だもん」

「調子が狂いますわね……」

 はあ、とため息をつくしおりん。

「元気出た?」

 とりあえず、何だかいつもの調子に戻ってきたように思う。

先ほどまでのしおりんは緊張というか、戸惑いというか、驚愕というか、様々な負の感情が入りまじっているような、そんな雰囲気を漂わせていたけど。

「ええ。どこかのバカが、考える気を吹き飛ばしてくれましたわ」

「ひどいっ! バカを強調するなんてっ!」

「とりあえず、出かけましょう」

 頭の中に不平を浮かべていると、しおりんがあたしの手を引いて、玄関まで歩いてゆこうとする。リビングの扉を開き、玄関へと至る廊下を歩く。

 柔らかな手の感覚が伝わる。雪のように解けてしまいそうなほど、柔らかな手に引かれながらも、あたしは尋ねてみる。

「どこに?」

「美容院に行って髪を切って、それから、お洋服を買いましょう」

「お洋服はとにかく、えー、髪の毛切るのー?」

「残念ですけれど、似合っていませんわ」

 ふう、とため息交じりに背中を見せながら、しおりんは語った。

 その背中に向かって、あたしは問いかける。

「本当に?」

「本当に」

「絶対に?」

「絶対に」

「ショックだなあ……」

 結構お気に入りだったんだけどなあ、この髪の毛。

 性別が変わるのと同時に、さよならしなければいけないのか。

「そんな奇妙な出で立ちだと、紗希ねえもびっくりしますわ」

「そ、そう?」

 思わぬ名前が出て、あたしは驚かされた。

 彼女の姉、『紗希ねえ』はあたしたちの学年の一つ上で、先輩にあたる。

「はい。気持ち悪い、と言うと思いますわ」

「そこまでかなあ……」

 紗希センパイは、とても優しい人だ。

 幻想的で目を離せば消え入りそうなくらい、ぼんやりとした人だが、強い包容力を持っている。本当に優しく温かい人なのだ。

「人には、人に合った出で立ちがあります。朱音さんのそれは、合ってませんわ」

「わかった。紗希センパイが嫌がりそうなら、そうする」

「……そう、ですか」

「ん? どうしたの?」

「何でもありませんわ」

「うん、それならいいんだけどね」

 何やら、微妙な反応だ。

 しおりんと、彼女の姉である紗希センパイは、昔からあまり仲が良くない。というか、しおりんが一方的に嫌っているようにも思う。だって、そう見えるんだもん。

 何か理由があるのだろうけど、しおりんにそれを尋ねると、毎度はぐらかされるので、聞くのを諦めた。

 でも、いい機会だから聞いてみよう、そう思った矢先のこと。

「それから、学校にも行かなければいけないでしょう」

「学校に?」

 やがて、廊下を経て玄関に到着。タイミングを失ってしまった。

 そうこうしている間に、しおりんはがちゃりと玄関の扉を開き、あたしと彼女は家の外に出た。

 玄関の外、道路には、黒塗りの高級車が停められていた。

 車のドア近くには、年老いた運転手さん。見知った顔のおじさんだ。あれに乗って、ここまでやってきたのだろう。

 しおりんの姿を確認した運転手さんが、優美な動作でドアを開く。しおりんとあたしは彼に軽く会釈を交わし、車の中へと乗り込んでゆく。

 座席ふかふかだなあ。くそう、ブルジョワジーだなあ。

 そんなことを考えていると。

「青木朱音(女)は転校したことにして、青木朱音(男)を編入させなければならないでしょう」

 隣に座ったしおりんが、あたしの顔を見つめて語りかける。

 でも、かっこおんな、とか、かっこおとこ、って。何だか、不思議な気持ちだなあ。

「できるの?」

 何はともあれ、今のままでは、あたしはただの不審者。

 しかし、編入という体裁を取れば、正当なる生徒として扱われる。

 そこを何とかしてもらうつもりで、最高権力者である、理事長の娘しおりんに、緊急連絡をしたのだ。願ったりかなったりなんだけど。

「あの学校は、わたくし達、黒崎家のものです」

「そうだけど……うーん」

 何だか、この期に及んで割り切れなくなってきた。

 そんな中、車はゆっくりと走り出す。

「朱音さん!」

 あたしの戸惑いと悩みを乗せて進む車中、しおりんがあたしの目を見つめ、語りかけてくる。

「はいっ!」

 思わず、元気よく返事をしてしまった。

「あなたはこれから、男として、生きていかなければなりません」

「は、はい」

「元に戻れる保証は、一切ありませんわ」

 しおりんの小さくも、しっかりとした声があたしの心の中に浸透してくる。

 その通りだ。

 一生、このままかもしれないし、明日には戻っているかもしれない。

「ない……ね」

「もしかしたら、戻れるかもしれません。その時は、その時ですわ。あなたがそれを望むのかどうかは知りませんが、今は、男として生きる決意をしてくださいな」

 少なくとも、今は。

 男の子として、生きなくてはならない。

「不安、なんだ」

 しおりんの優しい口調に、思わずあたしは心の内を吐露してしまった。

 嬉しさと、辛さの入りまじった微妙な感覚。

 誰に伝えようにも、伝えることのできない胸の痛みと切なさ、そして楽しさと感動。

 それが、不安を引き起こしていた。

「不安ですか?」

「うん。男の子になれたのは嬉しいんだよ? でも、何だかこれからどうなるのかって、全然わかんないし、もやもやしたままだし」


 これなら、あたしが好きな人にも告白できる。

 うまくいけば、あたしはその人と付き合える。恋人になれる。

 でも、とあたしは思った。


「嬉しいなら、よいではありませんか」

「そうなんだけど……」

「細かい事は、後で考えればよいのですわ」

 さっぱりと、しおりんは言い切った。

「かなあ」

「面倒なことは、わたくしが処理してさしあげます。あなたは、わたくしの大事なお方ですから」

「そ、そう?」

 そう言ってくれるのなら、とても心強い。

 さすが親友だ。

「……とにかく、わたくしに任せてくれますわね? わかったら、一人称を変えてくださいな。俺か、僕で」

「うん、ありがとう。しおりん。お、俺も頑張るよ」

「お気になさらず。朱音くん」

 ぱあっと、明るい笑顔を見せてくれるしおりん。太陽のような明るいこの笑みは、あたしの不安を吹き飛ばしてくれるような気がして、とても心強かった。

 そして、あたしの呼び名は、朱音さんから、朱音くんになった。

 微かに希望が芽生えた、あたしたちを乗せた車は、道路を進んでゆき、あたしたちの運命をゆっくりと、変えようとしていた――。


 その後、美容院で髪の毛を整え茶髪はそのままで、ショートカットにした。

 ちょっと後ろ髪を引かれる思いはあったが、しおりんが良いと言ったので、そのまま任せた。男物の服も、しおりんが一緒に選んでくれた。

 代金は、今度黒崎家の大豪邸で住み込みの手伝い、らしい。

 何度かしたことはあるが、あれは手伝いという名の、遊びなのだ。

 さすがに、ここまで気を遣ってもらっては悪い。でも、しおりんは譲らなかった。

 ありがたいなあ。本当に。困っているときに助けてくれるのが、本当の友達だって言うけど、しおりんは間違いなく本当の友達だなあ。


 ――そして、学校に到着。

 ここは、私立北宮学院高等学校。

 共学の中高一貫校である、北宮学院の高等学校で、あたしはそこの一年生であった。

 しおりんは中高の生徒合わせて総勢二千四百人から成る、『生徒総会』の副生徒総長であり、それなりに大変な雑用の日々を過ごしている。


 生徒総会規約の前文には、こうある。

『北宮学院は黒崎の私有財産を運用して運営される学究施設であり、生徒の自主性を尊重し、生徒活動を主体的に行わせるため、生徒総会を置く。生徒総会は北宮学院理事会理事長の意思決定を補助する機関として置かれ、生徒総会の決定は、理事長の承認を経て、北宮学院の公式な決定事項として扱われるものとする』。

 小難しいことが書いてあるが、内容は簡単だ。

 簡単に言い換えれば、生徒総会の力は強大であり、学内における理事長一家、黒崎家の力は、相当に強いということだ。あたしを何とかするくらい、何ということはないのだ。


 ――時刻はもう放課後で夕方。

 生徒の数はまばらで、茜色の夕焼けが校舎を包んでいた。

 しおりんは、というと学校に到着して早々、面倒くさい書類の提出に、理事長室へと向かっていった。理事長といっても、自分の親なのだから慣れたものだろう。

 あたしは、というと、部室にいた。


『英語研究会』。


 構成員は総勢三人。あたしは諸事情から、正式な部員ではないのだが、暇を見つけては、こっそりと顔を出していた。

 あたし、しおりん、そして、もう一人先輩がいる。

 構成員はたったそれだけの、ちっぽけな部活であり、英語研究会という名前なのに、英語を全く研究していないという、あまりにも愉快で、学校からクラブ活動費をせしめるためだけに、存在している部活であった。

 それでも、楽しい日々を送っていたし、あたしは満足していた。

「はあ……」

 たった一人の先輩で、英語研究会会長。

 英語研究会会長であり、しおりんの姉、紗希センパイ。

 今はこの部室に居ないから大丈夫だろうけど、何の説明もしなければ、部室に居座る怪しい男相手に、口から泡を吹いて倒れてしまうかもしれない。

 紗希センパイは、極端に人見知りをする人なのだ。

「どうなるかなあ……」

 人見知りをするセンパイ、彼女は特徴ゆえに周囲から浮き、虐げられていた。

 彼女の妹であるしおりんには言うな、と本人から固く口出しを禁じられていたので、そのことを話すことは一切なかった。

 それでも、あたしに優しく接してくれたので、あたしも出来る限り、彼女のためなら何でもしよう、と思い動いていた。

 それでもいじめは決して止まず、問題は更にエスカレートした。その度にあたしは沈静化に走っていたけど、結果はよろしくなく、暴力沙汰もよく起こし、退学騒動に発展したこともある。

 そのとき、紗希センパイは『朱音ちゃんがいてくれたら、それだけでいい。関係がないのに、迷惑はかけられない』と語り、最高の笑みを浮かべた。


 どうしようもない。

 この人を守ってあげたいけど、あたしじゃ無理だ。

 彼女でもなく、家族でもない。肉親でもなければ、親族でもない。

 あたしと、紗希センパイの間には、何の繋がりもなかったのだ。

 その時になって初めて、あたしは男の子になりたいと思った。

 男の子になって、紗希センパイと付き合えば。関係と繋がりを持てば。

 この人を助けてあげられる。そう、本気で思い始めたのだ。

 前々から口だけでは言っていたが、本格的に考え始めたのは一年前の、その事件があってからだ。


 切ない。

 切ない話である。

「はあ……」

 ため息をつくあたし。

 これからどうしよう。

 紗希センパイは、本当に人見知りをする。

しかも、いじめられているからか、人を信用しない。信じられないのだ。

 このまま、編入して、英語研究会に再び顔を出したとしても、紗希センパイと付き合えるのかどうか、それは最後までわからない。

 好きな人いるのかなあ、わからないけど、いるなら難しいだろうなあ。

あたし、根本は女の子だし。本職に勝てるのかなあ。

 ハードルたけえ。純粋に、あたしはそう思った。

 しかし、さおりん遅いなあ。

 そろそろ来てくれても、いい時間だと思うんだけどなあ。

 そんなことを、思い始めたときだった。


 がちゃりと、英語研究会のドアが開かれた。

 過疎化しているこの部室にやってくるのは、あたしを除けば二人だけ。

 一人はもう学校にいないであろうと考えれば、残るのはしおりんのみ。


「しおりん、遅かったねえ」

 あたしは扉の方を見ずに、机にだらーっと、上半身を投げ出しながら言う。

 ん?

「……」

 あれ?

 いつもなら、冷静な突っ込みが入るはずなんだけどな。

「どうしたの? しおりん」

 もしかして、呆れてしまったとか。

 そういう感じなのだろうか。

 心配になりながら、あたしは開け放たれた扉を見つめる。


 そこにいたのは。

「あ……」

 思っていた、しおりんではなかった。

 そこに立っていたのは、どこか怯えた様子を見せる一人の少女の姿。

 秋の稲穂のごとき金色が微かにかかった、セミロングの艶やかな銀髪を、しおりんと同じリボンで、ポニーテールにまとめていて、彼女の透き通った眼は、赤ワインのようにワインレッドに染まっている。それに、可愛らしいメガネを装着しており、落ち着いた調子を演出している。

きめ細やかで色素の薄い肌の色は、穢れを知らない新雪の白を纏っており、水晶のごとく薄く、幻想的で、今すぐにも消え入りそうほどだ。


 この人こそがもう一人の、英語研究会会員であり、会長。

 あたしが、紗希センパイと呼ぶ人間であり。

 二年生の黒崎紗希、十六歳。

 そして、あたしの想い人だ。


 でもでも、どうしてここにいるのか。

 時間は放課後、紗希センパイはきっと、もう帰っているものだと思っていた。

「紗希センパイ……どうして……?」

「だ、誰……?」

 小さく可愛らしい声で、怯えを表現する紗希センパイ。

 やっべえ。

 本当にまずい。

 まさか、ここで彼女に会ってしまうとは。

 全く考えていなかった。

「あああ、あた、あたしは」

 動揺。

 心臓がバクバクと激しい音を立て、リズムを刻み始める。

 どうすればいいのか。どうしようか。

 混乱で思わず、あたしと言ってしまった。

 余計に滑稽だ。余計に奇妙だ。このままでは、あたしはただの変態男じゃないか。

「……」

 小さな身体を更に縮まらせながら、紗希センパイはあたしのことを見つめている。

 彼女にとっては、あたしは今までの『青木朱音』ではなく、『見知らぬ男』なのだ。怯えるのも無理はない。

「ま、待ってください! 逃げないで!」

「こ、こないで! 警察呼びますよ!」

 だから説明しようと、紗希センパイに近づこうとするのだが。

 彼女は、ぶるぶる震える身体を収めるためか、両手で、ぎゅうっと胸の前に握り拳を作り、必死に怪しい男に抵抗しようと画策していた。

「警察なんて必要ないですから! 全然必要ないですから!」

「っ……」

「えーと、その、えーと」

 どうにかして、紗希センパイを信頼させないと。安心させないと。

 その手段として、何とかひねり出したのは、しおりんの名前だった。

「そうだ、生徒副総長が来ますから! 待ってください!」

「あの子の……知り合いですか?」

 疑いの眼差しを向ける紗希センパイ。

 うわあ、心に来るなあ。

 せっかく、経験値を積み重ねてきたRPGゲームのデータが、一夜にして吹き飛んでしまったような。

 そんな切ない感覚がする。

「……はい、そうです」

 でも、頷いておかないと。

 今はまだ、自分が『青木朱音』であると、カミングアウトすることはできないし、カミングアウトしても、疑い深い紗希センパイのことだ。

 信じてくれないだろう。

「……本当にですか?」

「はい。しおりんの、えーと、友達です」

 やはり疑う紗希センパイのもとに、あたしはゆっくりと歩みを進めてゆく。

 さすがにちょっとは信じてくれたのか、身体の震えは収まっていた。

といっても、まだルビーのように赤い目には、怯えの色が滲んではいたけど。

「そ、そう、なんですか」

 必死に声を振り絞る彼女を見て、あたしは内心複雑な気持ちがする。

 見知らぬ男と話すのは嫌だが、自分の妹であるしおりんの友達だから、無視するわけにはいかない。

 そんな葛藤が滲みだしているのが、明白に見えていた。

「えーと」

 この気まずい空気。

 一体、どうしたらいいんだろう。

 戸惑う中、あたしは、ゆっくりと紗希センパイのもとに、歩みを進める。

 紗希センパイは小柄で、女の子であった時からそうだったけど、見下ろす形になる。

「な、何ですか?」

 あたしを見上げながら、困惑の表情を浮かべる彼女。

「今度、この学校に編入してくることになった、一年生の青木朱音って言います。それでえーと、この部に入部させてもらいたいなーって、思うんですけど」

「あおきあかね……?」

 疑問の表情を浮かべる紗希センパイ。

 その顔はどこか疑わしげでありながら、何だか嬉しさを表現しているように思えた。

「はい。青い木に、朱色の朱に音です。あおきあかね」

 一瞬、驚いたように目を見開いて、

「そう……なんですか。あなたと同じ名前の子が、この部活にいるんです。……その子は、女の子なんですけど、ね」

 楽しげに、紗希センパイはどこか遠い目を浮かべながら、あたしに語る。どうしてだろうか、女の子、の部分が強調されていたが、まあ関係のないことだろう。

 ごめんなさい、それ、あたしです。

それに、もういません。

「……何となく、あなたに似てるような気がしますけど。もしかして、ご親戚とか?」

 不思議そうに尋ねてくる紗希センパイ。

 敬語だが、これはいつもの紗希センパイだ。

 彼女は自分の妹に対しても敬語だし。

 あたし相手にも、常に敬語だった。

「えー、あー、関係ないと思います。俺、知りませんし」

「……そうですか」

「はい」

 出来る限り、ボロを出さないように語る。

 そりゃそうだよね。

 紗希センパイが信じてくれるかどうかってなると、怪しいところになるし。

 後々、タイミングを探して説明していけばいいや。


 その時。


 開け放たれたままの扉から、声が聞こえた。

「何をしてるんですの?」

「あ、しおりん」

「朱音くん、ちょっとこちらに」

 入ってくるやいなや、しおりんはあたしの手を掴み、部室の外に出てゆこうとする。

 そんな、こんな中途半端なままは嫌だ。

「で、でも紗希セ……」

「こっちに来いと、言っているのです」

 しかし、強く引かれる手の力に、

「ハイ」

 あたしは、ただ従うことしかできなかった。

「では紗希ねえ、また後ほど。早くお家にお帰りになってくださいまし」

「……はい」

 本当に姉か。紗希センパイは、目も合わせずにこくりと頷いて、部室内の椅子へと腰かけた。そしてあたしたちは、彼女に背を向けて部室を出てゆく。

「行きますわよ」

 黒崎家という、金持ち一家に生まれた姉妹二人。

 もう少し、仲良く生きられないものなんだろうかなあ。


 廊下を歩くあたしとしおりん。

 どうして、しおりんはあんなに姉に冷たいのだろう。

「ねえ、しおりん」

「何です?」

「どうして、紗希センパイにそんな辛く当たるの?」

「女言葉、やめたほうがいいですわよ」

「う……どうして当たるんだ?」

「紗希ねえが、そう望むからですわ。それ以外の理由は、ありませんの。わたくしはシスコンですから。決して、仲は悪くありませんの。仲は」

「……」

 いつもこうだ。

 この姉妹はこうやって、いつもあたしをはぐらかす。はぐらかして、答えを見えなくさせる。何か大事なことがあるなら、言ってくれればいいのに。

 あたしたち、親友じゃなかったっけ?


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