全部ポイ ~ 旦那様、こちらにサインをお願いします ~
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「お父様、本当にシエルからの釣書は来ていないのですね」
「何度も同じことを聞くな、アドラー侯爵からの釣書は来ていない」
「セレーネに来ている釣書は、このストーン伯爵からの釣書だけだ」
我が国の婚姻申し込みは、18歳を過ぎてからと決められてる。
本人達も納得し、良い家庭を築くことが出来る様にとの、数代前の国王が決めた仕組みだ。
…………結局、貴族の婚姻など自由にはならないのね‼
「…………お父様、私をあの没落寸前の、ストーン伯爵家に、嫁がせるおつもりですか?」
「他から来ていないのだから仕方ないだろう、大体お前は、学院で才色兼備とちやほやされていたが、とんだ勘違いだったな、1通しか釣書が来ないとは」
私は、お父様の眼を真っ直ぐに見る。
お父様は私から眼をそらし、吐き捨てるように言った。
「それにお前なら、ストーン伯爵家のひとつやふたつ!立て直すなど簡単だろう、他に縁がないのだストーン伯爵家に嫁に行け」
…………なによ、シエルのバカバカバカバカ!
そりゃ、告白なんてされてないけど…………学院ではいつも一緒だった。
これから先も、一緒だと思っていたのに。
18歳になったら、釣書をくれると、思っていたのに。
私は、拳を強く握る。
「わかりました、ストーン伯爵家に嫁がせていただきます」
私は、お父様がテーブルに置いた釣書を、バシンと音を立てて取った。
「何をそんなに、プリプリしてるんだ、クリフ君は見目の良い、好青年だぞ」
「…………。」
バン!
お父様の眼は、節穴なの!
24歳まで、家が没落しそうで、誰にも釣書を、受け入れてもらえなかった、美丈夫よ!
「美丈夫なら、美丈夫で、裕福な未亡人の方もいるでしょうに!」
怒りを枕にぶつけてみたが、シエルから釣書が来ないのに、どうすることもできない。
数日後。
そんなこんなで…………今日は、クリフ様との顔合わせ。
侍女のエマが、応接室の開いた扉をノックする。
「お嬢様、失礼します、ストーン伯爵家のクリフ様がお見えです」
「はじめまして、セレーネ嬢。申し出を受けてくれてありがとう」
優美に礼を取り、ブラウンの髪をかき上げた美丈夫がほほ笑む。
確かに美しいお顔ね…………。
「初めまして、クリフ様。ドレイク伯爵家が娘、セレーネです」
クリフ様は、微笑みながら私の手を取り、キスを落とす。
「経営難の伯爵家を抱える僕を、選んでくれてありがとう、君のことを生涯大切にすると誓う」
「…………クリフ様、これも何かのご縁です。良い関係が築けるように、そしてストーン伯爵家を、ふたりで盛り立てて行きましょう」
私は一度、クリフ様の手を外し、改めて握手するために手を差し出す。
「ありがとう。よろしく頼む」
クリフ様と、固く握手を交わした。
いつまでも拗ねていてはダメね、前を向きましょう。
私は、クリフ様と生きていくことを決意した。
それから婚姻までの半年間は、クリフ様は私にとても優しく、ストーン伯爵家の家令オーソンは、とても仕事ができる男性で、使用人たちも慎ましく勤勉だった。
どうしてこんなに、没落寸前まで追いつめられるほど、伯爵家の財政がひっ迫しているのかと思ったら…………金食い虫は、クリフ様の継母である、サリー様だった。
サリー様は、もともとストーン伯爵の妾で、クリフ様の実母が病でなくなると後妻に入り、ドレスやアクセサリーを買いまくる。
ストーン伯爵も止めることをせず、湯水のようにお金が消えて、私が婚約した時には、破産目前。
クリフ様は、私との結婚を機に、お父様と継母を領地に引っ込めて、共に手を取り、ストーン伯爵家を盛り立てることにした。
シエルから時々、手紙が来ていたけれど、一度も開ける気にならなくて……彼の手紙を読まないまま、私は違う未来に進むことにした。
✿ ✿ ✿
「うー。エマ、やっぱり緊張するものね」
今日は、私とクリフ様の結婚式。
式は身内だけの小さな集まりにして、披露宴は無し。
今私は、侍女のエマにピカピカに磨かれて、ナイトウエアを身にまとい、夫婦の寝室で、クリフ様を待っている。
「セレーネ様、女は度胸です」
エマが、ガッツポーズと笑顔を残して、部屋を後にする。
私も、エマにガッツポーズで答えた。
……………………。
少し時間が空いて、クリフ様が青白い顔で、部屋に入ってきた。
「クリフ様、どうされたのです?」
「いや、すまないセレーネ。夕食後からお腹が痛くて…………。」
「大丈夫ですか?」
「ああ。大切な初夜にすまない…………今日は、一人で休んでもいいだろうか?」
「もちろんです」
私がクリフ様の背中を少し摩ると、少し楽になったと笑顔を見せて、クリフ様は部屋を後にした。
ぽつんと後に残された私は、広いベッドに腰かけて天井を仰ぐ。
「はー。なんだかほっとするなんて、私もまだまだね」
ごろりとベッドに横になると、エマの入れてくれた、ティーカップが目に入る。
「そうだ、お腹を壊した時は、エマの煎じ薬が効くわ」
私はガウンを羽織り、エマの部屋を訪ねる。
「エマ、まだ起きてる?」
まだ侍女服のままのエマが、ドアから顔を覗かせる?
「セレーネ様、なにか不手際でも?」
エマの眉間に皺が寄る。
「違うのエマ、クリフ様がお腹の調子を崩されたみたいで、今日の初夜は中止になったのだけれど、エマの煎じ薬のことを思い出してね、クリフ様に飲んでもらったらいいと思って」
エマの表情が、ホット柔らかくなる。
「左様ですか、直ぐにお作りしましょう」
エマとキッチンを借りて、煎じ薬を作り、クリフ様のお部屋へ向かう。
「クリフ様?」
お部屋のドアが少しだけ開いていて、中から明かりが漏れている。
お部屋を覗くと、部屋の中にクリフ様の姿がない。
「お手洗いかしら?」
「お腹を壊していたのでは、そうかもしれませんね、お嬢様どうされます?」
「そうね、サイドテーブルに置いて、置手紙でもしておきましょうか」
エマがシルバートレイを、窓辺のサイドテーブルに運ぶ。
「セレーネ様!」
エマが窓の外を覗き、指をさす。
窓の外に目を向けると、クリフ様がナイトウエアのまま、庭の真ん中を走ってる。
「どうしたのかしら?」
ポカンとする私とは逆に、エマの表情が厳しくなる。
「セレーネ様、確かめに参りましょう」
私は、エマに手を引かれ、クリフ様の後を追う。
薄暗い裏庭を抜けて、小さな屋敷が見えて来た。
「ねえ、エマ。クリフ様はどうして別棟に?こちらのお手洗いを使うためかしら?」
「お嬢様、静かに」
別棟の玄関にたどり着き、エマが屋敷を見回す。
「セレーネ様、3階の奥に明かりが見えます、行きましょう」
別棟の玄関ドアは、押すと簡単に開き、何年も使用していないと聞いていたが、とても綺麗に掃除されていた。
エマと、明かりのついている部屋を目指す。
辿り着くと、扉の向こうから、話し声が聞こえる。
「クリフ様~。私やっぱり耐えられないです」
「リサ、何度も説明しただろう、ストーン伯爵家を立て直すには、ドレイク伯爵家の支援が必要なんだ、財政状態が改善すれば、セレーネとは別れて、リサを妻に迎えるから」
「嫌~。私、クリフ様とずっと一緒に居たい~。」
「わかったわかった、リサはかわいいな~。今日だって初夜に嘘をついて、ここにちゃんと来たじゃないか」
「いやいや明日も、明後日もずっと一緒がいい」
「あー。そうしよう、セレーネとは、白い結婚だ、お飾りの妻だよ」
私は、全力でドアを蹴破る。
「ではお望み通り、そういたしましょう!」
「わあー。セレーネ!どうしてここに」
「クリフ様こそ、お腹の調子が悪いのでは?」
「いや、これはだな、セレーネ、誤解なんだ」
「誤解?結婚式当日に、嘘をつき別棟に他の令嬢を連れ込んでいるこの状況を!どのように誤解だと」
「愛しているのは、セレーネだけだ」
私は、じりじりと詰め寄り、クリフ様の襟ぐりを掴む。
「私に釣書を送ったのは、ドレイク伯爵家を利用するため、私をお飾りの妻として、働かせるためだったのですね」
「違うんだ、今日も急にリサに呼び出されて、困っていたんだ」
「ちょっと、クリフ様!話が違います」
私は、声を上げるリサ様を睨む。
「まあ、こちらはマルタン子爵令嬢だったかしら?まだ学生よね、こんな夜遅くまで、出歩いていいなんて、マルタン子爵はどんな教育をなさっているのかしら」
「お父様には、お友達の所に、お泊りすると言ってあるわ」
「まあ、それなら、この偽装結婚は、クリフ様とリサ様で企てたと言うことですね」
「偽装結婚などではない、俺はちゃんと、セレーネと結婚する」
わけのわからないことばかり繰り返す、クリフ様のえりをグッと持ち上げる。
「エマ!先ほどのクリフ様の言葉を聞きましたね」
「はい確かに、ドレイク伯爵家から支援を得るため、白い結婚でお飾りの妻だと聞きました」
「そう言うことですので、貴族院に訴え出て、婚姻を無効にしていただきます」
私は振りむき、エマに指示を出す。
「エマ、家令のオーソンと、マルタン子爵をここに呼んでちょうだい」
「はい、只今」
エマが、部屋を出ようと振り開けると、入り口にオーソンが立っていた。
「私もお話しを聞いておりました。セレーネ様とドレイク伯爵家には、なんとお詫びを申し上げればよいか」
オーソンが、深々と頭を下げる。
ストーン伯爵家の使用人は、みんな本当にいい人ばかりだ、婚約期間中の私に、親身な対応をしてくれた…………。
このまま貴族院に申し出て、結婚を無効にしてもいいけれど、そうしたらストーン伯爵家は、爵位を返上して使用人のみんなは、路頭に迷ってしまうわね。
お父様は、どうなても良いけど。
「オーソン。ドレイク伯爵とマルタン子爵を今すぐここに集めて、今後のことを話しましょう、みんなが困らないように手を尽くすわ」
「暖かきお言葉、痛み入ります」
オーソンは、急ぎ足で部屋を出て行った。
私は、クリフ様とリサ様を部屋に閉じ込め、ドアを本棚で塞いで本邸に戻る。
「エマ、暖かい紅茶を一杯頂いてから、ドレスに着替えるわ」
「はい、お嬢様♪バッチリ整えさせていただきます」
ドレスに着替え、お父様を待つ間、私はすさまじい勢いで契約書を作り、オーソンに確認してもらう。
1通は、クリフ様との婚姻に関するもの、2通目はドレイク伯爵から籍を抜くもの、3通目は、今回の偽装結婚についての、賠償に関するもの。
書類が完成した頃、お父様とマルタン子爵が到着した。
私の意向を伝えた後、ふたりを伴い別棟に向かう。
本棚を動かし、ドアを開けると、ふたりはベッドの上でイチャイチャしていた。
はぁ~。どこまでもお花畑ね。
私が大きくため息をつくと、マルタン子爵が、リサ様をベッドから引きずり下ろし、平身低頭。
「子だくさんで目も教育も行き届かず、セレーネ様には、本当にご迷惑をお掛けしました、先ほどの契約は必ず果たさせていただきます」
「お父様、クリフ様に、愛されているのは私なのです~。」
「馬鹿者が!」
顔を上げたリサ様の頭を、ガシリと掴んで、マルタン子爵が床に押し付ける。
「痛いですお父様~。」
「どこまでバカなんだお前は、このまま貴族院にセレーネ様が申し立てをすれば、お前は罪人になるんだぞ、それを寛大な心で、不問にしてくれると言っているんだ、そんなセレーネ様になんて口をきいている」
マルタン子爵が、もう一度深く頭を下げる。
「リサは学院を退学させ、もともと申し入れのあった、商家の後妻に出します。それしかこの娘が稼ぐ方法はありませんから」
マルタン子爵が、リサ様の首根っこを掴んで立ち上がる。
「嫌よ、お父様、あのおじさんの所になんて、お嫁に行きたくない」
「お前がやったことは、投獄されてもおかしくないんだぞ、投獄されれば、丸刈りにされて市中引き回しだ!それでもいのか、お前のせいで子爵家が潰れ、兄妹たちが路頭に迷うんだぞ」
「うぅ~。」
リサ様は泣きながら、マルタン子爵に引きずられて帰って行った。
「さて。お父様は、このことを知っていたのですか?」
「……………………。」
「なんの調査もせずに、娘を嫁がせたのですか?」
「セレーネお前は、ストーン伯爵家の状況を回復させれば、白い結婚のままドレイク伯爵家に戻り、今度こそ望む結婚をだな…………。」
「出戻りの娘がどうやって、希望する方と結婚するのです!いくらで私を売ったのですか!お父様も投獄されたいのですか!」
「いやセレーネが戻ってくれば、ドレイク伯爵家にずっといて、私を助けてくれたたらいいと思っていたんだ、娘を売るなどしていない」
「お父様、私の心は酷く傷つきました。私は、ドレイク伯爵家の籍から抜けることを希望します。そして私を売ったお金は、私の個人資産にします。この契約書にサインを」
「いやそこまでしなくても、血を分けた家族なのだぞ」
「血を分けた家族に、私が売られたことを、国王陛下に進言いたしましょうか?」
「…………わかった」
お父様は冷や汗をかきながら、渋々契約書にサインをして帰って行った。
「あー。なんだか、お父様との縁が切れてさっぱりしたわ」
「セレーネ、ドレイク伯爵家との縁を切ったということは、僕と一緒に居てくれるのかい?」
青白い顔で、固まっていたクリフ様が漸く口を開いた。
「クリフ様は、ここにサインを」
契約書をクリフ様に差し出す。
「僕に一年間のチャンスをくれるのかい?」
「クリフ様…………良く言えばポジティブ。…………いいえ字が読めませんの?」
「一年後に離婚します。これは使用人たちを救うための策です。この1年で私は、ストーン伯爵家を立て直しますので、その邪魔をしないでください。本邸に入ることは禁止です」
「じゃあ、セレーネが僕に、会いに来てくれるのかい?」
ぎぃぃ~。
どこまで自分に優しいのです。
「とにかく、こちらにサインを」
もう同じ空気を吸うのも嫌だわ。
ニコニコしながらサインするクリフ様を見て、私は頭を抱える。
契約書の内容も理解しないで、サインなどするから、家が没落しそうになるのよ!
「できたよ、今日からまたよろしくセレーネ」
私に抱きつこうとするクリフ様を、オーソンがガッシリと羽交い絞めにする。
「セレーネ様、あとはお任せください」
「オーソン、ありがとう。明日からよろしくね」
✿ ✿ ✿
次の日から、オーソンと協力して再建に取り掛かる。
エマもドレイク伯爵家との雇用契約を解除し、私個人と契約を結ぶことになった。
「さて、手掛かりとなる資金を、少しでも調達したいのだけど、とりあえずは私が獲得した慰謝料でも元手にしましょうか?」
「お待ちください、セレーネ様。ストーン伯爵家のために、セレーネ様の個人資産を使うなどとんでもない、こちらを売り払うのはどうでしょう?」
執務室に隣接する扉を開けると、そこには豪華なドレスやアクセサリーの山。
「まあ。義理母は、物を見る目はあったのね、どのデザインも、洗練されて素敵、偽物もなさそうだわ」
「セレーネ様!」
エマが勢いよく、手を上げる。
「私、このような品物を、転売できる御方を知っております。決して安値では取引いたしませんので、売却を私にお任せいただけないでしょうか?」
「まあ、嬉しいわ、あまりこういった、宝飾品を扱える方を、私は知らないから、オーソンは何か伝手がある?」
「いいえ、私も奥様が購入するため、呼んでいた商家しか知りませんで…………。売るのはどうかと提案したのに、先を考えておらず、すみません」
「じゃあ、決まりね。エマ、よろしくお願いします」
「畏まりました」
✿ ✿ ✿
宝飾品は思った以上の高値で売れて、いくつかの借金も返済でき、奮起した使用人たちの頑張りもあって、ストーン伯爵家は一年を待つことなく、立て直すことが出来た。
そして今日。
私はクリフ様と離縁し、この家を出る。
使用人、全員分の紹介状と、クリフ様に渡す、事業の指南書を執務室のテーブルに置いて、私は部屋を見回す。
「はー。一年なんてあっという間ね」
コンコン。
「セレーネ様、失礼します」
「どうぞ入って」
一礼して入ってきたオーソンは、紹介状の山を見て目を丸くする。
「オーソン、これはあなたの分」
オーソンに、直接封筒を手渡す。
「この屋敷に働くものは、みんな優秀よ、クリフ様がこの一年で心を入れ替えて、この屋敷を継続してくれるといいのだけれど…………。私は使用人のみんなには、自分の望む場所で働いてもらいたいと思うの、全員分あるから、希望する人には、渡してあげて」
「畏まりました」
「荷物は全部、準備できましたよ~」
エマが、オーソンの後ろから顔を覗かせる。
「エマの分も紹介状があるのよ、私はクリフ様と離縁すれば、貴族では無くなるわ。そんな私に、本当について来るの?」
「もちろんです、私はセレーネ様のお子様を、ちゃんと育て上げるまで、セレーネ様から離れる気はありませんからね、貴族であろうと何であろうと、その決意は揺るぎません」
エマのガッツポーズに、思わず笑みが漏れる。
「ありがとうエマ、贅沢はさせられないけど、エマに貧しい思いをさせない様に、私も頑張るわ」
オーソンに別れを告げて、部屋を出る…………廊下には、使用人達の列。
「セレーネ様の、新たな旅立ちを祝して!礼」
みんなが一斉に深く頭を下げる。
「みんなありがとう、頭を上げて、今日はみんなの新しい旅立ちでもあるのよ」
私は、一人一人とあいさつを交わして、ようやく屋敷の玄関を出た。
門への道をエマと進みながら、私は空に向かって大きく背伸びする。
「はー、エマ。クリフ様との縁も、とうとう捨てることが出来たわね~。」
「そうですね、実家とも縁を切り、貴族籍まで捨ててよかったのですか?」
「もちろん、ぜ~んぶポイよ♪その方がスッキリするじゃない?」
門に近づくと、大きな天幕を張り、その下で優雅にお茶を飲む人の姿が見える。
「エマ。あの方はもしかして…………。」
エマが私の後ろで、クスクスと笑う。
「イザベラ様!」
「もう。大きな声で人の名前を呼ばないの、約束の時間よりだいぶ遅いから、待ちくたびれたわよ、急いで戻るわよ、馬車を回して」
イザベラ様は、シエルのお母様…………。学生時代に何度かお茶に誘っていただいたけれど…………どうしてこちらに。
「さあ、セレーネ!馬車の中で説明するから早く乗りなさい」
ポカンとする私の背中を、エマが押す。
「さあさあ、セレーネ様、お乗りください。私は後ろの馬車で向かいますので」
イザベラ様は、私の腕を掴んで馬車に押し込める。
「…………。」
馬車にふたりだけ…………イザベラ様と向かい合う私は、まさに蛇に睨まれたカエル。
「セレーネ。久しいわね」
「はい、イザベラ様、ご無沙汰しております。ご健勝にてお過ごしでしたでしょうか?」
「ええ、私は元気よ~。うちの息子は一年半前から、かなり荒れているけどね」
「…………シエル」
「そんな、迷子の子猫みたいな顔しないの」
イザベラ様が、私のおでこをパチンと弾く。
「あの、シエルは、体調が悪いのですか?」
「そうなの、大好きな子に降られてね~。私の息子よりも、見目の良い令息を選んだ娘に…………最初は私も、かなり腹が立ったんだけど、調べたら何のことは無い、ドレイク伯爵が、おいたをしたのね~。」
「…………はい」
お父様…………生きてるかしら。
「まあ私の見込んだ娘だけあって、その後の手腕は見事だったけど、まだまだ詰めが甘いわね、自分の婚姻なのだから、親に頼らず、自分で確認しないと駄目だったのよ、まあ社交に出れば磨けるからおいおいね」
「はい。肝に銘じます。…………で、シエルは大丈夫なのでしょうか?」
「あら、心配してくれるなら、まだ家の息子にもチャンスはあるかしら?」
「…………。」
「まー。子猫の次は茹蛸ね。そう言うことなら、ブラン伯爵の養女にならない?」
「ブラン伯爵?」
伯爵家とは言え、ドレイク伯爵家なんか、足元にも及ばない名門じゃない~。そんなブラン伯爵様がなぜ私を…………。
「ブラン伯爵はね、なかなか子宝に恵まれなくてね。他家から養子をとるか、どの家なら良いのか、悩んでいたみたいだけど、家のアドラー侯爵家の血筋なら、ぜひとも養子にしたいとの希望なの」
ん?それでなぜ私が養女に…………。
アドラー侯爵家には、シエルしか子供がいないはずだし…………。
「えっと…………。こんなバツイチ令嬢の私が、ブラン伯爵の養女になるのと、アドラー侯爵家から養子に出すのと、どんな関係が…………。」
「あら、鈍い子ね。シエルとセレーネにい~ぱい子供を産んでもらって、ブラン伯爵の養子に出すのよ」
!!!!
「イザベラ様。私は先ほど申し上げた通り、バツイチですよ!アドラー侯爵家の嫁には、相応しくありません」
「あら、セレーネに婚姻歴は無いわよ」
イザベラ様がにやりと笑う。
「状況を確認し、釣書が適切に扱われていない婚姻であると申し立てて、ストーン伯爵家とセレーネの縁組は、不受理よ」
「えっ…………私、結婚してなかったんですか?」
「ええ。セレーネが、ストーン伯爵家令息と、幸せに暮らせるならば、私もあきらめようと思ったのだけれど、あの有様でしょ。初夜事件からは、私の仲間にエマも加わったからね」
!!!
エマ…………。
「私の動向は筒抜けなのですね…………。」
「まあね、直ぐに迎えに行っても良かったのだけれど、そこはセレーネの手腕を見させてもらったのごめんね」
イザベラ様はパチンと手を叩く。
「それと、シエルは体も精神も元気だから安心して、ただ、セレーネ以外とは結婚しないの一点張りで、面倒くさいだけだから」
シエル…………わたしのこと。
「まあまあ、また真っ赤ね、今度は頭から湯気が出てるわよ」
その後私は、ブラン伯爵様とご挨拶して、養子縁組の契約を結び、アドラー侯爵家に連れて行かれた。
そしてなぜだか、別棟に案内される。
「あの、イザベラ様…………どこに行くのですか?」
「ふふ、あの頑固な息子に、サプライズしようと思ってね。ただただ会わせたらつまらないじゃない?今日は申し訳ないんだけど、綺麗に掃除してあるから、ここを使ってちょうだい。シエルは無駄に勘がいいのよ、客室とはいえ本邸にあなたを招いたら、匂いを嗅ぎつけるかもしれないからね」
イザベラ様が、パチンとウインクして笑う。
結局、私はこの方の手のひらで、転がされていたのね。
✿ ✿ ✿
次の日、私はピカピカに整えられて、ダイニングの扉の前にいる。
イザベラ様のサプライズの始まりだ。
部屋の中から、シエルの大きな声が響く。
「母上、何度申し上げれば、わかっていただけるのです、私はセレーネ以外とは結婚しません」
「まあまあ、意地を通すのもいい加減にしなさい、ブラン伯爵が最近養女に迎えた才女よ。見目もかわいらしいし」
「どんな令嬢でも、セレーネにはかないません」
「はー。じゃあ、帰ってもらう?」
「ええ、そうしてください、会って変に執着されても困りますから」
「は~。執着はどっちよ、全く世話が焼けるわね」
手招きされて、私はそっと、イザベラ様の横に立つ。
シエルの真直ぐな気持ちを聞いて…………私は、零れ落ちる涙を止められない。
イザベラ様が、私の背中にそっと手を置いた。
「シエル、とにかくこちらを一度見なさい」
不機嫌そうに、シエルが振り返る。
「セレーネ!!どうしてここに?」
シエルは、秒速で私の前までやってきて、頬の涙を拭う。
「どうして泣いてる?母上にイジメられたのか?」
「シエル!あなたのためにいっぱい頑張った母親に向かって、なんてこと言うの、この令嬢はブラン伯爵家の養女セレーネよ、お帰りいただいていいのよね」
イザベラ様の、意地わるそうな笑顔を見たシエルは、慌てて私を抱きしめる。
「結婚します」
真剣な顔で宣言するシエルと、泣いてボロボロの私を見て、イザベラ様は声を上げて笑う。
「あははは、本当に面白くてかわいい子たちね、エマ~。お茶を入れて頂戴、家の頑固者に今までの経緯を話すから」
それからエマが入れてくれた、紅茶を飲みながら、イザベラ様の手柄話を聞いた。
社交界では、私はストーン伯爵家を建て直すため、同門の才女として派遣されたことになっており、結婚なんて話は一つも話題になっていない。
なぜならイザベラ様がその話を、社交界で触れ回ってくれたから。
ドレイク伯爵家も、マルタン子爵も、契約書の他言無用の条件を、さすがに守ったのだろう。
「さあさあ、お母様の自慢話は、これで終わりよ、ふたりで庭でも散歩してきなさいな」
私は、ぴったり張り付いて離れないシエルと、イザベラ様に背中を押されて庭に出る。
シエルと手をつないで、ゆっくりと遊歩道を歩く。
「この庭に来るの、久しぶり」
「ああ、一年7か月ぶりだな」
「ふふ、シエル。私が前に来た日を覚えているの?」
「ああ、セレーネのことは、どんなことも忘れない」
「…………シエル」
「セレーネが、違う奴と婚約して、俺の手紙に返事も無くて…………悲しかった」
「私も、シエルから釣書がないと聞いて、シエルは私に、気持ちがあると勝手に勘違いしてたんだと思って、イライラした後、悲しくなった。違う道を進まなければと決めたから、手紙は読めなかった、ごめん」
シエルが私を優しく、抱きしめる。
「セレーネが謝ること無い。俺もセレーネには、言わなくても気持ちが届いていると思ってた。釣書を送り、大きな花束を持って告白するのが、かっこいいと…………まだまだ子供だった俺は、調子に乗ってたんだ…………ごめん」
私は、シエルを見上げて手を伸ばす。
「うーん、やっぱりシエルの頬は固いわ」
「セレーネのほっぺは、相変わらず柔らかだ」
お互いの頬を、ビヨンと指でつまんで伸ばす。
学生の頃、ごめんねを許す時のふたりの仲直り。
「ははは、やっとセレーネが笑った」
「シエルも」
私達は、もう一度お互いを抱きしめた。
「これからは、ずっと一緒だ」
ぜーんぶポイしたけど、シエルへの思いは、捨て切れていなかったみたい。
~ 終わり ~
(*^▽^*)
ちなみに二人は3男2女の子宝に恵まれました。




