episode5
電車が目的地の駅に滑り込む。
窓ガラスに映る自分を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
「サオリ」というたった一人のファンの存在が、私の胸の奥で燻っていた火種に油を注いだようだった。前世では、彼女のようなファンに何も恩返しができないまま、這いつくばるように業界を去った。でも、今は違う。
視界の端で、システム画面が微かにノイズを走らせながら展開している。
[ 現在のステータス ]
ボーカル:48 / ダンス:45 / ビジュアル:76
「……便利なものね、本当に」
ボーカルの数値を見つめながら、私は心の中で自嘲した。
前世の私は、なけなしのバイト代をはたいて、何年もボーカルスクールに通い詰めていた。高い月謝を払い、腹式呼吸やリップロールを繰り返しても、「本当に効果が出ているのか?」「自分は上手くなっているのか?」という疑心暗鬼が常に付きまとっていた。成果が見えない努力ほど、精神を削るものはない。
けれど、このシステムは残酷なまでに正確だ。
17歳の未熟な喉でも、正しい発声をすれば『+1』と数値が上がる。自分の現在地が可視化されることが、これほどまでに麻薬的な安心感をもたらすとは思わなかった。
「次は、私が勝つ番よ」
駅を降り、巨大なテレビ局のスタジオへと歩を進める。
『NEXT GATE』一次審査の合同会場。控室の扉を開けた瞬間、むせ返るようなヘアスプレーの匂いと、100人の少女たちが発する異様な熱気、そして隠しきれない「敵意」が肌にまとわりついてきた。
誰もが、自分が一番可愛いと信じている。誰もが、隣の誰かを蹴落としたいと思っている。
10代特有の、むき出しの自己承認欲求。
「うわぁ……」
思わずドン引きしそうになる30歳の理性を必死に押さえ込み、私は部屋の隅の空いているパイプ椅子に向かった。
その瞬間、視界の青いモニターが「バチッ」とグリッチを起こし、警告音と共に新たな機能を強制展開した。
[ 空間スキャンを開始します ]
[ 対象:NEXT GATE 候補生 99名 ]
[ 各個体の潜在ステータスを視覚化します ]
「えっ……ちょっと待って」
瞬きをした次の瞬間、私の視界は異様な光景に包まれた。
部屋にいる少女たちの頭上に、AR(拡張現実)のように次々とネームプレートと数値がポップアップしていくのだ。
『ミカ:総合 Cランク』
『リノン:総合 Dランク(※極度の緊張状態)』
『ユア:総合 Bランク(※特技:愛嬌)』
「他人のステータスまで丸見えってこと……? 性悪すぎるでしょ、このシステム」
呆れながら周囲を見渡していると、ひときわ異常な数値を叩き出している二つの光源に目が止まった。
一つは、部屋の中央。
「みんな、今日は頑張ろうね! 一緒に写真撮ろっ!」と、天使のような笑顔で周囲にクッキーを配っている、ゆるふわな雰囲気の少女。
[ ターゲット捕捉:夢乃 あかり ]
ビジュアル:95 / 表現力:90
[ 警告:対象の裏ステータス『腹黒さ』が周囲にデバフを散布しています ]
(うわ、出た。前世でもこういう『いい子ちゃん』に限って、裏でスタッフに媚び売ってたのよね……)
私は内心で舌打ちをしながら、もう一つの、そして最も強烈な光源へと視線を移した。
部屋の最奥。誰もが彼女を遠巻きに見つめ、誰も話しかけられない絶対的な空間。
腕を組み、目を閉じてイヤホンから流れる音に集中している、凛とした横顔。
[ ターゲット捕捉:白鳥 蘭 ]
ダンス:92 / ボーカル:88 / ビジュアル:90
[ 状態:『絶対的エース』の覇気により、周囲のモブを萎縮させています ]
「……蘭」
前世で私を絶望の淵に叩き落とした、完璧な白鳥。
彼女のステータスは、現在の私(オールC〜B帯)から見れば、圧倒的で暴力的なまでの数値だった。正面からぶつかれば、一瞬で粉砕される。
でも、私の口角は自然と上がっていた。
[ クエスト発生:『強者の視線を集めろ』 ]
達成条件:この控室で、白鳥蘭にあなたを「ライバル」として認識させること。
報酬:ボーカル+5、ダンス+5
「……上等じゃない」
私はパイプ椅子から立ち上がった。
ただ実力を見せつけるだけじゃ、あの白鳥は振り向かない。30歳の知恵と、このシステムが弾き出す「最適解」を使って、彼女の視界に強引に割り込んでやる。
「一緒に写真撮ろっ!」とスマホを掲げながら近づいてくるあかりの射程圏内から、私は滑るようにして身を躱した。
前世でも今でも、私はこういう不特定多数との集合写真に写るのが心底苦手だ。ましてや、あかりのような「自分が一番可愛く写る角度」を熟知している人間のフレームに入るのは、自ら引き立て役になるようなもの。30歳の防衛本能が働き、気配を消して壁際へと移動する。
私の視線の先には、相変わらずノイズキャンセリングイヤホンで外界をシャットアウトしている白鳥蘭がいる。
控室には、今回のオーディションのテーマ曲がエンドレスで流れていた。
蘭は目を閉じているが、微かに動く指先と足の重心移動で、彼女の脳内では完璧にこの曲の振付が再生されているのがわかる。
(……本当に、ブレないわね、あんたは)
私は、ゆっくりと蘭の斜め前――彼女がふと目を開けた時、必ず視界に入る位置へと移動した。
13年間。私はテレビ越しに、蘭のパフォーマンスを呪いのように見続けてきた。
だから知っている。彼女が完璧な振付の中で、たった一箇所だけ、意図的に溜めを作ってからターンする「癖」があることを。それはまだ誰も知らない、のちに『白鳥ターン』として彼女の代名詞になる独特のアクセントだ。
私は小さく息を吐き、システムが弾き出した「現在の体の重心」を意識しながら、BGMのサビの直前に合わせてステップを踏み出した。
トン、とつま先で床を叩く。
そして、サビの入り。私はあえて0.1秒だけ動きを遅らせ、強引な遠心力で一気にターンを決めた。
今の私の『ダンス:45』のステータスでは、体幹がブレて少しだけ足元がふらついたが、顔だけは正面――蘭のいる方向へと残した。
その瞬間だった。
ずっと閉じていた蘭の目が、スッと開かれた。
彼女の冷ややかな視線が、ターンを終えたばかりの私のつま先から、顔へとゆっくり這い上がってくる。
「……あなた」
イヤホンを片方外し、蘭が初めて口を開いた。声は低く、そして微かに苛立っていた。
「なんで、私のタイミングで回ったの?」
誰も気づかないような、ほんの僅かなリズムのズレ。それを自分の「オリジナル」として密かに温めていた蘭にとって、目の前の無名の少女(私)がそれを完璧になぞってみせたことは、最大の挑発に他ならない。
私は息を整え、30歳の余裕をかき集めて、わざとらしく小首を傾げた。
「え? 普通に曲に乗ったら、ここが一番気持ちいいタイミングじゃない? ……もしかして、あなたもそう思う?」
蘭の目が、スッと細められた。
ただのモブを見る目から、明確な「異物」――あるいは「敵」を認識する目へと変わる。
その瞬間、私の視界を覆っていた青いシステム画面に、バグのようなグリッチノイズがバチバチと激しく走った。
[ システム通知:白鳥 蘭の『警戒度』が急上昇しました ]
[ クエスト達成:『強者の視線を集めろ』 ]
[ 報酬:ボーカル+5、ダンス+5 を付与します ]
[ 警告:対象に『ライバル(仮)』としてロックオンされました。今後の難易度が上昇します ]
「……神崎澪」
胸元のゼッケンを一瞥し、蘭は私の名前を静かに呟いた。
「オーディション、せいぜい早々に落ちないことね。……そのステップの続き、見せてもらうから」
彼女は再びイヤホンを耳に戻し、目を閉じた。
しかし、その指先はもうリズムを刻んでいない。彼女の意識が、明確に私へと向いている証拠だった。
全身の筋肉が歓喜と緊張で震える。
報酬でステータスが上がったことで、先ほどよりも体が軽く感じられた。
(よし……! これで第一段階はクリアよ)
私は心の中でガッツポーズを決めながら、これから始まる過酷なサバイバルへの口火を切った。




