episode4
鈴木沙織、23歳。社会人3年目。
その夜、沙織は終わらない残業と上司からの理不尽な叱責に疲れ果て、終電で帰宅した。
メイクを落とす気力もなく、汚れた部屋のベッドに倒れ込む。指先だけが、現実逃避のためにスマホの画面をスクロールしていた。
「……あーあ、疲れた。何か、こう、キラキラしたものが足りない」
沙織の心のオアシスはアイドルだった。
だが、最近デビューするグループは、誰も彼もが若く、未熟で、同じような「可愛さ」を売りにしているように見えた。もちろん彼女たちは努力しているし、可愛い。でも、沙織が求めているのは、もっと心臓を直接掴まれるような、何か「圧倒的なもの」だった。
ふと、公式アプリの通知が目に入る。
『NEXT GATE』一次審査、全候補生のエントリー動画公開! あなたの「チア」で彼女たちを救え!
「あ、今日からだっけ」
沙織は起き上がり、アプリを開いた。
画面には、100人の少女たちのサムネイルがずらりと並んでいる。みんなキラキラした笑顔で、必死に自分をアピールしている。
沙織は、上から順に動画をタップしていった。
「あー、この子はダンスが上手いね。……この子は、ちょっと緊張しすぎかな。……あー、こういうあざとい系、今の流行りよね」
10人、20人……。
動画を見る沙織の目が、次第に曇っていく。
みんな、合格点だ。でも、誰一人として沙織の心を「撃ち抜く」子はいない。
「……やっぱり、今回もパスかな」
そう言ってアプリを閉じようとした、その時だった。
一覧の隅にあった、一枚のサムネイルに目が止まった。
他の子たちが「満面の笑み」や「キメ顔」を浮かべる中で、その子は、少しだけアンニュイな、何かを諦めたような、それでいて心の奥底に静かな炎を宿しているような、不思議な表情をしていた。
[ 候補生:神崎 澪(17) ]
「神崎……澪?」
沙織は、吸い込まれるようにそのサムネイルをタップした。
動画が再生される。
画面の中に立つ澪は、制服姿だった。
挨拶は、至って普通。声は少し低めで、落ち着いている。他の子のように、声をワントーン上げてブリッコすることもしない。
「……落ち着いてる子ね」
沙織がそう思った瞬間、曲が始まった。
ダンスは、正直、完璧とは言えなかった。少し体が硬いし、体力が追いついていない箇所もある。
だが、何かが違った。
首を回す仕草、指先を伸ばす瞬間、そこには17歳の少女にはあるはずのない、「哀愁」と「色気」が混在していた。
それは、人生の酸いも甘いも知った人間だけが持つ、独特のオーラだった。
(な、何……? この子、本当に17歳?)
沙織は、画面から目が離せなくなった。
澪のパフォーマンスには、ただ「上手く踊ろう」という表面的な意識ではなく、「ここが私の、最後の場所」という、悲壮なまでの執念が込められているように感じられたのだ。
そして、曲のクライマックス。
澪は一度、伏せ目になった。
長い睫毛が影を落とす。その瞬間、沙織は彼女がとても傷つきやすく、繊細な少女に見えた。
だが、次の瞬間。
澪は、勢いよく顔を上げた。
視線が、カメラを、すなわち沙織の瞳を、真正面から射抜いた。
その瞳には、さっきまでの繊細さは微塵もなかった。
あるのは、「私を見なさい。私以外、見なくていい」という、圧倒的な支配欲と、絶対にトップに立つという狂気じみた決意だった。
(――っ!!!)
沙織の心臓が、大きく跳ねた。
背筋にゾクゾクとした悪寒が走る。
それは、恐怖ではなく、極上の興奮だった。
「これ……これだよ……!」
沙織は、震える指で「チア(応援)」ボタンをタップした。
一度ではない。十度、百度。
彼女の手持ちのポイントがすべて、神崎澪という、まだ誰も知らない「怪物」に注ぎ込まれていく。
「見つけた。……神崎澪。あんたが、私の『絶対』だ」
汚れた部屋の中で、沙織の瞳だけが、画面の向こうの澪と同じように、ギラギラと輝き始めていた。
[ システム通知 ]
[ おめでとうございます! 最初のファンを獲得しました ]
[ ファンネーム:サオリ ]
[ 報酬:スキルポイント+1 ]
一次審査会場へ向かう電車の中、澪は視界に浮かんだ通知を見て、微かに唇を噛んだ。
「サオリ……」
前世で、私が不合格になった後も、ずっと「澪ちゃんは悪くない、いつか絶対売れる」と信じてくれていた、数少ないファンの名前だ。
あの子もまた、私のせいで人生を狂わせたのかもしれない、という後悔があった。
「今度は、絶対に泣かせない」
澪はスマホを握りしめた。
システムの通知。それは、13年越しの、ファンとの再会の合図でもあった。




