61 これが好きということなのね【最終話】
「シェル……。なんてかわいいんだ」
婚約が破棄された翌日。
予定通り、アスミュートがシェリールルの家にデートの誘いにやってきた。
侍女の手により、町歩きをしやすい服装をしたシェリールルを見て、最初にアスミュートが口にしたのが冒頭の言葉だ。
「アスも……なんだかいつもと違って、そういう服装もその、似合うわね」
シンプルな黒いシャツに、同じく黒いズボン。それにブーツを合わせたアスミュートは、耳にシェリールルの瞳の色である青藍色の石のピアスを付けていた。
一方のシェリールルはシャンパンカラーのシンプルなワンピースに、同色のオーバーエプロンをかけている。オーバーエプロンの裾にはアスミュートの瞳の色である金色の刺繍が施されていた。
胸元にかける繊細な細工のネックレスは、昨日の夜にアスミュートから届けられた、彼の髪の色である青黒をしたダイヤモンドを小さく砕いて作られたチェーンに、中央に小さな一粒真珠がついているものだ。ぱっと見では高価な品だと気付かれにくいが、実際は非常に手の込んだ品質の良い細工。
「昨日はネックレスをありがとう」
「町歩きだから、シンプルに見えるものを付けてもらおうと思って」
アスミュートの腕にシェリールルは手をかける。
彼のエスコートで馬車に乗り、そのまま王都へと出掛けた。
町の中心部にある公園に辿り着くと、馬車を降りる。
「どこか見たいところはある?」
「そうねぇ。デートというものは、何をするのかわからないんだけど」
「じゃぁ俺に任せて」
目を細め、シェリールルの腰へと手を回すと、二人は商店が並ぶ道へと向かった。
当然彼らの周囲には、気付かれないよう護衛が同行している。
貴族は、屋敷に商品やカタログを持った商会がやってきて買い物をするので、こうして店頭に品が並んでいるのを見ることがなかなかない。シェリールルは店のショウウィンドウから見える店内を、口元をほころばせて見ていた。
「気になるところがあれば、入ってみよう」
「だったら、あちらのお店がいいわ」
そこは傘とステッキの店だった。
様々な長さのステッキや傘が、壁にディスプレイされている。
「ようこそいらっしゃいました。なにかお探しのものはございますか」
シンプルな衣装を着てはいるが、その素材は見る人が見れば良いものとわかる。
そもそも、二人の立ち居振る舞い自体が平民のそれではないので、店主は腰を低くして対応してきた。
「アンヌにかわいい日傘をお土産にしたいわ」
「それはいいね。では店主、まもなく成年になる貴族女性向けの日傘をいくつかだしてくれ」
すぐに十数本の日傘が店内に並べられた。
一つ一つ丁寧に開いて、店主が説明をする。
二人は用意された椅子に座って、それを見ては実際に手に取ってみたりして、十二本目に紹介されたものを購入することにした。
「こういうお買い物って楽しいのね」
店を出たシェリールルは、初めて路面店での買い物を体験し、満足そうだ。
そのまま二人は、王都で有名な公園の中にあるカフェへと向かう。
「これはヘクター様。お待ちしておりました。どうぞ奥へ」
王都でも人気のこの店は、ヘクター大公家の奥方――つまりアスミュートの祖母が愛用している場所で、観劇の前によく立ち寄っては、様々な噂を流す発信源となっていた。
アスミュートが予約していた部屋は、公園が一望できる一番良い部屋だ。
「まぁきれい! この公園がこんなにもよく見えるだなんて、素敵ね」
開け放たれた窓からは、柔らかな風が入る。
秋に咲くジャスミンの一種であるハールリの香りが、部屋の中を一巡した。
「シェル、デートは楽しんでもらえてるかな」
「ええ。こうやって楽しく町歩きをするのが、デートなのね」
「もう一つ、条件があるんだ」
「条件?」
アスミュートは柔らかく微笑むと、立ち上がり、シェリールルの隣に座った。
「アス?」
「俺が隣に座るのは嫌じゃない?」
「当たり前じゃない」
彼はそっとシェリールルの手を取る。
「じゃぁ、この指の先にキスをするのは?」
まっすぐに見つめてそんなことを言われるのは、初めてだった。
「……い、嫌じゃないわ」
「よかった」
瞳を見つめたまま、アスミュートは指先に唇を落とす。
その手を、自分の手と絡めるようにして繋いだ。
「こうして手を繋ぐのは?」
「こんな手の繋ぎ方があるのね。アスの手が大きくて、安心できるわ」
シェリールルのその言葉に、アスミュートはその手を引き寄せる。
「アスっ?!」
そのままシェリールルの体は、アスミュートの腕の中に収まってしまう。
アスミュートのもう片方の手が、シェリールルの背中にそっと回った。
「……アスの心臓の音が、ドキドキしているのが聞こえる」
「シェルは俺にこうして抱きしめられて、ドキドキするか?」
「してる……。心臓がすごく早く動いている気がするの。それに、なんだか変なのよ私。その、このままもう少し離れたくないって思ってしまって」
シェリールルはそう告げると、すり、とアスミュートの胸元に頬を寄せる。
アスミュートは瞳を閉じて、そのまま天井を見上げた。
息を整え、シェリールルの耳元に唇を近付ける。
「シェル。シェリールル。俺はシェルが好きだ。愛している。俺と共に、この先の人生を歩んでくれないか」
その言葉に、シェリールルは体を思わず引き離し、アスミュートを見た。
「それは……私と婚姻を結びたいということよね」
「ああ。だが、家と家との結びつきをしたいというよりも、俺がシェリールルと共にいたいと思ってるから」
「私、アスと今日一緒に過ごして、ずっと楽しかったの。二人で町を歩いていると、なんだかふわふわと浮かれた気持ちになって。こんな気持ち、あなたと以外ではきっと生まれないわ」
アスミュートはシェリールルに贈ったネックレスに、そっと指を触れさせる。
首元に触れたアスミュートの指は、今までと変わらないはずなのに、シェリールルはまるで初めて彼に触れられたかのように、顔が赤くなり、胸が高鳴ってしまう。
(なんで……。アスはいつものアスなのに)
そんなシェリールルの変化に気付いたアスミュートは、繋がっている手を改めてぎゅうと握る。
「シェル、デートの条件だけど」
「あ、さっきの」
「ああ。デートは、好きな人と一緒に過ごすことなんだ」
「好きな……人」
その言葉は、シェリールルの気持ちをするりと解いてくれた。
「そう。私、アスのことが好きなのね」
恋愛に関する小説も、侍女たちの、使用人たちの噂話も遠ざけられて過ごしてきたシェリールルが、初めて知ったのは、人を好きになることではない。
この気持ちが、好きという名称であるということだった。
「アス。私も、アスのことが好きなんだわ」
シェリールルはそう言って恥じらうように笑みを浮かべれば、アスミュートはそのまま彼女を再び抱きしめる。
そうして。
「ありがとう。ずっと一緒に、生きていこう」
アスミュートが囁いた言葉は、歓喜のあまり少しだけ振るえていた。
了
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