60 それは越権行為ですわ陛下
シェリールルはマツィエ公爵家の令嬢であり、王家の姫ではない。
つまり、国王が彼女の婚約について口を挟むのは、ある種の越権行為である。
当然自身の息子との婚約であれば別であるが、基本的に貴族家同士の婚約というものは、他家が口を挟むのは無礼であると考えられていた。
「陛下、私の婚約については、父が良いように取り計らうかと」
暗に口を出すなと告げるも、国王は未練がましい表情を浮かべる。
これにはコールリアルも父公爵も、不快さを隠さずに国王を見た。
「シェリールルは我が娘であり、王家の姫ではございません」
「だが……ロットには婚約者はまだおらんしな」
「以前候補になっていた、隣国の姫君がいらしたでしょう」
「あれは話がなくなったのだ。なんでも淑女教育が厳しい国は嫌だ、とかなんとか」
(あ、お義姉様の淑女教育塾が逆効果になっちゃったんだ)
アンヌはあの時の様子を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「……父上。僕は十一です。さすがにシェリールル嬢との婚約は、彼女に失礼ですよ」
シェリールルを好きだったロット第二王子ではあるが、これから王太子になるにあたり、アスミュートを敵に回すことはしたくない。当然、彼から冷ややかな視線が今向けられていることも分かっている。ここでしっかりと国王に釘をささないと、アスミュートの信頼を未来永劫失うどころか、この国の王族がすげ替えられる可能性もあった。
「確かにそうか……。シェリールル嬢が義娘になってくれたらと思っていたが」
「であれば、ストランド殿下をきちっと躾けておくべきでしたな」
冷たい声で言われれば、国王はもうそれ以上何も言えない。
王子たちの教育は当然教育係に一任している。
いちいち国王が確認することはないが、それでも次代の王となる者に対して、その能力値を図ることはするべきだったのだ。
「シェリールル嬢、残念だがたまには顔を見せに来てくれ」
「仰せの通りに」
通り一遍の笑みを浮かべ、シェリールルは挨拶をする。
「では我々は本日はこれにて」
「うむ」
ロット第二王子を残し、マツィエ公爵家とアスミュートは部屋を出た。
それぞれの家の馬車へと向かうが、その途中でシェリールルは不意に立ち止まる。
「お義姉様、どうしたのですか」
「そういえば、ドゥランディ博士とエルデアール伯爵令嬢を放ってしまったと思って」
午前中に会議の予定があったのだ。
元王太子に声をかけられた場にドゥランディ博士は立ち会っていたので、状況はきっと分かってはいるだろう。
「あぁ、それなら今日の会議はなしになったから、デートでもと勧めておいたから大丈夫だ」
「お兄さまったらいつの間に?」
「シェルを抱き上げたときに近くにいた使用人に言付けたんだ」
さすがは公爵家嫡男である。
そうした細かい部分への手抜かりはない。
「デートというのは、婚約者と過ごすものかしら?」
シェリールルのその言葉に、その場に緊張が走る。
元王太子との婚約は、事実上なくなった。
あとは契約書の問題だけだが、できればそこまで終えてからシェリールルの次の婚約に進みたい。
しかし、アスミュートを止めることができるのか。
「シェル」
三人が瞬時にそう考え、シェリールルに何かを言おうとする前に、アスミュートが彼女の名を呼んだ。
「よかったら明日――いや、明後日かな。そのデートというものを、体感してみないか?」
アスミュートはちらりと公爵を見た。
それはつまり、明日中に正式に婚約破棄の契約を済ませてくれということだ。
彼の目力に、公爵は苦笑いを浮かべて数度頷く。
「私が初めて知ることを、アスが教えてくれるなんて嬉しいわ」
「……っ! シェルが! かわいい!」
「ふふっ。アスも素敵よ?」
(アスミュート様! 口に出ちゃってますし、お義姉様は普通に返しちゃってます!)
(おいアス! あと少し自重しろ!)
コールリアルとアンヌが同時に突っ込みをしていると、公爵はその二人のやりとりをぼんやりと見ていた。
「私は本当に……何も見えていなかったんだな」
アスミュートがシェリールルを愛していると本人から聞いてはいたが、まさかシェリールルが無自覚の恋をここまで育てているとは思ってもいなかった。
「父上。シェルに自覚させるのは、婚約破棄を正式に成立させてからです。今夜は二人で夜通しかけて、慰謝料の計算と契約書を仕上げましょう」
コールリアルの言葉に、公爵は素直に頷くのだった。
*
夜通しかけて契約書と慰謝料に関する書類の策定をしてフラフラの公爵と次期公爵が、朝一番の登城時刻に入城する。
元王太子であるストランド・ドグランとシェリールルとの婚約は、そこで晴れて終了となった。
ストランドが病に罹り王太子を廃することを事由とすること、シェリールルへの長年の妃教育への拘束時間と婚約期間への慰謝料額が同意事項となった。
「巷に流布している元王太子が女を囲っている噂については、今後他の噂が上書きされることになるだろう」
帰宅後家族団らんでお茶をしながら、コールリアルがそう告げた。
「お義兄様、なんで元王太子は病なんですか。いっぱい罪があったのに!」
「だがそれを詳らかにすると、シェリールルの不名誉にもなりかねないだろ?」
「あ……そっか。横領についても、浮気についても、身勝手な思い込みの断罪についても、人はいいように噂しちゃうってこと」
「その通りだ。まぁ、彼はそのうち本当に病に罹るかもしれないし、なんならあれはもう病だったのかもしれん」
――頭に虫が涌くという。
全員が同じ事を脳裏に思い浮かべた。
「さて、シェル。これで晴れて婚約者がいない状態となったわけだが、もしもこの先この人と共に過ごしたいと思う者が現れたら、私の許可を得ずに、同意しても構わない」
「まぁお父さま。それはお相手がもしも平民の方でも?」
「そうはならないだろうが、構わんよ。ただし平民相手の場合は必ず仮婚約――婚約の前の期間を設けることだけ約束してくれ。価値観が違うことで良く思えることも、時間がたてば軋轢になりかねんからな」
「お継父様ったら、心配はしていないのでしょう?」
アンヌがころころと笑えば、コールリアルやレジェスも笑う。
「お継母様もお兄さまもアンヌも……何がおかしいのかしら」
小首を傾げつつ一口含んだ紅茶の花のような香りが、シェリールルの口内をふわりと包み込んだのだった。




