58 私も演技は得意でしてよ
「兄上は彼女、チルーマ・フェシャレル子爵令嬢を、母上が公認した婚約者であると言いましたが――それについて、本当に母上はそんなことを仰ったのですか?」
国王の隣に並び座る王妃は、突然のその言葉に驚く。
それもそのはずで、王太子が言う王妃からの公認とは即ち、ロットが偽装した王妃からの手紙だからだ。
「わらわは預かり知らぬ。そも、シェリールル嬢に何の問題も感じておりませぬ」
愛する我が子の大事な後ろ盾になる娘だ。
何を好き好んで、わざわざ子爵家の令嬢を息子に宛がったりするものか。
「ということは、この時点ですでに兄上には王妃殿下の言葉を偽証したとなりますね」
実際偽証したのはロットであるが、その証拠はすでに炎の中で消し炭と化した。
「そんな馬鹿な! 母上から遣わされたという、赤髪の侍女が確かに手紙を!」
「赤髪の侍女? わらわの元には、赤髪の侍女は――あぁ、侍女頭が赤髪であったか」
侍女頭は侍女たちの中でも一番年嵩で、髪の毛は随分と白くなっている。
そもそも、王妃の侍女頭であれば誰もが顔を知っているのだ。
当然王太子も、何度も顔を合わせている。
「そうじゃなくて……! 本当です、母上!」
「兄上、どちらにしろ母上が公認していたとしても、王命で結んだ婚約者がいる上で、子爵令嬢の純潔を奪い、さらには一週間王太子夫婦の寝室で懇ろになるのは、問題ですよ」
「じゅ、純潔を……?!」
驚いた声を上げたのはシェリールルだった。
彼女は貴族女性として、当然結婚するまで純潔を守ることを当然という価値観の中で生きてきている。
さらに言えば、兄やアスミュートたちの甲斐もあり、恋愛ごとには疎いのだ。
つまり、婚約者でもない相手との婚前交渉ですらあり得ないのに、何故無関係の男性に純潔を明け渡してしまっているのかが理解できない。
「そもそも王太子夫婦の寝室に、王太子妃以外を連れ込むのもどうかと思いますけどね」
コールリアルが小声で呟けば、それが謁見の間に響いた。
「ふむ。コールリアルの言うとおりだな。当然シェリールルであっても、婚前にその部屋に連れ込むことは有り得ぬが、それが婚約関係もない子爵令嬢とは……。それで、ロットは何故純潔について知っておるのだ」
国王の問いに、ロットは片手をあげる。控えていた侍女が恭しくトレイに実に七枚のシーツを畳んで乗せてきた。
一番上にはさらに布が被せられている。
「こちらは、件の部屋の清掃を担当した使用人から相談を受けたときに、保全を指示したシーツです」
その様子に、大きく体を動かしたのはチルーマだった。
顔を真っ赤にして、ぶんぶんと左右に顔を振る。
まさか自分たちの情事の形跡を残されて、人に見られると思ってもいなかったのだ。
恥ずかしさでどうにかなりそうになるのは、当然だろう。
「こちらへ届けよ」
国王のその指示に、近くに仕えていた国王の側近が動く。
使用人から直接国王にシーツを手渡すわけにはさすがにいかない。
ふがーっふがーっと鼻息荒く、ドタンバタンと体を動かすチルーマに、後ろから首筋に衝撃が走る。
国王の前でみっともない真似をしていたのだ。
近衛兵が宰相の目線を受けて、チルーマの意識を失わせた。
一方で側近が受け取ったトレイを国王の前にある台に乗せる。
一番上の布を国王の目に入る範囲だけ持ち上げると、一番上には血のついたシーツが置かれてあった。
においを抑えるために、シーツの間にはハーブが添えられている。
「睦みごとの痕も、その下のシーツにて確認いただけるかと思いますが――女性のいない場所で、改めて検分ください」
ロット第二王子の言葉に、国王も頷く。
ちらりと目に入ってしまったらしい王妃は、眉をしかめて扇子を開いた。
「さて、一番の問題はその後です」
「ロット! そもそもお前はなんで、そのシーツを持ってるんだよ!」
王太子がさすがにおかしいと気づいたらしい。
本来であれば、自分の部屋付きの侍女や使用人がロットに相談するはずがないのだ。
だが、ロットは余裕のある笑みを浮かべる。
「兄上、いくらなんでもこの件を、使用人や侍女たちがいきなり陛下や王妃殿下に相談できるわけがないじゃないですか。かといって、事が事だ。迂闊に王城侍女長や王城執事長に相談するわけにもいかない」
王城侍女長は王城の女性侍女や使用人を総監督する立場で、王妃の侍女頭は高位貴族の寡婦のみがなるが、王城侍女長は既婚の貴族女性であれば、侍女の経験を経れば資格がある。同様に王城執事長も既婚の貴族男性であれば資格があるが、それはつまり、彼らの出自の派閥が裏に存在しているということでもあった。
「それで僕に相談があったっていうわけ。妥当でしょ、王太子の弟なんだから」
実際は自身の手の者を配置していただけだが、もっともらしく聞こえる。
こうした手管ができないところが、王太子の問題点でもあった。
「お前が! お前が計ったんだろ!」
「おかしな事を言わないでください。そちらの女性を関係を持ったのは、紛れもなく兄上でしょう」
王太子はロット第二王子の言葉に、苦々しい顔を浮かべる。
「あの……私からも宜しいでしょうか」
「おお、シェリールル嬢。話せるのであれば、いつでも話すが良い」
(うわ、やっぱりキモおじ……)
猫なで声の国王に、アンヌは変わらず嫌悪感を感じる。
(王太子のヤバイ感じって、もしかして国王譲りなのかも。先々のことを考えずに、好きになったからって伯爵家の令嬢を王妃にして、息子の後ろ盾に他家の令嬢を宛がうとかさ)
アンヌは『シュペラブ』の設定を思い出しながら、国王の隣に座る王妃をそっと見た。
(確か外伝で、国王と王妃のラブロマンス編とかもあったよね。あれはゲームじゃなくてノベライズだったかも)
ノベライズの挿絵で見たような記憶のある王妃から、隣で音もなく立ち上がるシェリールルへとアンヌは視線を移す。
「私はチルーマ嬢とは、外務大臣の夜会で一度お会いしただけでございます。ですが、王太子殿下より一方的に彼女を虐め、国外に追いやろうとしたと断じられまして……」
ほう、と困ったことがあったというように、頬に手を置き溜め息を吐く。
シェリールルは、自身がそうすることで相手の気持ちを引きつけられることを良く知っていた。
「さらには、チルーマ嬢が王太子妃、そして次期王妃となる存在であり、そんな彼女を害した私とは婚約を破棄し、さらには私の身分を剥奪して娼館に身を預けるようにと仰せになりました」
シェリールルは最初にアンヌが『シュペラブ』の説明をしたときに、自身のラストが修道院か花街だと聞いていた。
修道院はすでに改善の手を入れていたが、花街についてはそのうち一帯を買い上げて、待遇改善をしておこうと思っていたのだが、生憎まだそこまでの事はできていない。
「婚約に関しましては、どう見ても王太子殿下の瑕疵による契約不履行と判断いたしましたので、破棄について賛成はいたしましたけれど、それも含めて陛下のご意向を確認するまではどうにも――。私、娼館に行かねばならないことをしたのでしょうか」
「シェ、シェリールル嬢。そなたに瑕疵など一つもない! 国王の名に於いて、それは宣言する」
貴族令嬢たるもの、必要なときに涙と演技が自由自在にできなければならない。
それは貴族男性には一切伝えることなく、高位貴族の令嬢だけが代々受け継ぐ技術だ。
娼館の女性たちも知っているだろう技能に加え、高位貴族であるが故の気品と抑えどころを学ぶ。色気ではなく、矜持をかけた武器である。
その点、チルーマは演技は下手だった。
ただただ女が嫌うタイプの女を、男好きするタイプの女をアピールすることはできても、徹頭徹尾演技をし続けることはできない。
「陛下、ありがとうございます。私安心いたしましたわ……」
毅然とした態度のようでいて、ふらりと体を揺らす。
隣に座るコールリアルがすぐにシェリールルの体を支えた。
「大丈夫か、シェル」
「お兄さまありがとう。私ったら……安心しちゃって、だめね」
当然、演技だが。




